04A_寝言老人が幼少の頃

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2009年7月30日 (木)

ガリ版印刷

2009/7/30

ガリ版印刷

活字を使う印刷は仕上がりが良いが時間と金がかかる。その点、ガリ版印刷は手軽で安価

であったので、昭和20~30年代にはかなり普及していたようだ。学校の連絡やテスト等はガ

リ版が多かった。ガリ版の印刷物には大変お世話になった筈である。しかし、その負担はガ

リ版を書いたり、印刷したりする人にかかっていた。ワープロとプリンターの出現で印刷作業

はかなり楽になったと思う。入社当時は連絡等の簡易配布文書は青焼きが多かった。これ

は青焼き用の原稿を作り、薬剤を塗布した感光紙に露光して薬液の中で現像する方式だっ

たと思う。技術の現場で使う配線図等も青焼きであった。青焼きも電子露光式のPPCの普

及でいつしか無くなった。30年以上前の青焼きコピーがが変色しつつも、かすかな臭いと共

に残っている。作成目的から見れば完全にご用済みなのだが、残っているとつい見たくなる。

しかし、いずれゴミとなり捨てられる時が来るだろう。

2009年7月25日 (土)

菱の実

2009/7/25

菱の実

夏の遊びと言えば先ず水泳が思い出される。幼児の水遊びは近くの小川の洗濯場であっ

た。ここを卒業すると一人前の少年として近くのため池で泳いだ。当時は水面に浮き草のよ

うな菱がかなりはびこっていた。これに白い花が咲き菱形の緑色をした実を付けた。外部の

殻が軟らかいときにその実をとって中身を食べた。これもちょっとした気分転換の遊びの一

つであったのかもしれない。遊びをしながら何かたべられるものがあるとそれを食べる。川辺

に生えていたマコモの若い茎も食べた記憶がある。これは魚取りのついでの遊びだった。水

中のマコモの根の周辺は魚の隠れ家になっていた。今日では菱もマコモも余り見かけない。

生態系が単調なものになってしまったようだ。

2009年7月24日 (金)

小学校の教科書

2009/7/24

小学校の教科書

小学校時代の教科書を思い出そうとしているが余り手がかりがない。終戦直後の教科書は

墨塗りのものもあったと伝えられている。出版事情が安定してからは教科書もそれなりに安

定したようだ。教科書のデータベースで小学校算数の教科書の著者を調べてみた。自分が

使った算数の教科書の著者が誰か気になった。有名な数学者の名前が出てきた。自国の子

供の教育に一肌脱いでやろうという心意気があったのか。教科書の検定とかは裁判にもなっ

て長く尾を引いた。教科書代金は自己負担の時期がかなりの期間続いた。その後、国費負

担となった。自分の年代の義務教育の9年間の教科書代は父兄が負担したわけである。生

活が苦しい時期に義務教育の最も重要な教材の負担を父母にたよっていたのである。逆に

戦後の成長を支えた基礎教育は自分たちの力で達成したのだと誇りを持って良いのではな

いか。自分の子供達の使用した教科書は捨てずに残すようにしてきた。探せば物置の隅か

ら出てくる可能性がある。義務教育期間の各教科の教科書を全部集めると相当の量になる

と思う。成人してすっかり教科書の事など忘れてしまうが、教科書の有り難さに気づかないの

は幸せな事なのか。一人の人間の教育に必要な教育資材を物量で図るのは不届きな気も

するが、教科書以外に使う参考書や本の量を集めると更に膨大な量になる。それが一回使

われるか使われないかで処分されてしまう。貧困国はそのような贅沢はできない。本当にも

ったいないと思う。

2009年7月18日 (土)

藁仕事

2009/7/18

藁仕事

かあさんの歌のせりふの中に「おとうは土間で藁打ち仕事」という部分がある。稲作の米が主

産物であるなら、藁はその副産物で用途が広かった。その一つが牛馬の飼料。俵や縄など

の加工品。米を入れる俵も同じ作物から作るのだから今日からみても合理的でエコ製品であ

ったと思う。縄ないは手でやったり機械を使ったりしていた。機械の方は藁の外側の弱い部

分を除外して芯の部分を二つの受け口に交互に差し込むとモーターの力で藁がよれて縄に

なる仕組みであった。この芯をよりすぐる道具もあった。父に教えられて機械に藁を差し込む

作業を手伝った事もあった。手で綯うのは少し技術が必要だ。多分、父に教えられてみよう

みまねで覚えたのかもしれない。何とか手作業の綯わないも覚えている。盆棚を作るときに

は今もチガヤで縄をなっている。今、手で縄をなう方法を言葉で表そうとしているが、表現の

困難さに直面している。二本の茎を綯い始める部分が分離しないとうに手の平に並べて各々

の茎が別々に同じ方向に力を入れて撚るとお互いの茎が相互に巻き付いて縄の一部が形

成されてくる。適宜茎を補給して形成された縄を伸ばしてゆく。何かDNAの螺旋構造と似て

いるような感じがする。縄が成長するのはこの手の平の中なのだ。DNAは相手の梯子階段

を分子が結び付けている。縄文土器とはこのようにして綯った縄で粘土で作った焼成前の土

器の表面に縄の図柄を転写したものらしい。縄を綯うのは糸を撚るのと原理的には同じであ

るようだ。ともかく縄は短く弱い素材から長く強力な資材を作り出す偉大な発明であったよう

だ。このようにして作った細い縄で俵を編んだ。この仕事を父親は夜なべでしていた。俵編み

には専用の道具があった。俵作りは米の運搬や保管と直結するので出来た俵の品質が重

要であった。結局俵作りは一度も経験する事はなかった。下手な俵では米がぼろぼろ漏れて

しまうだろう。

2009年7月14日 (火)

模型飛行機

2009/7/14

模型飛行機

一式がセットになって売られていた。単純であるがゴムひもの動力とプロペラ、主翼、尾翼、

方向舵がついていて飛行機の必要な要素を備えていた。機体は軽い木材の細長い棒。翼は

竹ヒゴに薄い紙を貼ったもの。プロペラと機体の間には回転を支えるビーズがあった。組立・

調整後にプロペラを手で回してゴムひもをよじりゴムにエネルギーを蓄える。十分にゴムを巻

いてから機体を空中に投げ上げるとプロペラが回転して飛行を始める。子供達は各自自分

で作った飛行機を持っていたが、飛び具合はまちまちであった。飛行機が飛ぶためには先ず

揚力が発生しなければならない。力学らしき理論を教えられるのは中学生の理科以上であろ

う。実際に模型飛行機で遊んだのは小学生の高学年の頃であったと思う。従って、力学の事

は余り知らないが遊びを通して良く飛ばせる方法を学んでいたようだ。その一つに取り付け

た主翼をひねって揚力発生を大きくしたりしたのを覚えている。別の飛行機遊びはグライダ

ー飛ばしであった。こちらは動力は無いので、人間がグライダーの付いているひもを持って走

り、上空に達してからひもを外して惰性で滑空させるものである。この遊びは揚力を得るため

に走る必要があり広いスペースがとれるたんぼ道等で行った。模型飛行機で遊んだが、パイ

ロットになろうという夢は不思議と持たなかった。職業と遊びは密接している場合もあり無関

係の場合もある。これも一つの縁というしかないのだろう。

2009年7月13日 (月)

15ゲーム

2009/7/13

15ゲーム

1から15までの数字の駒を位置を一つずつずらせながら正方形の4X4の形に順に並べる単

純なげーむであった。ケースが駒を動かす盤になっていた。これが面白くかなり熱中して遊ん

だ記憶がある。暇つぶしのゲームだったのかもしれない。しかし、ゲームが面白いのはルー

ルの単純さとその解法が容易でないというチャレンジ精神を誘う二つの要素が必要なよう

だ。知恵の輪遊びといって何個かの針金をくねくね曲げてつなぎ合わせたものをほどくゲー

ムもあった。これは針金が通る空間が一度読めてしまうとそれで解けてしまい解法を覚えて

しまう。したがって、一度解けるまでは熱中するがその後何回も繰り返させるという魅力がな

っかたようだ。しかし、知恵の輪で遊ぶのも面白かったことは事実である。難しい知恵の輪は

根気との勝負であった。一回だけのゲームというのもそれ相応の面白さがあったのだろう。

むしろ人生の局面で遭遇する難問を解くのはこういう知恵の輪遊びを解くような要素がある

のではないか。根気よく色々と試すとぱっと解けてしまうことがある。知恵の輪という名前にふ

さわしい遊びだったのかもしれない。ともかくこういうゲームに興じたのが小学生の中頃であ

ったと思う。

2009年7月 6日 (月)

おまけ商法

2009/7/6

おまけ商法

子供の頃は商品よりもそれに付いてくるおまけに熱中してたことがあった。現在もそのような

商法があるかもしれないが、ほとんど興味を失った。キャラメルとかのちょっとしたおやつに

おまけが付いてきて、食べ物はすぐに終わっても、おまけの方はしばらく遊びの材料になる。

子供にとっては一挙両得という所であったと思う。おまけとは違うかもしれないが、雑誌には

別冊付録というものがあった。長い間購読していたトラ技には、最近プリント基板の付録が付

いたりする。それにひかれてついつい買ってしまう。やはり、お買い得という点と一般品で買

えないという魅力があるのだろう。逆に本体の魅力はどうなのだろうか。大勢の購買者を対

象にするとどうしても平均的な内容になってしまう。食べ物では差別化が一層困難である。メ

ーカー側もどちらに軸足を移すか判断に迷う場面があるのではないか。ともかく子供相手の

商売は大変である。しかし、そこに面白さも収益の源泉も潜んでいるのかもしれない。この不

景気な時代に任天堂の業績は好調であるとの事である。市場の性格をしっかり研究している

のであろう。

2009年7月 2日 (木)

たにし

2009/7/2

たにし

田んぼや小川に生息していた巻き貝の一種である。はっきり覚えていないが、これを捕って

きて、ゆでて中身をほじくり出してから、再度味付けをして食べたような気がする。食感、味と

もそれほど良くはなっかたと思う。たにしを食べたのは終戦後の極短い時期であったようだ。

おかずが容易に手に入るようになってからはたにしを食べる事は無くなったようだ。農薬を使

うようになり、たにしもいなくなったり、いてもあえて口にしないようになったのかも知れない。

2009年7月 1日 (水)

2009/7/1

昔は田植えも魚捕りも素足のことが多かった。仕事や遊びに熱中していて、足が痛痒いので

その部分を見ると蛭が吸い付いていて急いで払いのける事があった。吸い付いた所からは

血がにじむが、そんな事もあまり気にせずまた作業を始めた。馬蛭という一回り大きな蛭も

いた。これにはさすがに手がでなかった。しかし、馬蛭に吸い付かれた記憶はない。昔は膿

を蛭に吸わせた事もあったと聞いたことがある。蛭も人間の生活と全く無関係でもなかったよ

うだ。蛭が動物に吸い付けるチャンスは少ないのではなかろうか。他の水中生物を食料にし

ている方が多いのだろうか。今日でも、蛭は田んぼや小川に生息しているのであろうか。

2009年6月19日 (金)

学校の席順

2009/6/19

学校の席順

学校の席順はどのようにして決められるのかよく知らない。ともかく、何らかのルールがある

のだろう。社会に出ても、勝手に座って良い場合と指定席の場合と色々ある。小学校一年生

の時は前の方に座っていたように思う。幼少時の一年の年齢の差は大きいので早生まれと

遅生まれをの差違に配慮した席順を採用していたようだ。整列には身長順と言うのがあっ

た。席順に身長順があったか定かでない。ともかく、義務教育の段階では学校が決めていた

のであろう。高校の時も大体学校が決めていたと思う。しかし、ある程度の調整もあったよう

だ。席決めの時視力が低い学生がいて、視力が良い学生が自分の前方の席を彼に譲って

やったのを覚えている。ともかく、前方の席は勉学の意欲が高い者なら競っても座りたいとい

うのに、その席を譲った友に敬意を覚えた記憶がある。自分も近視になり高校では眼鏡着用

を始めたので彼の行為の立派さに感銘を受けたわけだ。視力も成績も人格も立派な人物だ

った。大学の授業の席順は完全に自由であった。先生の唾が飛んでくる席に座る者、最末

端の席に座り出席をとった後は完全に別の世界に入っている者等様々であった。学生時代

には社会心理学等にも興味を覚えた。ある人が色々な場面で座ってきた席が、その後彼が

座る席を何らかの意味で決めるのであろうか。ともかく、その席に意欲をもって座る者にとっ

てそういう傾向があるのは確かであろう。

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みかん栽培関係情報

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嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)