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2012年3月23日 (金)

心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(6)

2012/3/23(金)
昨日は曇り一時晴れ間。用事外出。ついでに工作に使うため強力マグネットを百円ショップで調べた。磁力の強さは数十ミリテスラとあった。http://staff.aist.go.jp/nakashima.yoshito/nouzei/magnet.htmによると、地磁気:0.3-0.5ガウス=0.00003-0.00005テスラ、磁気ネックレス:0.13テスラ、病院の超伝導磁石を用いたMRI:1.0-1.5テスラ(1T=10000G)との事だ。この磁気というのも、人間は見ることも感じることもできない。以前、脳ドッグを受けたとき、MRI装置の磁力は1.5テスラとの表示があった。検査が終わって担当員に1.5テスラという磁気の強さはどの位か聞いてみた。ボールペンをその装置の上で離すと浮いてしまった。一目瞭然とはこのこと。あの、ガンガンという音を検査の内容毎に変えているのだそうだ。

「核磁気共鳴画像法;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E7%A3%81%E6%B0%97%E5%85%B1%E9%B3%B4%E7%94%BB%E5%83%8F%E6%B3%95。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年3月20日 (火) 10:09)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「核磁気共鳴画像法(かくじききょうめいがぞうほう、英語: magnetic resonance imaging, MRI)とは、核磁気共鳴 (nuclear magnetic resonance, NMR) 現象を利用して生体内の内部の情報を画像にする方法である。断層画像という点ではX線CTと一見よく似た画像が得られるが、CTとは全く異なる物質の物理的性質に着目した撮影法であるゆえに、CTで得られない三次元的な情報等(最近のCTでも得られるようになってきている)が多く得られる。また、2003年にはMRIの医学におけるその重要性と応用性が認められ、"核磁気共鳴画像法に関する発見"に対して、ポール・ラウターバーとピーター・マンスフィールドにノーベル生理学・医学賞が与えられた。」。

2012/3/22(木)の天気

TAVE= 6.9
TMAX= 14.2 最高気温(℃)  14.6  16:38
TMIN= -1.1 最低気温(℃)   -1.4  05:10
DIFF= 15.3
WMAX= 5.3 最大瞬間風速(m/s)  10.4(北西)  17:15
SUNS= 1.3
RAIN= 0

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心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(6)

吉田松陰の名前の名乗りの理由を推測してみたが、楫取素彦の場合はどうかと推測してみた。既に、どこかに正解があるのかも知れないし無いのかもしれない。

高山彦九郎が自ら名乗った名前があるか知らないが、IKIPEDIAによると、「高山彦九郎http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%BD%A6%E4%B9%9D%E9%83%8E」に、「上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市)の郷士高山良左衛門正教の二男として生まれ、諱を正之という。」とある。「正之」とは「正しい道を行く」の意味にとれるだろう。そこで、WIKIPEDIAで「諱(いみな)」を調べた。

「諱;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年2月9日 (木) 15:23)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「概要 [編集]:諱という漢字は、日本語では「いむ」と訓ぜられるように、本来は口に出すことがはばかられることを意味する動詞である。 この漢字は、古代に貴人や死者を本名で呼ぶことを避ける習慣があったことから、転じて人の本名(名)のことを指すようになった。諱に対して普段人を呼ぶときに使う名称のことを、字(あざな)といい、時代が下ると多くの人々が諱と字を持つようになった。 諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が諱で呼びかけることは極めて無礼であると考えられた(詳細は、実名敬避俗(じつめいけいひぞく)及び避諱を参照)。 また、僧侶が受戒するときに受ける法名のことを、仏弟子として新たに身につける真の名前という意義から諱(厳密には法諱(ほうい、ほうき))といった。 日本では時代が下ると、僧侶の受戒が、俗人の葬式で死者に授戒し戒名として諱を与える儀礼として取り入れられた。このため、現在では諱は諡と混同され、現代日本語ではしばしばほとんど同義に使われることもある。」。

高山彦九郎が存命中の当時は、親や自分は本名「正之」を使ったのではないか。松本淳氏のホームページに、頼山陽の「高山彦九郎傳」の原文と現代語訳が紹介されている(http://kambun.jp/kambun/rai-takayama-yaku.htm)。この、「高山彦九郎傳」で頼山陽は高山彦九郎を「正之」と記している。この訳文を読むと上州人気質の義理人情ぶりが高山彦九郎の中にも流れている事を感じる。更に、自刃の様子も活写されているが、その自刃の理由については「正之はこうして死んだ。彼の死は、京都、江戸、大阪の三都に伝わったが、誰も彼が自殺した理由を知るものはなかった。」と記し当時から謎であったようだ。その訳文の結語に、「父は正之の伝記を作ろうとしていたが、果たさぬうちに亡くなってしまった。私は最近、ある人が正之のことを書いた記事を読んだのだが、それには正之のことをまるで叛徒のように書いてあった。これはまったくの濡れ衣である。そこで、私は父から聞いたことを書いたのだ。」とある。頼山陽(WIKIPEDIA:頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))は江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人である。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽は号である。)がこの「高山彦九郎傳」を後世に残そうとした理由もやはり高山彦九郎のDNAを温存させることにあったのではないか。高山彦九郎の自刃の理由は謎とされている。その謎を解く鍵の一つに、「松陰以白居士」があるのかも知れない。高山彦九郎は自分をどのように名乗ったか分からないが、その志を継いだ人が「松陰以白居士」という戒名を以てその理想を名乗らせてやったように感じてしまう。

御蔭松の石碑に刻まれた明治十二年において、明治維新という激動は治まり、社会はその歴史を回顧できる状況になってきたと思われる。その年は、吉田松陰没後20年でもある。吉田松陰の獄死は、その時点では、いわば二昔前の事になる。世間では、吉田松陰の名前も忘れられかけていたかもしれない。加藤健太郎氏の記事にある、楫取素彦は「歴史の仲介役」という指摘は的を射ていると思われる。更に、上記の記事に、「そんな人物の墓が、山口県防府市にある。かつては三田尻の地名で知られたこの街は、ちょうど同県の中央、瀬戸内海側に位置し、幕末長州藩が慶応3年末に朝敵の汚名を返上すべく王政復古・討幕を期して上京する際の出発地となった場所である。そこに諸隊参謀として楫取素彦の姿があった。この年まで楫取は小田村素太郎を名のっていた。」と記している。

WIKIPEDIAによると、小田村素太郎が楫取素彦を名乗ったのが慶応3年(1867年)9月との事。その翌年、明治元年(慶応4年)明治天皇が即位し、明治維新となる。三省堂 大辞林:「楫取」には、「かとり 【楫取】:姓氏の一。」、「かじとり(舵取:「かじとり(舵取)」の転。[日葡])」とある。「彦」:男子の美称、才徳のすぐれたひと。水をかいて船を漕ぐ具で、櫂は長い、楫は短いものを意味するとの事だ。小田村素太郎から楫取素彦への改名の正確な由来は知らないが、この激動の時代に身を処す決意を込めた改名(名乗り)に思われる。この時、楫取素彦38歳である。尚、名乗りには、武士が戦場で名や素性を告げる意味があるとの事。名に命と名誉をかけた武士の真剣勝負を思い起こす。

以上のような経緯を見た上で、我々現代人は、楫取素彦が渋川市の御蔭松の碑文に託したメッセージを読み解く以外にないのだろう。今、正に吉田松陰が志した夢は実現し、自分が県令であるこの地の、この御蔭松の下に、皇太后をお迎えできた。松陰が生きていれば...。楫取素彦の碑文は吉田松陰については黙して語らないように見える。それは、高山彦九郎の戒名「松陰以白居士」と同様に永遠の黙示録かも知れない。

渋川市の「御蔭松」と「御蔭松の碑」に出合ったのは2012/3/6の午後であった。前日、雪が降り、翌日その雪が解けて、碑面の苔が濡れていた。その苔を指で撫でて、浮かび上がった幾つかの文字を手帳に書き残しただけだった。改めてその碑の写真を見ると漢文のようである。碑文の解釈や理解はその場では不可能であった。碑文を読めば理解は進むだろう。是非誰かに解読をお願いしたいところだ。WEB上の色々な情報を参照させていただき空想を広げてこの記事を私的メモとして書いた。渋川市の「御蔭松」と「御蔭松の碑」に関してはどこかに正確な記録があるかも知れない。行政上の「御蔭」という住所は既に町村合併等で消滅しているが、「御蔭地区」という、呼び名はまだ残っているようだ。手帳のメモによると碑があるのは、県道南側の小さな公園で御蔭公園とあった。また、ゴミ出し場所のような看板には御蔭自治会とあった。地元では地名の由来も伝承されていると思う。ともかく、地名に「御蔭」が残っているので、歴史を辿ればその由来はある程度解明できるだろう。御蔭公園には、もう一つ、角形のより大きな石碑があった。この碑に、関連の情報が記されていたかもしれないが、確認のゆとりもなかった。更にもう一つ、道路面に向いた石碑らしいものがあった。標識的な石造物かもしれない。高山彦九郎が明治維新のさきがけとなる人物である事には間違いないだろう。平成24年は楫取素彦没後100年、平成25年は高山彦九郎没後220年の節目の年となる。歴史を辿れば、群馬県は高山彦九郎、吉田松陰、楫取素彦という見えない線で結ばれているようだ。伊香保から県道33号線を下り渋川に向かう小さな徒歩の旅で、渋川市の御蔭松と楫取素彦の名が刻まれた石碑に出会い、それをきっかけに始まった歴史上のヴァーチャルの旅が思わぬ方向に進んでしまったが、思い出に残る寄り道になった。

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    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
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    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
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