読みかじりの記:ビジネスマンのための「個性」育成術 黒木靖夫 著 (2001年 日本放送出版協会)
2011/8/28
昨日は曇り。不安定な天気だがしのぎやすい気温であった。ポット苗の手入れを再開。雨後なので雑草の根張りが強くなったように感じる。夕方、皆でお茶。空が薄暗くなった頃で、コウモリらしいモノが飛んでいる。丁度鳥はねぐらに入る頃だったのでそう思った。コウモリが飛んでいるというと誰かが、いやツバメだという。よくよく見るとツバメだった。5~6羽程度と数が多かった。コウモリのように低空を、ヒラリヒラリと方向転換しながら飛んでいるので、空中を飛んでいる小虫を追っているのではないかと思った。
2011/8/27の天気
TAVE= | 24.4 |
TMAX= | 27.1 |
TMIN= | 22.4 |
DIFF= | 4.7 |
WMAX= | 3.5 |
SUNS= | 0.4 |
RAIN= | 0 |
ざっそう句:ツバメ
■薄闇にコウモリの如ツバメ飛ぶ
■コウモリに草履を投げた幼時
■コウモリと昔遊んだお茶話
■ツバメ等に居間も解放その昔
■ツバメより殺虫剤に頼る今
読みかじりの記:ビジネスマンのための「個性」育成術 黒木靖夫 著 (2001年 日本放送出版協会)
本書によると著者は1993年にソニーを依願退職。WIKIPEDIAによると2007年7月に死去した。74歳没。1993年 - 富山インダストリアルデザインセンター所長就任とある。本書の前半には、ソニーという会社の個性と工業デザイナーとしての輝かしい経歴を通して個性をどうだすか、どう育てるかを述べている。
著者がウォークマンの開発に関与した事は知っていたが、筑波科学万博のジャンボトロンにも関与した事は初めて知った。また、「マイ・ファースト・ソニーはおもちゃか」という項で森田さんの庇護で商品化ができたと書いている。自分は井深さんの影響もあったのかと思っていた。一時、幼児向けの電気製品造りに大手のメーカーが取り組んでいた時があった。会社の社会的な責任や自社製品のファンを子供の頃から作ろうという考えがあったのだろうか。
飽きないデザイン、基本機能だけに限定、使いやすい、適度な大きさ、堅牢、安いと自分なりにデザインや商品に要求する所は多い。工業デザインという点で今どこまで進歩しているのか分からない。人間も商品も個性作りは意外に難しいようだ。一番安直なのが型、色、機能を類似させる類似品・コピー品にあるのだが、人間がそうなっては本当に面白くない。
著者は第三章で「省エネや省資源への配慮はウォークマンの時の井深の思想である。」と書いている。その流れの中で、懐中電灯型のプロジェクター・テレビのアイデアを述べている。著者は個性的な製品作りではイタリアの手工業的な家具・照明器具産業に興味を示している。やはり、ハードという物を作るにも見えないソフトを作るにもそれを作る人間の有様が最終的にはそれに反映される。その点では、イタリアの物作りは日本もマネができない領域にあるのではないか。
本書は「ビジネスマンのため」とうたっているが、ビジネスマンとなると個性を発揮するのが更に難しいのではと思ってしまう。ともかく、現代はビジネスマンにしろ技術者にしろ個性を発揮しにくい時代ではなかろうか。大きく発展している分野では何をやっても新しい事という場合がある。
著者がソニーを依願退職したのには何か思うところがあったと考えれるが、本書にもそのヒントが潜んでいるのかもしれない。著者は21世紀の新製品開発のキーワードは「環境と資源とエネルギーである。」と本書末尾で述べている。あとがきに、今の若者の良いところとして、欧米コンプレックスがないこと、生まれつきのコスモポリタンであることを上げている。「私は十年後、二十年後の日本に期待しているから長生きしたいと切に思っている。」と本書をしめくくっている。残念ながら、それは叶わなかったようだが、本書が若者へのメッセージとなっているのではないか。
著者はIT技術の進歩にも期待していたようだ。物作りの基本はいつ誰が作ったか物自体が語ってくれる事ではないか。大量生産品でもそれをいつだれが作ったかが分かれば区別できるという最低の個別化が可能だ。製品のどこかにそのデザイナーの名前を刻む事はIT技術を使えば不可能ではない。自分が作った物に自分の名を刻印したらどうか。そのような願いを込めて物作りに励んでいる人は多いだろう。残念ながら、ほとんどの人は無名のままこの世を去って行く。自分も、一台のセットに一個しか使わない部品が、月産10~20万個になった時、ふとむなしさを感じた事があった。長い目で見れば個性も流行の中に流れているのかもしれない。それでも光るべき時に光らせたいのが個性ではないか。
更に言えば、世界に同じ物は二つと無い。個性、個性と騒いでも何も変わらないのかもしれない。ギネス的個性はそれなりに面白いが、信頼性のような個性はつき合ってみないと分からない。自分が作った物が見えない、自分のやった仕事が見えない。それが現代だ。こんな状況では個性すら見えなくならないか。そうだからこそ、個性は外部から育てられるより自分が磨かねばならないものかも知れない。
追記
この記事を書く際に、ソニーのホームページを覗いてみた。自分がソニーが光っていると感じたのはやはりウォークマンやトリニトロンの時代である。3.5インチFDがIBM PCの標準デバイスになったのもソニーの業績だと記憶している。ソニーはハードが中心であった二次産業時代から、現在ではハード&ソフトの複合企業体に成長している。組織名を見てもその組織が何をしているのか理解しにくかった。企業の巨大化、グローバル化はその企業の個性を出しにくくしているのだろう。ソニーはネットワークという概念に期待している節が見られる。組織の巨大化と権限の集中はやがて硬直へとつながるのは世の常である。ネットワークは分散と統合が生命である。逆張りがソニーの個性なら、ネットワーク概念を更に発展させて、SONY井深、SONY森田とか個性丸出しの無数のネットワーク連合会社を作ってみてはどうだろうか。モルモット企業を自認したソニーなら本気に挑戦して出来ないことはないかもしれない。お節介な真夏の夢をみてしまった。ソニーよもっと光れ。