07A_ざっそう句OR雑草句録:雑草のごとく

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2010年9月21日 (火)

手仕事:いとしきもの

2010/8/21

雑草句録:手仕事

■手仕事や夜の畑に虫すだく

このような情景は絵にはならない。音の世界だ。がんがんと増幅された人工音の対極にある自然音だ。ところで、あの数㎝の虫が10mも先に音を届ける必要があるのか。多分、人間の聴力が良すぎるのではないか。

虫の世界は別な論理が働いているのか。雌は最も大きな声で鳴いている雄に向かって行くのであろう。あえて、その距離を知ろうとするつもりはないが、雌の耳元?それとも足元が雄の送る音波の震動でしびれると、そちらに引きつけられてゆくのかもしれない。

追記:ネット検索で見た、AFPが伝えた英科学誌サイエンス(Science)に発表された最近の研究(動作反応式赤外線カメラ96台とマイクを使ったとある)によると、「大きな体格と生命力の強いオスが成功する上では、鳴き声の善しあしはそれほど関係ないようだ。」との事でコウロギの鳴き声ってどういう意味があるのかますます分からなくなった。ところで、前記の研究はコウロギの鳴き声も一対一で特定したのであろうか。鳴き声を特定するには相当多くの指向性マイクを取り付けないと困難のように感じる。

25万時間の記録映像を分析したらしいが、カメラ1台当たり約1600時間、108日となるが、昼は鳴かないとすると、その倍の200日位観察したのだろうか。外国のコウロギは半年以上鳴くのか(英文によれば二世代とある)。動作反応式赤外線カメラがどんな性能のものかもはっきりしない。電池やメモリーの消耗を防ぐため、赤外線を使用してコウロギが動いた事を検出して録画を始める方式なのか。ところで、小さなコウロギの動きを検出する感度と指向性は十分なのか。他のコウロギの鳴き声を聞いた結果、コウロギが動き出すとすると、観察には他のコウロギの鳴き声の刺激が無視されるのではないか。逆説的には、コウロギが何故鳴く必要があるのかが理解できない。「大きな体格と生命力の強いオスが成功する上では、鳴き声の善しあしはそれほど関係ないようだ。」という文言は推測に過ぎないだろう。コウロギの雄が鳴くのは雌にその存在位置を伝えるシグナルであるという事は否定していないようだし、そんな陳腐な研究はセンセーショナルにならない。真偽のほどは発表された内容を直接当たるべきかもしれないが、待てよと思った。

念のためネット検索で調べてみた。要約以上を読みたかったら記事を買って下さいという方式に歯ぎしり。税金でした研究なら全部公開すべきでは?ついでに思わせぶりの要約は勘弁。結論だけは正確に願いたい。

論文の要約とその和文要約は下記の通り。内容がよくつかめない。ダーウィンの進化論の中の自然選択、性選択という枠組みの中の研究のようである。最後の方に結論めいている部分がある:「The factors that predict a male’s success in gaining mates differ from those that predict how many offspring he has.」雄の交尾の成功を予測させる要因は雄がどのくらい子孫を残せるかという予測とは異なる。言い換えると、雄の交尾行動と雄が残す子孫の数は異なる。更に端折って言い直すと、雄がいくら頑張っても残す子孫の数は変わらない。「We confirm the fundamental prediction that males vary more in their reproductive success than females, and we find that females as well as males leave more offspring when they mate with more partners. 」雄は雌よりその生殖行動において変化しやすいという予想を確認し、雄も雌もより多くの相手と交尾した時により多くの子孫を残す事を発見する。コウロギの鳴き声はどこかに消えて抽象的になって、当たり障りのない結論のようだ。AFPが伝えた内容と印象が大きく異なった。どちらとも依然しっくりしない。やっぱり秋の虫は無駄に鳴いてる訳はないと思ってしまう。

以下はリコーの和訳:

http://www.ricoh.co.jp/abs_club/Science_f/Science-2010-0604.html

Science June 4 2010, Vol.328

野生の昆虫(Insects in the Wild)

昆虫は陸上の生態系において極めて重要であり、生理学と遺伝学の研究におけるラボでのモデル系を提供している。野生集団において、自然選択と性的選択がどのように進化を促進するよう作用しているかを調べる研究は、無脊椎動物では無視されることが多かった。結果として、ラボ環境と自然環境において、いかなる事柄がどのように働いているかに関する我々の理解に隔たりが生じていた。Rodriguez-Munozたち (p. 1269;Zukによる展望記事参照)は、野生コオロギの全集団における生活史、行動、及び生殖の成功に関する包括的モニタリングによりこのギャップの溝を埋めた。遺伝的データーを付加することで、行動がどれほど生殖の成功に影響を与えるているかを評価することが可能となり、そしてオスの生殖の成功が雌のそれ以上に変化することを確認した。(KU)

Natural and Sexual Selection in a Wild Insect Population
p. 1269-1272.

以下はサイエンスの本文の要約記事

http://www.sciencemag.org/cgi/content/abstract/328/5983/1269

Science 4 June 2010:
Vol. 328. no. 5983, pp. 1269 - 1272
DOI: 10.1126/science.1188102

Reports

Natural and Sexual Selection in a Wild Insect Population

R. Rodríguez-Muñoz,1 A. Bretman,1,2 J. Slate,3 C. A. Walling,4 T. Tregenza1,*

The understanding of natural and sexual selection requires both field and laboratory studies to exploit the advantages and avoid the disadvantages of each approach. However, studies have tended to be polarized among the types of organisms studied, with vertebrates studied in the field and invertebrates in the lab. We used video monitoring combined with DNA profiling of all of the members of a wild population of field crickets across two generations to capture the factors predicting the reproductive success of males and females. The factors that predict a male’s success in gaining mates differ from those that predict how many offspring he has. We confirm the fundamental prediction that males vary more in their reproductive success than females, and we find that females as well as males leave more offspring when they mate with more partners.

1 Centre for Ecology and Conservation, School of Biosciences, University of Exeter, Cornwall Campus, Penryn TR10 EZ, UK.
2 School of Biological Sciences, University of East Anglia, Norwich NR4 7TJ, UK.
3 Department of Animal and Plant Sciences, University of Sheffield, Western Bank, Sheffield S10 2TN, UK.
4 Institute of Evolutionary Biology, School of Biological Sciences, Ashworth Laboratories, King's Buildings, University of Edinburgh, Edinburgh EH9 3JT, UK. 』

ここに、論文にリンクしたニュースがあった。
この記事の隣りに、雄のコウロギの鳴き声は若い雄の成長を促すという関連記事があった。一種の物理刺激的な性ホルモンのようで面白い研究だ。要するに種の保存という観点からは優秀な雄一匹だけでは保険にならないという事なのだろうか。この観察はヒトにも通用するのか。

2010年9月20日 (月)

読みかじりの記:高橋元吉詩集:いとしきもの。100920。

2010/9/20

読みかじりの記:高橋元吉詩集

昨日(9/19)の上毛新聞の三山春秋に煥乎堂(かんこどう)の事が書かれていた。旧煥乎堂店舗を設計した白井晟一の企画展を紹介する中で、高橋元吉と白井晟一の精神的なつながりを述べていた。その中で、煥乎堂は明治初期に創業した老舗で云々と紹介されており、9/19の我がブログ記事で高橋元吉を創業者と書いた事が誤りかもしれないと感づいた。幸い、手元に高橋元吉詩集全五巻があるので、高橋元吉年譜をあたってみた。書店経営者としては3代目と訂正する。全集と書いたのも詩集の誤りで訂正。その年譜は明治26年に高橋常蔵の二男として生まれるから始まっていた。

そこには、高橋元吉が自分の生誕を記した以下の詩があった。

「武家から商家になた家に
 一人の武士の娘が嫁いで
 今から丁度四十八年前のきょう
 五人目の子を生んだ
 二番目の男の子だ」

大正6年(元吉24才)初代常蔵の死後、同年兄清七が家督を相続し二代目となる。清七が昭和17年に亡くなり、同年元吉(49才)が三代目を継いで社長に就任した。没年は昭和40年(72才)。この年譜を読むと高橋元吉は煥乎堂の三代目の社長になる事より、詩人として生きる事を覚悟して半生を歩んでいたように思われる。当時は長子相続の時代で、家業の点では二男は身軽な立場にいる場合が多かったと思う。今年で没後45年、生誕117年である。この機会に、高橋元吉詩集第五巻(草裡Ⅱ)の最後に掲載されている無題の詩を以下に掲載する。

「なん十年といふ間
 この世の花をみてきた
 人が見ても見なくても
 咲きこぼれるとひらいて
 また消えてゆく花といふものを

 いかにものがなしげに
 過ぎてゆくものであるか
 時といふものは」

「この世の花」とはまさにいきとし生ける物の虚実を総称した象徴であろう。この世の全ての事象が時の中に生まれてかつ消えて行く。方丈記の人生観にも通じるようだが、自分はそいう事象を、自分の視点を通して見守り、<人が見ても見なくても>という句のなかに、事業家としてやるべきはやってきたという自負もみえるように感じる。一転して、最後の三行が詩人としての高橋元吉の心情の告白なのだろう。

高橋元吉の詩には上州の空っ風のような軽率な気風を感じない。詩は書店の仕事の合間に作ったようだ。その詩の中に高橋元吉の人生が投影されているのだろう。煥乎堂の経営という事業家として歩んだ人生がのしかかり、深海のように暗く重々しい何かがその詩の中を流れているように感じる。風で例えれば、一冬に一二回しか吹かない真夜中のごうごうと言う怖くなるような激風のようだ。それが音もなく詩の中を静かに吹き渡り、なかなか詩集を開く気にさせないのである。しかし、その鉛のような人生の重さを背負っていたから事業と詩作(文化事業)の両立が出来たのではないかと思った。

煥乎堂は群馬県に関する書籍を数多く出版してきた。自分も煥乎堂が出版した本を何冊か持っている。本の出版は煥乎堂の経営者としての高橋元吉の業績であり、地域文化への貢献であろう。年譜によると、一方では詩人として、文化人として中央の文化人との交流を元に群馬県の文化の振興に寄与している事が窺えた。残念だが、高橋元吉が詩人であると知る人はあっても、その詩業を知る人は少ないのではないか。しかし、最後まで詩人である事を止めず、詩人の精神を忘れなかった故に出版や白井晟一に依頼した旧店舗の設計等の文化的活動が出来たのではないか。

尚、煥乎堂に関しては以下のサイトを参照させて頂いた。今はない煥乎堂の旧店舗等が紹介されており、学生時代にお世話になった事を思い出した。クリックマークがあったので、クリックしたみたら、人気ランキングであった。271828の滑り台Logさんは:技術・工学の人気ランキングで3位であった。ご健闘に拍手。

参照サイト:

271828の滑り台Log
http://blog.goo.ne.jp/slide_271828/e/affb8132255a643818fe99699d0a661f

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追記(2014/4/21): 「高橋元吉詩集:いとしきもの(2010年9月20日 (月))」がランキング10位に入った。

関連記事として当サイト内の「煥乎堂」をGoogle検索。 サイト内でキーワード「煥乎堂」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E7%85%A5%E4%B9%8E%E5%A0%82%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

以下に昨年末頃撮影した煥乎堂玄関付近の画像を示す。

Iob_kankodougenkan_131102
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追記1(2014/8/1):「高橋元吉詩集:いとしきもの」の記事がランキング9位に入った。10位が「愛しき古里:萩原朔太郎が見た故郷の風景は?」で、両方群馬県の詩人なのは不思議な感じがする。最近関心度が高い楫取素彦顕彰碑と高橋元吉詩碑は同じ公園内にある。WIKIPEDIA「花燃ゆ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%87%83%E3%82%86)」のコメントが面白い。曰く「この項目には放送開始前の番組に関する記述があります。Wikipediaはニュース速報でも宣伝サイトでもありません。方針に従い独自研究の予測などは載せず、出典に基づいて正確な記述を心がけてください。また、特に重要と思われることについてはウィキニュースへの投稿も検討してください。(2013年12月)」。「愛しき古里(PHOTO1:たまたま出会ったもの ):高橋元吉の詩碑(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/09/photo1-1011.html)。(2012年9月 6日 (木))」。詩碑だけを見る:http://af06.kazelog.jp/photos/phot1/takahashi_motokichi_sihi_hontai.jpg。「09D2 初代群馬県令 楫取素彦 没後100年記念(2012年)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/09d2_KATORI_MOTOHIKO_MEMORIAL.html)。」楫取素彦が建立した「御蔭松の碑」というのがある。サイト内でキーワード「御蔭松の碑」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E5%BE%A1%E8%94%AD%E6%9D%BE%E3%81%AE%E7%A2%91%E3%80%80site:http:%2F%
2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F
)。


追記2(2015/4/10):「高橋元吉詩集:いとしきもの」の記事がランキング10位に入った。煥乎堂といえば群馬の名門書店だったが、本が欲しい時は金が無い学生時代だった。それだけ、煥乎堂に並んでいた本が輝いていた。最近は、前橋に行く機会も少なくなった。先日は、ぶらり前橋散策をして、その最後の寄り先が煥乎堂だった。向かったのは三階の古本コーナー。ポイントカードをくれた。ほとんど来ないので断ろうとも考えたが、それを持っていれば、また来ようかと思うかも知れないと貰っておいた。「新ラジオ技術」(上下巻)があった。手元の下巻は昭和29年再版のものだ。その十数年後に、同じ本を購入して読んだ記憶がある。つい買ってしまったが、まだトランジスターは出て来ず、真空管だけを扱っている。理工学の専門書は高価で、神田の明倫館という古書店で買った事を思い出す。あの明倫館は吉田松陰とどんな関係があるのだろうか。

Googleでキーワード「明倫館 古書」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E6%98%8E%E5%80%AB%E9%A4%A8+%E5%8F%A4%E6%9B%B8)。

追記(2018/07/30):タイトル文字を変更。日付を追加。アクセスランキング4位。

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追記(2019/10/29):思い付メモ

読みかじりの記:高橋元吉詩集:いとしきもの。100920。の記事が2019年10月29(火)のアクセスランキング5位に入った。以前かみさんと雑談していると高橋元吉の話が出てきた。どこかで聞いた名前だと言う事で話が一致した。その後、前女の校歌の歌詞を作っていると知った。文化と文明という切り口から我が古里群馬を見ると本当にお寒い限りだ。その点、群馬県の文化として前橋の煥乎堂は少しは自慢できる。忘れてしまうのが講談社の野間清治だ。野間清治も群馬師範の学生であった。このランキングを見て、野間清治は学生時代に煥乎堂に通ったかも知れないと思い付いた。そう考えると煥乎堂の高橋元吉と講談社の野間清治は全く無関係だとは言えないのかも知れないと思った。

「身辺雑記:田舎老人徒然草:文化と文明雑感:花燃ゆに出る明倫館と神田の古書店明倫館は関係あるのか?(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/10/post-b82c.html)。(2015年10月26日 (月))」

「身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(3):米じいさんの葬式;大砲の 音よりましな 落雪だ。1601。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2016/01/3-f712.html)。(2016年1月20日 (水))」

群馬県出身の有名人(https://yuumeijin.info/kenken.php?ken=%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C)

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以下は予定の本題

雑草句録:秋の空

■いやながら農薬をまく秋の空

農薬は主に病害虫の防除に使う。法律的には病害虫の防除に使う生物等も含まれるようだ。生物農薬と呼ばれる分類があり農薬取締法の対象になると言うことなのか。ところが、植物に寄生する虫や病気が100%有害なのか迷う。

最近、多剤耐性菌が問題になっている。細菌は生き残りをかけて自分の薬剤耐性の強化を遺伝しレベルで行っている。害虫も薬剤耐性を持つと使用できる薬剤が減るというので、同じ薬剤の連続投与を避けるように指導されているようだ。

生物多様性の重要性が叫ばれているが、細菌、微生物等自然の生態系の連鎖を農薬が断ち切り、失われたが気付かれない生物種が非常に多いのではないか。食物連鎖の頂点にたつ大鷹は話題になるが、足元の微生物は見過ごしてしまう。

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2010年9月19日 (日)

古書店:いとしきもの。20100919。

2010/9/19

雑草句録:古書店

■古書店のおやじ雑談客一人

古書店はちょっと入りにくい雰囲気がある。古書店のおやじと雑談する程のつき合いも無いが、ぶらりと入った古書店で思いがけない本に出合ったときの楽しさは曰く言い難いものではある。最近は老舗の煥乎堂も古書を扱う事になったらしい。煥乎堂は出版も手がけた地方文化の盟主であったと思う。創業者であり詩人でもある高橋元吉の詩集が数冊入った箱入りの全集が書肆いいだやさんの玄関先の書台に並んだのがつい半年くらい前。値段も扱いも投げ売り同様であった。この時だけは、いつか役に立つかもしれないと、本の重さだけではなく、気分の重さを感じつつ買っておいた。時代が変わってしまったのか。煥乎堂には機会があれば行ってみたい。もう、何年も行っていない。一方では、たまに足を運んでいた書肆いいだやさんが今年の8月末で店頭販売を終了すると上毛新聞が伝えていた。地域の歴史書探し等ではお世話になった。読書人口が減り、個人の書店経営も色々な面で曲がり角に来ているのだろう。

追記(2019/04/17):タイトルに投稿期日を追加。忘れぬ内に書いて置こう。とりせん西方の桐生県道の南側に小さな古書店があり、何回か行った記憶がある。駅周辺開発や区画整理でその辺の景色は一変している。その古書店がその後どうなったか分からない。

追記:古書店の訪問で記憶に残るのは神田にある理工系の明倫館書店と前橋にある文系の大成堂書店。本日の句の古書店の雰囲気はかつての大成堂書店に似ているが市内の小さな古書店の風景。最近は足を運んでいない。学生時代だったろうか、おそるおそる大成堂書店に入ると、やや暗い店の奥の帳場で黙々と働く店主らしい人がいた。奥の方までは余り接近できなかった。社会科学系の本が中心であったようだが、当時の自分は中程の文系一般書を買った程度であったが、その後も機会をみつけて行ったが、足が遠のいてから何年も経っている。店主は市議かなにかだと聞いたような気がして、そういう点でも近づき難かったようだ。高崎の古書店も店仕舞いするという新聞記事を先日見た。古本屋が減ってくるのも寂しい限りだ。本が第二の人生を歩むのも何かに縁があるのだろう。そう思うとたまたま手にした古本も運が良かったのだと思うことがある。最近では、勿体ないなと思うような本が惜しげもなくゴミとして出てくる。これは本だけではないが。

大成堂書店の隣りか近くに油屋旅館があった。既に数十年前の事だが、アルバイトで家庭教師をしていた生徒の家族が転勤をする時の仮住まいをしていた旅館で何回か訪問した記憶がある。この油屋旅館は今どうなっているのか気になって調べたら昨年廃業したようだ。そのニュース記事の詳細は末尾に引用しておく。記事だけでも残しておきたい。

300年以上の歴史を誇る老舗旅館という事で残念に思う。また、長く続いた事業を自分の代で廃業する無念さは言い尽くす事が出来ないだろう。自分がバイトで訪問したのは「ホテル油屋」になる前であった。確かに、和式瓦建物の外観だけでなく、内部の廊下も板張りでであり、やや古風な老舗旅館という雰囲気があったように思う。

建物だけでなく、そこに宿泊した人物等も歴史的な価値を学ぶ資料になるだろう。是非、取り壊しする事無く、新しい使い方で再生して欲しいと思う。前橋市は美術館を建てる構想を発表しているが、それとは別に、油屋旅館は幸田露伴ら文人が定宿として利用したという歴史もあるようなので、美術館より庶民にとってより敷居の低い文芸館等として活用する事はできないだろうか。

余り有名人ではないマイナーな人の色紙、書画、手紙等を展示するのが面白そうだ。古い生活雑貨の展示等も面白そうだ。ともかく、こういう物も今収集しておかないとごみになって消えてしまうだろう。地方の文化都市前橋が民活をすれば何とか出来そうでもある。

多分、美術館は入場料を取るであろうから、何回も足を運びにくいであろう。一極集中だとリピーターは来なくなる。少しずつ趣味の変わった施設が寄り集まった方が人は集まる。これが都市の原型であろう。人が集まらなければ都市は衰退する。場所的には元気21に近くなので、市民や訪問者が歩いて回遊するには最適であろう。入場料も安く設定すれば高齢者も気楽に入って時間つぶしができる。それよりも文化の裾野を広げるためにも役立つのではないか。

300年以上の歴史を掘り下げれば色々な資源が発見できるかもしれない。庶民の歴史館・文書館という使い方もあるだろう。後期高齢者が幼少時代を思い出せるような本・雑誌や生活資料をガラスケースの展示ではなく、実際に使わせてくれるような施設だと有り難い。

今年の夏逝去された国立民族学博物館の設立に尽力し、1974年初代館長に就任した梅棹 忠夫氏が手で触れて見るという展示方式を推進したとどこかで読んだ記憶がある。ピカピカの新品は商品の値段だけの価値しかないが、手垢や傷がついたり、年を経て希少になった物は、古老と同じようにそれと対話して学ぶ無限の価値があるのではないか。

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以下にそのニュースを引用しておく。

『老舗淘汰…消える“前橋の顔” 「油屋旅館」廃業
配信元:産経新聞 2009/12/27 16:01更新

記事本文 

天和元(1681)年に創業した前橋市本町の「ホテル油屋」が10月、経営不振などを理由に廃業した。前身の「油屋旅館」は、幸田露伴ら文人が定宿として利用し、小泉純一郎元首相など著名人にも愛された“前橋の顔”の一つだったが、最後の営業日となった9月30日も宿泊客はなく、300年以上の歴史の幕引きはあっけないものだった。

記事本文の続き

 だが、副社長兼女将(おかみ)としてホテルを切り盛りしてきた東野恵子さんは「廃業して改めて、油屋の存在の大きさを認識した」と、しみじみと語る。10月以降、全国に散らばる常連客からの問い合わせが数十件を数えた。廃業を伝えると、顧客からは「これでまた一つ、古き良き時代のものがなくなった」などと、ため息が漏れたという。

 すでに廃業した以上、宿泊は断るしかない。東野さんは「その度に、自分の代で廃業したことの悔しさと申し訳ない思いがこみ上げてくる」と自分を責める。そして、「学生時代からずっと、友人や先生、近所の人からも“油屋さん”と呼ばれてきた。アイデンティティーを喪失した気持ちになった」とも…。

 だが、不況に加え、安くて最新鋭の設備が整うホテルを好む利用者が増える中、吹き荒れる淘(とう)汰(た)の波に飲み込まれた老舗、油屋だけではない。前橋市衛生検査課によると、同市内にある旅館・ホテル数は144件で、11年の195件から減少している。

 宿泊料金の値下げなどで顧客確保に奔走しても、結局は設備更新費が確保できず、姿を消すケースが多いという。東野さんは「改善努力だけでは限界がある」と語るが、その言葉は老舗旅館経営者共通の思いだろう。時代の流れの中でやむを得ないこととはいえ、伝統ある施設や地方文化の発信拠点が生き残る難しさを改めて感じた。

 ホテル油屋の建物について、東野さんは「これだけの施設をこのままにしておくのはもったいない。将来的にはケアハウスなどとしての施設利用も考えている」と明かす。

 油屋が、新たな形で人々が触れ合う場として“復活”する日が来ることを、願うばかりだ。

(西村利也)』

2010年9月18日 (土)

落雷:いとしきもの

2010/9/18

昨日、第二次管内閣の組閣が行われた。これからの日本はどうなるのか期待と不安でその結果を見守った人が多かったと思う。ともかく、政治家は自分の政治生命をかけたことばだけはしっかり守ってもらいたいと常に思う。しかし、それを国民一人一人が記憶の中にしっかりとどめ、政治家の行動を検証するのも大変な事だ。人の記憶は徐々に薄れ、それを良いことに政治家も前言を翻し、時には記憶にないととぼける。継続的な仕事にはPDCAが大切であると言われるが、政治家の場合このC(CHECK)がどうもあいまいである。

雑木歌録:そろばん

■国会の 先生方の そろばんは 音はすれども 数合わぬなり

ともかく、組閣という最初の数合わせは終わったが、公約実現という最大の数合わせで、パチパチという音は歓迎するが、ギシギシという音は勘弁願いたい。ところで最近、マニフェストというコトバが流行しているが、なぜ横文字なのか理解できない。マニフェストとは国民との契約であると説明されているようだが、マニフェストの中にその通り規定されているのであろうか。その点公約とすれば一目ではっきりする。基本政策文書に横文字を使うのは何となく逃げ腰のように感じる。

雑草句録:落雷

■落雷や停電の不便のありがたさ

最近は送配電システムの管理が良くなったのか停電も少なくなり、停電の時間も短くなっている。しかし、落雷が宅内の機器に及び被害が出ると復旧に手間取る。その間、不便ではあるが機械に使われない貴重な時間を貰ったような気がする時がある。

追記:落雷によりパソコンやMODEMがこわれたと言う話を良く聞く。雷サージは電源ラインと電話ラインの二系統から入る。機器が壊れるのはこのサージ電流により、機器内部の電子部品が破壊されることによる場合が多い。MODEM等の機器が壊れやすいのはコストの安い機器に高性能なサージ保護対策がとれないという事情があるのかもしれない。

かつて、光ケーブルが導入される以前に、光ケーブルが導入された場合、万一の場合の端末の電源供給をどうするかという議論があり、その対応を検討した事があった。一般電話の場合、局側から端末側に電力を送るので、端末は繋がっていれば機能する。光ケーブルの場合、局側から電力を送れないので、電力は端末側で用意しなければならない。通常はその電力を商用電力線から貰ってくる。しかし、停電の時は、その電力がもらえない。そんな時どうするかという問題であった。

この事情は今日でも全く変わっていないと思う。しかし、今日では電力が止まって、一般電話が不通になっても携帯があるので何とか急場はしのげるかもしれない。しかし、大規模で長期間の停電が続くと携帯の充電も難しくなる可能性もある。以前光電話に換えようかと考えてNTTに電源バックアップについて聞いてみたら、そういう装置は扱っていないという事であった。停電の時には使えなくなるという説明も、パンフレットも見落としそうな小さな扱いでしかない。ぐんま経済新聞(2010年2月11日 1:17 AM)によるとNTTの群馬の「フレッツ光」の世帯普及率は26%という。現状のまま進むと、普及率が大幅に向上した頃問題が発生する可能性も残る。

尚、NTT東日本のサイトを調べてみると『ひかり電話停電対応機器について
ひかり電話停電対応機器は、「停電対応電源アダプタ」と「停電対応電源アダプタ用電池ケース」で構成されています。ご希望のお客様へ、レンタルにより提供いたします。』とあり、最近は状況は少し改善され無対応とまでは言えないようだ。アルカリ乾電池は6ヵ月毎の交換が必要で、約20分の電源バックアップを可能とするとの事だ。パソコンや仕事等を含めたシステムのバックアップを総合的に考えないと判断が難しそうだ。

2010年9月17日 (金)

値札:いとしきもの

2010/9/17

雑草句録:値札

■夏草が野菜ならばと値札見る

今年は畑の雑草を試食してみた。結構食べられるものがある。そういえば、毎年勝手に生えてくる菜類も我が家では雑草になりかけている。野菜の種を播いても、先客の菜類が一緒に発芽して多数の方に負けてしまう。

追記:昨日はサンマが食卓に出た。今年の暑さは海水面温度にまで及び、平年より2℃ほど高く、この影響で8月のサンマは例年になく不漁となり平年の数倍の高値を付けて話題になった。9月に入り、価格は下がっているようだがまだ平年より数割高いようだ。大根下ろしのため、かみさんが大根半分を買ってきたが、こちらも夏の暑さの影響で平年より高かったようだ。最近は外出も少なく、生鮮食品の値段にうとかったので、それならイワシにしたらと言ってしまった。気になってサンマの不漁を調べていたら、イワシは豊漁で値段が安いという情報があった。旬という点では秋だサンマだという発想も必要なのかもしれないが。自分が買うサンマはほとんど百円以下の解凍ものだ。

ともかく、日本人は食べ物に飢えている訳でなく、話題に飢えている。情報を発信する側も受信する側も、何か話題があるとすぐにダボハゼの如く食いつくが、また直ぐに忘れてしまう。食料だけでなく話題も外部に依存するほど精神が貧困になったのか。使い捨ての話題。それが無いと、気まずく、人間関係の間がとれない。そんな状況を思い浮かべてしまう。こんな精神構造を良いことに、どこかに便乗値上げは無かったろうかとつい思ってしまう。

ところで、物の食べ方も人様々だ。物をたべるにも、贅沢、誘惑不要、つき合い、見え、なんとなく人並み、習慣、気の向くまま、義務的、生存必須と色々なレベルがある。自分は、人前では気が引けるが、家ではイワシやエビは丸ごと、サンマは鰓の下から尻尾の先まで骨ごと食べる事にしている。おかげで歯は丈夫である。どうも消費生活という面ではレベルの低い状態に甘んじているようだ。これには、好き嫌い、美味しいまずいというより人生観も絡んでいるようだ。

かつて幼少の頃、農作業の手伝いに来てくれた人が、焼きサンマの頭から尻尾まで全部食べてしまうと母が驚嘆して話題にしていた事があった。焼きサンマと言えども頭の部分は余り焼けないので話題にしたのであろう。でも、ものを頂く姿勢を思うとその手伝いの男性の姿は輝かしく思えた。おかずのサンマが二匹も三匹も出る筈はない。全部食べる事は出してくれた人への感謝とサンマ様に対する供養の気持ちがあったかも知れない。当時の貧しさを思うとサンマは大変なご馳走で余すところ無く食べたいと言う気持ちもあったろうが。

その当時は頭や尻尾は当然だが、はらわたや骨は残していた。母の話を思い出したり、手作りのいかの塩辛を作るようになった頃からサンマのはらわたも気にならなくなったようだ。にがみを含んだ味というのは人生の積み重ねで発見するようだ。がつがつ、ズウズウ音を立てて食べる習慣は子供達の避難の的であったが、これは直りそうがない。

2010年9月16日 (木)

桃袋:いとしきもの

2010/9/16

雑草句録:桃袋

■桃袋中身ないままぶら下がり

桃がなったので紙袋をかけた。そろそろ熟したかと中を覗いてみたら既に落果した後であった。桃の袋かけも技術がいる。それよりも、消毒を徹底して果実を育てるのが基本のようだ。手遅れとなった桃袋はそのままぶら下がっている。

追記:袋は市販の物を使用した。桃は果柄(用語はこれで良かったかナーとネット検索:写真でわかる園芸用語集にお世話になった。)が短いので枝と距離が近く、袋掛けが難しい。袋をかけても収穫はゼロで出費だけで終わった。リンゴの袋掛けは最初は害虫の防除の為に使われたと言う。殺虫剤を含ませた袋もあるようだ。早生桃の春雷という品種は害虫が盛んに活動する前に実が生るためか、消毒も袋掛けもせずに収穫できている。樹齢5~6年程度であろうか。最近は枝がたわむほどなる。糖度はやや低め、形もやや小さい、種は核果であるが軟らかいとやや普通の桃とイメージが異なる。人気も今ひとつであるが、逆に幾つでも食べられて、畑のオアシスになっている。

2010年9月15日 (水)

パフォーマンス:いとしきもの

2010/9/15

雑草句録:パフォーマンス

■靖国の御霊も目を剥くパフォーマンス

終戦記念日の靖国神社の参拝はその時々の状況によって変わってくる。今年は政権与党の閣僚は参拝しなかった。この句ができた年は政治家の参拝もパフォーマンスに見えて戦死者への配慮はどうなのかと感じたようだ。

追記:9/14民主党の代表選挙が行われ管氏が代表に再選された。結果を知ったのは19時のニュース。開票中は畑で草むしり。これで二週間の選挙戦は終わった。選挙戦のトーンも前半と後半では変わってきたように思える。ともかく論争は盛り上がってこそ、その争点がはっきりする。しかし、その肝心の論争のどこまでがパフォーマンスであったのかは冷静に国民が検証しなければならないのだろう。

本日も朝と夕に苗畑の草むしりで二回大汗をかいた。苗は雑草の海の中で溺れ、さらにその上に蔓が巻き上がってどこから手をつけてよいのか迷う。やはり、原則は大きい物から片づけるのが良いようだ。ようやく苗の姿が見えてくると、雑草に比べてその育ちの遅さに愕然とする。根本がかみきりむしに食害されて倒れているリンゴ苗も発見し、更に呆然とする。しかし、雑草は一年が勝負。果樹は来年もある。今日も落果した青リンゴを数個収穫した。もう、樹上のリンゴは無い。「奇跡のりんご」は自分には無理なようだ。普通のリンゴも無理かもしれない。しかし、青リンゴまできたのだから、来年はもう少しレベルアップしたい。ものは考えようで、青リンゴで落ちた方がリンゴ樹の体力維持になっているかもしれない。小さな株に実をつけさせたシシユズ(シシユズはこのページ参照)は二年間実を付けなかった。この草むしりも来年のためという思いがあるので大汗がかけるのだ。

2010年9月14日 (火)

盆棚:いとしきもの

2010/9/14

雑草句録:盆棚

■ちがや刈り盆棚作り一服す

ちがやは刈って、乾燥し、縄になうという一連の工程がある。できあがったチガヤの縄を盆棚に飾る。田んぼの畦にはチガヤが生える場所を確保している。こんな手間をかけて何故盆棚を毎年作っているのか自問する時もある。

しかし、こんな事を父に代わり十数年続けていると何となく先人達の気持ちに通じるような気がするようにもなる。先人を偲ぶには身の回りの物だけで十分ではないか、先人も贅沢は望まない、それよりも先祖の事を忘れないでくれと訴えてくるように感じる。お盆を迎え送るという行為は、先人との対話を可能にしてくれる良い機会ではあると思う。

追記:まだ日中は暑いが、薄着のままだと体温が下がり早朝目が覚める。季節は確実に動いている。書きためておいたブログ原稿も季節に合わなくなる。外では盛んにコウロギ等の秋の虫が鳴いている。耳鳴りも消えてしまいそうである。そこで一句。

■耳鳴りも消え入る程の秋の虫

目を閉じ耳を澄ませてしばし虫の声に聞き入るが、その全体的な印象を唯一つの句にすることは不可能に近い。かつて虫の声を右脳で聞くか左脳で聞くかという事が話題になった。こんな事を思い出すと、虫の声は既に背景になっていた。

それと同時にパソコンのファンの回転音が気になりだした。8bitのゲームマイコン時代はCPUの動作周波数も低くファンは付いていなかったと思う。16bitの自作パソコンの時はCPUと一緒にファンを買った記憶がある。それ以来パソコン・CPUは動作周波数を上げて発熱させて使う事が前提になってしまった。ファンは付けるのが当たり前。しかし、消費電力から考えると勿体ないのも確か。

半導体の高集積化と設計思想の変更でファンレスパソコンは十分可能であると思うが、メーカーは下手な作戦で墓穴を掘るまいとしているように思われる。結局、時流に乗り遅れないという消極的な作戦しかとれないのが実状のようだ。既に今日のパソコン価格は8bitパソコンの普及期以降の価格帯に入っている。そんな流れを漠然と見ていると、「パソコンはなくなるの?」という予感がひらめく。

そう言えば、ソニーの「○○はなくなるの?」と言う、かつてのショッキングな宣伝が連想された。調べてみると○○はベータマックスであった。

以下ソニーのホームページ(SonyHistory)の一節:「 そんな折、1984年1月25日から4日連続で主要新聞に出されたソニーの広告は、目を引いた。「ベータマックスはなくなるの?」「ベータマックスを買うと損するの?」「ベータマックスはこれからどうなるの?」とネガティブな問いかけで畳みかけ、最終日に「ますます面白くなるベータマックス!」と締めくくったこの広告手段の奇抜さに、世間はびっくりした。ベータ方式の劣勢を報じるマスコミ、そしてベータファンの抱く不安に対するソニー独特の応じ方であった。」

ソニーのホームページで、『「Sony History」は、1945年から1996年までのソニーのあゆみを物語にした、創立50周年記念誌「源流」(1996年8月発行)を要約したものです。」』と述べている。この期間は自分が生きてきた期間と重なり、社会、企業、個人の歴史を振り返る良い区切りになると思う。

幾多の時を経て、ソニー自身が当時の歴史を語れる時代が来たようだ。やはり、時を経る事により評価も歴史も事実として落ち着くのであろう。このような作業は時には企業にとって厳しい事かもしれないが、それを伝え生かすという意欲と体力があるという証でもあろう。やはり、企業は企業なりに、個人は個人なりに歴史や体験を次の世代に伝える事は意義があると思う。SonyHistoryは機会を見つけてもう一度読んで見たい。

流れが途切れたが、携帯機器が高機能化すると大体それで間に合ってしまうのでパソコン離れも進む。ふと、自分の現用パソコンが10年ほど前のデスクトップ型。現在のノートパソコンは既にファンレスなのか。ともかく、安くなったパソコンからファンを取ればコストダウンになる。消費電力も下がる。しかし、寿命も延びて買い換えは進まなくなる...。

そう言えば、かつてはパソコン雑誌を時々買ったが、今は書店で立ち読みもしなくなった。昔の話ばかりで老化の始まりと言われ兼ねない。でも、十年後を予想するためには、十年以上前の事もレビューする必要があると思う。ようやく薄明るくなり鳥が鳴き始めた。またしばらく時間がたった。もう鳥の声は聞こえない。

2010年9月13日 (月)

アマランサス:いとしきもの

2010/9/13

雑草句録:アマランサス

■ぐんぐんとアマランサスの威勢よさ

アマランサスはヒユ科の雑穀で、この種子を通販で買って育てた。背丈以上に伸びる。口に運ぶ前に、精製でつまずいた。種子がゴマ粒より小さいので、最後の精製で砂粒等の極小さな異物を除去出来なかった。結局、試食はあきらめた。しかし、色々な選別法を考える楽しみはあった。考えは回路のフィルターと同じであるが、異なる網目のふるいを数種使ったり、何段階かのフィルタリングが必要だった。最後の選別で、大きさや外形が同じ異物を取り除くとなると、比重や色彩等で識別する必要がありそうだが、そんな装置を作っていたら余生は終わってしまう。

追記:アマランサスの様子はこちら(BLOG内リンクを設定してみた。)を参照。⇒ウエブページ:農園の風景。草丈が高いので発芽初期以外雑草に負ける心配は少なかった。最初の収穫は穂の部分を刈り取った。産地では機械化も進み生産方式も確立していると思うが、そういうノウハウが無いと作りこなせないと実感した。雑穀は健康によさそうだという情報とアマランサスという名前の響きの良さと珍しさで作って見ようと言う気になった。身の丈ほどの高さになる畑の雑草のヒユと似ている。アマランサスの葉も野菜として食べられるという事だったの、ヒユを汁物の具材として試食してみた。インスタント食品を使い始めるとどうしても野菜不足気味になる。野菜が無いときは役に立ちそうだ。アマランサスも手間のかからない野菜として利用するのなら面白そうだ。雑穀も生産性と食味では一般の米麦等にはかなわないと思う。商品として買った事はないがそれなりの値段だと思う。おいしい物を絶たないと食味の悪い物は口に入ってこない。健康に良いと聞くとまずくても飛び付くかもしれないが、値段も高く食味も良くないとなれば長続きしない。ただ、好き嫌いせずその時食べられる物を食べるという雑食性を徹底するほど生存できる確率が向上する点は疑いがないと思われる。

2010年9月12日 (日)

水風呂:いとしきもの

2010/9/12

昨日は9・11テロの起こった日だがこのテロも日々遠くの記憶になりつつある。一番不気味なのはテロの実体が見えずいつ起こるか分からない不安に常に悩まされる続ける事であろう。これは武器を以て武器を制するという発想が限界に来ている事を示しているのではないか。武器になる物は身の回りに溢れているのだから。

雑草句録:水風呂

■水風呂や一人散髪すがすがし

真夏の仕事で汗をかいた後に入る水風呂。残念ながらビールは出ないがすがすがしい。ついでに伸びた髪を一人で散髪するとすがすがしさは二倍になる。これも元気だからできる事だ。

追記:早朝から汗がじっとりとにじむ事が多かったが最近は何とか汗が収まりかけてきた。手元の百均の温度計が28℃か29℃がその分岐点のようだ。体温と外気温が7~8℃以下になると動かなくても汗がにじむようだ。半導体を使用する場合熱設計が必要になる。半導体チップ自体を裸で使うことは安全性・信頼性等の問題で避けるのが常識だ。従ってチップを容器・パッケージ等で覆うことになる。ところが、チップの周囲にこのような保護物質があると、半導体内部で発生した熱が外部へ逃げにくくなる。丁度人間の衣服と同じ様な関係がある。熱は高い方から低い方へ流れる。熱設計は発熱部の温度、外気の温度及び熱の伝わりにくさ(熱抵抗)を想定して行う。近似的には定常状態を想定した方が簡単だ。しかし、過渡的な熱変化を想定しなければならない時もある。NECのパソコンの動作周囲温度の規格を調べてみたら上限は35℃であった。ケースに手を触れると少し暑いという感じで、丁度その温度くらいで偶然なのかファンが回り出す。ケース内の温度はもっと高くなっていると思う。どこかでファンを回すための温度検出をしているようだ。そんな事を考えていると人間の発汗作用も非常に高度にプログラムされていると驚く。当然湿度も発汗に関係するだろう。蚊が活動するのも通風が悪く、気温が高い時であるがこういう条件が発汗と関係することをなんとなく納得した。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)