06C_読みかじりの記

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2009年10月31日 (土)

幸福論

2009/10/31

幸福論

幸福論にはいろいろな人のものがある。人生論的な書物は幸福論的な色彩を持つ。高校時

代以後に出合ったのがB.ラッセル(1872年5月18日 - 1970年2月2日)の幸福論であった。

教科書か副読本にその一部があったと思う。中身は完全に忘れている。しかし、若いときに

人生とは何か、幸福とは何かという事を考えるのは意義がある事であろう。外国人にの幸福

論は比較的多く見かけるが、日本人が書いた幸福論を思い出そうとすると直ぐに出てこな

い。ラッセルは論理学者、数学者、哲学者であるそうだ。幸福論は哲学の範疇にあるのかも

しれない。日本人は幸福とは何かと大上段に構えて論じるのを憚る傾向があるのだろうか。

ラッセルの幸福論の原著:The Conquest of Happiness, 1930が出版された時がラッセルが

60代前。既に自分はその年齢を越えてしまっている。1950年 ノーベル文学賞 。湯川 秀樹

が日本人として初めてのノーベル賞を受賞したのが1949年。核廃絶に関するラッセル=アイ

ンシュタイン宣言(湯川秀樹も共同宣言者として名を連ねている)を発表し、これがパグウォッ

シュ会議の開催へと発展していったそうである。21世紀初頭になりようやく核廃絶が世界政

治に再登場してきた。核兵器は世界平和の対極にある。核兵器廃絶は人類共通最大の幸

福かもしれない。ラッセルの幸福論のタイトルThe Conquest of Happinessは幸福の征服と

読める。幸福とは勝ち取るものなのだろう。

2009年10月17日 (土)

高崎哲学堂

2009/10/17

高崎哲学堂

高崎哲学堂について最近関心を持ち始めた。井上工業社長の井上房一郎が提唱した文化

運動が高崎哲学堂の設立であったようだ。建物はあくまで運動の目印の旗に過ぎなかったよ

うだ。井上房一郎邸が公売にかけられ、これを買い取り高崎哲学堂と呼ぶようになったよう

だ。その後の状況は定かでない。2008年10月の井上工業の破産は各方面に波紋を及ぼし

ているが、高崎哲学堂の方も気になる。たまたま、高崎哲学堂講演会要旨 第11集を入手し

た。1978年初秋に刊行された。ここに、地球社会学への発想 -南方熊楠に学ぶ-という題の

鶴見和子氏の講演が記録されている。ここで、興味を持ったのが「熊楠曼陀羅」。一種の複

雑系の思考モデルである。社会現象も人間現象も一つのパラメーターでは既述できない。多

数のパラメーターを持つ現象から本質的な関係を引き出すには、特別な才能が必要なよう

だ。鶴見氏は南方熊楠は哲学教授でなく、真の哲人であったと述べている。何となく納得させ

られた。高崎哲学堂講演には著名人の講演が数多くある。市民という目線で話された講演

は堅苦しさが無く、自由な発想を助けるようだ。高崎哲学堂は残ったが文化運動としての講

演は残らなかったとなると残念である。

2009年10月 6日 (火)

南方熊楠

2009/10/6

南方熊楠

みなかたくまぐす。知の巨人と言われている様だが、なかなか人(自分)を寄せ付けない。日

本の博物学者、生物学者(とくに菌類学)、民俗学者と解説されているが、学問の分野が一

般人が興味を持つ分野を大きく超越しているのも一因かもしれない。解説書を読んでもいつ

も消化不良に終わる。逸話の部分は拾い読みするが粘菌の研究等は皆目分からない。いつ

頃から興味を持ち始めたのかもはっきりしない。活動の場所が海外と日本の地方が中心で

日本の中央との関係が少なく、弟子も少ない、故にその業績も宣伝されないという事も知ら

れざる巨人でいる一因か。というより、南方熊楠を超える人物がいないので十分な評価もで

きないという事か。巨人であるがローカル的な存在で終わっている人物がいるという事は勿

体ないとも思う。

2009年9月28日 (月)

生命の起源

2009/9/28

生命の起源

これは永遠の謎かもしれない。しかし、人間の頭脳がそういう回答が得られないかもしれない

問題を発見してしまったのだ。自分の親、祖父母、曾祖父母と一つ一つ歴史を遡ると家系が

見えてくる。その先に氏族、民族、人類、原人云々。種の起源も生命の起源の一里塚であっ

た。その先に、動物や植物の起源。細胞やウイルスの起源。最終段階になると生命と物質

の境界が曖昧になる。さらにつきつめると、物質自体にも歴史がある。単純な構造から複雑

な構造に時間的に不可逆的な変化が起こった。結局、生命とは不可逆な物質の変化の集積

としてとらえられることになる。生命の起源で思い出すのがオパーリン。オパーリンが生命の

起源に関して著作を始めたのが1920年代。1957年に『地球上の生命の起源』、1966年に

『生命の起源-生命の生成と初期の発展』を出版。コアセルベートという細胞に似た物質に

興味を覚えた。オパーリンは弁証法的唯物論の信奉者であったとのことであるが、オパーリ

ンの生命の起源も壮大な仮説であったようだ。論理学も究極的には頭脳の正しい使い方を

研究する学問に過ぎない。日本人は生命を論じると理より情に傾きやすいようだ。能動、受

動と二分したとき理は能動、情は受動の要素が多いだろう。残念だが、思考の武器を研かな

かったのが日本人の欠点であり、教育の欠点でもあったのかもしれない。ミラーが原始大気

の中で放電を行い生命の構成要素となる有機物の合成実験を初めて行ったのが1953年の

ことであったとか。人工的に生命を作ろうとする努力の始まりでもあった。生命現象は地球上

だけにあるのではないらしい。逆に宇宙には色々な生命現象の可能性が有りそうだ。仮説を

世に問うのは勇気が要るかもしれない。しかし、仮説は実験の足場を与える。足場が崩れた

らやりなおせば良い。ともかく、自分が生きた時代に生命の理解が大きく進んだ。細かいこと

が分かると更に謎も深まる。その謎解きが人間の興味を引きつける原点だ。

2009年9月12日 (土)

寺子屋

2009/9/12

寺子屋

仏教が日本に伝えられ寺も各所に建てられている。寺もその長い歴史の中で生まれたり消

滅したり、存亡の危機に直面したり人間と同じ様な運命を背負っている。武家は支配層であ

りそれなりの学問教育の体制はあった。商家も幕府の流通経済に深くかかわり塾も栄えた。

農家はそれに及ばないが寺子屋等で教育が行われた。残念ながら寺子屋教育の詳細がよく

分からなかった。寺は昔は一種の学問所、教育機関の機能を果たし、そのような歴史の中

から民間の学習施設も寺子屋と呼ぶようになったと勝手に想像している。学制が整わなかっ

た以前の庶民の教育は寺子屋が受け持っていたわけであるが、実態がよく分からないのが

残念であった。今日の学習塾も教えると教わるという関係はあるが、サービス業の性格もあ

る。寺子屋の場合そこまで割り切ってはいないであろうし、むしろ庶民の教育が重要である

事を自覚した学問のある農家が余暇を削って地域の人々の教育に捧げたのが実態のよう

だ。上毛カルタに「老農 船津伝次平」の札があるのを覚えているが、同名の本が上毛新聞

社から出版されている(柳井久雄著)。末尾の著者欄に同氏は教職を経るとと共に村史や教

育史に関わっていることが分かった。寺子屋の実態と役割が理解できた。船津伝次平の父

の代から寺子屋を開いており、船津伝次平もそのお師匠さんをしたと本を読み直して新たに

知った。八幡沼開鑿の知られざる先覚者川端宇兵衛の父親も寺子屋を開いていた事が知ら

れている。人材を産むにも偉業を達成するにも地に着いた教育が必要であった事を改めて

痛感した。

2009年9月 4日 (金)

ものぐさのつけ

ものぐさのつけ

何事も便利になった。金を出せば大抵の物は手に入る。便利さを金でかっている訳である。

しかし、ちょっと考えてみると、自分でやるという基本的な事も他人に任せてしまっている。自

分が食べる食物を自分で作るとなると大変な仕事である。これを、個人のレベルで野菜の一

品種でも作ってみると体も使う頭も使うという事で食べることだけでも相当な仕事を要するこ

とが理解できる。基本的な事を他人に任せるという事は相互依存の関係を築くという事で社

会が成立する条件でもあろう。しかし、自分の子供の教育を学校という他人に任せる事ほど

怠惰な事はないという風な言葉を聞いてはっとしたことがあった。学校教育というのも基本的

には効率主義が支配する。為政者から見れば手段に過ぎない。というより学校教育は近代

化が産んだ制度に過ぎない。昔の読み書き算盤は家庭教育か寺子屋教育だった。そんな事

で、ルソーのエミールを読んだ事を思い出した。自分は親の扶養の本にいた身分であったの

で育てる父親側を見上げていたのであった。ルソーの教育論は家庭教育に比重があるよう

だ。エミールはルソーの教育論を物語に仕立てたようなのだが、あのような父親が理想に思

えた。しかし、ルソーとその父親も矛盾を含んだ人でもあったようだ。ともかく、その矛盾を発

展の契機として大きな仕事を為したのであろう。矛盾も目の前の壁も自分のものと認識しな

い限りそれを乗り切れない。

2009年9月 1日 (火)

麦踏み

2009/9/1

麦踏み

わら一本の革命という本がある。自然農法を実践した福岡正信氏の著書である。農産物が

自然の論理の上に成り立っていることには疑いがない。しかし、人間が自然に介入しないと

作物が育たない。作物自身が人間により独り立ちできないように飼い慣らされてしまってい

る。自然農法も深い自然の理解と実践の上に成り立っているので、そのまねごとではうまく行

かないとさとった。昔は農業資材も自給自足した物が多い。一度、敷きわらとして使うために

麦を播いた事があった。結局、実った麦の穂は使う事がなかった。鶏でも飼っていればその

餌に使えただろう。今年は麦作農家から麦わらを貰えたのでマルチ材料等に使っている。と

もかく、現在は動物農家と植物農家に分かれて排出される物資を循環する事も困難になって

いる。ふと、思い出したのが幼少時の麦踏みの事だ。稲の刈り取りが終わった後に麦を播

く。農地を有効に使うために二毛作の後作に麦が作られていた。麦がしっかりと生育するの

を助けるため麦踏みをした。数㎝に育った麦の列を少しずつ丹念に足で踏んで行く。対象が

一本一本の麦であるから踏むすき間を開けてはならない。逆に麦を余り傷めても生育の障

害になる。適当にやる必要があった。最初は足踏みであったが、その後はコンクリートのロ

ーラーを使った。丁度北風が吹く真冬が麦踏みの季節であった。風に向かって進むときに寒

さがこたえた。このような単純だが少しでも収量を上げるため多くの努力をした。その麦も採

算が合わないと作付けが減っている。

2009年8月30日 (日)

自己主張

2009/8/30

自己主張

自分が存在するという事に気付くことは非常に大事だ。天上天下唯我独尊、我思う故に我あ

り等自分を見つめさせる貴重な言葉もある。論語には吾れ日に吾が身を三省すという一節

がある。自分を認識できるのはその存在を抜きに考えられない。しかし、自分が存在してい

ることはそこに他者がいないこと他を疎外しているいる事も確かだ。異なる物が同一の空間

を占めることはあり得ない。これは古典物理学の世界である。しかし、量子力学の世界像で

はそうでもなさそうだ。物質は常に動いている。そこにあるのは確率的な現象である。同じ空

間に異なる物質があるように見える場合がある。ともかく、極微の世界でも何か現象が起こ

るには物質と物質が干渉しなければならない。一つ一つが認識できる個とそれが干渉し合う

集団の関係はこの世の尽きることのない本質なのかもしれない。朝永三十郎という哲学者の

著作に『近世に於ける「我」の自覚史-新理想主義とその背景-』というのがあることを知

り、いまそれを思い出した。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士の父である。朝永

博士の量子物理という本も学生時代に購入したが歯が立たなかった。ともかく、親、子、孫と

世代、家系を通して何が伝えられたかも興味がある。分野は異なるが物事の本質を突き詰

めるという気性には共通するところがあるようだ。数人の欧米人がレストランで注文すると

き、他人と異なる肉や卵の料理法を指定するのを見て、自己主張をするのも大変だと思った

事がある。日本人の場合、最初にこれが良さそうと言いつつ最後には皆同じになってしまう

場合が多い。確かに、個人が自己主張して、違う物を食べれば、集団として得る情報量は多

くなる。しかし、別々だとその情報を共有する為にはコミュニケーションが必要になる。皆が同

じ物を食べると情報の共有は容易である。しかし、安くておいしいお買い得なメニューを見逃

す確率も増える。自己主張をしなければ自己の存在も危ういというのがその本質かもしれな

い。その本質に彼我の差はないのかもしれない。日本人も自己主張という点では欧米の方

向に向かっているようだ。

2009年8月26日 (水)

カフカ

2009/8/26

カフカ

短編小説の変身で知られている。薄い本ならばポッケットマネーで買える。分厚い本は金と

時間の点で手を出すのが難しかった。文芸書など尚更だ。若かりし頃の読書。実存主義など

が話題になりその流れで読んだのだろう。人間が虫になるという虚構を使っている。日本の

私小説というねちねちした小説は余り読む気がしなかった。小説も生まれたときの世間の風

潮を背負っているのかもしれない。そういう意味で私小説ももう一度読み直してみるのも良い

かも知れない。ともかく、長い小説も、短い小説も作者の表現したい事があるのであろう。そ

れを一言で言うとどうなるのかと能率論で考えてしまう。国語の作品観賞も試験問題ではワ

ンパターンであった。見る角度、読む角度で現れる表情が変わる。そういう多面的な意味を

発信している作品もあるような気もする。そのためには、具体性、可能性を削る。削ずられた

部分は想像で補う以外にない。俳句の句作に似る。要するに作品の鑑賞にはアンテナの向

きと性能、拾い上げた信号の解読能力が必要だ。別に、人まねで観賞する義務もない。とこ

ろで、変身も虫も翻訳されて原語が何に対応しているのか分からない。おそらく、変身の意味

には昆虫等の変態との連想も含まれていたのではないかとおもう。何回も挑戦したアシタバ

の苗作りに成功してそれをマルチ床に植えた。どの程度育ったのかと行ってみると葉がな

い。大きな虫がじっと葉脈だけが残った葉にしがみついている。青虫よりはるかに大きい。黄

アゲハの幼虫より大きい。芋虫より小さい。その形がなんとなく怖い。原始時代から刷り込ま

れた恐怖心か。仕方なく手でつまんで取り払った。つかむとぷりぷりと弾力がある。鱈腹食っ

たアシタバの葉がこの虫に変身した。掴まれると黄色い角をだして、エステル調の香気を放

って威嚇する。ゴム手袋でようやく実感したあの虫のぷりぷり感。世界の未開地では芋虫も

人間の栄養源であるらしい。この一見いやらしい、あわれな虫は黒アゲハの幼虫ではない

か。変身して優雅に飛び舞うあの黒アゲハ。カフカはその虫を見たか触ったか。

2009年8月25日 (火)

第二芸術論

2009/8/25

第二芸術論

桑原武夫の第二芸術論は終戦直後に出版された(『世界』1946年)。その後、二十年後頃だ

ったと思う、戦後を作った作品として雑誌に再録されたのを読んだ記憶がある。どんな作品も

それが輝く時がある。その時が去るとかすかに記憶の片隅に宿り、ついに忘れられて行く。

その作品が発表された時は俳句界だけではなく、各界に衝撃を与えたらしい。確かに、語数

という作品とは直接的に関係のない制約と季語という制約を課す文学形式でどれ程独創性

を生み出せるか単純に考えると疑問が生じる。いつしか似通った作品が出来てしまう。芸術

は独創的ではければならないという命題を信じれば第二芸術論に共感してしまう。自分も若

かりし時は俳句や短歌はつまらぬ芸事だと思っていた。しかし、いざ作品を作ってみると世間

で秀作と見なされている作品に比べれば足元にも及ばない。ともかく厳しい条件を課して間

口を広げて、多くの人により作り出された多くの作品を評価・観賞するというルールは一種の

スポーツのようで明らかに存在価値はある。猿がキーボードを叩けば俳句らしい句が生まれ

る可能性がある。世界最高のユニークさのある作品とはある作家が人間の最長寿命まで連

綿と書き綴ったただ一つの超巨大作という事になるのは明らかだ。つまらぬ単語の羅列なら

ば猿の作品に劣る確率の方が大きいかも知れない。こういう作品も原理的には何億も存在

できる。第一芸術を隅に置いて、第二芸術を論じるのは片手落ちだったのかもしれない。坂

口安吾が第二芸術論に関して論考を書いているのをネットで読んだが、こちらがまっとうなよ

うに感じた。しかし、消沈、沈滞している状況をかき回し活を入れた功績は大きいのではない

か。虚を撃っても誰ものって来なければそこで終わりである。それを盛り上げた状況が当時

の日本にあったのだろう。ともかく、第一、一等、一級、となにやらそれを自認する人が、第

二云々を論じるのは何とも頂けない気もしないではない。真の偉大さはそのような枠や束縛

を取り払ったところにあるのだろう。

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嗚呼 伊勢崎 非情

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)