01C_残照雑記

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2010年2月25日 (木)

おとおか:いとしきもの

2010/2/25

おとおか

Google検索
おとうか  化かす -狐 -キツネ -タヌキ -狸 に一致する日本語のページ 約 20,200 件中 1 - 20 件目 (0.57 秒)
むじな  化かす -狐 -キツネ -タヌキ -狸 に一致する日本語のページ 約 691 件中 1 - 20 件目 (0.56 秒)

極幼少の頃は昔話を聞いたような記憶がある。もう半世紀以上前になってしまった。おとうか

という動物がいて人を化かすという話である。記憶に残っているのは化かされて馬鹿な目に

あったという事である。おとうかというのはこの地方だけの言葉であったのか。Google検索で

は見当たらない。人を化かすといわれるキツネ・タヌキを除外するとむじながでてきた。むじな

を調べると穴熊、タヌキの異称とある。ともかく、言葉の上でも正体が掴めない。一人、寂しい

夜道を歩いていると、後ろから誰かがついてくるように感じる。ちょっと怖いが、気にかかる。

こういう風に話が始まると、直ぐに話しに引き込まれてしまう。するとおとうかは、招き猫の手

を裏返ししたような格好で何かサインを送ってくる。バカされる途中の話ははっきり覚えてい

ない。この辺に話し手の極意があったのかもしれない。怖いどころか、当人はおとうかをすっ

かり信じてしまい、落ちていた小判を拾ってしまう。ところが、何かの拍子で現実に戻ると馬

の糞を掴んでいたということであった。小判が肥溜めに変わったバージョンもあった。化かさ

れて、良いお風呂に入れてもらった。きっとおとうかは妙齢の娘にでも化けたのだろうか。そ

こまでは聞いた覚えは無い。良いお風呂だったと、風呂から上がろうとした時に、そこが肥溜

めだと分かって大笑いをする。そうして、おとうかに化かされないようにするためにはこうして

眉に唾をつけるのだよと古老は教えてくれる。昔は、身近な動物で化かされないよう教えてい

たのかも知れない。その動物はやはり、イヌやネコではつとまらない正体があやしい存在で

なければならないようだ。その裏には、人間も人を騙すから注意をしろという教訓が潜んでい

るようでもある。今日、幼児は知らない人から声を掛けられたら、黙って直ぐに家に帰りなさ

いと教えられている場合が多いだろう。幼少時から人間不信の教えを受けてしまう。大人も

子供も眉に唾を付けて騙す相手を見破る訓練が必要なようだ。何しろ、このおとおかは人間

の分身であるかのようなのだ。

2010年2月18日 (木)

野外映画会:いとしきもの

2010/2/18

野外映画会

終戦直後は娯楽が乏しかった。遊びも遊んでくれる大人は少なく子供達が自分で遊んだ。従

って、能動的な要素が多い。娯楽を運んできてくれたのが紙芝居屋のおじさん。もう一つ、夏

の夜の野外映画会。白黒のチカチカする画像を地面に腰をおろして見た。何の映画かは完

全に忘れている。何かの機会にその映画は俺がやったのだよと聞いたことがある。当時は

4Hクラブ等で農村の文化向上をやろうとする機運が高まっていたようだ。県の関係部署に掛

け合って、バイクでフィルムを借りに行ったとの事である。振動でフィルムが傷まないようにそ

れを風呂敷に包んで背負ってきたらしい。当時の埃が立つ、じゃり道をバイクに乗ってフィル

ムを運ぶ姿を想像するとそれが映画の一幕のように思える。チカチカするのはそのフィルム

があちこちで何回も映写されたフィルムの小さな傷が原因だろう。映画館で映画を見たのは

小学校に入ってからであった。近所の広場で行われた野外映画会はそれとは別のなつかし

い記憶である。会社でも体育館であったか、映画会があったように思う。こちらも娯楽や福祉

の一環であったようだ。しかし、映画の衰退は進んだ。市内の映画館は全て閉館になり、ショ

ッピングモールにシネコンができてようやく、また映画が見られるようになった。たった一回、

懸賞で当たった券で映画を見た。入館者は数名。借り切りの状態であった。

2010年2月 6日 (土)

アメンボ

2010/2/6

アメンボ

水の上を歩く方法。右足が沈まないうちに左足を前に出す。他愛のない小話なのかもしれな

い。幼少時にアメンボが水面をすいすいと動くのを不思議に思った。それで、興味深く観察し

たのかもしれない。ふとその時の記憶がよみがえった。最近旅行でそのアメンボに出くわして

しばし見とれた。そう言えば、スウトメ(ミズスマシ)という水面を泳ぐ虫もいたと連想する。こち

らは足が見えないので余計不思議なような気もする。いずれも、沈まない理由は水の表面張

力と動物の構造がうまく適合しているからなのだろうとおもう。こんな、どうでもよいような事

を、忙しい時に思い出して時間を空費している。でも、前向きに考えれば、一瞬でも心のユト

リを持てと諭してくれているのかも知れない。自分の近辺にはまだこういう水棲生物がいるの

か。

2010年1月 1日 (金)

ぼたもち堰:100101。

2010/1/1

ぼたもち堰

子供の頃、近くの用水路の掘り払いが待ち遠しかった。その日は、用水の流れの障害となる流木やゴミ等を取り払うために用水を止めるので、魚捕りのチャンスであった。網とバケツを持って水が減るのを待った。子供が多かったが、中には大人も混じって魚を捕った。

しかし、掘り払いの仕事は最近までした経験が無かった。退職後、順番で水利の役員の番が回ってきて初めてその用水路の掘り払いをした。そのとき、道路脇の当時こんもりと雑木が生えていて、水深があり魚がいそうな堰がぼたもち堰と呼ばれている事を初めて知った。

水利のベテランになぜぼたもち堰というのか由来を聞いたが分からなかった。同じ質問をある郷土史家にしてみたら、昔は用水路の下から上に向かって掘り払いをして、丁度その堰に来るとぼたもちを作って待っていてくれたのでその名が残っているのだそうである。

距離的には道なかば、まだ半分以上残っている辺であるが、そこで昼飯時になったのであろう。当時はぼたもちは大変なご馳走であった筈だ。普通ならば野良仕事の弁当は塩をまぶした握り飯程度であろう。掘り払いの当番も、ぼたもちを励みに仕事を進めたのかもしれない。

このぼたもちを用意したのは農家のかみさん連中であろう。ともかく、大変だが、大切な掘り払いという仕事を地域の農民が協力して行ってきたという記憶がこのぼたもち堰という名前の中に残っていたのである。

*************************
追記(2017/10/24):
読みにくいので文書の整形をする。

関連記事:残照雑記:身辺雑記:田舎老人徒然草:ぼたもち堰PART2;大寒を 過ぎりゃぼちぼち 春が来る。170115。

IOB=IMAGES ON Beloved Ones:画像を挿入した記事は12月が初出のようだ。
*************************

2010/1/1

ぼたもち堰

子供の頃、近くの用水路の掘り払いが待ち遠しかった。その日は、用水の流れの障害となる

流木やゴミ等を取り払うために用水を止めるので、魚捕りのチャンスであった。網とバケツを

持って水が減るのを待った。子供が多かったが、中には大人も混じって魚を捕った。しかし、

掘り払いの仕事は最近までした経験が無かった。退職後、順番で水利の役員の番が回って

きて初めてその用水路の掘り払いをした。そのとき、道路脇の当時こんもりと雑木が生えて

いて、水深があり魚がいそうな堰がぼたもち堰と呼ばれている事を初めて知った。水利のベ

テランになぜぼたもち堰というのか由来を聞いたが分からなかった。同じ質問をある郷土史

家にしてみたら、昔は用水路の下から上に向かって掘り払いをして、丁度その堰に来るとぼ

たもちを作って待っていてくれたのでその名が残っているのだそうである。距離的には道なか

ば、まだ半分以上残っている辺であるが、そこで昼飯時になったのであろう。当時はぼたもち

は大変なご馳走であった筈だ。普通ならば野良仕事の弁当は塩をまぶした握り飯程度であ

ろう。掘り払いの当番も、ぼたもちを励みに仕事を進めたのかもしれない。このぼたもちを用

意したのは農家のかみさん連中であろう。ともかく、大変だが、大切な掘り払いという仕事を

地域の農民が協力して行ってきたという記憶がこのぼたもち堰という名前の中に残っていた

のである。

2009年12月31日 (木)

炭焼きじいさん

2009/12/31

炭焼きじいさん

幼少時の記憶に、小さな古墳のふもとにあばらやがあり長いあごひげのある老人が一人で

住んでいて、何か仙人のような感じがしたことがあった。その老人はいつとなくいなくなってい

た。ある機会に地域の昔話になって、そういえばあそこに炭焼きのじいさんがいたっけという

話が出てきた。終戦前後は、食糧難が続きあちこちで里山の開墾が行われたようだ。開墾で

切った樹木や掘った根をその炭焼きじいささんの所に持って行くと炭にしてくれる。じいさんは

焼いた炭の一部を手間賃としてもらいそれで生計をたてていたようだ。炭焼きに持ち込んだ

人が貰う炭の量はたいした量ではなかったらしい。しかし、雑木林もそれほどの面積はなく、

開墾で炭の原料がいつまでも出ることは無くなってしまったのでろう。確かに、自分が幼少の

頃はあちこちに雑木林が点在しており、そこにカブトムシやクワガタを捕りに行った記憶があ

る。その雑木林は今日は皆無である。あの仙人のようなおじいさんは実は炭焼きのじいさん

であった事を知ったのが自分が老境にさしかかった頃であった。今日の幼い子供達が自分

の事をあのじいさんは何をしているのだろうかと見る事があるのだろうか。平日は子供の姿

を余り見かけない。しかし、お祭りの御輿を放り出して、我が家のムクゲの木に集まるカブト

ムシを、おじさん捕って良いと聞きつつ、捕ることに興じる子供達を見ると、そのじいさんは相

好を崩すのである。どういう訳かムクゲにカブトムシが集まる事を子供達は知っているのであ

る。子供達にそれを教えられた。どうもムクゲはカブトムシが好む汁液を出すようだ。

2009年12月23日 (水)

くすのき

2009/12/23

くすのき

くすのきには色々な思い出がある。自分にとってクスとは多くの事を連想させるキーワードな

のかもしれない。自分が幼少時に育ったワラ屋根の家の北側に父が植えた。どこかにクスノ

キのある家を知っており、それにあやかって自分でも植えたらしい。幼少時代には既にかな

りの大木になっており、その下で遊んだこともあった。夏は日陰を作り涼しさをもたらした。ワ

ラ屋根の古屋も当時ですでに築百数十年になっていたと思われる。雨漏り、すきま風に悩ま

され、古屋の材木と自宅周辺の杉の木を切って新たに家を造った。昔の家は余り釘などを使

わないのでプラモデルと同じようにばらして再利用できる部分は再利用したようだ。こういう方

式も昭和30年代我が家の新築の頃で終わったようだ。自分が会社の持屋制度で家を建てた

ときは全部新材を使った。余り使わない裏庭/バックヤードがあったのでその家は後方に退い

て造られた。従って、クスノキが家の前部に位置してしまった。夏場は涼しさをもたらしたが、

冬の日陰には困った。母は切ろうと言っていたが、父が生存中はとうとう切らなかった。その

後、決心の末か、業者を頼んで切ってもらうことにした。当日、自分は出勤で切る現場にいな

かった。どんな様子になっているかと思いつつ帰宅した。クレーンを入れて切ったので根本か

ら切られていると思った。しかし、枝を払って、上部の半分位を切り取って幹は残っていた。

どういう経緯でそういなったのか。母に聞くと業者が残したようだ。当然母はそれに同意した

ことであろう。ともかく、そのクスノキは何とか生き延びた。すでに、その時からまた十年程経

過した。枝は元と同じくらい伸びてしまっている。しかし、上部を切ったのが原因か、樹幹が横

に太って、ゴツゴツが目立つようになった感じがする。要するに木は上に伸びられないならば

横に伸びようとするらしい。樹木は木の太さに応じて栄養分を蓄えているようだ。枝や幹の上

部を切られたら、蓄えた養分の行き場所がない。樹幹からも芽が出て枝をのばそうとした。

十年ほどでようやくそれも安定したようだ。今後はこのクスノキとどうつき合うべきか。切り取

られたクスノキの一部は彫刻の材料として使ってくれた人がいた。何かの役に立つこともある

だろう。

2009年12月20日 (日)

タイムカプセル

2009/12/20

タイムカプセル

WIKIPEDIAの「日本万国博覧会」の記事によると、大阪万博の来場者数は6421万8770人

であったとの事だ。開催時期は 1970年3月14日 - 9月13日(6ヵ月、183日間) であった。膨

大な人数が特定の展示物を見るという経験をした筈だ。この記事で目を引いたのが二個の

タイムカプセルが作られたとの事。一つは5000年後の6970年に封印が解かれる。もう一つ

は2000年から百年ごとに開封されて保存状態等が確認される。化石、石器、土器等も一種

のタイムカプセルには違いないが目的をもって残されたというより、偶然に残っていたという

に近いだろう。ともかく、今後寿命100年の時代を迎えると一生に一度はこのタイムカプセル

を拝めるチャンスはあるかもしれない。全て予定通りに物事が過ぎれば、二つのカプセルの

中身が照合できるであろう。奇跡に近いのが二つのカプセルの中身が完全に一致する事で

あろう。最も残念な結果はこの二つのカプセルそのものや情報すらも完全に消滅してしまう

事であろう。100年毎の開封は情報の伝達と言う点でも不安が無くはないであろう。50回のリ

レーが必要だが、その時間間隔がリレーの情報、リレーの物件を確実に伝えるのに適切で

あるかという問題である。伊勢神宮は20年毎に式年遷宮を行っている。丁度始まった頃の人

間の寿命の半分程度の長さのように思われる。世代間のタッチゾーンが半世代ある事によ

り、情報、物資等の引継が滞りなく行われることにより、原型が保存されているようだ。

万博のタイムカプセルとは別に人類のタイムカプセルを作ったらどうであろうか。50年毎に当

時の最新技術で第二のカプセルからコピーを作り、それを世界の博物館に配布する。代N号

のコピーは代(N-1)号までのコピーを参照して第一の原カプセルの正確な復元を目指す。

100個のタイムカプセルが世界の各地に分散設置される事になる。50世紀後に残る確率は

大きくなるであろう。何かDNAによる種の保存のような感じがするが。このようにすれば、国

が滅び、文明が移動しても20世紀の記憶が伝えられるかもしれない。ともかく69世紀まで人

類の歴史を正確に残す仕事はチャレンジに値するだろ。しかし、残すに値する物は何であろ

うか。

2009年12月15日 (火)

消防ポンプ

2009/12/15

消防ポンプ

自分が小学生頃には既に消防署には消防自動車が配備されていた。しかし、エンジンスター

トは今日のバッテリーから起動する方式でなく、クランクというのか起動用の鉄の棒をエンジ

ン部に突っ込んで手動で回して起動していたようだ。消防隊員が整備をしているのを学校の

帰りに見物していたのを覚えている。火事の時は近くの火の見櫓に登って半鐘を叩いたのだ

と思う。今は半鐘がサイレンになっている。戦前の消防活動はどうであったか当時のことを覚

えている人に聞いたことがあった。当時は既にエンジンポンプがあったが、自動車を配備す

る程豊ではなかった。従って、エンジンポンプを大八車のような車に積んで火事現場まで引っ

張ったとの事である。ホースはホース専門の別の車があったとの事であった。エンジン運搬

用人力車とホース運搬用人力車が二台で今日の消防自動車の役割をしていたとの事であっ

た。ジャンジャンと半鐘が鳴るとこの二台の車が出動する。一般の人も出てきて車を引っ張

るのを手伝ったとの事で、ある程度のスピードは出たのであろう。この話を聞きたかったの

は、ある沼で得体の知れない牛のような声が聞こえて皆が気味悪く思いその正体を突き止

めることになり、その時に消防ポンプが出動したという伝承話を聞いた事があったからであ

る。水をかい出したあとからから、ウシガエルが発見されたとの事である。これは、戦前に食

用に導入された外来種の大きなカエルであるが、当時はだれもウシガエルの事を知らなかっ

たので大騒ぎになったようだ。この黄色い表皮のウシガエルを捕獲して、自宅でちょっと飼っ

ていざ様子を見たら周囲の土と同じ茶色に変色していたという話しも一緒に聞いた。ともかく

地域にはそこに生活している人でないと分からない記憶が沢山あると実感した。

2009年12月12日 (土)

心臓移植

2009/12/12

心臓移植

人間の生命観、死生観は時代と共に変わって行くのかもしれない。自分の命を自分はどのよ

うに感じ、どのように理解するかも時々に変化しているように思われる。人間の生死を司る心

臓疾患の治療は医学の大きな目標の一つであったと思う。自分が青年時代に入る約40年前

に日本で初めての心臓移植手術が行われた。以下に心臓移植に関するWIKIPEDIAの記事

を要約すると、
○ヒトへの最初の心臓移植の試み:1964年にミシシッピー大学病院のジェームズ・ハーディ

によってチンパンジーの心臓を移植。移植した心臓が90分しか鼓動せず、失敗に終わった。

○世界初のヒトからヒトへの心臓移植:1967年12月3日に南アフリカのケープタウンでクリス

チャン・バーナードによって行われた。世界初の移植を受けた患者は移植18日後に免疫抑

制剤の副作用による肺炎で死亡した。バーナードは翌年にも移植手術を実施し、この時には

患者を19ヶ月延命させることに成功した。

○1968年8月8日に日本で初めての心臓移植が、札幌医科大学で実施された(和田心臓移

植事件)。日本初、世界で30例目となる。 手術後83日目の10月29日に食後に痰を詰まらせ

長時間にわたる蘇生術の甲斐もなく呼吸不全で死亡したと医師団により発表された。

○2006年現在で世界中で30年間に4万6千例以上が行われている。

○1999年に日本国内で3人が移植を受ける。30年あまりを経て2回目の心臓移植が実施された。

ともかく、最初の心臓移植が行われてから次の移植が行われる期間が短かったといいう事

は、心臓移植を行う環境が揃ってきたという事であったのか。日本における心臓移植の件数

はデータを見ると極少ない。日本初の心臓移植が不幸な結果に終わった事のトラウマがまだ

残っているということなのであろうか。

一方では、「心臓発作で破壊された組織の一部を、結合組織細胞から誘導された幹細胞を

使って修復することに成功したと、米ミネソタ(Minnesota)州のメイヨークリニック(Mayo

Clinic)の研究チームが20日発行の学術誌「Circulation」に発表した。」と伝えられた。iPS細

胞を使った再生医療も現実性が高まってきた。「同じ成人の皮膚組織を培養の“足場”として

使い、新型万能細胞(iPS細胞)を作製することに京都大の山中伸弥教授のチームが成功

し、米科学誌プロスワン電子版に2日発表した(2009/12/02 11:50   【共同通信】)。」

更に一方では、
「<川崎協同病院事件>医師の有罪確定へ 最高裁が上告棄却
12月9日11時40分配信 毎日新聞

川崎協同病院(川崎市)で98年、気管支ぜんそくの発作で意識不明状態だった男性患者

(当時58歳)の気管内チューブを抜き、筋弛緩(しかん)剤を投与して死なせたとして、殺人

罪に問われた元同病院医師、須田セツ子被告(55)の上告審で、最高裁第3小法廷(田原

睦夫裁判長)は7日付で被告側の上告を棄却する決定を出した。殺人罪の成立を認め懲役

1年6月、執行猶予3年とした2審・東京高裁判決(07年2月)が確定する。

終末期医療を巡り医師が刑事責任を問われた事件で、最高裁が判断を示すのは初めて。」

と報じられた。

ともかく、医療を受ける受けない等に全て個人の自己決定の原則を適用する事は困難であ

ろう。また、医療が進歩する為には新しい技術等に挑戦する必要もある。結果が不調で殺人

罪に問われるようではリスクに挑戦する意欲も萎えてしまう。今思うと、40年前の心臓移植手

術すら軽々に判断できない悩ましい問題であり続けているようだ。「1968年12月、和田心臓

移植は大阪の漢方医らによってついに刑事告発される。1970年夏に捜査が終了し、告発さ

れた殺人罪、業務上過失致死罪、死体損壊罪のすべてで嫌疑不十分で不起訴となった。

(WIKIPEDIA)」もし、この刑事告発で白黒の判決が出されていたら、日本の医療は氷河期

に入ってしまっていたか、それともより進歩していたのか。医療を施す側も医療を受ける側も

大きなジレンマに挟まれて身動きできなかったのが今日の結果なのか。

2009年11月27日 (金)

借り物の返済

2009/11/27

借り物の返済

子供の世界ではビー玉やメンコがやりとりされていた。その数は精々ズボンのポケットに入る

程度である。友達と遊んで少しポケットがふくれると何となく幸せな感じになった。ビー玉やメ

ンコは子供のコレクションでもあり、財物でもあった。大抵のゲームは手持ちの財産がゼロに

なるまでやらない内に飽きて終わってしまったと思う。ともかく相手の数と自分の数を合わせ

れば一定で不変である。ゼロサムの世界である。手持ちの財産が無くなった事を知るのは子

供がてらにゼロの発見にも通じるのだろう。手持ちの財産を全て相手に渡してしまえば倒産

と同じでその先がない。そこで相手からその財産を借りてゲームを続ける事もできる。ここ

に、新しい関係が生じる。結局借財は数字の上ではマイナスの数という概念に通じていたよ

うだ。マイナスの数を持ち込んでもゲームの世界ではゼロサムに変わりはない。しかし、現実

の人間の行為と言う点では勝ち負けという因果関係が生じてしまう。結局ゲームが終わった

時の精算が問題になる。リーマンショックも貸し借りの関係で実態以上に取引金額が膨らん

で、そのゲームのルールがどこかおかしいと気付かれたときに発生したのであろう。ゲーム

の参加者が余りにも多く、その金額も巨大であり、一人一人のゲーマーもそのゲームの構造

を理解できなかった。結局多くの人々がマイナスというジョーカー(ババ)を掴まされて、わず

かの人々が潤った。ある時、それも相当以前の事であるが、福田赳夫の幼少時代の逸話を

ラジオか何かで聞いた覚えがある。福田赳夫は少年時代ランプのほやを掃除する仕事を言

いつけられていたとの事である。ところが、福田赳夫少年はこの仕事が余り好きではなかっ

たらしい。くだんの如くビー玉やメンコで勝った時、福田赳夫少年はそれを負けた少年に分け

与えて、代わりにランプのほやを掃除させたという事であった。こうすれば、また同じ遊びが

できる。この話にはうーんと唸ってしまった。確かに並の少年を越えていたのであろう。

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嗚呼 伊勢崎 非情

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)