04A_寝言老人が幼少の頃

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2011年12月27日 (火)

幼少の頃:メンコのヒーローだったゲリークーパーをやっと見た

2011/12/27
昨日は晴れ。寒い日が続いている。駐車場兼物置の整理。ゴミの分別もした。今朝は朝一でゴミ出し。降霜の白さが目立つ。外気温は -4℃だった。AMEDASでは-2℃。TVで途中までスケート見てから、DVDで「真昼の決闘(HIGH NOON)」を見た。

2011/12/26の天気

TAVE= 2.2
TMAX= 6.7
TMIN= -0.5
DIFF= 7.2
WMAX= 5.9
SUNS= 7.3
RAIN= 0

最低気温(℃)  -1.3  06:43
最高気温(℃)  7.2  12:24

幼少の頃:メンコのヒーローだったゲリークーパーをやっと見た

幼少時に金をかけた遊びとしてはメンコとビー玉があった。ある程度の数がないと遊びも続かない。少ない小遣いでこういう遊び道具を買った。最近も子供の間にはカード遊びがあるようだ。遊びのツールが昔と余り変わっていないことにはびっくりする。これは物と情報をやりとりする社会生活のシミュレーションも兼ねているのかもしれない。メンコは「ブツケ」と呼んでいた。表にヒーローの写真などが印刷してあった。なぜかゲリークーパーがあたったような記憶がする。映画俳優では片岡千恵蔵などもあったと思う。当時は映画など観られないながら、世の中の動きが子供の遊びにも反映したいたようだ。「真昼の決闘(HIGH NOON)」は1952年に公開され著作権が切れて安価なDVDになっていた。昔のフィルムなのでチカチカとノイズが出ると思っていたが、画像も音声も安定しており、綺麗であった。フィルムからDVDに焼き直すときの技術が向上したのか。よく調べてみると主演は「ゲイリークーパー」で「ゲリークーパー」は思い違いだったようだ。女優がグレース・ケリー。メンコで見た記憶はない。筋書き、印象等はWEB上に多くの情報がある。VTS_01_1.VOBというファイルがあり、これをクリックしたらMEDIA PLAYERから起動した。字幕の有無も選べるので語学の練習にもなりそうだ。もっとも、その気力はほとんどないが。著作権の有効期間がかなり長いので、それだけ延長する利益がどこにあるのか疑問になる。やはり、一般の人が関心を失う頃に著作権が切れる程度の長さの方が、その分野の活性化にもなり、文化の伝承と活性化に良いのではないかと思う。50年以上の映像に関心を持つ人も自然に少なくなるのだから。著作権が切れたり、著作権を主張しない著作物が存在する。米国ではPUBLIC DOMAINと呼んでいるようだ。こういうPUBLIC DOMAINという思想は米国の方が進んでいるのではないか。自分がPUBLIC DOMAINを知ったのはIBM-PCのソフトだった。勿論ただで使えるのが主たる関心事だったが、それがLINUX等と言うものにまで発展する例もある。もう一つがPROJECT GUTENBERGだった。日本の著作権が切れた映画ももうすこし自由に公開されたら良いと思う。ヨイトマケの唄に差別語が含まれるからと封印されていたようだが、そんな事を言い出すと、古い映画は密室でしか観られなくなる。文化はつまらなくなる方向に衰退し続けてしまうだろう。

2010年1月 6日 (水)

おばあちゃん子

20010/1/6

おばあちゃん子

Google検索:

おばあちゃん子 に一致する日本語のページ 約 1,080,000 件中 1 - 20 件目 (0.08 秒)

おじいちゃん子 に一致する日本語のページ 約 1,910,000 件中 1 - 20 件目 (0.28 秒)

年寄り子 に一致する日本語のページ 約 3,570,000 件中 1 - 20 件目 (0.31 秒)

おばあちゃん に一致する日本語のページ 約 5,310,000 件中 1 - 20 件目 (0.10 秒)

おじいちゃん に一致する日本語のページ 約 3,460,000 件中 1 - 20 件目 (0.40 秒)

子 に一致する日本語のページ 約 35,400,000 件中 1 - 20 件目 (0.34 秒)

少子高齢化 に一致する日本語のページ 約 1,700,000 件中 1 - 20 件目 (0.33 秒)

家族の中での子供の立場はその時代により異なる。個々の子供の立場からは男女や長幼によっても異なる。自分はおばあちゃん子と言われたが、そう言う立場に居たのはやむを得ぬ事情としか言いようがないのかも知れない。

曲書き、ピアノ弾きの日々見聞録というBLOGのおばあちゃん子&年寄り子は三文安いという記事が目に入った。おばあちゃん子&年寄り子は三文安いということわざは余り耳にした事はなかったが、それなりに納得できるような気がした。

幼少時に過保護に育てられるので、欲や機敏さに欠ける。それを経済的に評価すれば、おばあちゃん子&年寄り子の株価は人の動きを読んでさっさと身の振りを決める子供より低いという事だろうか。

ともかく、子育ても、子供の社会関係も、その子供である当人が勝手に選べる事ではない。自分が生まれたときには、曾祖父と祖父は既にいなかったが、曾祖母と祖母は健在であった。農家なので、元気で働ける者は自分の仕事があった。

大家族の中に子供が何人もいた。結局、次子が生まれてからは、自分の面倒は戦力外の曾祖母の役になった。自分もよちよち、曾祖母も腰を曲げてよちよちというという老幼相親しむ風景の中で育った。

逆に子育てに追われる母は遠い存在になった。同じ時期、祖母も終戦前後の医療不全で嫁ぎ先で両親を失った孫を引き取って子育てをするという重責を負っていた。従って、自分には祖母も甘えられる存在ではなかった。

今、終戦直後の我が家の子育て風景を振り返ると、曾祖母も、祖母も、母も各自子育てという役割を持って子供達を育ててくれていた。

そんな事を考えつつGoogleでいくつかのキーワードで検索して見た。ヒット数ではおじいちゃん子がおばあちゃん子を上まった。おじいちゃん、おばあちゃんという単独キーワードではおばあちゃんがおじいちゃんを引き離している。これが現在を反映しているデータかもしない。

大学一年生になって、あるクラブに入ったが、何人かの先輩が自分がおばあちゃん子であると直ぐわかったようだ。しかし、それ以後はおばあちゃん子を意識する事はほとんど無くなったが、今でも性格のどこかにそのような傾向が潜んでいるのかもしれない。

ともかく、幼少時は自分を育てをしてくれる人が、頼りになる。これは一種の刷り込み現象かも知れない。自分も、喧嘩をした時などは、曾祖母の所に逃げ込んだ。そうすると、曾祖母は喧嘩の相手を追っ払ってかばってくれた。自分には頼りになる存在が祖母ではなく曾祖母であった。

曾祖母はその頃80歳代で既にある程度もうろくしていたのかも知れない。自分の姿が見えなくなると名前を呼んで探し回った。自分と同じようにお漏らしもしていたようだ。そんな状態でも曾孫を可愛がってくれたし、それが生き甲斐になっていたようだ。

そんな曾祖母を思いだしたのが、既に還暦を過ぎてからであり、申し訳がないが、有り難いことであった。少子高齢化でおばあちゃん子等の言葉が死語になってしまうのであろうか。

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追記(2017/10/23):久しぶりに過去記事を読んだ。書いた時、ブログの枠に合わせて文の整形をしていた(Enterで区切った)ので、表示サイズを変えると非常に読みにくい。もう一度、清書して読み直す。7年前のBLOG開始直後から見れば、書き方も上達したようだ。隙間の多いBLOG記事を印字すると用紙が多くかかる。そこで、文字や文を詰めて書いていたが、電子文書では、読みやすさを第一優先にすべきだろう。

ついでにGoogleでキーワード「おばあちゃん子」を検索=約 761,000 件 (0.41 秒) (当時=約 1,080,000 件)。「おばあちゃん子」などは先々死語になってしまうか。少子高齢化 =約 1,130,000 件 (0.38 秒) (約 1,700,000 件)。Googleがヒット数を控えめに表示するようになった?

Googleでキーワード「おばあちゃん子」を検索

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以下は作成時のまま
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20010/1/6

おばあちゃん子

Google検索:
おばあちゃん子 に一致する日本語のページ 約 1,080,000 件中 1 - 20 件目 (0.08 秒)
おじいちゃん子 に一致する日本語のページ 約 1,910,000 件中 1 - 20 件目 (0.28 秒)
年寄り子 に一致する日本語のページ 約 3,570,000 件中 1 - 20 件目 (0.31 秒)
おばあちゃん に一致する日本語のページ 約 5,310,000 件中 1 - 20 件目 (0.10 秒)
おじいちゃん に一致する日本語のページ 約 3,460,000 件中 1 - 20 件目 (0.40 秒)
子 に一致する日本語のページ 約 35,400,000 件中 1 - 20 件目 (0.34 秒)
少子高齢化 に一致する日本語のページ 約 1,700,000 件中 1 - 20 件目 (0.33 秒)

家族の中での子供の立場はその時代により異なる。個々の子供の立場からは男女や長幼

によっても異なる。自分はおばあちゃん子と言われたが、そう言う立場に居たのはやむを得

ぬ事情としか言いようがないのかも知れない。曲書き、ピアノ弾きの日々見聞録というBLOG

のおばあちゃん子&年寄り子は三文安いという記事が目に入った。おばあちゃん子&年寄り

子は三文安いということわざは余り耳にした事はなかったが、それなりに納得できるような気

がした。幼少時に過保護に育てられるので、欲や機敏さに欠ける。それを経済的に評価すれ

ば、おばあちゃん子&年寄り子の株価は人の動きを読んでさっさと身の振りを決める子供よ

り低いという事だろうか。ともかく、子育ても、子供の社会関係も、その子供である当人が勝

手に選べる事ではない。自分が生まれたときには、曾祖父と祖父は既にいなかったが、曾祖

母と祖母は健在であった。農家なので、元気で働ける者は自分の仕事があった。大家族の

中に子供が何人もいた。結局、次子が生まれてからは、自分の面倒は戦力外の曾祖母の役

になった。自分もよちよち、曾祖母も腰を曲げてよちよちというという老幼相親しむ風景の中

で育った。逆に子育てに追われる母は遠い存在になった。同じ時期、祖母も終戦前後の医

療不全で嫁ぎ先で両親を失った孫を引き取って子育てをするという重責を負っていた。従っ

て、自分には祖母も甘えられる存在ではなかった。今、終戦直後の我が家の子育て風景を

振り返ると、曾祖母も、祖母も、母も各自子育てという役割を持って子供達を育ててくれてい

た。そんな事を考えつつGoogleでいくつかのキーワードで検索して見た。ヒット数ではおじい

ちゃん子がおばあちゃん子を上まった。おじいちゃん、おばあちゃんという単独キーワードで

はおばあちゃんがおじいちゃんを引き離している。これが現在を反映しているデータかもしな

い。大学一年生になって、あるクラブに入ったが、何人かの先輩が自分がおばあちゃん子で

あると直ぐわかったようだ。しかし、それ以後はおばあちゃん子を意識する事はほとんど無く

なったが、今でも性格のどこかにそのような傾向が潜んでいるのかもしれない。ともかく、幼

少時は自分を育てをしてくれる人が、頼りになる。これは一種の刷り込み現象かも知れな

い。自分も、喧嘩をした時などは、曾祖母の所に逃げ込んだ。そうすると、曾祖母は喧嘩の

相手を追っ払ってかばってくれた。自分には頼りになる存在が祖母ではなく曾祖母であった。

曾祖母はその頃80歳代で既にある程度もうろくしていたのかも知れない。自分の姿が見えな

くなると名前を呼んで探し回った。自分と同じようにお漏らしもしていたようだ。そんな状態で

も曾孫を可愛がってくれたし、それが生き甲斐になっていたようだ。そんな曾祖母を思いだし

たのが、既に還暦を過ぎてからであり、申し訳がないが、有り難いことであった。少子高齢化

でおばあちゃん子等の言葉が死語になってしまうのであろうか。

2010年1月 5日 (火)

内弁慶

2010/1/5

内弁慶

内と外を意識するのが日本人の伝統的性格なのであろうか。戦後の日本人論ではベネディ

クトの菊と刀が大きな話題になった。西洋は罪の文化、日本は恥の文化と位置づけたよう

だ。西洋、日本を問わず人間が社会生活をしてゆく以上社会のなかに何らかの規律が生ま

れてくるのであろう。基本的にはそのような規律は普遍的な意味をもち、罪も恥も簡単に割り

切れないのではないか。確かに西洋人は自己主張が強い一面があるようだ。ともかく、卵を

食べる場合でも、料理の仕方にこだわる。やはり、一番先が優位なのか。皆が違う料理法を

指定するわけにはゆかない。結局、最後の方は誰かと同じ料理法を選ばざるを得なくなる。

自己主張の最大の要因はものの奪い合いだろう。それを、合理的に処理するには法令を定

めること。事件が起こっては既に遅いので教育を徹底すること。汝盗むなかれ。盗めばこうい

うことになる。罪と罰で社会を統制する。明治政府は西洋の文化までは輸入できなかった

が、民法、刑法という基本法制も輸入した。こんな事を最近になって知った。巨視的にみる

と、幕府という私立国家が明治維新という革命に倒れて、新しい立憲共和国が生まれた。外

国に対して日本国民を代表する国家が生まれたのである。自分が幼少の頃は内向的である

とよく言われた。これは、学校側の見解でもあった。家のなかでは内弁慶と言われた。要する

に家の中では威張り散らし、家の外では意気地がないと見られていた。しかし、今振り返って

みると、威張り散らしの威張るが自分の行動としてしっくり理解できないのである。確かに、何

か気に入らない事があれば、親や周辺に当たった事があったが、それは一種の反抗期の症

状に過ぎなかったのではないか。当時の親たちが児童心理等知る由も無かったろう。幼少年

期には親に反抗したりした事はあるが、薄々自分の将来を考えるようになり、父が親は子供

の肥やしや踏み台だとささやく意味が分かりかけた頃には内弁慶と言われることも無くなって

いた。しかし、学校では相変わらず、人前に立つのが苦手であった。そのくせは今日も残って

いる。雀百まで踊りを忘れずということであろうか。

2009年12月28日 (月)

飼育係

2009/12/28

飼育係

小学生の通知簿には各学科の他にクラスの中の係りが記されていたように思う。総合評価も

あり、担任の先生は良い点とかもう少し努力すべき点等が手書きで書かれていた。当時に学

級人数は50~60名と多人数であったので、各生徒毎に総合評価を書くのは大変な作業であ

ったと思う。自分も親に通知簿を渡す前にその総合評価をこっそり読んで、先生は良く観察し

ているなと思った事もあった。しかし、クラスの中でどんな係りをしたのかははっきりした記憶

がない。ペットの事に考えが及び、飼育係をやった事がある事を思い出した。他に給食係、

掲示係等もやったような記憶がある。当時、小学校に数坪程度の小鳥小屋があって、そこに

セキセイインコ、ジュウシマツ等の小鳥を飼っていた。飼育係は餌の粟、ヒエ、菜類等の餌を

与え、小屋の清掃等をした。餌箱の殻を息でフーと吹き飛ばしたりしていた。ともかく生き物

を飼うためには餌を与える世話だけは欠かせない。その後、ほとんど母校に行くことはなくな

ったが、最近見たところでは小鳥小屋は取り壊しになっているようだ。確かに、学校で生物を

飼うことは色々な面で手間がかかり、その教育効果を測定し難い面がある。教職員自身とし

ても、自分が短期的に評価される仕事を優先するのは人情ではあろう。そんな事を考える

と、自分が小学生の頃、小鳥小屋があって、それを運営する学校側の体制があった事を有

り難く思うわけである。鳥の餌を買うだけでも雑用がいくつも生まれるのだから。

2009年12月14日 (月)

悪ガキ

2009/12/14

悪ガキ

幼少時の遊びはグループでの遊びが多かったと思う。地元の遊びグループは違う学年も含

められるので年齢的には混成型であったが、学校の遊びグループは同学年が中心であっ

た。地元では大体年長者がそのグループを仕切っていた。時には、喧嘩などもあったが何と

かグループ内で解決されていた。いじめられて、仕方なく親が出てくると子供の喧嘩に親が出

る云々とからかわれた。からかうのは子供側なのだから子供の方も遊びのルールをわきま

えていたのであろう。出てきた親をからかうのも遊びになってしまった。小学校の遊びグルー

プを仕切っていたリーダーもいた。遊びになるとがぜん元気になり、色々な事を命令した。あ

るときは、部下にグランドを何周も走らせたこともあった。今になって思うとその遊びの大将

本人が一緒に走ったのか定かでない。ともかくへたへたになるまで走らされてつらい思いをし

た記憶だけが残っている。あの遊びの大将がいわゆる悪ガキだったのか。その後はクラス

替え等でその時の遊びグループも自然に解消してしまった。ともかくある程度の悪戯は誰で

も経験しているだろう。自分たちも学校の帰りに、畑で働いているお爺さんに、悪態をついた

り、囃し立ててからかったことがある。お爺さんは子供達を追いかけてくるが、子供達は逃げ

切ってしまう。今思うと、あのお爺さんも遊びのつもりでそれを楽しんでいたのかもしれない。

更には地域社会の子供のしつけをしてくれていたのではないかとも思う。立派な家柄の農家

のお爺さんであったが、手ぬぐいでほおかむりをしたりして草掻き等をしていると野暮なじい

さんに見えてしまう。結局、自分も悪ガキの一人だったのだ。悪戯は子供の特権かもしれな

い。お互いに泣いて泣かされて集団の中の自分の位置を確認できたのであろう。子供の喧

嘩や悪戯ももそれなりの意味があったと思う。

2009年12月13日 (日)

小笠原流

2009/12/13

小笠原流

幼少時、母が箸の持ち方等を教えてくれた。その時々に、小笠原流という言葉を聞いた。き

っと、礼儀作法の流派だろうとは思っていたが、それをまじめに受け止めてはいなかった。そ

れが一因になっているのか、未だに箸の、持ち方、使い方が下手である。箸の使い方も、

○○箸だからダメというのが多かった。確かに、社交的な正式の場面に出た場合は、作法に

かなった行動をすれば失敗する事は少ないだろう。WIKIPEDIAの解説には「小笠原流(おが

さわらりゅう)は、武家故実(弓馬故実)、弓術、馬術、礼法の流派。また兵法、煎茶道、茶道

にも小笠原流を名乗るものがある。礼儀作法の流派として知名度の高い流派であるが、本

来的には弓術・馬術・礼法・軍陣故実などの武家社会の故実(武家故実)全般の流派であ

る。」とあった。マナー、エチケットの本では塩月弥栄子、酒井 美意子の本に出合った記憶が

あるが、実生活とはほとんど無縁であった。マナー、エチケットもいわば、ある場面を取り繕う

最大公約数のような役割はあるのだろう。しかし、皆一様に割り切れてしまうと形式だけにな

り面白みも欠けてしまう。礼法、作法も本当に身についていれば役立つ物に違いないだろう。

2009年12月11日 (金)

小学生雑誌の休刊

小学生雑誌の休刊

少年頃どのような雑誌を購読していたか記憶がない。しかし、雑誌の付録で遊んだりした記

憶はあるので何かの学習雑誌を購読していたのではないかと思う。幼稚園頃のキンダーブッ

クは覚えていた。これは昭和2年(1927)日本初の保育絵本として創刊された超長寿命の絵

本雑誌である。2009/12/8NHK第一で小学生雑誌休刊の背景等を報じていた。10月に小学

館の「小学五年生」「小学六年生」今年度末での休刊が発表され、それに続いて、学研ホー

ルディングス(東京都品川区)の看板ともいえる小学生向け学年別学習雑誌「科学」と「学習」

が今年度末で休刊となると発表された。総合雑誌の凋落と同じ軌跡の上にある現象のよう

でもある。ともかく、今日では情報が多すぎて、それを求める読者の関心も分散している。従

って、出版側も読者を掴む為には専門化する以外になくなるようである。読者としては美味し

いところだけ、安く味わえればよいという事であろう。

「雑誌業界を支えてきた1つのビジネスモデルが終わった。」とTmedia/「Business Media 誠」

の解説記事が以下のように伝えていた。その要因は、①学研の平成21年9月期決算による

と、家庭訪問販売事業の売上高は約10億6000万円で、売上高全体の3%程度。②少子化

や共働きの増加による在宅率の低下。③子どもの価値観の変化。④学年別総合雑誌が時

代のニーズに合わなくなった」。⑤早期教育の流れを受けた就学前児童に対する通信教育

などの隆盛が、未来の学年誌購読層を囲い込み、同社のシェアを奪った。⑥21年9月期の

教室・塾事業の売上高は98億円にのぼり、家庭訪問販売事業をはるかに上回る。⑦学年誌

の直販はかなり以前から、すでにメインビジネスではなくなっていた。

出版業も情報を加工して売るという産業とみれば、市場の構造とニーズが変わってしまった

と言うことであろう。しかし、教室・塾事業が伸びているという事は単なる物販からより付加価

値の高いサービス業への転換とも見られる。ともかく教材を売った後はあなたが自力でそれ

を活用しなさいというのが従来モデルであるならば、教材、興味、学習まであなた任せのビジ

ネスモデルは至極便利で快適かもしれない。一般教育は将来への保険のような性格もあろ

う。同じ金をかけるならば、将来より目先が大切だというのが親の実利感覚かもしれない。前

記のNHK番組で、子供達の声も流れた。子供達は小さな大人のようでもあった。大人のコピ

ーのようなでおそるべき一面も持っている。学校も塾も習い事も皆遊びだと割り切れればよ

いのかもしれないが。

2009年12月 6日 (日)

ライオンとの決闘

2009/12/6

ライオンとの決闘

これも確か国語の教科書の教材であったと思う。ひょっとしたら別の読本であったかも知れな

いが。ともかく覚えているのは、ローマであったか、競技場でライオンと決闘をさせれれた人

の物語である。実は、決闘をさせれれた人間が、相手のライオンの足に棘が刺さっているの

を助けた事があり、そのライオンがその事を覚えていて、結局ライオンに食い殺されることな

く助かったという、一種の勧善懲悪の物語であった。野生のライオンにそれほどの認知能力

があるのか疑問ではある。恩返しとは高度な認知能力の上に成立する行為ではあろう。

擬人化という作為が加わっているのは確実だが、子供はそれを見抜けない。同じ様なタイ

プの物語には鶴の恩返しがある。こちらは、日本的な内容で認知度は広いだろう。ともかく、

自分の幼年期に出合ったライオンと人間の決闘も極単純なエピソードとして頭の片隅に残っ

ていたに過ぎない。テキストの現物があればもっと鮮明に物語の内容を理解できるだろう。イ

ンターネットで検索して見ると「アンドロクレスと獅子」という映画が当時公開されたようであ

る。あらすじはかなり複雑である。これは、映画のシナリオとしては当然な事なのだろう。

あまりにも単純な筋書きでは観客が着いてこない。

アンドロクレスと獅子
原題: Androcles and the Lion
製作国: アメリカ
製作年: 1952
配給: RKOラジオ日本支社配給

ライオンと戦わせられたのは誰か。奴隷であったように思う。ローマ時代の奴隷は戦争の敗

者であったのか。結末はその奴隷が自由人として解放されたのだったか。さだかではない。

その奴隷にどう猛なライオンと公開の大広場で戦わせて楽しむのは残虐な行為であったろ

う。しかし、観客は市民即ち兵士であったろう。戦争に負ければこういう運命が待っているぞ

という公開教育でもあったのかもしれない。オリンピックで期待された成績が達成できず、自

殺に追い込まれたマラソンランナーがいた事をあらためて思い出した。どうも、自分は熱狂す

るスポーツに馴染めない。夏の夕方のラジオ放送が官民ナイター中継一色になるのは未だ

に納得できない。アナウンサーの絶叫に空しさを感じてしまう。

2009年11月30日 (月)

水鉄砲

2009/11/30

水鉄砲

筒に水を吸い込み筒の一端から水圧を加えて水を射出する遊具である。水鉄砲は竹の一節

を利用して作った。節の底は残して、底に錐で穴を開ける。これが吸水口兼噴出口となる。

片方の大きな開口部は圧力を加える棒を出し入れする部分だ。水が漏れないように棒には

ぼろ布を巻いた。これで、棒を引いて水を吸い上げて、棒を押して水を噴射する。子供同士

で水鉄砲の撃ち合いをしたように思う。しかし、この方式では連続して撃てない。ある子供

が、従来の水鉄砲の側面にもう一つの穴を開けて、中にビー玉を入れた新型の水鉄砲を作

ってきた。これを、水の中に突っ込んで棒を引くと、底の穴から水を吸い込んで、棒を押すと

側面の穴から水を噴出して、連続射撃が可能になった。単発銃から機関銃になったように感

じた。ビー玉が弁の役割をして、吸水口と噴出口が別々に出来た事、水底に押しつける形で

水を噴射出来たので力が入り距離が伸び、命中精度が上がったというメリットがあった。しか

し、撃ち合いというとどうも機動力が落ちる結果になった。水を供給する水たまりや洗面器等

が必要であった。最終的には、通りがかった人に水をかけて楽しむようになりいつしかすた

れてしまった。子供ながらこれは面白い考案であると思った。

2009年11月29日 (日)

コマ回し

2009/11/29

コマ回し

正月前後の子供の遊びには、竹馬、羽子板、たこ揚げ、コマ回し等があった。女児の遊びを

男児が行う事はあったが、その逆は少なかったと思う。コマにもべーゴマ、だっちょうゴマ、と

普通のコマの三種類位あった。友達と一斉に回して回転する時間の長さを競った。これも、

ひもの巻き方、引き方等色々ノウハウがあった。だっちょうゴマはひょうたん型をしたコマで、

倒れそうになった時、ヒモでコマの下半部を叩くと元気良く回り出すので、別の遊び方が出来

た。ヒモで回転エネルギーを印可して、摩擦による回転エネルギーの低下を補っていた訳で

ある。そんな時に、究極的な時間延長技術が登場した。それは、コマの軸の最下部の細まっ

た部分に、鋼鉄製のベアリングを埋め込むことであった。ベアリングは自転車やかどこかで

手にいれたとおもう。これを埋め込んで平らな面の上で回すとかなり長時間回ったように思

う。しかし、その結末ははっきり覚えていない。ぐるぐるいつまでも回っているコマをじっくり見

つめているのはどうしても老人臭くなって飽きがきたのかも知れない。ともかく、子供の遊び

は気まぐれであるが、熱中する時は良く熱中した。そこに、思いがけない新発明が登場した。

子供の頃から独創性を伸ばす訓練も有意義であろう。

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やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)