老人の寝言:社会から見捨てられ浮かばれない貧老の嘆きの声が聞こえてこないか。;玉響(たまゆら)の 霊魂叫ぶ 枯れ白州。20130120。
2013年1月20日日曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -1.0 00:37 。ざっそう句;玉響(たまゆら)の 霊魂叫ぶ 枯れ白州。宅内閑居。ザクザクと霜柱を踏んで朝刊を取りに行く。上毛新聞の一面には、「元理事長に有罪判決 予見可能性認める 禁固2年 猶予4年 元理事は無罪」と大きな活字が踊っていた。かみさんと話した。あの爺さん良いことをしたのではないか。本日1月20日は大寒。寒さが極まるが、暖かい春へのスタートでもある。平成25年度センター試験の期日は、1月19日(土),20日(日)である。前橋地裁の判決を読むと貧老に対する荒涼たる心象風景が目に浮かんでくる。
2013年1月19日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 4.3 | |
TMAX= | 9.6 | 最高気温(℃) 10.3 14:55 |
TMIN= | -0.2 | 最低気温(℃) -1.0 00:37 |
DIFF= | 9.8 | |
WMAX= | 5 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.0(西北西) 20:01 |
SUNS= | 9.2 | |
RAIN= | 0 |
Q
Q
老人の寝言:社会から見捨てられ浮かばれない貧老の嘆きの声が聞こえてこないか
4年ほど前に起こった「たまゆら」火災で、「たまゆら」という言葉が古風だが新鮮に感じた。その意味は下記WIKIPEDIAの記事にある。それが、老い先が長くない人生の最後半を過ごす施設の名前であったのでその感慨はなおさらだ。
「たまゆら。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%82%86%E3%82%89。(最終更新 2012年10月18日 (木) 06:14 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「たまゆら(玉響)は、勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと。転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」(瞬間)、あるいは「かすか」を意味する古語。ただし『日葡辞書』には「草などに露の置く様」とある。~群馬県渋川市にあった老人ホーム。2009年3月に起こった火災で入所者10名が死亡しその後閉鎖された。」とある。
「火災で入所者10名が死亡」したのは、事実であり、火災事故である事には疑いがないだろう。それが、業務上過失致死罪という容疑で立件され刑事裁判事件となった。
上毛新聞記事によれば、「出火した部屋の男性を除く死亡した9人のうち自力歩行が可能な3人を含む5人が避難可能だった」と認定したとある。記事には、出火原因を特定しなかったと記されている。記事から、素人で確信は持てないが事実関係を要約すると以下のようになるのではないかと思う。
事実:入所者10名が死亡。
検察:出火した部屋の焼死した男性を除く9人に対して罪を求めた。
裁判官:自力歩行が可能な3人を含む5人に対する罪を認定した。
素人ながら、疑問に思うのが、各レベルで人数がちぐはぐな事だ。また、出火した部屋の焼死した男性に出火責任があったか不問のママ判決がでているようで、これも謎だ。因果関係は自然界の大原則であり、仮に出火した部屋の焼死した男性に出火責任があれば、被告に罪が及ぶのかどうか気になるところだ。更に、判決を裏返しに読むと、自力歩行が不可能な人が焼死するのを容認するような内容にもとれるのではないか。
「姨捨山。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A8%E6%8D%A8%E5%B1%B1#.E6.A3.84.E8.80.81.E4.BC.9D.E8.AA.AC。(最終更新 2013年1月9日 (水) 09:31 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「棄老伝説 [編集]:「姨捨」の名は、姨をこの山に捨てた男性が名月を見て後悔に耐えられず、翌日連れ帰ったという説話(『大和物語』など)によるともされる。日本各地(世界各地にも)には様々な棄老の風習が民話や伝説の形で残っており、『今昔物語集』にも棄老にまつわる話がある。しかし棄老伝説は古代インド(紀元前200年頃)の仏教経典『雑宝蔵経』の説話に原点があると柳田国男の著書『村と学童』の「親棄山」に指摘されている[5]。7世紀に始まる日本の古代法制度下では20歳以下の若年者、60歳以上の老齢者や障害者には税の軽減など保護がされていて、法制にも棄老はない。このため、個人的な犯罪行為ということになるが、村落という狭い共同体における掟であったのか歴史研究家によって見解が分かれる。なおいくつかある棄老伝説における姨捨山は長楽寺境内の姨岩のこととして語られている話(学説ではない)もあって[要出典]、姨捨駅ホームの案内板でも姨捨山への所要時間が5分と表示されていることから冠着山ではなく姨岩のことになっている。 姨捨伝説については深沢七郎の『楢山節考』(1956年)にも取り上げられている。また柳田國男の『遠野物語』(111話)にはデンデラ野へ棄老するという風習が紹介されている。 『大和物語』(950年頃成立、156段)[6]が姨捨説話の初見であり、世阿弥の謡曲(1363年)にも取り上げられているほか『更級日記』(1059年頃)、『今昔物語集』(1120年頃以降)、『更科紀行』(1688年)でも言及されている。 このように往古から全国に知られた山であったが、更級郡に位置するという記述があるなど、特定された山ではなく、長野県北部にある山々の総称という見解もある。」とある。
WIKIPEDIA「うばすてやま(うばすてやま(姥捨て山)は、棄老伝説に材をとった民話。)(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%B0%E3%81%99%E3%81%A6%E3%82%84%E3%81%BE)」
加齢により、寝言老人もやがて寝言すら言えなくなる時が来る。刑事責任が認定されてその後に、損害賠償という民事裁判が起こされる場合がある。今回の裁判には遺族の傍聴も無いようだ。焼死した10人の被害者は、家族に見放され、行政に見放され、裁判で見放されたようにも感じてしまう。貧老はまさに社会の弱者だが、無用者、邪魔者と扱われては人間としての尊厳を否定されてしまうのではないか。自力歩行が不可能な人が焼死するのを容認する事は、人権の基本に関する差別ではないか。10名の焼死者全員が生きていれば納得できる解決法はなかったのか。
追記(2019/07/31):タイトルに投稿期日を追加。
追記(2019/09/17):タイトル文字スタイル修正、ざっそう句;を追加。
**********************************
CEEK.JPでの「たまゆら 判決」の検索結果(〈2013年1月20日日曜日〉)を以下に記す。