04A_寝言老人が幼少の頃

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2009年11月28日 (土)

おはじき

2009/11/28

おはじき

主に女児の遊びであったが、時には一緒に遊んだ事があった。幼少時の子供達の遊びは多

様であったが、普通は男児と女児は別グループで遊んだ。おはじきはビー玉と同じく勝ち負

けと遊具のやり取りがあったと思う。おはじきの形状は薄いガラスの円盤で製造はビー玉と

大して変わらないと思う。さらにおはじきを大きくした遊びに石蹴りがあった。実際に適当な石

ころで遊んだこともあった様だが、市販のガラス製の遊具をつかった。お手玉も主に女児の

遊びであったが、借りて遊んだ事があった。これは小さな布袋に小豆やトウモロコシの実や

ハトムギの実を入れた物で、母親か祖母が手仕事で作って女児に与えたようだ。遊び方と一

緒に数え歌のような歌も教えたようだ。歌に合わせてお手玉とりをしていた。歌に合わせてお

手玉取りが出来れば子供としては一人前であろう。ともかく女児の遊びもちょっとだけはした

記憶が残っている。男女一緒の遊びには、とうりゃんせ、鬼ごっこ、なわとび等があった。幼

少時にはごっこ遊びが行われるとわれている。ごっこ遊びの代表例は、ままごと 、お医者

、電車ごっこ 、チャンバラ等があるようだ。これは、正に役割シミュレーション遊びであろう。

幼児から少年への変革時期に自我の確立という大きな精神構造の構築が行われる。このよ

うな遊びを通して自己と他者の区別が認識され、自分の役割を自覚するようになるのであろ

う。自分の幼少年期を振り返ると小学4年生の頃から幼年期から少年期に移行しつつあった

ように感じる。 残念ながら、今日の子供の遊びについては良く分からない。しかし、無心に遊

べる時間が減り、遊びも上から、周辺から管理される部分が大きくなっているのでは無いか

と思う。日本では古来、ほぼ12-16歳の頃に元服が行われてきたらしい。この年齢になれば

一通りの生活体験が終わり一人前と見なせたからであろう。小学4年生の頃が丁度元服の

準備期間に相当するようだ。成人年齢を18才に引き下げる事が議論されている。成人の基

本的な要件としては精神的な自立が挙がられるであろう。果たして日本の実状に適うの

か。

2009年11月26日 (木)

ビー玉(改題):寝言老人が幼少の頃:凡人の弱さ・射倖性とギャンブル依存症。091126。

2009/11/26

ビー玉(改題):寝言老人が幼少の頃:凡人の弱さ・射倖性とギャンブル依存症

直径1㎝位のガラス玉である。例外的に標準より大きいのも小さいのもあった。色つきの物や色柄入りの物もあった。従って、色々なビー玉を集める楽しさもあった。この、ビー玉のやりとりがゲームとなっていた。

ビー玉とはやや気取った外行きの言葉で、当時はハン玉と呼んでいたように思う。ビー玉のビーはガラスのビードロに由来するのだろうか。ハン玉のハンは何に由来するのか。ふっと半丁が浮かんだが...。

一番単純な遊びは、交互にビー玉を転がして相手のビー玉に当ててならばそれを自分の物にできるというルールである。これは一種のハンティングゲームのような感じがする。しかし、取り引きできる数量は余り多くはない。

変な名前であるが、丸出しというビー玉遊びがあった。これは、対戦者が地面に描いた円の中に何個かのビー玉を出し合い、自分のビー玉を当てて、円から外にはじき出した物を自分の物にできるゲームである。自分のビー玉が円内に残ってしまったら総負けけで、全部相手の物になったように記憶している。

要するにギャンブル性は大きくなり、それに連れて行き来するビー玉の数も増える。これは一種の共同事業のモデルであるようにも思われる。ようするに出資者は努力をすれば報酬がおおきくなる可能性がある。

更に進んで、売った買ったというゲームもあった。売り手は、自分のビー玉を何個か並べる。もうけるには当たりそうで当たらないように並べるコツが要る。買い手はある決められた距離からビー玉を投げて目的のビー玉に当てると並んだビー玉を総取り出来る。買い手は何人でも可能になる。外れ玉は売り手の物になる。何かパチンコゲームの様に射幸心をそそるようになる。

あるとき、自分が売り手になって買い手のビー玉を全部巻き上げてしまった事がある。買い手は後でナスから玉を貸してくれと言うので貸してやった。それも全部すってしまった。それ以来、こういうゲームは気乗りがしなくなった。ゲームの厳しさを教えてくれた。子供であったから無事済んだが。

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2009/11/26

ビー玉

直径1㎝位のガラス玉である。例外的に標準より大きいのも小さいのもあった。色つきの物

や色柄入りの物もあった。従って、色々なビー玉を集める楽しさもあった。この、ビー玉のや

りとりがゲームとなっていた。ビー玉とはやや気取った外行きの言葉で、当時はハン玉と呼ん

でいたように思う。ビー玉のビーはガラスのビードロに由来するのだろうか。ハン玉のハンは

何に由来するのか。ふっと半丁が浮かんだが...。一番単純な遊びは、交互にビー玉を転

がして相手のビー玉に当ててならばそれを自分の物にできるというルールである。これは一

種のハンティングゲームのような感じがする。しかし、取り引きできる数量は余り多くはない。

変な名前であるが、丸出しというビー玉遊びがあった。これは、対戦者が地面に描いた円の

中に何個かのビー玉を出し合い、自分のビー玉を当てて、円から外にはじき出した物を自分

の物にできるゲームである。自分のビー玉が円内に残ってしまったら総負けけで、全部相手

の物になったように記憶している。要するにギャンブル性は大きくなり、それに連れて行き来

するビー玉の数も増える。これは一種の共同事業のモデルであるようにも思われる。ようす

るに出資者は努力をすれば報酬がおおきくなる可能性がある。更に進んで、売った買ったと

いうゲームもあった。売り手は、自分のビー玉を何個か並べる。もうけるには当たりそうで当

たらないように並べるコツが要る。買い手はある決められた距離からビー玉を投げて目的の

ビー玉に当てると並んだビー玉を総取り出来る。買い手は何人でも可能になる。外れ玉は

売り手の物になる。何かパチンコゲームの様に射幸心をそそるようになる。あるとき、自分が

売り手になって買い手のビー玉を全部巻き上げてしまった事がある。買い手は後でナスから

玉を貸してくれと言うので貸してやった。それも全部すってしまった。それ以来、こういうゲー

ムは気乗りがしなくなった。ゲームの厳しさを教えてくれた。子供であったから無事済んだ

が。

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追記(2017/11/21):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
文字サイズ・色・タイトル名を変更。
この記事を再読して、メンコやビー玉で遊んだのは何歳頃だったか気になった。多分小学生中学年前後だったような記憶がある。教えられてした遊びでは無い。物をやりとりする遊びは経済活動のシミュレーションという効果があったのだろうか。メンコやビー玉を大量に買って小遣いが不足したという記憶も無い。昔の遊びは、ゲーム器のように高価では無く、DIYが原点だった。

現代のトレカの遊び方や景品も気になるが、昔の遊びとの関係はあるのか。Pokemon GOというゲームは2016年頃社会的な話題になったが既に山を越えて下火になったのか。消費者がゲームメーカーの餌食になって終わりか。


2009年11月25日 (水)

メンコ

2009/11/25

メンコ

面子(めんつ)が一般読みだが、これをメンコとも読むようだ。当て字なのか何か関係がある

のか分からない。子供の頃の遊びだったが、面子をブツケと呼んでいた。このゲームの原型

は江戸末期から明治初期に遡るらしい。ボール紙に絵や写真を印刷した紙を貼った名刺よ

りやや長めの紙のおもちゃであった。これを二枚地面に置いて、ゲームの相手と交互に自分

のブツケを地面にたたきつけて相手のブツケを裏表反転させると勝ちになり、相手のブツケ

を自分のものにできた。これは一種のギャンブルの様であったが、技量や工夫を必要とした

ので単なるギャンブルとも違うように感じる。ともかく、ひっくり返す為には、相手のブツケの近

くに足を置いて、ブツケを叩きつける時の風圧を利用するような工夫をした。逆に、ひっくり返

されない様にブツケの下側に空気が入らないようブツケの四辺を軽く折り曲げたりした。要す

るに、相手の物を取るために駆け引きや技術も覚えるのだ。絵柄には大衆の人気があった

役者者等があったように思う。映画や演劇は見た事はないが、片岡知恵蔵、ゲリークーパー

の絵柄にあった様に思う。何人かでやったような記憶がある。ともかく一人ゲームではなく対

戦が必要なゲームである。こういうゲームを通して対人関係や物のやり取りのルールを知ら

ず知らずのうちに学んだのではないかと思う。小学生に小~中学年頃の遊びだったと思う。

今、このようなゲームはあるのだろうか。

2009年11月22日 (日)

星の一筆書き

2009/11/22

星の一筆書き

子供の頃はほんとに良く遊んだ。暗くなると夜空の星をみて遊んだ。しかし、有名な星座以外

はあまり覚えなかった。それよりも、あの星とあの星とあの星をつなげると何々になると言う

風に夜空の星で一筆書きのような遊びをしていた。友達も同じようにして星の一筆書きを作

って教え合った。単純な遊びであったが、星がきらきら輝いていたのもその神秘さの秘密で

あったと思う。確かに最近は天の川をはっきり見た事がない。目の性能も落ちている。見え

にくい環境になった。それよりも、夜空を見上げるゆとりも無くなったのか。最近の子供も流

星を見たり、プラネタリウムに行ったりすると思う。こういう経験ができる子供は幸せであろ

う。しかし、誰からも教えられたりせずに、極自然に夜空を見上げて感動する機会は少なくな

っているのかもしれない。ともかく、時には夜空を見上げてみたい気持ちになった。

2009年11月20日 (金)

おもちゃのプリズム

おもちゃのプリズム

理科の工作で万華鏡を作った記憶がある。この装置は前方の入光口から入った光が筒の

中間の物体の影響を受けつつ鏡に反射して後方の出光口から出てくるのを見る装置だ。鏡

の長板を使ったのだろうか。透明ガラスに紙を貼って鏡の代用にしたような気もするが定か

でない。普段見慣れない規則的な画像を見ると感動を覚えた。はっきり覚えていないがその

万華鏡の改造なのか、プリズムも作ったような記憶がある。そこで、Googleで検索:「板ガラ

ス 水 三角 プリズム 作り方 子供 実験 工作 虹 色 おもちゃ 感動 昔」に一致する

日本語のページ 7 件中 1 - 7 件目 (0.07 秒) 。期待する情報はヒットしなかった。

入れたキーワードをコピペして残して、再利用。透明な長方形の板ガラスを三角に組んでそ

の中に水を満たしておもちゃのプリズムを子供の頃作ったような記憶がある。作り方は誰

何かの本からか学んだものと思う。プリズムは胴体の側面から光を入れて別の面から出てく

る光を観察する装置である。現象的には光の屈析であるが、おもちゃのプリズムによる簡単

実験でも、虹色を作る事ができた。やはり、自分で工作したおもちゃがちゃんと動いたときは

動する。そんな昔の遊びを思い出した。しかし、自然の光が色々な成分から成り立っていると

いう事は理解できるが、このような現象の本質は何かという追求心がそこで停滞してしまい、

大方の子供は理科から物理という領域にまで進まないで終わるのであろう。自分も光の分光

解析が物理の最先端の量子力学等の基礎になっていたという事を知ったのは高校、大学頃

になってからであった。子供のころ夜空を眺めていると叔父さんがあの星々はお互いに引っ

張り合っているのだよと教えてもらった事を覚えている。万有引力の事であった。これも物理

の基本的な問題であった。先生はどこにでもいるのかもしれない。

追記(2014/1/14):
サイト内でキーワード「寝言老人が幼少の頃」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E5%AF%9D%E8%A8%80%E8%80%81%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%B9%BC%E5%B0%91%E3%81%AE%E9%A0%83%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。


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2009年10月 7日 (水)

火打ち石

2009/10/7

火打ち石

白濁色の石どうしを打ち付けて火を出して遊んだ事を覚えている。多分、火打ち石であったと

思うが火を起こせたという記憶はない。既に、戦後はマッチが普及していたので火起こしには

マッチを使ったと思う。木や桑の枝を燃やすためには焚き付けに杉の葉や枯葉を使用した。

薄い木片に硫黄を付けたつけ木というのはかまどに火を移すのに使った事がある。火打ち

石で火を起こすには火打ち金という鉄片が必要であるとネットを調べて知ったばかりである。

慣れると一分くらいで火が起こせるらしい。ところで、何故火打ち石と火打ち金という組み合

わせになるのか、その理由が分からない。どうも、石と鉄が衝突した衝撃で高温が生じて、鉄

片から遊離した高温灼熱の鉄粉が着花剤になるらしい。ともかく、火打ち石で火を起こす方

法も完全に忘れられたわけではなく、子供達の遊びの中に生き残っていた先人達の記憶で

あったようだ。現代の子供達は火打ち石についてどのような情報を持っているのであろうか。

2009年8月23日 (日)

リヤカー引き

2009/8/23

リヤカー引き

幼少時にした仕事にリヤカー引きがあった。刈り取った麦、稲等の作物を束ねてリヤカーに

積んで運んでくる。何とか子供にも出来る仕事であった。今日では刈り取りと脱穀を現地でコ

ンバインを使って同時に行うので、こういう運搬のみの仕事は不要になった。人力の徒歩で

引くのは大変なので、やや大きくなってからは自転車や原付二輪車で引いたこともある。昔

は、動力を発生するエンジン部分も自分の身体を使ったのだから農業は体力的にきつい仕

事であった。さすがに、物の運搬に牛馬をつかう事はなかった。しかし、耕耘には牛馬を使っ

た。すきかけけや代かきである。その後、牛馬に代わり耕耘機が使われるようになった。そ

の頃は学生時代でほとんど農業の手伝いはしなかった。耕耘機の運転を覚えたのは父が亡

くなってからである。トラックが普及する前にはこの耕耘機に運搬車を連結して運搬用にも使

った。これに野菜等を積んで遠方の市場まで運んだそうである。農機か機械化することによ

り、労働のきつさは改善されたが、機械化のコストは上昇する一方である。

2009年8月11日 (火)

サッカリン

2009/8/11

サッカリン

合成甘味料である。終戦後は普通の砂糖は贅沢品であった。狂言のブスのように、しまって

あるのを失敬して舐めたりした。飯に砂糖をかけたご飯は実にうまかった。遊び疲れて空腹

になっているとエネルギー源の糖分が欲しくなるのがうまさの一因であったろう。それほど空

腹になるまで遊んだのかもしれない。多分、サッカリンは砂糖より安いのでその代用物として

広く使われたようだ。しかし、お金を払って買う立場でなかったのではっきりしたことは覚えて

いない。発ガン性があるという事で一時使用禁止されたが、その後は使用制限になっている

ようだ。現在はチューインガムや歯磨き粉に使われているようだ。これが、サッカリンの味だ

とは思ってもいなかった。人間はエネルギー源を摂取するために甘味を好む本能があるが、

甘味が安易に摂れるようになると今日のようなメタオボを気にせざるを得ない状況になる。確

かにカロリー成分の無い甘みはメタボ対策には好ましいのかもしれない。しかし、空腹の時

に甘みを求めるという人間の生理にかなった摂取が理想なのであろう。適度を超えて大量に

食べさせるというのは売る側の論理ではある。砂糖も塩も自分でさじ加減をする機会を失っ

てしまったのがメタボの一因か。

2009年8月 8日 (土)

馬鹿の三寸

2009/8/8

馬鹿の三寸

これは、祖母が子供達を「馬鹿の三寸、のろまの開けっ放し」と言って、障子や戸をしっかり

閉めよと叱る場合の言葉であった。間接的に叱るので余り直接的な効果は無かったが、何

度も聞かされたので耳が覚えているという状況である。小言というより躾に通じるものがあっ

た。小言はその場限りになるが、躾は繰り返しが大切である。障子の開け閉めも作法がある

訳で、ゆっくり柱で止まるまで閉めよと教えたわけではない。母は小笠原流とか言って食事の

作法にやかましかった。しかし、解説程度でそれが自分の身についたわけでは無かった。作

法や躾というのも人間関係を束縛する要因ではある。戦後の社会にはこの人間関係の束縛

を解放しようとする力が作用していた。この流れはまだ終わっていないであろう。しかし、束縛

が無くなれば人間関係も崩壊に到る。舵取りが大切である。

2009年8月 7日 (金)

どじょっこだの

2009/8/7

どじょっこだの

はるになれば しがこもとけてとなつかしい響きの歌である。これは音楽の授業とは別に小学

校の担任の先生が教えてくれた歌であったと思う。外にも、かあさんのうた等も教わったよう

だ。うたごえ運動が始められたのが終戦直後、最盛期が1960年代であったという。今思うと

我々も間接的に社会の流れの中にあって色々な歌を歌ってきたのであろう。多分、音楽の教

科書にはのっていない歌であったと思う。どじょっこだの ふなっこだの歌が作られたのが昭

和十年代、親達の青年時代であったようだ。うたごえ運動とはどちらかというと生活の歌が中

心であったように思われる。如何にして食うかという問題が支配していた時代にふさわしかっ

たのかもしれない。働かざる者食うべからずという言葉も授業の中ではなく実体験として覚え

た。新興国の子供達が働いて生活の糧を稼ぐ姿が報道されることがあるがそれと同じ事を

終戦直後の子供達はやってきたのであろう。日々の生活のために子供達も駆り出されてい

たのである。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
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    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)