01C_残照雑記

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2009年7月 8日 (水)

寄生虫

2009/7/8

寄生虫

かっては、寄生虫にかかる例が多く、学校で検便をした記憶がある。便を採取して学校へ持

って行く。寄生虫の卵を検出して寄生虫の有無を調べて対策したようだ。自分も腹痛を起こし

たことがあり寄生虫が原因であった可能性がある。虫下しの薬を飲んだ記憶もある。ともか

く、人糞も肥料として使われていた時代が自分の幼年時代にあったのだ。自分のおなかにサ

ナダムシを飼っている学者の本を読んで仰天した事があった。しかし、そのサナダムシも現

在では人体に戻るまでの生活サイクルが断たれてしまって絶滅の危機に瀕しているようだ。

ノミ、シラミに関しては頭髪にDDTをかけられたという話を聞いたことがあるが、自分にはそ

の記憶がない。ノミ、シラミにとりつかれた経験はある。ともかく、自分以外の生物から色々な

攻撃を受けて、人体の方もそれに対応せざるを得ないので何らかの抗体等の防御システム

が働きやすかったのは事実かもしれない。終戦直後の学校生徒の写真等を見るとメタボ症

状の顔はほとんど見当たらない。それよりもやせ気味に見える。食料や栄養分の不足ととも

に摂取した栄養分を寄生虫と分け合っていたのであろうか。寄生虫は究極のダイエット手段

かもしれない。ともかく寄生虫が人体に棲息するようになったのは人類の歴史に匹敵する長

い時間がかかっていると思う。寄生は実は共生だったのか。気になるところだ。

2009年7月 3日 (金)

稚蚕飼育所

2009/7/3

稚蚕飼育所

養蚕が盛んであった頃、小さな蚕を共同で飼う稚蚕飼育所が作られた。農業に於いては、管

理の合理化という見地から、発育初期と中期及び後期を分離する傾向があるようだ。数は同

じでも、その量の差が大きくなる。また、幼齢期の管理は細かな配慮が要る。また、万一失

敗すると後続の仕事に大きな支障を及ぼす。稚蚕飼育所は養蚕農家が組合を作り出資して

建設・運営を行った。稚蚕飼育というと細かな仕事が多い。従って実務は各農家の女性が担

当したようだ。聞いた話によると、皆負けん気を出して我先に仕事をこなしたとの事である。

そういう点で、共同作業だから手抜きや楽をしようとする事は無かったようだ。やはり、養蚕

で一家を背負っているという気概があったのだろう。また、蔭であれこれ言われるのを嫌った

のかも知れない。地域により養蚕の衰退とともに稚蚕飼育所も組合も解体されているよう

だ。しかし、往時の記憶を語るようにひっそりと残っている場合もあるようだ。これも地域産業

の遺産かもしれないがいつまで残るのか気になる所である。

2009年6月16日 (火)

幻の果実

2009/6/16

幻の果実

幼少の時、小さいが甘くこりこりしたような果物らしいものを食べた記憶がある。珍しい食べ

物で何回も食べた物ではない。当然地元で沢山採れる物でもない。これが、何であったの

か、誰がくれたのかも分からない。思い出そうと試みるがその手がかりが無い。しかし、記憶

の最下層にたしかに何かが残っている。中国の残留日本人孤児も親を訪ねてもかすかな記

憶の中にしかないことを思い出そうとするとしたら更に大変な事であろう。ある日、園芸品の

カタログを漠然とみていたら、ひょっとしたらこれがその幻の果実ではないかというものに出

会った。ケンポナシとい名前であった。インターネットで調べると自分の記憶と重なる部分が

ある。これがそうであったのかと確認するには手にとって食べてみる以外にない。しかし、食

べてみたとしてもどんな価値があるのか分からない。こういうものも食べたんだと確認するた

めにだけでも食べたい気もするのだが。

2009年5月16日 (土)

白丁花

2009/5/16

白丁花

一発で漢字変換ができた。しかし、あの花は何という花かと思い出すのに苦労する花であ

る。かって、我が家の坪山の生け垣になっていた。そこに赤い鮮やかな霧島ツツジが咲い

た。その坪山は今は無くなったが、当時の白丁花と霧島ツツジと思われる株が今日まで健在

である。樹高1メートル足らずだが、樹齢は50年以上となっていると思われる。大きくなること

もなく小さくなることもなく、何とか毎年花を付ける。植木としては理想的な状態である。しか

し、その存在感が余り感じられない。時に名前を思い出し、時に忘れるのもそのためであろ

う。庭木の古参格であるのには間違いない。ともかく、そこのそれがあるから何かを思い出す

手がかりとなるのである。人間忘れたくない事も忘れるのが常であり、その逆に早く忘れたい

ことはなかなか忘れられない。毎年、あまり馴染みはないが知らないこともない小さな花が庭

先に咲くのは小さなぜいたくなのかもしれない。

2009年5月14日 (木)

戦後の共同風呂

2009/5/14

戦後の共同風呂

終戦後の一時期、町内の数カ所に共同風呂があった。どういう経緯で作られたのか改めて

調べたわけでもない。その周辺を遊び場にしていた。終戦後で、物資が乏しく農村地帯で仕

事後に風呂を沸かして入るのも大変なので外風呂があれば便利だという事になったのだろう

と推量する。その風呂に入った事は覚えていない。自宅の風呂当番で水くみをした事も覚え

ているので共同風呂が利用された期間は余り長くはなかったようだ。結局無いよりましだとい

う判断で作られたのだろう。若いご婦人方は恥ずかしい思いをしたらしい。その後内風呂が

普及して共同風呂の必要性も無くなったのだろう。当時、水道も無かったので井戸を掘った

のであろうか。湯を沸かしたのは電力であったのだろうか。いくつか知りたいことが出てくる。

ともかく、町内や隣組は何らかの協力が必要だ。生活や経済が豊でなければその協力も有

難味が大きくなる。従って、共同風呂があったという事は地域の人々が生活水準の向上のた

めに協力したという歴史を示していることになる。既に施設そのものは跡形もなくなっている。

ひょっとするとこういう施設をつくるのに行政の指導や補助があったのかもしれない。

2009年3月 6日 (金)

トレンチャーの処分

2009/3/6

トレンチャーの処分

もう十数年以上動いていないトレンチャーが我が家の軒先に鎮座している。ごぼうを掘るた

めに数名が共同で買ったものである。買った当事者の過半は故人となっている。いずれ処分

をしなければ仕方がないと思いつつ時が過ぎた。ようやく最近関係者の全員から処分の了解

がとれた。ごぼうは作ったが真っ直ぐなのができなかった、作ったのを売った事があるといく

つか過去の話を聞いた。ともかくごぼうを本格的につくろうとしたが、自然にその活動は消え

ていたわけである。一時、鉄鉱石の買い付け価格が高騰したと報じられ、屑鉄屋が回収に回

ってきたが不景気で今はその声も聞かない。このトレンチャーもしばらく処分を免れそうだ。

2009年2月16日 (月)

父が播いた青桐の種

2009/2/16

父が播いた青桐の種

父が中国旅行をしたとき青桐の種を持ってきた。それをまいたら芽が出て大きく育った。葉

が大きく落葉樹なので冬になると片づけるのに手間がかかる。あるとき、父が植木の支柱

に、その青桐の枝を地面に打ち付けて使った。ところがその枝から芽が出て木として育ち始

めた。原木は場所が悪いので何回か切りつめて、最後に1.5m位に切りつめたところで枯れ

てしまった。結局、現在は父が本命とした植木の傍らこの2代目の青桐がぐんぐん育ってい

る。この青桐をどうしたものかと気に掛けている。この青桐は枝をさせばすぐ根が生える位生

命力が強いようだ。何本か挿し木をして列植したがそれが大きくなり切り倒した記憶もある。

一体、何をやってきたのかと悔やまれる。もう一度挿し木をして3代目を作り、2代目を切り倒

そうとも考えているが、これがベストの選択か気になる。この青桐は樹皮が緑色でつるつるし

ていてきれいである。育つのも早い。夏の日陰作りには適するであろう。落ち葉の処理に問

題を残すが、積極的な利用法はないものか。昔は桐の木を屋敷に植えて、子供が結婚する

ときにその桐の木を切り、箪笥を作り子供に与えてやったらしい。樹木も箪笥も要らない時代

になってしまった。

2009年1月22日 (木)

天道念仏行事の廃止

2009/1/22

天道念仏行事の廃止

今のこっている記憶と言えば、太陽が昇る朝から沈む夕方まで一日中「ナーンマーハイ ダ

イハンブ」と唱えつつ鉦(かね)を叩く町内の行事であった。子供達も交代で鉦たたきをした。

<てんとうねんぶつ>といった。この行事もいつしか廃止されてしまった。<ねんぶつ>が宗

教だから町内で行うのはおかしいという議論もあったのかもしれない。自分も鉦を叩きに会

議所に行ったことを覚えているがこの行事の意味や由来は分からない。「ナーンマーハイ ダ

イハンブ」と唱えている言葉の意味も分からない。太陽を中心とする天(自然)の運行が順調

であり、五穀豊穣を願った行事であったようだ。従って「ナーンマーハイ ダイハンブ」とは願

い事がかないますようにという呪文ということになるのだろう。これが仏教の「南無 阿弥陀

仏」と関係するのかも知れない。WIKIPEDIA の「念仏」の踊り念仏の

項に

「踊念仏
踊念仏(おどりねんぶつ)とは、太鼓・鉦(かね)などを打ち鳴らし、踊りながら念仏・和讃を唱えること。 その起源は平安時代中期の僧空也にあるといわれる。

鎌倉時代、時宗の一遍が信濃国の伴野(長野県佐久市)を訪れたとき、空也に倣って踊念仏を行った。同じ時期に九州の浄土宗の僧・一向俊聖も一遍とは別に踊念仏を行った。それ以来、時宗・一向宗(一向俊聖の系統の事で浄土真宗とは別宗派、後の時宗一向派)の僧が遊行に用いるようになり全国に広まった。

一向俊聖より興る天道念佛(もとは天童念佛と書いた)。」

天道念仏の時に太鼓を叩いたかは定かでない。地方により天道念仏踊りという形で残ってい

る無形文化財もあるようだ。ともかく「天道念仏」という行事が始められてから終焉するまでの

歴史を辿ってみると、干魃、洪水、飢饉等人力で対処できない自然の猛威があり、それに対

処するために「天道念仏」が行われてきたのではないかと思われる。今日、科学や社会の進

歩で自然の猛威は克服されてきている。「天道念仏」という行事の御利益は不要になった。

振り返って見ると、「天道念仏」という行事は過去の自然の猛威を伝え、万一そのような自然

の猛威が再来した時に、地域の住民が共同で対処しようとする社会的な機能を持っていた

のかも知れない。ともかくこういう地域の行事は必然的に住民の参加と交流を要求するであ

ろうから。

2008年12月21日 (日)

古墳盗掘の昔話

2008/12/21

古墳盗掘の昔話

本日は国定忠次が大戸関所にて処刑された日である。嘉永3年(1850)の事である。時と場

所を特定すると歴史が身近に感じられる。聞き伝えの話になると、事実を特定する要素が欠

けるが、永久に消えてしまえば、何も手がかりがつかめなくなる。覚えている事を記す。

故老から聞いた話で、その話も更に先人から聞いた話であった可能性がある。当時の意識

として、古墳を私的に掘ることも暗黙理に行われていたようだ。どうも埋蔵品がお目当てであ

ったらしい。発掘人がいよいよ目的地まで掘り進んだ時に近所の者を集めて何が出るかを

みせたそうである。結局はめぼしい物は何も出ずに終わったとの事である。その古墳は

1955年に正式に発掘調査された。総合的にみて、5世紀後半から末に作られた古墳らしい。

<各棺とも既に盗掘を受け、出土遺物はなかった。>と言うことで、伝えられた話と合致して

いる。古老の話は戦後の正式な発掘以前の私的な発掘であり、その時何も出てこなかった

ので、既にずっと以前に盗掘されていた訳である。従って、その古墳は正式な発掘をいれて

最低でも3回発掘されている事になり、造築されてから約1500年の間には何回も盗掘され

たのではないか。古地図によるとこの古墳には社があった時もある。ともかくいろいろの人を

引きつけてきた遺物であることには変わりがない。ちなみに文化財保護法(昭和二十五年五

月三十日法律第二百十四号)は当時制定されていない。古墳の盗掘は住民に古代人の墳

墓を守るという固い信念がないかぎり避けられないようだ。最近、念のためもう一度盗掘の

話を確認した。聞き伝えの話であった。一度は横穴を掘り進んだが、方向と高さが目的の石

棺とずれていて掘り当てられなかったらしい。結局、何も出なかったことには変わりがない。

2008年12月20日 (土)

畑の出土品

2008/12/20

畑の出土品

ブログの描き始めの頃、「いとしきもの」というタイトルで畑から出てきた過去の遺物について

書いた。石器らしい石、土器の破片、瀬戸物、キセルの頭、鉄片、自分が遊んだかもしれな

い火打ち石...。等々。終戦後は大規模の地域開発が行われ、埋蔵文化財の調査も行わ

れている。大型の建築機材が使われるようになり、ちょっとした古墳程度なら小さな土建屋で

も数日で平地にしていまうほどの機動力が当たり前になっている。ともかく、遺跡も遺物も大

規模の地域開発で大きく破壊されているのは事実であろう。戦前は農地の耕作、開墾等も

ほとんど牛馬の畜力や人力に頼っていたので、遺跡も遺物の破壊も相対的に小さかったと

思われる。叔父さんの話によれば、畑からは、土器や刀のツカ等が出てくることがしばしばあ

ったという。墳墓から出た珍しい形の埴輪等はコレクターがなにがしかの謝礼をして引き取っ

ていたらしい。ただ、そういうコレクターがいたから畑等から出土した遺物が残ったのも事実

であろう。円筒埴輪等何の役にも立たないと割って捨てられていた時代もあった。思うに現代

の人間は千年後、二千年後に何を残すのであろうか。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)