01C_残照雑記

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2008年11月29日 (土)

有線放送電話の終焉

2008/11/29

有線放送電話の終焉

一般の電話が普及する以前に有線放送電話が導入されていた。有線放送電話の開通以前

は電話は商店とか地域の中核となる家にしかなかった。従って、緊急連絡は電報や「呼び」

電話といって電話のかかってきた家から連絡をとりたい家へ呼び出しをして貰うのが一般的

であった。有線放送電話は放送と電話を兼用したシステムであり、電話の普及の先駆けであ

った。WIKIPEDIAによると、

「有線放送電話(ゆうせんほうそうでんわ)は、農業協同組合(総合JA、専門JA)・漁業協同組合・市町村などの地域団体によって設置される、日本の地域内の固定電話兼放送設備。一般には「有線放送」「有線電話」「有線」と略される。」、

「1960~1970年代(昭和30~40年代)にかけて、日本電信電話公社の一般加入電話が普及していない農林漁村で、市町村地域内の放送業務・地域内の音声通話等を行い、生活改善をする目的で設置されていた。形態は言わば、アナログ音声専門の地域LAN。」

と述べられている。放送内容はプログラムに従った定時放送と緊急・臨時放送があったよう

だ。定時放送は今日のコミュニティ放送局と同じような地域や加入者密着の番組を流してい

た。時には音楽も流れた。電話は放送時間以外の時間帯にする。NTTの回線に接続できた

のか定かではない。有線放送電話が利用されたのが、いわゆる「神武景気」が到来した昭和

30年代であり、同31年には、「電化ブーム」が起こり、『経済白書』に、「最早戦後ではない。」

と謳われた時代であった。経済が豊になると公社の電話が急速に普及してくる。そうして、大

多数の家庭に電話が普及する頃になると有線放送電話はお荷物となってしまう。有線放送

電話がいつ終焉したか定かでないが、個々の家庭レベルでは電話が入った時点で有線放送

電話の役割は終わっていたのであろう。今では、有線放送電話はほとんど忘れ去られて、電

線を張った数本のコンクリート柱が残っているだけである。コンクリート柱の由来さえ分からな

くなりかけている。

2008年11月13日 (木)

沼の弁天島の役割は?

2008/11/13

沼の弁天島の役割は?

稲作は地形と気候という条件を克服しつつ広がっていった。稲作の歴史は日本の社会発展

の歴史でもあったようだ。稲作の水が不足する地域では沼を掘り、用水路を造り水を田に導

く。旧伊勢崎市北部に位置する殖蓮地区は水田に適する低地部と畑作に適する丘陵部が適

度に混在する地域であり、水田開発のためいくつかの沼がある。その沼の中に弁天島という

人工島が作られている。最近市の農地関係の仕事をしていた人からその弁天島の役割につ

いて非常に興味がある話を聞いた。波志江沼環境ふれあい公園の中核を成す波志江沼は

灌漑用の沼として開発された。沼の中に弁天島がある。公園整備に伴い弁天島の修復を行

ったとき、その弁天島は土を何層にも突き固めて非常に強固に作られていたのが分かった

そうである。いわゆる版築という築造方法が使われていたようである。これは弁天島が波に

浸食されないためである。それでは弁天島の本当の役割は何であったか。水や農業の守り

神である神を祭ってある。波志江沼の弁天島には鳥居が立っている。実はもう一つ重要な役

割がある。沼は広く、障害物が無ければ風が吹くと勢い良く突き抜けて沼の表面に波が立

ち、その波が沼堤にあたり堤を浸食する。堤が崩れれば沼の機能は維持できない。即ち弁

天島は風切り、風を和らげ、風の造波作用を弱め、最終的に護岸作用をさせる機能を持っ

ていたのだとの事だ。昔の人の知恵は本当に偉大であったと語っていた。

自分もその話を聞いて先人達の知恵に脱帽した次第である。

尚、殖蓮地区の八幡沼の弁天島は下記を参照。この弁天島には松もはえている。

鯉沼にも終戦後の自分が幼少であったころ浸食されかけた弁天島があったという記憶が

残っている。しかし、現在は跡形もなく無くなっている。大正用水から水が豊富に供給される

ようになり、灌漑用のため池としての役割が相対的に低下して沼への関心が無くなってきた

ためであろうか。残念ではある。

八幡(新)沼の風景

2008年11月11日 (火)

防災訓練と活断層

2008/11/11

防災訓練と活断層

昨日地域の防災訓練が小学校の校庭で行われて初めて参加した。四年ごとに行われる行

事で事故もなく無事終了。主催者側の講評の中で群馬県地域は従来地震の心配はあまりさ

れて来なかったが、近くに断層が走っているので油断はならないという話があった。

調べてみると県の資料によると次の主な断層があった。

(1)群馬県内には、フォッサマグナの東縁とされる「柏崎-銚子構造線」が県土を南北に貫いている。

(2)県内には活動度が高く規模の大きな活断層として、埼玉県から群馬県にまたがる「関
東平野北西縁断層帯」があり、この断層帯は「関東平野北西縁断層帯主部」と「平井―櫛
挽断層帯」からなり、関東平野北西縁断層帯主部では、今後30 年以内にM8程度の地震が発ることも想定されている。

従って、自然というスケールの長い時計で計ればいつ大地震に見回れても不思議ではないこ

とになる。大きな災害というと先ず関東大震災が思い出される。

関東大震災の大きさは、祖母からの伝え聞きでは、「庭の水がピシャピシャゆれた位地面が

ゆれた(多分雨による溜まり水)」とのことであった。相当な揺れであったことには間違いな

い。父が小学校に入学する頃の事だ。「庭の水がピシャピシャ」云々と気になったので、当時

雨天で水たまりが出来ていたのか調べてみたがまだはっきり分からない。

鹿島建設株式会社のホームページに下記の記載があった。

http://www.kajima.co.jp/news/digest/sep_2003/tokushu/toku01.htmより引用。

警告されていた大火災
 1923年9月1日,土曜日。前夜からの風雨が収まって陽射しも出はじめ,まもなく正午になろうとしていた。11時58分32秒。神奈川県西部から相模湾,さらには千葉県の房総半島の先端にかけての地下で断層が動きはじめた。関東地震のはじまりである。
 東京中心部が揺れはじめたのは11時58分44秒ごろ。昼食時の火の使用と重なって,倒れた家屋から各地で出火し,東京と横浜は大火災に見舞われることになる。」

大地震前夜に風雨があったのは事実のようで、聞き伝えも大筋で正しいようだ。同上の資料

で「能登半島近くに弱い台風があり,地震発生時刻には関東地方でも相当の強風が吹いて

いたのである」とも述べられている。地震の二次災害である火災も強風という気象条件で一

挙に拡大する。前橋気象台ホームページの記事にも群馬県の関東大震災の被害データがま

とめられている。幸い祖母の話も地震の大きさを伝えるだけの昔話ですんだ。調べてみて足

下に潜んでいる自然の猛威についてはあまりにも無知で無関心であったようだ。

2008年11月10日 (月)

父が幼少の頃電灯が点いた

2008/11/10

父が幼少の頃電灯が点いた

父が幼少の時電灯が点いたらしい。これも正式な記録がないので聞き伝えだけである。父は

電灯が点いたとき、「ぱっとついた。ぱっとついた。」小躍りして喜んだとのことである。父にそ

の幼い頃の記憶はなかったとすると、これは父の母の記憶であったに違いない。WIKIPEDIA

によると、「利根発電株式会社は創業当時は上毛水力電気株式会社と名乗り1907年(明治

40年)5月に上毛水電(資本金60万円)で政友会の代議士大岡育三らにより発起し翌1908

年(明治41年)12月、東京市京橋区で創立された。」とある。推測だが、市部では明治の終

わりから大正の始めにかけて電灯が普及し始めたようだ。それ以外の村部では5~10年位

遅れて普及したのではないかと推測される。ともかく行灯から電灯への変化は相当大きな変

化であったに違いない。その変化がいかに大きくてもいつしかそれがあたりまえになってしま

うと歴史の変化を見失ってしまうような気がする。どんなに小さな歴史でも記しておくことには

意義があるであろう。

2008年10月14日 (火)

ぶっちめ

2008/10/14

ぶっちめ

これも、幼少時代の冬の遊びであった。野鳥をしとめる罠の一種であろう。野鳥の餌が少なく

なる冬場の遊びで、理にかなう。用意するものは素材のヒモとナイフ。

ぶっちめのアイディアは餌を食べに来る野鳥を餌場の入り口で捕獲しようとするもの。

入り口に入ったところでかんぬき(閂)に押さえられる仕組みである。

かんぬきをおさえるバネの部分は桑の枝などを使用したので、現地調達である。この桑の枝

にヒモの一端をしばり、ひもの末端にかんぬきとなる棒を縛り付けてかんぬき外す作動部品

に連結する。この作動部品は一種のロックとセンサーを兼ねている。鳥が餌を食べ始めて

この作動部品に触れるとロックが解除されて桑の枝のバネの作用でかんぬきがばたんと下

がり鳥が捕獲される。鳥を引き寄せるため餌をまくが、入り口から入るように、餌場を木の枝

を立てて囲う。この枝も桑の枝などを現地調達する。

この仕掛けを作り、うまく働かせるまでの調整が大変である。というより、ぶっちめという仕掛

けができれば、遊びの大半は終わったようなものである。今、思い返すと点々と鳥の足跡が

あり、かんぬきが外れた形跡は見たが、獲物を捕った記憶はない。多分バネの強さが不十

分であったのだろう。ぶっちめはかっては半実用的に使用された狩猟技術であったが、その

後は技術の伝承という形で子供の世界の遊びとして残ってきたのであろう。罠という狩猟の

基本要素は全てこの遊びに備わっている。ナイフ一本とわずかな材料で色々な遊びができた

のだ。遊びを通して知らず、知らずに生活の知恵も学んだようだ。

2008年10月13日 (月)

魚の手つかみ

2008/10/13

魚の手つかみ

ある結婚式で来賓のあいさつがあり、魚の手つかみのたとえ話をしていた。要は魚の手つか

みをするとき、手の温度と魚の温度が違っていてはうまく行かない。夫婦間の微妙な温度差

を克服することの大切さを気付かせてくれた。自分より年輩の方なので魚の手つかみにも親

しんだのであろう。こういう、話が出きる人は魚の手つかみからも人生の知恵を修得していた

のだなと感心させられた。

自分も幼少時代は魚の手つかみが好きで良く小川に出かけた。誰に教えられたか思い出せ

ないが、魚の手つかみは魚の動きが緩慢になる真冬にするのである。

母はそんなに魚とりが好きかいと言い心配してくれた。

裸足でズボンとシャツをまくり上げて川の中に入り、魚が潜んでいそうな物陰にそっと両手を

入れてつかむのである。鮒などが獲れた記憶がある。しばらく水に入っていると意外に川の

水の冷たさは感じなくなる。しかし、魚と自分の手の温度差まで思い至ることは無かった。

魚の手つかみのおもしろさは、ここを狙えば魚がいる、それをつかむには手をこう回して

云々と自分の思うとおりにならない獲物をとる技術とスリル感にあったようだ。

それこそ、とり逃がした魚は大きかったのであった。遊びが面白く病みつきになると寒さなど

忘れてしまう。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)