読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(11)
2010/12/28
読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(11)
○「役人の追求のてが」の章
「緑亀を献上した四ヶ月後に彦九郎は九州遊歴の旅にでた。」著者はその足跡と交遊状況を要約し、「だがこうして休む間もなく奔走する彦九郎を、役人等が危険人物として注目しない訳がない。」としつつ、「彦九郎の死はその理由が計り難く、さまざまに憶測されているが、この情熱的憂国士の心情を思えば、その理由も明らかにしたい感がある。」とこの章を結んでいる。いわば、この章は次の章への導入のように見える。
追記:江戸時代とはいえ旅にでれば路銀がいる。旅に明け暮れた彦九郎はその費用をどのように確保したのか気になる。「高山彦九郎の実像」の中の別の記事を読むと彦九郎の経済的な支援者もいたようだ。また、祖父が母方の高山の姓を名乗り蓮沼家より隠居分家した時相当な財産を引き継いだらしい。その金は祖父、父の思想・理想というDNAを実現するために必要になった時だけ使えと代々伝えられてきた基金のようであったらしい。彦九郎と交流した人達は最新のニュースや学問に関心が深い当時の知識人が多く、人物ネットワークがあった。そういう人々に対して出張講師、ニュースキャスターのような役回りで路銀を工面していたかもしれない。しかし、経済的にはやがて破綻してしまったのが現実であったようだ。渡良瀬川公害の解決に一生を捧げた田中正造も亡くなった時には身の回りのものしか残っていなかったようだ。