読みかじりの記:「鳥の仏教」 中沢新一 著 (2011年 株式会社 新潮社)
2012/3/9(金)
昨日は曇り。平均気温は高めだが日照が無いので寒く感じる。同じ係りの人と二人で資材調達の買い物をした。その後はエクセル作業。東北関東大震災、大津波災害、福島原発事故災害の発生から一年になるので、新聞・テレビ等で色々な報道がされ、特集の企画も目立つ。東京の防災に関して、調査研究の結果、東京の直下で震度7の地震が起こる可能性が高いことも発表されている。万一、その程度の地震が起こった時の責任逃れととる向きもある。あの時、発表していたのだ。俺には責任はないという論理は通るのか。東北関東大震災の教訓は関東大震災で多大な被害が発生した東京等の大都市にあてはまる。もはや想定外は通用しなくなっている。
2012/3/8(木)
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読みかじりの記:「鳥の仏教」 中沢新一 著 (2011年 株式会社 新潮社)
本書末尾に、本書は平成20年に新潮社より刊行されたとある。比較的新しい本だ。カバーに著者は1950年、山梨県生まれの文化人類学者とある。やや薄い文庫本だが、モノクロやカラーの鳥の挿し絵が読書プラスαの楽しさを与えてくれる。「鳥の仏教」が知られるようになったのは20世紀初頭のインドであったとの事。著者はこの本を読みつつ仏教を学んだと記されており、人類にとっての精神文化の遺産ですと述べている。
「鳥の仏教」の中には、それがチベットの民衆の自然観や社会観がそれとなく流れており、チベットを理解するにも参考になりそうだ。アニミズム、輪廻観も合理主義という目的論で切り捨てることはいとも簡単だ。しかし、我々の人体を作っている物質は変転しつつ世界を巡っているのも厳然とした真理だ。放射性物質さえその循環の中にある。ただ、その全体を把握することは容易でない。動物や植物という生物に視点を移すことで、人間の認識機能を客観化し、より広く深い世界観を築いて行くことは人類が生き残って行くための課題でもあろう。人類は自然の摂理を改造する事はできない。
チベットに関しては、鳥葬の国、チベット死者の書、ダライラマ、チベット探検家矢島保治郎等々色々な事を思い出す。梅原猛の「日本の深層」の中に「賢治の霊力」という項があり、「なめとこ山の熊」に関して、「人間が熊を送るのではなく、熊が人間を天に送るイヨマンテなのである」と記されている。梅原猛はアニミズムの本質を見ていたのかも知れない。本書に「きこりを助けた熊の話」という記事がある。二つの話の共通性に驚く。人と熊も共存しなければ、お互いが生きて行くことはできないという教えであろう。この説話を人間の社会に投影すれば、人はお互いいがみ合うことなく共存せよとう教えでもあろう。
以下は、本書の中の一節だ。「鳥の仏教」ではカッコーが聖なる鳥との事だ。フクロウは「ウトォ(なんと哀れ)」と鳴くそうだ。西洋ではフクロウは学識ある賢者の象徴でもある。
以下、引用:
瞑想をして死の意味を知る前に死がやってきてしまうのは哀れだね、ウトォ。
戒律を守らないお坊さんは哀れだね、ウトォ。
ものごとを判断できない老僧は哀れだね、ウトォ。
威厳を持てない大臣は哀れだね、ウトォ。
軍隊がついてこない将軍は哀れだね、ウトォ。
相談相手のいない王様は哀れだね、ウトォ。
従う者のいない指導者は哀れだね、ウトォ。
行動力のない政治家は哀れだね、ウトォ。
学識のない先生は哀れだね、ウトォ。
熱心さのまるでない弟子は哀れだね、ウトォ。
信用のできない友達は哀れだね、ウトォ。
気持がバラバラな家族は哀れだね、ウトォ。
哀れなおこないがどんなものかを知って、それを避けるのが大事です。
引用終わり。
本書は薄い文庫本だが、従来の仏教書にないすがすがしさを感じた。東北関東大震災、大津波災害、福島原発事故災害では、被災者だけでなく、その家族や知人、更には日本中の人、世界中の人が大きな衝撃と悲しみを味わったと思う。その悲しみに打ちひしがれることも人類の歴史としては忘れることのできない貴重な体験ではないか。「鳥の仏教」のフクロウの鳴き声も日本の復興や自戒のために鳴いてくれているようにも感じる。