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2010年10月

2010年10月21日 (木)

雑草句録:アケビの実

2010/10/21

雑草句録:アケビの実

■アケビの実口に含んで野良仕事

ザクロと同じように種子が多い。甘みも程々だ。あけびの皮に詰め物をした東北地方の料理を夢見て、使わなくなったパイプハウスの上に蔓を這わせている。その料理も夢に終わりそうだ。実の大半は落果して、まれに食べるのは自分だけだ。でも、仕事の合間に一口、口に含んで種を吹き出すのもちょっと楽しい気分転換になる。我が結婚式の時、来賓のお茶の師匠が、「山のアケビは何見て開く、下のマツタケ見て開く」と謡ったような記憶のある俗謡だが、ふと思い出した。本当に遠くなった過去の話であるがあの女師匠さんの人徳がしのばれる。

2010年10月20日 (水)

雑草句録:野ネズミ

2010/1020

雑草句録:野ネズミ

■野ネズミの食い跡あらわサツマ掘り

野ネズミの被害もいざ作物を作ると実感する。それも、収穫時に新しい食い跡を発見するといまいましさがつのる。丁度、作物の食べ頃を狙って行動しているようにみえるのだ。野ネズミとしてはそれが最も合理的な行動なのだろうが。

2010年10月19日 (火)

歴史の転換:女流プロ棋士コンピュータに負ける

2010/10/19

歴史の転換:女流プロ棋士コンピュータに負ける

コンピュータとチェスの名人での対局でコンピュータが勝利したニュースは過去のものとなっている。今回は清水市代女流王将とコンピュータの対局で話題になった。情報処理学会は1960年4月22日に創立され、2010年には創立50周年を迎え、これを記念してこの対局が企画されたようだ。情報処理学会のホームページはその対局の速報を以下のように伝えた。

『清水市代女流王将vs.あから2010速報 平成22年10月11日の対局では、あから2010は無事終局まで指し続け、86手で清水女流王将が投了、あからの勝ちとなりました。新聞社やTV局など多数のメディアの注目を集め、立ち見がでるほどの解説会場も大いに盛り上がりました。インターネットでも多くの方々がこの対局を観戦して下さり、対戦結果は日本国内のみならず世界中に報道され、情報処理学会による情報処理技術の進歩の一端を示すことができ、50周年記念イベントとしての対局を成功裏に終えることができました。
 一回限りの勝負事ではどのような結果もあり得たところですが、今回の対局では情報処理学会の期待通りのあから2010の棋力を棋譜に残すことができたと自負しております。また、この対局を通じてプロ棋士の将棋に対する姿勢など、多くの新しい発見や感動を得られたことも大きな収穫でした。
 今回の成功は、35有余年に及ぶコンピュータ将棋開発の積み重ねとともに、広くゲーム情報学、機械学習、並列分散処理技術といった情報処理学会が長年培ってきた技術力を基礎にして得られたものです。
 コンピュータ将棋はプロ棋士の棋譜や思考といった先人の叡智に学び、ここまで進化を遂げることができました。これからも、単なる人間と冷徹な機械の戦いの場としてではなく、お互いの能力を尊重し高め合うための道標として、驕ることなくさらに研鑽を積んで参りたいと存じます。情報処理学会は、今後も様々な分野で研究開発を進め、人類に貢献していきたいと考えております。
 最後になりますが、今回の挑戦を受けていただいた日本将棋連盟、素晴らしい熱戦で応じて下さった清水市代女流王将、そして会場と計算機を提供して下さった東京大学大学院情報理工学系研究科に改めて感謝いたします。』

コンピュータの進歩にはめざましいものがある。コンピュータが人間の能力にどこまで迫れるかがコンピュータを使って行く上でも大きな研究課題であるためであろう。あから2010は、一般社団法人情報処理学会の「トッププロ棋士に勝つ将棋プロジェクト」によって開発された特製システムで、そのネーミングは、10の224乗を表わす阿伽羅(あから)が、将棋の局面数に近いことにちなんで命名されたとの事である。膨大な規模の情報処理が人間の頭脳の中で行われている事を思い起こさせる。

将棋もルールがはっきりしているのでこのような勝ち負けを決める対局という企画が成立すると思うが、俳句、和歌等をつくらせたとき、コンピュータのアウトプット結果がどのようなものであり、どのように評価すべきか。ここには、ルールも評価基準も無いのですべて人間が与える事になるのか。コンピュータはまだファジーな問題を自ら作り自ら解を探してくれるというような用途には向かないようだ。一般の人がパソコンを使える頃になっても、コンピュータに問題を出せば解いてくれるのかいと質問を受けた事があった。ファジーな問題をファジーの入力でコンピュータに解かせるのは今でも難しそうだ。自分も、自分のパソコンに今お前のどこの調子が悪いか自己診断して回答せよという問題を出したい時が度々ある。

ともかく、今回のコンピュータ側は、多数のコンピュータ部隊を親分のコンピュータが指揮をして各コンピュータが選んだ手を多数決でコンピュータ連合の手として決めてプロ棋士と対戦したようだ。各コンピュータはそれぞれ将棋ソフトを実行している。こういうシステムにすることによりいくつかのコンピュータの欠点を補い総合的に利点を拡大できたようだ。かつて見たインターネットのどこかのサイトに俳句を自動作成するものがあって、面白い結果を出していた記憶がある。ともかく将棋の局面数が10の224乗に尽きるとすると、全ての勝負決着の筋道もその中にあると言うことで、各コンピュータが選んだ手を解析してみて、棋士の思考過程まで解析できるのか興味がある。コンピュータが選んだ手は完全にホワイトボックスで、棋士の思考過程はブラックボックスの中にある筈だ。

思うに、一般的な人間レベルの能力をコンピュータに獲得させるためには相当量のコンピュータのトレーニングが必要なようだ。そのトレーニング期間もトレーニングコストも人間以上にかかりそうだ。やはり、コンピュータは得意な分野で使うべきなのかもしれない。今回のコンピュータは並列分散処理という事で一面では、コンピュータのハードとソフトを作った人々、それらを統括する多数の人々の総力と一棋士の対戦という見方も出来る。多数の人々の知的産物と一人の個人の対決では個人の勝ち目は極少ないのではないか。そういう蓄積された多数の人間能力を短い時間に集中させるのがコンピュータシステムであるとすれば一人の棋士としては善戦しているのではないか。もはや、筋力と言う点では機械と人間を比較する時代は終わっている。コンピュータと人間を比較する時代も程なく終焉するかもしれない。

情報処理学会によれば、合計208台, 658 coresのコンピュータが連結して棋士と対局したとの事である。これを一台のコンピュータとしてみた場合、どの位の能力になるのだろうか。

大雑把な計算では全体で10の12乗(1兆)個程度のトランジスタが使われているようだ。ちょっと調べたら、人体は約60兆の細胞で形成されているようだ。

INTEL CPUの概要を調べた。

Die Size of the Quad-Core Models

  Model    Process            Size          Transistors
Core i7        45 nm    263 mm2            731 M

2010年10月18日 (月)

雑草句録:ナズナ

2010/10/18

雑草句録:ナズナ

■夏草の萎えたあとよりナズナ生え

秋になり、夏草が萎えて地面に日光が当たるようになると、もう春の雑草が芽を出してくる。この時期が除草の適期だと思うが、つい気を許し大きくなってからあわてだす。冬のナズナは地べたにへばりつくように上でなく横に伸びる。太陽光と地熱を有効に使うための姿がそこにある。下手に背伸びをしないで生きよと教えてくれるようだ。

2010年10月17日 (日)

日本語耳:科学ニュースに独り言

2010/10/17

日本語耳:科学ニュースに独り言

「日本語耳」の獲得
最近の上毛新聞に、日本人の外国語下手の要因と考えられる「日本語耳」という特性が生後14ヶ月以内に獲得されているという注目すべき記事があった。詳細が分からないので検索したら理研の「外国語に母音を挿入して聞く「日本語耳」は生後14カ月から獲得-日本人乳幼児とフランス人乳幼児の子音連続の知覚は発達で変わる-」というプレスリリースがあった。言葉の深層に迫る事は脳の、ひいては言語や文化、俳句、短歌等の文学の深層に迫る事に通じるのではないかと思う。

理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)との共同研究との事で、人間の脳研究が言語という高等な精神領域まで及んできた恐怖を感じる。しかし、まだ実験心理学的な部分もあり、その結果が脳細胞レベルで解明されないことに一抹の楽観が許される。最近、女性プロ棋士がコンピュータに負けたというニュースがあった。コンピュータ側は相手の手を読んでどんな手を検討したか全て記録し読み出せるだろう。言語の取得がコンピュータでシミュレーションできる時代がくるのだろうか。利根川博士の「私の脳科学講義」を古本で読んだ直後であり、同書出版からほぼ十年後のこのニュースで氏が「理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)」で継続して研究をされている事を初めて知った。氏が「私の脳科学講義」で後続の研究者にノーベル賞を取って貰いたいと述べていた事を思い出した。脳科学が科学の最先端であり、ここにノーベル賞級の科学の鉱脈があるだろうと素人的に予想している。

このニュースに関する自分の印象等はこのWEB PAGE(09C_日本語耳)参照:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/09c_NIHONGO_MIMI.html

発表の抜粋を以下に掲載するhttp://www.riken.go.jp/r-world/info/release/press/2010/101012/detail.htmlより:
『独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、日本人は生後14カ月までに「abna」のような子音の連続が含まれる単語と「abuna」のような子音連続が含まれない単語の音を区別して聞き取れなくなっていることを発見しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)言語発達研究チームの馬塚れい子チームリーダー、イボンヌ・カオ(Yvonne Cao)テクニカルスタッフ、フランスの国立科学研究センター(CNRS)のE・デュプー教授(Emmanuel Dupoux)、A・クリストフ教授(Anne Christophe)らの共同研究による成果です。

言語には、母音や子音の組み合わせ方や音節※1についての規則があります。日本語の音節は「ku」や「do」のように子音と母音からなるのが原則で、日本人はそれに合わない外国単語に「u」や「o」の母音を挿入して日本語の規則に合うように修正して発音したり、聞いたりしてしまいます。このような、外国語の音を母語の音の体系に合わせて発音したり知覚したりしてしまうことを「修復」といいます。例えば、ハンバーガーチェーンの名前で世界に知られている「McDonald」は、英語では3音節ですが、日本語では母音を挿入して「ma.ku.do.na.ru.do」と修復して発音するため、英語話者にこれが英語の「McDonald」と絶対に通じない単語として有名です。

研究グループは、生後約8カ月と生後約14カ月の日本人の乳幼児とフランス人の乳幼児各24人(合計96人)に「abna」、「ebzo」などの連続した子音が含まれる単語と「abuna」、「ebuzo」のように母音を挿入した単語を聞かせ、乳幼児が弁別※2して聞いているかどうかを調べる実験を行いました。その結果、生後8カ月では、どちらの乳幼児も弁別ができていたにもかかわらず、生後14カ月になると日本人の乳幼児だけが弁別できなくなっていることを突き止めました。これまで修復は、たくさんの語い(彙)を獲得したり、文字を学んだりした結果起こるものだと考えられていました。しかし今回の実験から、この修復が、実は語彙も数少なく文字も知らない乳幼児期からすでに始まっていることが分かりました。これは、個別の母音や子音だけでなく、音の並びの規則(音韻体系)についても乳幼児期からすでに獲得が進んでいることを示す重要な発見で、日本人が外国語の音をうまく聞き分けられない原因の解明にもつながる成果です。本研究成果は、米国の科学雑誌『Developmental Science』に近く掲載されます。』

2010年10月16日 (土)

雑草句録:アマランサス

2010/10/16

雑草句録:アマランサス

■あれは何アマランサスの伸びる畑

アマランサスを畑で育てた時の周囲の反応がこれであった。うまく行けば胸を張れたかもしれないが、世間の人の目は意外に厳しかったようだ。見慣れない背の高い雑草と目にうつったものと思う。

 ブログ内「農園の風景」 のページへ

追記:雑穀について<つぶつぶ.JP:http://tsubutsubu.jp/>に記事があった。あんパンの表面にトッピングとして付いているのはケシの実との事だ。アマランサスの種子も芥子粒ほどの小ささだ。試食できる程度の量は収穫したのだが、結局食べずに終わってしまった。

2010年10月15日 (金)

昭和萬葉集:巻九(戦後の風俗)

2010/10/15

昭和萬葉集:巻九(戦後の風俗)

この巻は昭和25年~昭和26年を対象としている。そのⅢ戦後の風俗の区分中の戦後の風俗の項に掲載された短歌である。自分が物心付いた頃の様子を知りたいと思い紙片を挟んで置いた部分を再読した。

■かつぎやはおほむね老いし婦にして助けあひおどけあひ汽車降りてゆく(志岐春吉)
■ばすの中の十人近き運び屋が次々何か耳うちをする(生田まきゑ)

終戦後の交通運搬網は貧弱であり、鉄道運送の比重が高かった。都会への農水産物の運搬に担ぎ屋が活躍するすき間があったのだろう。担ぎ屋は単に運搬するだけでなく、客の玄関先で販売までして、帰りには都会の物品も仕入れたりして色々な役割を兼ねていたと思う。前の一首、字余りの「助けあひおどけあひ」という句にかつぎやの老婦人が活写されている。後の一首、作者は「次々何か耳うちをする」と運び屋の会話の内容に迫ろうとしているようだ。取り上げた二首は担ぎ屋を遠巻きの視線で見ているが、終戦直後のありふれた風景のようにも見える。

汽車やバスに乗る場合は集団行動をしていたように見える。一人で行動するとなると色々な圧力がかかってくるだろうから合理的な行動だろう。当然販売するときはそれぞれ自分のお得意に向かって個別に行動したと思う。これも合理的な行動であろう。社会が安定してくると一般乗客からは担ぎ屋が時には白い眼で見られ易くなってきたという事情があったかもしれない。事実、自分が学生時代に東京へいった時も少ないながら担ぎ屋を見たことがあるが、一般客の迷惑になるのではと思ったりした記憶も残る。

しかし、いま考えると担ぎ屋が多かったという事実の裏には担ぎ屋のサービスを受け入れた人や状況があった筈だ。いま担ぎ屋がいるのかいないのか定かではないが、公共の乗り物は誰もが乗れるという基本が重要だと思う。サラリーマンが通勤のため乗るのと担ぎ屋が商売でのるのも生活のためと言う点では全く同じであろう。

■代燃車の煙に赤くネオン映ゆ夜深くして寒き街角(籏町美嘉)
■並びたる木炭バスが朝日さす街の片側に煙りあげおり(笠原清一郎)

残念ながらガソリンの代用燃料を使う木炭車が動くのを見たことはない。しかし、戦後のある期間、都会の中心街に木炭車が走っていた事をこの歌で改めて知った。

WIKIPEDIA(最終更新 2010年9月5日 (日) 13:40 )によると、「木炭バス(もくたんバス)とは、バスに積載した木炭ガス発生装置による一酸化炭素とわずかに発生する水素(水性ガス)を動力として走るバス。日本では燃料用の原油が不足した第二次世界大戦中の1940年代に使用された。このような機関は日本のみに見られた特殊事例ではなく、ドイツなどの枢軸国側の国家のみならず、フランスやイギリスなどの連合国側の国家でも石油事情が逼迫した際には用いられた事があった。」とあり、石油の代替えとして木炭自動車は広く使われたようだ。

「木炭ガス発生装置」は自動車メーカーが作ったのか気になるところだが、化石燃料を使わなければ環境対策にもなるだろう。安価で便利な石油を多用したつけが地球温暖化の原因といわれるCO2という目に見えないガスなのだが。現在、電気自動車の開発が盛んに行われているが、エネルギーを電池に蓄えモーターを回すのでガソリン自動車と完全に方式が変わるが、早さと馬力は捨てないだろう。誰にも車の運転で高速な移動が可能になったが、この早さと馬力で失った物が非常に大きいように感じる。ゆったりした移動が人間の病んだ精神の回復に必要なようだ。

2010年10月14日 (木)

雑木歌録:ねじれ国会

2010/10/14

雑木歌録:ねじれ国会

■票が化け ねじれ国会 弥次郎兵衛 国民行司 出番待ち

国政が劇場に例えられ、悲しく国民はもその悲喜劇を観賞せざるを得なかった。そんな状況を受けてか、前回自公政権下にねじれ国会が生じた。その最大の原因は与党にも野党にも真の国政を託せなかったからではないか。与党も野党もお互いにたたき合っていれば、それ以上悪いことをするゆとりもあるまいと国民は弥次郎兵衛を見る如くに感じているのではないか。これがねじれ国会の一側面ではないか。今、かつての与野党が立場を代えて同じ状況になっている。諸外国は日本人がバラバラの方向を見てまとまらない事に内心安堵しているのではないか。そのことを思うと国民も眠りこけているわけにはいかないのであろう。

2010年10月13日 (水)

雑草句録:裏年の柿

2010/10/13

雑草句録:裏年の柿

■ヒヨドリや裏年の柿奪い合う

柿は隔年結果が顕著な果樹のようだ。年により当たりと外れがある。一本だけが繰り返すのではなく、他の柿も同じ傾向があるので、果樹単独の個性というより、集団的な特性のようだ。販売用の柿栽培は毎年平均して収量を安定化ささせる必要がある。庭先果樹としての柿栽培はほとんど放任に近いので生り具合は柿木と天気次第になるのだろうか。今年の柿は裏年のようだ。

新潟大学の隔年結果の資料によると、「(イ)隔年結果 柿は栽培管理が悪いと隔年結果を示し、成り年と不成り年が1年おきに現れる。隔年結果の原因は、樹体のバランスが崩れ、新梢の葉芽が栄養不良のため、花芽の分化、発達が十分に行われないためである。隔年結果を引き起こす最も大きな要因は、結果過多である。この他、隔年結果を引き起こす原因としては施肥、せん定などがあり、枝が多すぎ樹冠内部への光の透過不足も、花芽を持たない枝を作り、隔年結果を助長することになる。隔年結果を起こさせない為には、冬季のせん定時に弱った側枝の更新をはかり、常に充実した枝を維持するようにする。」とある。

これは、栽培管理であるが、前年に果実を付けすぎると体力を消耗しすぎて翌年の結果に響くようだ。という事は、柿樹としては一年勝負で生らせられるだけ生らせてしまうということなのか。果樹が来年の事を考えることは無いだろう。それを考えるのは人間の方だ。

ある農家が販売用に柿の栽培をしたが、思うように売れないので撤退したという話を聞いた。その要因を分析すれば色々あるだろうが、一番の要因は売る努力なのだろうか。柿に対抗する果物は多い。消費者は見栄えが良く、美味しく、手間のかからない物を選ぶ。果物を食べるにも心のゆとりが無くなった。色々な果物をじっくり味わうという気分が広がれば柿も選択枝の一つになるのであろう。

雑木歌録:便利さ

■便利さの 背中合わせに 危険有り 車、携帯  チン食品     笑葉

正岡子規は35歳で亡くなったそうだが、あの柿食えばの句には老成した人間のイメージがある。子規の好物が柿であったとどこかで読んだ記憶がある。そこで子規の老成した人間のイメージも述べられていたような気もする。柿という果物も日本の風土の中になじみすぎて老成してしまったのか。秋の夕刻に、自分の好物の柿を味わっていると法隆寺の鐘の音が聞こえてくる。時も夕刻(自分の推測)で風情があって良し。大好物の柿を食べられるのも幸せ。おまけに、そこに法隆寺の鐘の音。トリプルラッキーの感傷にひたる。病弱な子規が詠んだあの句は単なる自然の描写に留まらないだろう。子規が一瞬の幸福感に浸っている姿があるようだ。自分の短命を予期するときに物事の見え方表現法も変わるのかもしれない。

ついでに、自分の好みは「熟(う)み柿」。ATOKも一発で変換してくれない。子供のころはうんだらがきと言った。過熟で中身がべちゃべちゃしている。当然商品にはならず店頭には並ばないだろう。それをちゅるちゅるとすする。絵にも句にもならないが、鳥の気分にはなれそうだ。

2010年10月12日 (火)

雑木歌録:雨蛙

2010/10/12

雑木歌録:雨蛙

■枯葉着て ぽんと跳ね出る 雨蛙 冬着脱ぎ捨て 生きよ我が友      夢野照葉
■青葉上 座禅の如き 雨蛙 雨近づけば 鳴きて友呼べ
■色付きぬ 畑で跳ねる 雨蛙 食いて太れよ 秋風が吹く
■霜降りし 落ち葉の下の 雨蛙 姿見えねど そこにおるらん
■野良仕事 不意に出くわす 雨蛙 一緒に生きよう この地尽くまで    

野良仕事をしていると春夏秋冬、どこかで雨蛙に出合う。季節に合わせて色が変わるのが面白い。馴染み深く愛すべき存在である。数年前の五首連作である。

追記:当ブログの先頭にハウス用の鉄パイプに入り外を眺めているアマガエルの姿を載せた。これも偶然の発見であったが、野良仕事をしていても、このようなアマガエルの姿に出会えると気分もなごむ。

 ブログ内「いとしきもの」 のページのアマガエルの写真へ

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    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
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    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
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    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
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