雑草句録:野菜売り
2010/12/5
雑草句録:野菜売り
■野菜売り元はとれずも資材買う
直売所で野菜を売るためにも色々な資材が必要になる。まだ、わずかしか出荷していないので儲けは無い。しかし、家族も自分も健康で野菜を作れる一時を過ごせただけでも幸せだったのかもしれない。
2010/12/5
雑草句録:野菜売り
■野菜売り元はとれずも資材買う
直売所で野菜を売るためにも色々な資材が必要になる。まだ、わずかしか出荷していないので儲けは無い。しかし、家族も自分も健康で野菜を作れる一時を過ごせただけでも幸せだったのかもしれない。
2010/12/4
昨日の天気は全国的に荒れた。夕方強風が吹き、雷光が走った。
アメダスのデータ(伊勢崎観測所)では、17:10 21.5m/sの風速を記録していた。自分の体感では10m/sの風を大風と感じる。昨夕の風は怖いくらいであった。
寡占と独占は違う?
公正取引委員会はヤフー株式会社及び米グーグル社との検索エンジンとネット広告に関する提携の独禁法に関する相談を受け、検討した結果、独占禁止法上問題となるものではない旨回答したとして、その調査の結果を取りまとめて公表した。マイクロソフトがクレームを言っているようだが、正式に独占禁止法違反を申し立てているのか不明であるが、ネット検索が情報の選択を左右してしまう現状は好ましい物ではないだろう。かつては、色々な検索エンジンがあったが、それが淘汰されて、結局巨大なものだけが残っているのが現状であろう。ともかく、ある検索キーワードを検索エンジンに入力するとそれに対応するサイトを順序づけて出力してくれる。問題は、その順位を決める価値観とアルゴリズムである。そこが、企業秘密として深い謎に包まれている。ついつい便利で使ってしまうが...。Googleの弱点をついた色々な選択枝を選べる検索エンジンが現れることを期待したい。
以下、本題。
雑草句録:師走
■おくやみのニュース見落とす師走かな
年末の慌ただしさにおくやみのニュースを見落とす失敗をした事もあったようだ。新聞のおくやみ欄を見て付き合いの程度でどうするかを決めるのが一般的と思うが、親の付き合いとなると解らない場合が多い。そんな場合は、多少の失礼はお互い様なのだからと考えたりする。付き合いも新しく生まれるのもあり、消えて行くのもある。それが世の常なのかもしれない。
2010/12/3
雑草句録:廃業
■新年会なじみの店は廃業し
持ち回り当番が来て、新年会会場を探した。前年の場所に問い合わせをしたら廃業していたので別の会場を探す事になった。地域では名が知られた店も廃業となる事例が目立つ厳しい時代が到来しているのかもしれない。
2010/11/30
雑草句録:マンダラ漬け
■冬の雨マンダラ漬けに時過ぎぬ
単品だけの漬け物もそれなりのうまさはある。しかし、手元にある色々のものを投げ込んで、曼陀羅のようにするのも面白い。こういう漬け物は誰も手を出そうとしないので結局自分だけで食べる事になる。漬け物の名前は付けようがないのでマンダラ漬けと呼んだ。どんな材料でも混ぜられると何とか食べられる。味のオーケストラ効果とも言えそうだ。
2010/11/29
雑草句録:立ち読み
■購読を止めて立ち読み年の暮れ
余り読まなくても定期的に購読していた雑誌がいくつかあった。自分の仕事と直接関係はなくても世の中の動きを知るには雑誌も有効である。しかし、現職を去るとなるとそういう先々必要になるだろうから買っておこうという気持も薄れてしまったのも事実。自分が買った本は捨てまいとしているのでどんどん溜まってしまうので思い切って買うのを止めた面もある。しかし、店頭に並んでいるとついつい手にとってしまう。
追記:先月立ち読みしたトラ技11月号に2010/12月号で通算555号になるとの記事があった。正式にはCQ出版社が発行する一般電子技術雑誌の『トランジスタ技術』で、気軽に読める記事が多かった。通算555号というのも記念すべき号でつい買ってしまった。GOGOGOという語呂合わせが気に入っている。555を含む品番に有名なタイマーICがある。自分にとって思い出深い番号に1357がある。ともかく何か記憶の断片として残っていればそれを手がかりに更に記憶を辿ることが可能になる。
2010/11/28
雑草句録:楠
■楠や素人仏師に身を委ね
庭に大きな楠がある。家が日陰になるので造園業者に上部を切ってもらった。かなりの楠の木材ができる。しかし、使い道がない。運良く彫刻をする人は楠材を使うらしく用途が見つかった。原爆を受けた楠が再生して樹木の活力の大きさが注目されたとういう記憶も残っている。我が家の楠も上部を切られて十年ほどで元の姿に戻ってしまった。その間に、凹凸のないすっきりした幹に瘤のような凹凸ができた。最悪、その瘤からまた枝を出すのではないかと思う。ひこばえも良く出る。楠の生命力の強さを感じる。
2010/11/27
雑草句録:降霜
■降霜や落ち葉払ってキウイ採る
降霜があるとキウイフルーツの葉も枯れて落葉する。早めに収穫したいと思ってもついつい遅れる。沢山収穫できても家人は余り食べてくれない。そこで、置き場所も人通りの少ない小屋の軒下等になってしまう。冬に餌が少なくなるとここに鳥が来て食べているようだ。
2010/11/25
雑草句録:手抜き
■ゆで汁でサツマをゆでる手抜きかな
何かをゆでた残りの汁を冷めないうちに使えば時間と燃費の節約になる。台所に立つとついつい手抜きや節約を考えてしまう。サツマもふかしたり焼いたりした方がうまいかもしれない。しかし、ついつい多く食べ過ぎてしまう。かつて、さつまにヨーグルトをかけて食べれば栄養的には万全という本を読んだことがあった。子供の頃は、空腹になればサツマも生でまるかじりをした。昔は手間の掛からないサツマのたきこみご飯も食べたような気がする。いつか挑戦してみたい。
追記:昨日たまたまサツマのたきこみご飯を作った。自分の炊飯は全て手抜き。最近は玄米を食べている。飯が終わってしまった。たまには、飯炊きをしようと電気釜に玄米を入れ、洗米はせずに適当に水を入れてSWを入れるだけ。後から貰い物のサツマがあるのに気付いて、これを適当に細切れにして釜の中に投げ込む。炊きあがって釜を覗くとサツマが見えない!飯を盛ってようやく椀の中にサツマを発見。細切れ過ぎたようで、米の中にサツマが埋もれていた。おかげで玄米のパサパサ感は減りしっとりした感じになった。自分がサツマのたきこみご飯を作ったのも色々な条件が重なったお陰であった。飯の中にサツマや大根を入れるのは米を減らして飯の量を増やすのが昔からの知恵であったようだ。昔は、東北地方では大根飯をよく食べたという記事をどこかで読んだ記憶がある。サツマも大根も値段がたかくなると、昔の貧しさの象徴が今日の贅沢になってしまう。ともかく、主食と一緒に野菜を食べさせてしまえば栄養のバランスも偏らずに健康には良いと思う。
2010/11/25
■ボールペン滑りのにぶる枕元
紙に筆記するときは大抵ボールペンを使っている。ボールペンの書き味もメーカーによりさまざま。大抵インクが終わる前に行方不明になる。したがって、余り高価なものも買わない。冬になると、気温が下がりボールペンの滑りがにぶくなるのでボール径を 0.7から1.0mmのものに変更する。自分の場合ボールの滑り易さがボールペン選びのポイントでお気に入りの銘柄があるが、それでもインクが出なくなる時がある。
追記1:筆記用具で、自分が重要と思う項目は使い勝手と記録の信頼性。苗木にぶら下げたラベルの文字もやがて消えてしまうが、材質によりその程度が違う。鉛筆は黒鉛が主材料で、劣化が少なく結構持ちが良い。しかし、芯が折れたり、擦れて太ったりで、削り直しの手間がかかる。そこでGoogle検索をしてみた。キーワードは「ボールペン 滑り メーカー 不満」。ヒットした中に、「リクナビNEXT Tech総研」(http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=001718)に「ボールペン:すべりすぎるくらい書きやすい”世界最低粘度”の逸品」という記事があった。前書きに、「今、ボールペン市場では「低粘度」が大流行。インクの粘り気を下げることでなめらかに書き味になり、その書きやすさがユーザーを急増させているのだ。火付け役となったのは三菱鉛筆の「JETSTREAM」。それを超える低粘度のぺんてる「VICUNA」が、7年の開発期間を経て、今年2月に登場した。」と述べて、低粘度のぺんてる「VICUNA」の開発秘話?が綴られている。最近は、文具・日用品・雑貨も進歩が早く種類も非常に多くなっている。前記の低粘度のぺんてる「VICUNA」も油性インクを使っているらしい。単にインクの開発だけでなく、ボールを中心としたペン先もインクに併せて開発されているとの事で文具のハイテク化の状況も知ることができた。記録の耐水性・耐光性等の信頼性でもまだ油性インクが勝っているようで筆記用具を選ぶときの参考になる。
追記2:最近はボールペンも芯が細いのが多く、1mm以上のものは店頭でも品数が少ない。書かれた文字の信頼性も最終的には素材とその量、媒体等により決まるようだ。その点、和紙に筆書きされた文書は信頼性に優れているようだ。
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追記(2017/11/13):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトル文字サイズ、色変更。投稿期日追加。
2010/11/24
雑草句録:庭に干す
■昔風アマランサスを庭に干す
幼少の頃の庭を思い出す。植木の植えられた庭の一角の部分はツボヤマと呼んでいた。庭とは固く平坦な広い地面を指していた。じつは、ここが農家にとっては多目的作業場であった。穀物の脱穀や乾燥には庭が不可欠であった。そのため、庭を大切に使い、冬は庭と通路の境界に巻き藁を這わせ、庭の中には藁をしいていた。いま考えると、手間をかけてこのようにしていたのは霜柱等で庭が荒れるのを防止していたのではないか。
追記:脱穀した籾を乾燥するときは藁筵の上に籾を薄く手で広げて天日で乾燥した。今日では乾燥機を使うのでこういう作業も無くなった。そんな訳で、庭と通路の兼用部分はコンクリートになっており、残りの部分は庭木が植えられている。この庭木部分も最近は持て余し気味で、手間がかからず見栄えがするように改造をしようと考えている。