ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):甘楽町が復元した楽山園=江戸初期有数の日本庭園を見る
2012年11月2日金曜日
昨日は曇り後晴れ。最低気温(℃) 5.3 03:08 。冬に向かい寒さの記録を更新。ざっそう句:霜月や 小菊ちらほら 畑のすみ。霜月11月。そろそろ初霜が心配となる。落花生を収穫。高枝切りで柿を取る。放置したナスの株にナスが実を付けていたので種子を採取。山東菜移植。
2012年11月の天気(AMEDAS)
TAVE= | 11.9 | |
TMAX= | 16.4 | 最高気温(℃) 17.2 14:07 |
TMIN= | 5.6 | 最低気温(℃) 5.3 03:08 |
DIFF= | 10.8 | |
WMAX= | 5.3 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.2(西) 23:51 |
SUNS= | 5.1 | |
RAIN= | 0 |
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ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):甘楽町が復元した楽山園=江戸初期有数の日本庭園を見る
先日、「国指定名勝 楽山園」を見学した。その概要は甘楽町のホームページ(url=http://www.town.kanra.gunma.jp/kyouiku/bunkazai/map/20120330191558.html)には、「楽山園は、小幡藩二万石の藩邸に付属する群馬県内唯一の大名庭園です。織田氏により築庭され、複数の茶屋を設け、「庭園と茶事」を巧みに演出しています。 心やすらぐ庭で、西や南の山々を借景とした広がりのある空間構成は、まさしく「庭園美」の極みといえます。」と紹介されている。開園年月日は、平成24年(2012)3月24日とある。まだ開園後、半年余であるが、そのすばらしさは十分名勝に値するだろう。
Googleによる「国指定名勝 楽山園」の検索(http://www.google.co.jp/#hl=ja&site=&source=hp&q=%E5%9B%BD%E6%8C%87%E5%AE%9A%E5%90%8D%E5%8B%9D%E3%80%80%E6%A5%BD%E5%B1%B1%E5%9C%92)。
この、楽山園を周遊し、庭園と周囲の山川草木が一体となっている風景を見ると、「借景」を取り入れた設計であることはすぐに理解できた。そこで庭園の設計にどのような流れがあるか気になった。調べたり、ガイドさんに聞いたりしたが、設計者の名前はハッキリしなかった。京都方面から作庭の専門家を招いて作成させたらしい。
「小堀政一。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A0%80%E6%94%BF%E4%B8%80。」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「小堀 政一(こぼり まさかず)(天正7年(1579年)~正保4年2月6日(1647年3月12日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家。備中松山藩2代藩主、のち近江小室藩初代藩主。一般には小堀 遠州(こぼり えんしゅう)の名で知られる(「遠州」は武家官位の遠江守に由来する)。幼名は作助、元服後は、正一、政一と改める。道号に大有宗甫、庵号に孤篷庵がある。」とある。
WEB情報によれば、「楽山園」は、1621年(元和7年)から織田信雄により作庭が開始されたと伝えられてるとの事で、小堀 遠州の活躍していた時代と重なるようだ。小堀 遠州が大名・武士と知って、「武」の時代から「文」の時代へという時代の流れの中で、「楽山園」の茶室の意味もなんとなく理解できた。
以前、京都方面の旅行で、借景のある寺を拝観した事を思い出して、その画像を探した。それらしい画像があった。天竜寺ホームページ(http://www.tenryuji.com/)によると、「曹源池庭園(そうげんちていえん):約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定。中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもある。」と紹介記事がある。
「夢窓疎石。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E7%AA%93%E7%96%8E%E7%9F%B3。」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「夢窓疎石設計による庭園 」が紹介されている。天竜寺の庭園は室町時代初期、「楽山園」は江戸時代初期に遡るらしいので、県内で借景を使った日本庭園を鑑賞するには最適ではないかと思った。
「楽山園」は、江戸時代末から明治にかけて、荒れてしまったのを、復元したらしい。写真を比較すると、「楽山園」は整備直後なので、園内の樹木は少なく広々としている。長い歴史を経て、地域住民の手元に帰ってきた「楽山園」が、今後どのように活用されるか注目したい。
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