01C_残照雑記

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2009年10月13日 (火)

ジラード事件

2009/10/13

ジラード事件

1957年(昭和32年)、当時の相馬が原米軍演習地で、薬莢を拾いに入った主婦が米兵に射

殺された事件である。米兵が引き起こした事件は色々あるが、この事件は自分の県内で起

こったので衝撃を受けた。このような問題の原因をたどれば、戦争、敗戦、米軍の駐留という

連鎖の中で起こったのであろう。当時のニュース映画をネットで見ると、薬莢を拾うにも競争

があり、たこつぼを掘り、まだ熱い内に手袋をはめて競って拾うような状況であったという。こ

の事件が起きてから、上空に大型の軍用ヘリコプターが頻繁に飛び交うようになったのに気

付いた。それまでは、相馬が原に米軍演習地があることなどほとんど気になっていなかった。

事件が起きてから事の本質を理解するようになったのだ。現在もヘリコプターが上空を飛ぶ

とつい空を見上げるが、航路が曲がる小型なら報道用かと思ったりするが、大型ヘリが一直

線に飛行するのを見るとふと当時の大型ヘリの事を思い出すのである。

2009年10月11日 (日)

洞窟観音

2009/10/11

洞窟観音

遠方に住む高校時代の友人とドライブに出かけた時に偶然立ち寄った記憶がある。既に一

昔も二昔も前の事である。洞窟観音は、実業家山田徳蔵氏が私財を投じて大正8年着工、

昭和39年に完成させたものであるという。30才余に建設を発願し、亡くなるまで50年掛けて

掘ったとの事である。拝観したときはこんな事情は知る由もなかった。しかし、薄暗い洞窟内

に並ぶ観音像を観ると不思議な感覚にとらわれた。何か母親の母胎の中に還った感じでも

あった。観音様の功徳というのであろうか。洞窟の薄暗いという不安と恐れの中に、それを克

服させる不思議な元気を与えた。洞窟という頑強なシェルターが生身の人間を守ってくれると

言う安心感も生まれるためか。観音信仰は日本人の最もポピュラーな信仰心の現れなのか

もしれない。知りたい事は、はなぜ洞窟を掘ってそこに観音像を安置しようとしたのか、発願

の真の動機・理由である。仏教はシルクロードを経て日本にもたらされた。シルクロードには

多数の洞窟に石仏が掘られているとの事だ。シルクロードの洞窟の石仏に思いを馳せて作

ったのか。伊勢崎の探検家である矢島 保治郎は明治の末にチベットへの探検旅行を決行し

た。一度、帰国してまた直ぐにチベット入りを果たした。最後にチベットから日本に帰国したの

が1918年(大正7年)10月であるという。当時の事は良く分からないが、三十代の山田徳蔵

氏が矢島 保治郎のニュースを耳にして世界に夢を馳せた可能性も無くはないであろう。

2009年10月10日 (土)

迷信

2009/10/10

迷信

幼少の頃乳歯が抜けたとき、屋根に向けて投げた記憶がある。調べてみたら、永久歯が順

調に伸びることを願って下側の歯は屋根に、上側の歯は縁の下に投げるらしい。乳歯が最

初に抜け始めるのが6才頃との事で、6才以降の記憶であろう。当時の家は縁側にもすき間

があったので、そこに抜けた歯を入れたかもしれない。こういう風習は迷信と思っていたが、

理由を調べると合理的な意味もあるようだ。今日では歯科医に行くのは子供でも当たり前で

あるが、終戦後は子供が歯科医に行くのは虫歯が痛む時くらいだったかも知れない。歯列の

矯正等は夢のような治療であったと思う。そう言う点で、自分の歯列も無修正のままだ。笑う

と歯列の乱れが見える。これも個性の一つか。思うに、理想な姿を追求すると、スーパーの

野菜のような無個性の物が跋扈するようになりかねない。マイケルジャクソンは以前から見

ると大変身したと聞いた。全く無関心の分野で何のことか分からなかった。説明を聞いて納

得した。変身願望も人間に備わった基本的な願望であるようだ。凡人は程々が良いようだ。

2009年10月 9日 (金)

置き薬

2009/10/9

置き薬

富山の薬売りで有名である。いつごろから我が家で置き薬を使いだしたのか定かでない。常

備薬は買い取りで買っていたのではないかと思う。幼少時に大きな黒い風呂敷を背負った薬

売りが来たという思い出はある。正露丸、毒掃丸等が茶箪笥の隅にあった。使った分だけ支

払うという置き薬方式は意外に新しいのではないかと思う。一時、二つの業者が入っていた。

いつしか、一つの業者だけになっていたが、残りの業者ともついに縁が切れてしまった。年数

回、薬の入れ替えに来るが、ここ数年ほとんど使わなくなり申し訳なくなったのが実状であっ

た。薬箱は引き取れないというので空の薬箱が残っている。

2009年10月 8日 (木)

バリカン

2009/10/8

バリカン

頭髪を丸刈りにする道具であるが、自分では使った事がない。高校卒業までは母がバリカン

で髪を刈ってくれた。父の髪を刈っているのも見た。自分の髪はどうしていたのか。明治4年

の散髪脱刀令、明治6年の徴兵令で徴兵された兵士の髪が丸刈りにされた事が丸刈りの普

及につながったようだ。我が家の先祖も文明開化の風潮に乗って早速髷を落としたと叔父さ

んに聞いたことがある。その後の髪型が坊主であったのか、長髪であったのか聞き忘れた。

バリカンが普及し始めたのが明治の初期だったようだ。自宅にバリカンが無かった頃は床屋

に行っていたような記憶もある。振り返ると自宅でバリカンを買ったのは終戦後からしばらく

たってからだったようだ。大学以後は長髪で、理容店に通った。長髪にしてから、丹頂のチッ

クを使った記憶がある。発売年:1933年でまだあるらしいので、もうすぐ喜寿を迎えるロング

セラー商品であろう。発売メーカーが今日のマンダムとのことなので、チックの後にもお世話

になっていたようだ。

2009年9月29日 (火)

折伏教典

2009/9/29

折伏教典

大学の頃だったろうか、かつての友人が我が家を訪れた。どうも宗教がらみであったようだ。

折伏教典という本を示されたと記憶している。大学に入り、受験勉強から解放されて、ふと来

し方行く末を思うとなにがしかの不安を覚える。大学のキャンパスは学問だけではなく、会社

や宗教等の関係者が暗躍する場所でもあったようだ。当然、前衛的な学生団体も活動してい

た。こちらは、ビラとスピーカーの大音声で一般学生を折伏しようとした。自分は宗教活動に

も学生運動にも共感は出来たが積極的に係わる気持ちがしなかった。親父が汗水流して稼

いでくれた金と奨学金だけでこの四年間の学生時代を送らねばならないと考えると当時のノ

ンポリが自然の選択であった。今自分がやるべき事があるのである。自分の理想としては大

学とは講義や実験も普通の人間に無料で開放される事である。皆さん自由に入って下さい。

暴力と喧噪はお断りです。大学は健全な知的バトルの場です。自由に論争・研究・学問をし

て下さい云々。しかし、現実の大学は象牙に塔にもなれず、算盤の上に乗っているような危う

い存在だ。今日も学園紛争時代と同様に大学が活力と目的を失いかけているようにも思わ

れる。青年層の人口が減る。大卒のレッテルもかつて程の効能が薄れた。学ぶ事への疑

問。それなら信じてしまえ。しかし、学ぶことの第一歩は疑うことから始まる。信じる事に迷う

事はあった。キリスト教では無教会派の矢内原忠雄、南原繁に興味を抱いた事もあった。し

かし、宗教と信仰は別物であろう。まだ結論が出ていない。施設、組織、規律という外的な見

える要因が宗教にはつきまとうがそういうものは誰にでも見えるが、誰にも見えないか、極少

ない人にしか見えないものもある。そう言う、どうでもよさそうな事も一人の人間にとっては無

上のものかもしれない。そのような人の心を思うこともなく、これが最高の真理だと押し売りさ

れるのはうんざりである。当時、その団体の選挙運動が自転車とメガホンであったのを思い

出した。それと同じ様な運動を昨今の大政党がやっている。小さいことは良いことだ。原点に

返ることはもっと良いことなのかもしれない。

2009年9月 8日 (火)

古墳

2009/9/8

古墳

今日まで残っている古墳は千数百年の歴史の波を乗り越えてきた。幼少時の記憶にも古墳

の姿が残る。しかし、それは雑木や茅が生えていた遊びの場としての里山としてである。その

一つの古墳のふもとにあばらやがあり老人が一人で住んでいた。記憶が定かではないが長

いあごひげがあり、周囲の雰囲気も含めて何か仙人のような感じがした。多分話しもせずお

互いに遠くから存在を認めあっただけだとおもう。終戦直後の事で家を失い縁故を頼って疎

開してきた人がいた。我が家の蚕室にも一時疎開してきた人が住んでいた。また、お堂に住

んでいた人もいた。いつとはなくそういう人々の事は忘れていたが、思い出してみるといつと

はなく居なくなっていた。仮住まいであったのであろうか。思うに我が家と言えども仮住まいか

もしれない。古墳からは土器やはにわが出土する。畑のなかにも時々それらの破片がある。

最近県の歴史博物館の埴輪展を見た。立派な埴輪が展示されていたが、古墳と埴輪の関係

がすっきり理解できないでいた。係りの女性に話をしたら担当の説明員を呼んできてくれた。

自分は古墳というのがその地域を支配した人物が死んでから支配者の埋葬施設として支配

者の後継者等が造営したものと思っていた。この疑問を尋ねた。実際はそうではないらしく、

その地域の支配を確立した人物はその時点から、即ち生前から自分の埋葬施設の建設を

始めるらしい。従って、埴輪は支配者が自分の死後の生活を豊かにするために引き連れて

行くものであった。当時の支配者すらこの世は仮住まいに過ぎないと確信し、死後の豊かな

生活を永遠に保証するためには支配権が確立しているときに頑強な古墳をつくり、そこに埴

輪や土器も埋納させる必要があったのだ。支配者の死亡は支配権の終焉である。古墳を強

力に守る後継者がいなくなれば古墳は暴かれる運命にあったのかもしれない。

2009年8月29日 (土)

トイレットペーパー騒動

2009/8/29

トイレットペーパー騒動

1973年(昭和48年)に起きた。生活物資が不足するとなると値上がりに通じる。原油、穀物

も世界戦略商品で価格は常に需給のバランスで落ち着く。そこに、先を見た思惑が働く。急

激な値上がりがはっきりしていれば、安い内に買いだめしておくのは生活防衛の基本的な知

恵である。買いだめに走ったのは家庭の主婦が多かったのだろう。やはり、そこには生活感

覚が反映されていると思う。1960年代の水洗便所化率はまだ10%程度であったようで、一般

家庭ではまだ汲み取り式がほとんどだったのではないかと思う。従って、トイレットペーパー

騒動も余り深刻には受け止めていなかったが、場合によってはこのようなパニックが起こるこ

とを知らせた。最近では新型インフルエンザの国内発生に伴いマスクの不足が一部話題に

なった。店により欠品や販売制限等が生じた。ともかく生活必要物資は適正価格での安定供

給が不可欠である。新型インフルエンザがこの冬に大流行した場合、ワクチンの不足が懸念

されている。ともかく、パニックを未然に防止するためには、まず安定供給を確保する事、次

ぎに正確な情報を提供する事、思惑行動をくいとめる事等があると思う。しかし、準備が不十

分だと分かる情報を流すとパニックは増大してしまう。経済活動は自由行動に基礎を置くが、

パニックを防止するためにはある程度の統制もやむを得ないであろう。

2009年8月28日 (金)

ツイギー

2009/8/28

ツイギー

1967年来日してミニスカートブームを起こしたモデル。小枝のようなという形容がふさわしい

細い脚を見せたミニスカート姿の写真を新聞で見た覚えがある。なにか痛ましい病的なもの

を感じなかったと言えないでもない。TWIGGYが来たからミニスカートブームが起こったのか

定かではないが、それがきっかけとなったのであろう。ブームとは空気を一杯入れた風船の

空気吹き込み口に起こる現象に似ているようだ。戦後二十年を経て、女性の地位も向上し

た。自分の自由に使える金も増えた。しかし、まだ自由な行動を押さえる旧習が残っていた

。色々な混合ガスが風船に蓄えられていた。そんな時に、風船の吹き込み口がゆるんでしま

い、混合ガスが吹き出してしまい、口を閉めることが出来なくなってしまった。しかし、ガスの

圧力が抜けるとブームは去ってしまった。女性達は、老いも若きもこの偉大な社会実験で自

分の資質を認識したのではないか。流行は作る物、大衆は操作する物。遡ればナチの宣伝

戦略に通じるところがあったようだ。マーケッティング戦略により振り子は大きく動かされた。

しかし、その振り子は自然に止まってしまったようだ。価値の多様化である。所詮作られた偶

像と自分は別物である。大根脚でもニンジン脚でも一度出して度胸をつけた。そんな中で、

みんなと同じではダサイという風潮も定着した。流行の逆を行くのが自分を主張するには適

う。流行の規模もダウンサイジングの時代を迎えているようである。

2009年8月22日 (土)

方向指示器

2009/8/22

方向指示器

車の進行方向を示すのに方向指示器は必須の装置である。その方向指示器も昔は手動で

あった。実際に使った記憶は無いが、機械式の操作で左右にある方向指示棒がぴょこんと

横に出るようになっていたようだ。自動車の教習所では手で進行方向を示す方法が教えられ

た。これは方向指示器が故障した時の対処法であった。交通信号機もまだ設置台数が少な

く、交通整理もお巡りさんが手動で行っていた。その後は、ランプを自動点滅させて方向を示

す方式が普及した。ランプの自動点滅にはリレースイッチが使われていた。ある時、左右の

点滅時間が一致せず狂ってしまった事があった。リレースイッチの開閉速度が変わるという

完全な故障の一歩手前の故障であった。まだ、リレー式の方向指示器は多く現役で使われ

ているようだ。品質、コスト的に安定しているのだろう。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

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嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)