読みかじりの記:カラー版 妖怪画談(岩波新書(新赤版238)) 水木しげる 著 (1992年 株式会社 岩波書店)
2014年12月7日(日)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 8.4 11:34。最低気温(℃) -1.3 05:23。ざっそう句:お歳暮の 下仁田ネギを 待つ我が家。丹波の黒豆を乾燥。畑から庭へ移した黒豆を処理。天地返しをしていないので乾燥状態が良くない。未熟で表皮が黒くなりかけの物もある。大型寒波が到来し日本海側地方には大雪が降ったようだ。影響が出始めているようだ。キウイフルーツの葉も全部落葉。降霜があったようだ。早めに収穫しなければ。当地も気温が低く、鼻水をすすりながら丹波の黒豆を優先作業。昼宅配。残念だがお歳暮ではなかった。夕方来客。他愛のない雑談。選挙の話は出ず。県のHPによれば期日前投票者数は前回を上回っているようだ。早めに投票するのが正解のようだ。
気象人のホームページ(http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary_detail.php?date=2004-12-07)によると「初霜:(平年比+24日、昨年比+19日) 最晩記録」と初霜の遅さで新記録となったようだ。
2014年12月6日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 3.9 | NO DATA |
TMAX= | 8.1 | 最高気温(℃) 8.4 11:34 |
TMIN= | -1 | 最低気温(℃) -1.3 05:23 |
DIFF= | 9.1 | |
WMAX= | 5 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.7(北西) 11:33 |
SUNS= | 6.6 | NO DATA |
RAIN= | 0 |
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読みかじりの記:カラー版 妖怪画談(岩波新書(新赤版238)) 水木しげる 著 (1992年 株式会社 岩波書店)
著者の漫画をどれほど読んだかはっきり記憶していない。「ゲゲゲの鬼太郎」はテレビで放映されたのか。WIKIPEDIAによると、アニメが放映された頃が、子供達の少年期と重なり、親子で楽しんだ作品だったようだ。
WIKIPEDIA「ゲゲゲの鬼太郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E9%AC%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E)」
岩波書店のホームページ(https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-430238-2)によると現在品切れのようだ。
WIKIPEDIA「水木しげる。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B)」
岩波新書の赤版で読んだ記憶があるのは、「国定忠治 高橋敏 著((2000年8月18日 新赤版 (685))」で、新書のお堅いイメージと異なり、新鮮さを感じた。本書はそれよりもかなり前に出版されているが、その存在は知らなかった。たまたま、古書店で出会った。
本書でも、著者の妖怪との付き合いの長さが述べられている。子供の頃は、妖怪をどのように認識していたかは定かではない。多分、お化けで全てが済んでいたように感じる。「妖怪」とはその文字が理解できないとイメージがつかめないのではないかと思う。
そこで「妖怪」「妖」の意味を漢字源で調べると、なまめかしい、あやしい、不気味というような意味がある。会意兼形声で、女の特徴と絡んでいるので始末が悪い。「妖怪」の「怪」も、あやしい、不思議、化け物というような意味があり、同義反復で、益々怪しく感じる単語ではないかと感じる。
今日の科学的常識からは、妖怪を見たと言うと馬鹿にされたりする心配もある。本書の最後の章「奇想を楽しむ日々」が著者の言いたい事らしいが、そもそも妖怪は感じる対象であり、それを絵にしなければならない漫画家として辛い所かも知れない。あるいは、想像し・感じた妖怪という対象を絵として生み出す創造の楽しみがあるのかも知れない。
実は、「妖怪」という現象は、怖いが見たいという相反する心理的バランスの上に現れるのではないか。科学や理性・合理性を問わず、もう少し原始的な人間性の範疇の現象なのかも知れない。真偽・存否は一時おあずけにして、もう少し精神を癒やそうという狙いもあるのかもしれない。
「老人の寝言:老人の妄想:STAP細胞特許をどうする?:貧相な科学者は皆無と信じたいが(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/04/stap-4bf7.html)。(2014年4月19日 (土))」
今年の社会現象としては、妖怪以上の怪異現象が幾つも発生したのではないか。人間社会に起こる現象も極論すれば、科学現象に過ぎない。だが、人間という存在において、余りにも大脳依存性が巨大化して、思考と行動と意識が分離してしまったようだ。確かに、ある個人が誰にも知られずに反社会的な行為によって自分を利する事も不可能ではないだろう。そのある個人をある集団やグループに置き換えても同じ事が言えるかもしれない。ところが、ある集団やグループメンバーの間で、利害が対立すると、妖怪以上の怪異現象が発生するように見える。妖怪を思いのままに操れれば、これまた楽しい事だろうと思うが、妖怪は庶民に対しては、そんなに親切ではなさそうだ。
妖怪と言葉で思い出すのが、共産党宣言の中の一節だった。PROJECT GUTENBERG:Manifest der Kommunistischen Partei(Karl Marx / Friedrich Engels);「Ein Gespenst geht um in Europa-das Gespenst des Kommunismus. Alle Maechte des alten Europa haben sich zu einer heiligen Hetzjagd gegen dies Gespenst verbundet, der Papst und der Zar, Metternich und Guizot, franzosische Radikale und deutsche Polizisten.(http://gutenberg.spiegel.de/buch/manifest-der-kommunistischen-partei-4975/1)」がそれに相当するようだ。
「Gespenst」は英語の「gohst」のようだ。 Googleでキーワード「Gespenst」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?q=Gespenst&hl=en&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei)。何か可愛らしいお化けが表示される。
Googleでキーワード「ghost」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?q=ghost&hl=en&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei)。
英語のghostは人間と関係した幽霊、亡霊のイメージが強いようだ。
Googleでキーワード「妖怪」を検索(https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A6%96%E6%80%AA&biw=1093&bih=451&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei)。 日本語の妖怪の方が、バラエティに富んでいるようだ。
ところで、「国際日本文化研究センター (http://www.nichibun.ac.jp/ja/)」に「怪異・妖怪画像データベース(http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiGazouMenu/)」というのがあった。データベース検索画面のキーワードをクリックすると画像が閲覧できる。日本人の想像力に驚嘆しないでもない。著者も、日本の伝統を受け継いだ戦後の怪異・妖怪画家と言えるのだろうか。
奇想・空想上の妖怪なら何か愛嬌があり、無害かも知れないが、普通の顔をした妖怪の本物と偽物を見分ける事は困難を極める。今後は、本格的な妖怪解剖学が必要になるかも知れない。
「魑魅魍魎」という言葉:これは凄い。全部「鬼」偏。旁の方が怪異・妖怪を表すようだ。漢字源によると山川草木という自然の驚異・脅威が背景にあるようだ。広辞苑によると、魑魅は史記にも現れるようだ。その自然が科学により暴かれて、魑魅魍魎が住む場所を失ったのが現代か。人間の方がますます、魑魅魍魎化しつつあるようだ。