雑草句録:ナズナ
2010/10/18
雑草句録:ナズナ
■夏草の萎えたあとよりナズナ生え
秋になり、夏草が萎えて地面に日光が当たるようになると、もう春の雑草が芽を出してくる。この時期が除草の適期だと思うが、つい気を許し大きくなってからあわてだす。冬のナズナは地べたにへばりつくように上でなく横に伸びる。太陽光と地熱を有効に使うための姿がそこにある。下手に背伸びをしないで生きよと教えてくれるようだ。

2010/10/18
雑草句録:ナズナ
■夏草の萎えたあとよりナズナ生え
秋になり、夏草が萎えて地面に日光が当たるようになると、もう春の雑草が芽を出してくる。この時期が除草の適期だと思うが、つい気を許し大きくなってからあわてだす。冬のナズナは地べたにへばりつくように上でなく横に伸びる。太陽光と地熱を有効に使うための姿がそこにある。下手に背伸びをしないで生きよと教えてくれるようだ。
2010/10/16
雑草句録:アマランサス
■あれは何アマランサスの伸びる畑
アマランサスを畑で育てた時の周囲の反応がこれであった。うまく行けば胸を張れたかもしれないが、世間の人の目は意外に厳しかったようだ。見慣れない背の高い雑草と目にうつったものと思う。
追記:雑穀について<つぶつぶ.JP:http://tsubutsubu.jp/>に記事があった。あんパンの表面にトッピングとして付いているのはケシの実との事だ。アマランサスの種子も芥子粒ほどの小ささだ。試食できる程度の量は収穫したのだが、結局食べずに終わってしまった。
2010/10/13
雑草句録:裏年の柿
■ヒヨドリや裏年の柿奪い合う
柿は隔年結果が顕著な果樹のようだ。年により当たりと外れがある。一本だけが繰り返すのではなく、他の柿も同じ傾向があるので、果樹単独の個性というより、集団的な特性のようだ。販売用の柿栽培は毎年平均して収量を安定化ささせる必要がある。庭先果樹としての柿栽培はほとんど放任に近いので生り具合は柿木と天気次第になるのだろうか。今年の柿は裏年のようだ。
新潟大学の隔年結果の資料によると、「(イ)隔年結果 柿は栽培管理が悪いと隔年結果を示し、成り年と不成り年が1年おきに現れる。隔年結果の原因は、樹体のバランスが崩れ、新梢の葉芽が栄養不良のため、花芽の分化、発達が十分に行われないためである。隔年結果を引き起こす最も大きな要因は、結果過多である。この他、隔年結果を引き起こす原因としては施肥、せん定などがあり、枝が多すぎ樹冠内部への光の透過不足も、花芽を持たない枝を作り、隔年結果を助長することになる。隔年結果を起こさせない為には、冬季のせん定時に弱った側枝の更新をはかり、常に充実した枝を維持するようにする。」とある。
これは、栽培管理であるが、前年に果実を付けすぎると体力を消耗しすぎて翌年の結果に響くようだ。という事は、柿樹としては一年勝負で生らせられるだけ生らせてしまうということなのか。果樹が来年の事を考えることは無いだろう。それを考えるのは人間の方だ。
ある農家が販売用に柿の栽培をしたが、思うように売れないので撤退したという話を聞いた。その要因を分析すれば色々あるだろうが、一番の要因は売る努力なのだろうか。柿に対抗する果物は多い。消費者は見栄えが良く、美味しく、手間のかからない物を選ぶ。果物を食べるにも心のゆとりが無くなった。色々な果物をじっくり味わうという気分が広がれば柿も選択枝の一つになるのであろう。
雑木歌録:便利さ
■便利さの 背中合わせに 危険有り 車、携帯 チン食品 笑葉
正岡子規は35歳で亡くなったそうだが、あの柿食えばの句には老成した人間のイメージがある。子規の好物が柿であったとどこかで読んだ記憶がある。そこで子規の老成した人間のイメージも述べられていたような気もする。柿という果物も日本の風土の中になじみすぎて老成してしまったのか。秋の夕刻に、自分の好物の柿を味わっていると法隆寺の鐘の音が聞こえてくる。時も夕刻(自分の推測)で風情があって良し。大好物の柿を食べられるのも幸せ。おまけに、そこに法隆寺の鐘の音。トリプルラッキーの感傷にひたる。病弱な子規が詠んだあの句は単なる自然の描写に留まらないだろう。子規が一瞬の幸福感に浸っている姿があるようだ。自分の短命を予期するときに物事の見え方表現法も変わるのかもしれない。
ついでに、自分の好みは「熟(う)み柿」。ATOKも一発で変換してくれない。子供のころはうんだらがきと言った。過熟で中身がべちゃべちゃしている。当然商品にはならず店頭には並ばないだろう。それをちゅるちゅるとすする。絵にも句にもならないが、鳥の気分にはなれそうだ。
2010/10/11
雑草句録:はさみ研ぎ
■はさみ研ぎ切れ味鈍る秋の暮れ
刃物は石器時代からあるので刃物の歴史は人類の道具を作る歴史と共に始まった位長いようだ。刃物の原型は一枚刃であるが、何故切れるのか、切れ味は何が決めているのか良く分からない。刃物の本によれば極微の面積の刃先に力が集中して素材の粒子に滑りが生じてその不可逆変形の結果が切断になるようだ。簡単に言えば力を集中させる道具だ。接木をするのに刃が薄ければ良い結果がでるのではないかと思い安全カミソリの刃を使ってみたが使い勝手が悪く失敗であった。刃の食い込みは良いが削ぎ落とすとき方向の制御ができない。軟らかい果菜類の苗なら適すると思うが、樹木の接ぎ木には相手が固すぎて不適なようだ。
はさみは二枚の刃を組み合わせた刃物で研ぎ方が難しい。単に平の刃を交差するのではなく、刃の全体に反りと捻れを入れているという事を最近本で知った。更に小刃が付いている。この三つの関係を頭に入れて研ぎと調整をしないと切れ味は良くならないのだろうと気付いた。この句作時は期待に反して切れ味は研ぐ前より鈍ってしまった。研いだはさみは古いラシャはさみで布切り用だ。裁縫という言葉が古語になるほどの時代でほとんど出番が無くなっていた。紙なら何とか切れたが、ビニールを切ろうとしたのも研いだ動機であったが、ビニールは刃に挟まって伸びただけであった。ビニールが切れれば鋏研ぎも一人前かもしれない。いつかまた挑戦してみたい。
追記:ビニール切り用のはさみもあるらしい。普段、よく使う刃物は包丁やひげそり程度であろう。包丁がない家庭が話題になった事もあったようだ。刃物研ぎは男の仕事として、切れなくなった包丁にイライラして研ぐこともある。製造業の基礎となる工作機械や医療の手術等も刃物無しでは考えられない。WIKIPEDIA(最終更新 2010年6月13日 (日) 06:23 )で刃物が最も進化したマシニングセンタを調べたので以下に抜粋する:
「マシニングセンタ(machining center)は、自動工具交換機能をもち、目的に合わせてフライス加工・中ぐり加工・ねじ立てなどの異種の加工を1台で行うことができる工作機械。工具マガジンには多数の切削工具を格納し、コンピュータ数値制御(CNC)の指令によって自動的に加工を行う。
旋盤との大きな違いは、旋盤が「ワークを回転させて削る」のに対し、マシニングセンタ(フライス盤)は「刃物を回転させてテーブルに固定してあるワークを削る」点である。NCフライス盤との違いは、ATC(Automatic Tool Changer、工具自動交換装置)の有無である。
マシニングセンタの特徴
マシニングセンタは、ドリル、エンドミル、フェイスミルなどの「刃物を回転させて」テーブルに固定されているワークを削る。この点で、ワークを回転させて、刃物をあてる旋盤とは異なる。 また、NCフライス盤と違い、ATC(自動工具交換装置)を備え、自動で工具を交換することができるのも特徴である。 そして、これらのことをNC及びCNC装置を使って自動で行うことも、マシニングセンタの特徴である。」
ついでに超微細な切削をおこなうミクロトームについてWIKIPEDIA(最終更新 2010年8月8日 (日) 14:00 )で調べた。以下その抜粋:
「存在意義と必要条件 [編集]
生物学・医学・鉱物学などで顕微鏡を用いて組織を観察する際、通常プレパラートを作成して行う。このプレパラートを作成する際には、観察を確実かつ容易にするために試料を均一かつ薄く切り出す必要がある。特に高倍率での観察の際には顕著に被写界深度が浅く(ピントのあう範囲が狭く)なる。さらに、透過型電子顕微鏡(TEM)での観察の場合は、電子線を透過させる結像原理から超極薄の試料が要求される。カミソリを用いて試料を手動で切り出すなどの方法では精度に限界があるため、ミクロトームが必要とされる。ミクロトームを用いた場合、マイクロメートルのオーダーから数十ナノメートルに至る薄さでの均質な切り出しを確実に行うことができる。特に、TEM観察用の極薄切片の切り出しが可能なものをウルトラミクロトームと呼ぶ。」
「マイクロメートルのオーダーから数十ナノメートルに至る薄さ」に物を切断する技術にも興味が湧く。実は接ぎ木した穂木と台木の細胞がどのようにしてつながっているのかが知りたいのだがまだその写真等を見たことがない。これは植物の話だが、動物の場合は臓器移植の例に該当するだろう。想像では植物も動物も異なる組織が接合した場合、その境界の細胞を肉眼(顕微鏡レベル)で区別しにくいのではないかと思う。お互いに細胞が相手の領域に進出して混じり合っているのではないか。
2010/10/10
10月8日のブログ記事に2010年のノーベル化学賞について書いた。授賞を発表したスウェーデンの王立科学アカデミーの以下のサイトに詳細が報じられていた。
http://www.kva.se/en/pressroom/Press-releases-2010/The-Nobel-Prize-in-Chemistry-2010/
このサイトから、更にPurdue大学の根岸博士のサイトに次のリンクが貼られていた。
http://www.chem.purdue.edu/negishi/index.htm
このサイトで研究メンバーが紹介されているが日本人らしい名前が見あたらない。根岸博士は日本人研究者はもっと海外に出るべきだと述べられているが、日本の若者の理工系離れが本当に現実になっているのかとうかがわれる。理工系は真理に対するハングリー精神が必要な面もある。衣食が有り余ってハングリー精神を忘れたのか。理工より魅力のある分野が多すぎるのか。日本の現状を見ると、理工ではメシを食えないという厳しい現実があるのかもしれない。ともかく自分の切り開いた道を更に押し進める自国後継者がいないのはわびしいことだろう。日本の若者が夢を持てたのも過去のことだったとなると未来を憂えるべきなのか。日本は明治以来和魂洋才という形で危機感を持って科学技術の振興をしてきたと思う。政治や教育等精神の貧困が日本のあるべき姿を見失わせてしまったのではないか。若者だけではこの現実は変えられないだろう。
以下本題。
雑草句録:こぼれ種
■こぼれ種毎年変わる菜の姿
野菜の種子の原産地を見ると、意外に国内が少ないのに気付いた。大きな種苗会社は一代雑種F1を扱う場合が多い。ある在来の特定の品種を維持するためには他の品種と交配しないよう採種する必要がある。従来は類縁種を栽培していない山間地の農家等が固定種の採種をしていたようだが、それが出来なくなったので海外に種子の生産を委託しているのも、原産地が海外である一因でもあるようだ。
特定品種の種子即ちDNAは遺伝資源としても重要であり、海外に流出したら大変な事になる可能性もある。下植木ネギもブランド品として品種系統の維持には配慮しているようだ。その点、我が家にこぼれ種で生える菜は勝手に交雑を繰り返した雑種のようだ。
2010/10/9
雑草句録:水切り
■稲穂垂れ用水堰の水を切る
水利の水当番もこれで一年の仕事は終わったように感じる時である。各水田毎に、取り入れる水を調整する小さな堰があり、これは各農家が管理する。水利当番は上位の水路から取水する個人では利害が相反する堰の管理をする。いわば、各農家の調整弁という役柄でもある。
このような取水経路を全体的に眺めると、利根川⇒大正用水⇒各支流用水⇒更にその支流⇒⇒各水田というようにネットワークが成り立っている。主要な水田は主に平坦地にあるので、水を流す勾配は小さい。各水田に水を導くだけでも相当の努力と技術が要る。小さな水路でも数百mから1km程度上流から延々と水を導いている例もある。稲作をする水田に最適に水を配分するだけでも相当な基盤整備が必要であると感じた。
この水田のための水の循環は丁度人間の血液循環器系の動脈部に相当し、自然界の水の循環だけではなく、緑のダムとして雨水を蓄え、洪水の防止にも一役買っているのである。こういう事も水利当番をして改めて知った事であった。
2010/10/8
10月6日の晩にテレビの画面にテロップが流れて、何か事件等かと思ったが、日本人のノーベル賞受賞が報じられた。明るいニュースである。しかし、その明るさと言えば終戦直後の湯川秀樹博士のノーベル賞受賞ほど日本人に夢と自信を与えてくれたものはなかったもしれない。湯川秀樹博士の研究も戦前の厳しい時期にに行われていた。今回のノーベル化学賞も日本が沈滞している時だけにうれしい。鈴木博士についてはWIKIPEDIAに記事があったhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E7%AB%A0。応用化学は日本が得意としている分野である。まだ、多くの隠れたノーベル賞候補者がいるのではないか。
asahi.comは以下のように伝えた。
「ノーベル化学賞、根岸英一氏・鈴木章氏ら3人に
2010年10月6日(水)23:11
スウェーデンの王立科学アカデミーは6日、今年のノーベル化学賞を、根岸英一・米パデュー大特別教授(75)、鈴木章・北海道大名誉教授(80)、リチャード・ヘック・米デラウェア大名誉教授(79)に贈ると発表した。3人は金属のパラジウムを触媒として、炭素同士を効率よくつなげる画期的な合成法を編み出し、プラスチックや医薬品といった様々な有機化合物の製造を可能にした。
日本のノーベル賞受賞は17、18人目となる。化学賞は6、7人目。」
その後、クロスカップリング反応が受賞の対象であると詳細報道があったが良く分からない。Googleでクロスカップリング反応を検索すると、すでに3氏のノーベル賞の記述が加えられていた。最終更新 2010年10月7日 (木) 11:38 とあった。その記事によると、クロスカップリングとは結合しにくい異なる有機化合物AとBを触媒を利用して結合させる技術のようだ。自力で発光し表示装置として有望視されている有機ELの製造にもこの技術が使われているようだ。
鈴木博士は特許はとらなかったようだ。結果としてその優れた技術が無償で公開されたことにより、応用が広まったようだ。特許が成立していれば特許料を支払って使うか、その特許を回避して別な方法を使わざるを得ない。発明当時に特許を取得していたとしても現在では有効期間は切れていただろう。無償で使えるとなると有難味を余り感じないがそれを金額に換算すると巨額になるようだ。ともかく、この世界は見方を変えるとほとんど全ての物が化合物で成り立っている。まだ、未知の現象も多く残っているだろう。若い人にも是非チャレンジしてもらいた。
以下本日の本題
雑草句録:十五夜
■畑仕事十五夜の月背に灯す
昔はススキの穂を飾り、饅頭を供え十五夜を祝った。供えたのが団子だったか饅頭であったかはっきりしない。もう、この行事をしなくなってから相当の時が過ぎた。饅頭だけは、まだ近所の馴染みの店が毎年届けてくれる。昔は生活の中に旧暦の行事等が残っており、お月様が色々な場面で生きていた。最後の切り上げ仕事の時は月明かりで仕事をする事もあった。目が月明かりに慣れると意外に物が見えてくる。
ちなみに、明るさは照度として測るらしい。照度=単位面積1平方メートルに入射する光束(lm/面積)という定義である。以下は大体の明るさを定量的に把握する参考になる。人間の眼のダイナミックレンジは約100万倍で対数的には120dbとなる。
晴れた日中の直射光→100000ルクス
日中の木陰(影の輪郭線から1m内側)→10000ルクス
室内の窓から1m内側→3000~5000ルクス
室内の北窓の中央→100~200ルクス
満月の月あかり→0.2ルクス
こちらも、参考になる。月も星も無い夜でも、相当遠方に街路灯等があったりすると本当の闇夜にならない。
| 屋外・快晴 | 100,000 |
満月の夜 | 0.2 |
| 屋外・曇天 | 30,000 |
星明かりのみの夜 | 0.02 |
| 手術台 | 20,000 |
闇夜 | 0.007 |
昔、リモコン用受光ICの開発をした事があるので、照度の測定について調べてみた。昔は、工業技術院に測定標準(原器)を扱う部署があったように思う。現在は産業技術総合研究所となっている。そのホームページに、日本の明るさ標準を作ろうというページがあったので参考になる。独立行政法人産業技術総合研究所ホームページ:http://www.aist.go.jp/aist_j/science_town/standard/standard_03/standard_03_01.html
標準比視感度曲線で555nmの波長のピーク感度を1としている。555はGO GO GOというマジックナンバーなので覚えておきたい。
2010/10/7
雑草句録:食業
■食業のパイの争奪胃は一つ
農業も食品産業も生産能力は消費量を上回っているであろう。人口減少社会に向かって食物の総需要も減少に向かうだろう。会社を退職して、いざ親の家業の農業をしてみようと思っても、消費者の胃袋を狙える物ができない。自動車関連産業に直接または間接に従事する人々は約500万人、日本の全就業人口の8.4% との事である。人間の足の延長部分であるがその業種は考えが及ばない位多いのではと思う。
それでは、人間の胃袋の部分に関係する農業や食品産業に従事する就業人口はどの位あるか興味があるが、良く分からない。自動車関連産業以上の従業者数と思うが、余りにも底辺が広すぎて把握が難しいのか。ともかく、農業従事者の減少と高齢化は長期的に進んできている。周辺でも日本の農業はあと何年もつのかと嘆き声が聞こえる。国土交通省の資料(http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/monitoring/system/contents/07/7-7-1.pdf)の一部を抜粋でしめす。土地利用の動向として、農業従事者の推移と高齢化率を示している。
farmer_populations_trend.jpgをダウンロード
このグラフを見ると、日本の農業人口の約40%が65才以上だと分かる。今後、戦後のベビーブに生まれた世代が続々とこの仲間に加わる。
追記:最近しばらくぶりにスーパーをまわり、野菜の値段をみたら、相変わらず平年より高値のようであった。これが高温という一過性のものなら良いが。高齢化が進むと、スーパーに並ぶ野菜も大量生産される定番品種が多くなり、かつ値段も下がらなくなるのではないかとふと思った。そうなると、野菜も外国から輸入する時代になるのだろうか。消費者も高齢化すると老後の蓄えのため出費を抑えようとするだろう。負のスパイラルが身近な野菜にも及んでくると心配だ。
2010/9/5
雑草句録:おひしば
■夕焼けやおひしばを抜くふんばって
こんな情景は大した絵にも句にもならない。雑草の地面への根の張り方では、おひしば相当強い方であろう。株が大きくなるとかなり力を入れないと引き抜けない。誤ってスポット根が抜けてしまうと転倒してしまう危険もある。夕方になって持ち合わせの道具も無いので、最後の一仕事として目障りなおひしばを素手で抜きにかかった時ようだ。抜けたのかあきらめたのかまったく覚えていない。日々繰り返す仕事としてはこれが当たり前なのだろう。
2010/10/3
雑草句録:栗の実
■栗の実を拾えど食うひまなき畑仕事
何かまとまりのない字余りの一句であるが、一行日記のような句作をしているので、相変わらず以前と同じ状況だと思い出す役にはたっている。実態は栗拾いするヒマが無く、いざ、ヒマになった頃に栗拾いをするとほとんど虫食いになっている。鬼皮がむきやすい、白栗やポロタンという品種を植えているがどうなるか。
追記:⇒ ブログ内「いとしきもの」WEBページの栗の部分へ。極幼少の頃、どこかの山林に山栗を広いに連れられて行った記憶があるが、誰と行ったのかも覚えていない。山栗は実は小さいが味が良いというのは、果樹の本と記憶が混同している可能性がある。ゆでて干した実を食べたのかもしれない。食味としてはホクホクとした粉質ではなく、やや粘質で天津甘栗ような感じがしたように思うがそれも確実な記憶でもない。ともかく、栗の実は口に入るまで色々手間がかかる。従って量もあまり食べられない。そう言う点ではスローフードとしてのんびりと食べることを楽しむのには適しそうだ。
ゆで栗の食べ方として、包丁で切ってスプーンでほじって食べる食べ方があるが昔はそんな上品な食べ方はしなかったように思う。前歯で皮をむいたり、爪でほじったりした。生の栗をかりかり食べた世代であるからそれが当たり前だったのだろう。栗の実で思い出すのが、青森県三内丸山遺跡から出土した栽培された栗の木で、日本古来の在来種らしいこと。クリの木は材が固いので色々なところで使われようだ。当時、どのような道具でクリの木の製材をしたのかも興味がある。

















































































| 「蚕の蛾の産卵イメージ」=ローテク実験ビデオ(DL=画像をクリック); ☆☆⇒「関連記事=「ハトよ 鳴いておくれ:愛しき古里:蚕種が見えない悩み:富岡製糸場と絹産業遺産群。
| ローテク実験ビデオ(DL=画像をクリック); ☆☆⇒「関連記事=「ツルよ 飛んでおくれ(技術 回顧と展望):富岡製糸場の煙突から煙が?(2013年4月2日火曜日)」の記事はここ。

