06C_読みかじりの記

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2009年6月27日 (土)

都市の論理

2009/6/27

都市の論理

羽仁五郎の著作である。同氏が桐生生まれであるという事で興味をもって読んだ記憶があ

る。同時に都市の空気は自由にする(ドイツ語: Stadtluft macht frei)ということわざも思い出

した。当時のベストセラーでもあった。都市を人間の思想という観点から考察した本であった

と思う。確かに鄙から都市に出た人間は開放感を味わう。人を引きつける魅力や仕事の機

会もある。なんとか食ってゆける場所でもある。人が集まって都市が生まれる。そこに独特な

人間社会も生まれる。人と一緒に物や金や知識・情報も集まる。それが巨大なミキサーであ

る都市として現れる。当時はヨーロッパの都市が輝いて見えた。しかし、日本の江戸という都

市も捨てた物では無いと今となって感じる。現在の東京はどうか。それは制御を失った巨大

なマシーンの様でもある。知事がいようがいまいが日々変貌してゆく。その行き先はどこなの

か羽仁五郎氏に聞いてみたい思いがする。確かに地方のねばねばとした関係から都市のさ

らさらした関係の中に身を沈めることにより何か新しいものを感じるかもしれない。しかし、そ

の日の食料さえ自給できない都市は巨大なブラックホールでもあるようだ。生産と消費、分業

と流通、サービスの体系等の社会システムが都市の基盤を支えている。結局都市と地方は

不即不離の関係でしか無いのではないか。都市と地方のアンバランスは思想では解決出来

ない問題ではあるようだ。

2009年5月26日 (火)

論語と算盤

2009/5/26

論語と算盤

渋沢栄一の著作である。渋沢栄一と論語と算盤がどういう関係があるのか興味を持ってそ

の本を買った。社会人になって技術書の無味乾燥に飽きた頃の事だろう。算盤とは実業家

であった渋沢栄一の価値基準の象徴のように思われた。実業家渋沢栄一論語を語るという

キャッチフレーズを短縮した感じである。論語については色々是非が語られているが、息の

長い中国の思想ではある。かっての中国では、批孔批林等と徹底的に批判された。本音は

批林にあったのかも知れないが。ともかく、孔子は今日風に言えば一種のロビィイストで、影

響力のある支配者を自分の思想で動かそうとした人物であったようだ。影響力のある支配者

は金や権力はあるがおつむが少し劣る。しかし、幸いにもおつむが少し足らないと理解する

者は優秀なおつむを拝借して自分の足らざる所を補おうとする。そこに孔子の出番がある。

今日のロビィイストの行動原理は必ずしも明確ではない。思想ではなく情報ギャップで金儲け

をするだけかもしれない。その相手も思想などどうでもよいという御仁なのかも知れない。とも

かく、今日では文字通りの実業家も珍しくなったようだ。虚業に明け暮れしているのか。もし

かして、論語も算盤も、そんな物は観たことも聞いたことも無いのかもしれない。ともかく算盤

(経済)を深く追求してゆくと論語(人道)に至るという事なのだろう。財界の片隅にごく少数だ

がそういう人がいるようだ。しかし、当世の大方の経済人は算盤合わせに精一杯で、論語を

振り返るゆとりさえないのかも知れない。その算盤も時には灰色でパチパチと気持ちの良い

響きがしないようなのだ。

2009年4月25日 (土)

匠の時代

2009/4/25

匠の時代

内橋克人氏の作品であり、高度成長期の技術者の一人として読んで感銘を受けた。匠とは

所詮職人のことではあるが、その職人技に光を当て技術の人間的な側面を紹介してくれたこ

とが感銘の主因であったと思う。技術者は大抵裏方、黒子に徹しているものだ。自分の手で

物事を作り上げることは大きな喜びに通じる。卒業研究の時、隣の研究室では半導体デバイ

スの研究を始めた。研究室も創設期であり、拡散装置も無い。そこで、実習として電気炉の

設計と製作をして、その装置を手作りで稼働させてついにPN接合が出来たのを大喜びした

姿を見て職人というか手作りの大切さを見た思いがした。かの青色発光ダイオードを作り出

した技術者も同じ様な喜びを感じていただろうと思う。これを会社の中でやりぬくのは大変

だ。結局、大量生産される製品も、最初の一点は手作りであり、それを動かして実物を見せ

るのが職人という事なのだろう。ともかく成功と失敗の話は種が尽きない。この本を職場の新

人に推薦したいと思ったことがあるが、ついにかなわなかった。技術者も夢ばかりは追

えない時代になっていたのであろう。

2009年4月19日 (日)

女性史を読む

2009/4/19

女性史を読む

結婚適齢期を迎えて自分の結婚について悩むのは人の常であろうか。そんな悩みと共に読

んだ本が高群 逸枝の女性の歴史であったと思う。高群 逸枝は日本の「女性史学」の創設者

と言われる。高群逸枝が女性史に志すのに四国巡礼の体験があったと言う。若い女性がお

遍路さんの姿で四国巡礼を遂げた事が自己の行く先を暗示させたのかもしれない。いつか

行きたいという長年の念願を決行する事が人生の楔の一つとなるのであろう。巡礼は単に巡

り歩くだけではなく始めのきっかけを与えられる旅なのかも知れない。日本の婚姻制度も時

代と共に変遷してきたことを知るだけでも何か得る物があったような気がする。高群逸枝は

石牟礼道子と親子程の年齢差があるが、同じ熊本生まれであったと今知った。熊本にはこう

いう女性を産む風土があるのだろうか。

2009年4月 8日 (水)

文明社会と苦海浄土

2009/4/8

文明社会と苦海浄土

4月8日は釈迦の誕生日と言われ、灌仏会という行事が行われる。幼少時は寺で甘茶を頂い

た事を思い出す。釈迦が覚った苦と現代社会の苦悩は同じなのだろうか。

丁度自分が社会に出た頃、石牟礼道子の『苦海浄土――わが水俣病』が出版された。自分

がそれを読んだのは更に何年も後のことであろう。水俣病というのが社会的に定着してきて

からであろう。自分たちの感情や思いはなかなか表現が難しい。起こってしまったことの解釈

と昇華は永遠に文学の仕事であるようだ。安全と危険の取引。これがビジネスの根底にあ

る。しかし、そのビジネスに無縁な人も同じ世界に住んでいる。すべての事象がこの世界に

だけに起こっているのである。見えることもなく、感知不能な危険も文明の進歩に伴い増大し

ている。排出された汚染物質もすべてこの世にとどまり少しずつ変化して行く。企業に身を置

く人は生活のためそこから去ることもままならない。あの有機水銀の排出に直接か間接か係

わらざるを得なかった人がいるのも事実であろう。安全と思っても危ない結果が何年も後か

ら生じる事もありうる。もしその人の立場になったら、その人はなにを為すのが最善なのか。

自分もその人の立場になる可能性が常にある。社会と個人を支配する倫理と論理は必ずし

も整合しない。あらゆるところに苦渋の選択がある。しかし、それを何とか乗り越えなければ

心は安らかにならない。苦海はそれだけ深く、浄土ははるかに遠いということなのか。

2009年4月 6日 (月)

堕落論のこと

2009/4/6

堕落論のこと

日本が敗戦から立ち直り、ようやく過去の歴史を正視する機運になった頃、ある総合雑誌の

特集で坂口安吾の堕落論に出会った。青空文庫で再度読み直してみた。その最後の二行

に、「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治によ

る救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」とある。自分も、色々な局面で落ち込ん

だ事があり、そのとき最後に落ちる所ところまで落ちればその下は無いのだと言い聞かせた

事もあった。朝の来ない夜は無いのだ。凡人は尻まくりの覚悟程度かもしれないが。戦争と

は政治の一形態だという見方もある。あの戦争で落ちるところまで落ちて自分自身を発見

し、自己救済を成し遂げた。終戦直後にこの新しい自己再生の原理を示したことに堕落論の

すごさがあるのであろう。今、世界が、日本が直面している課題は政治が解決してくれるので

あろうか。国やぶれて山河あり...。とことん落ち切れない所に現世の深い悩みがある。頭

の真上から強光で照らされれば足下に影が出来ない。自分の影を見て恐れ、その影で恐れ

ている自分を発見する必要はない。坂口安吾の堕落とは諸々の影を断ち切って自己が確実

に残っていることを実感して自分の足腰で立ち上がる事だと言っているように思われる。

2009年3月 5日 (木)

成長の限界

2009/3/5

成長の限界

ローマクラブが『成長の限界』(1972年)を出版した時、既に人口の増加や資源の枯渇や環

境の悪化が意識されて、その対策が模索された。しかし、当時は地球温暖化という問題は明

確には認識されていなかったと思われる。ともかく、自分が生きてきたのが『成長の限界』が

警告していた時代であった。入れ物が有限ならばそこに入る物も有限であることに疑問は無

い。生産量が増えれば、その累計数量から廃棄処分数量を差し引いた数量がどこかに残る

ことになる。従来通りの成長には限界があるのは最初から分かっていた事なのだろうか。と

もかく作って売るというビジネスモデルは明快で利益も高い。薄利多売のビジネスモデルもは

びこっている。自分で自動車を買いガソリン代を払うというコストを払って安い物を買いに行

く。これが出来なくなった時昔の小売店の存在をうらやましく思う時代も来る予感がしないでも

ない。成長が永久に続く事が不可能ならば価値観を成熟を目指す方向に切り替えたらどうだ

ろう。量から質への転換もこれに通じるだろう。そのキーワードは何か。成長の限界を裏から

見て「無限の成熟」か。

2009年1月13日 (火)

「赤土への執念」を読んで

2009/1/13

「赤土への執念」を読んで

2008年大晦日に古本市で出会った本が、相沢忠洋(1926年6月21日 - 1989年5月22日)

著「赤土への執念」であった。早速読ませて頂いた。遠い過去の遺物が何を語っているの

か。それを語ってくれるものを必死に求めた。その思いを「赤土への執念」という本のタイトル

に込めたのであろう。同時に次ぎに何を探求するかを示している。旧石器時代の人骨。残る

可能性は極めて小さいがゼロではない。発見されることを待っている旧石器時代の人骨がど

こかに眠っているかもしれない。ともかく、夢をみるのも個性である。その夢を語ってようやく

現実的な意識の対象になる。石器はそれを使った人類がいたという間接的な証拠である。石

器と人骨が揃って出土すればそれこそ大発見であろう。考古学の世界に捏造事件が発覚し

て考古学の氷河期が来た。捏造は他の世界にも及んだ。功をあせる必要はない。遠い古代

の姿を想像し胸をときめかせるのは誰にも自由なのである。科学が進んだ現在人骨に代わ

る証拠を探す可能性は皆無なのであろうか。ともかく不確かな過去の事を考え始めると際限

が無くなる。今年は相沢忠洋氏没後20年となるようだ。同氏の夢を誰かがかなえる時は皆

無ではないだろう。情熱と執念がそれを可能にするのであろう。

2008年10月19日 (日)

荘子と混沌

2008/10/19

荘子と混沌

日本で初めてのノーベル賞を受賞された湯川秀樹博士が中国思想である荘子に親しんでい

た事は広く知られている。荘子の思想が自由な発想を触発させる内容に富んでいたからであ

ろう。湯川秀樹著作集の読書に関する一冊を読んでみた。博士は荘子の混沌の話を素粒子

論の発想と対比して語っていた。物理の基礎理論の混沌と荘子の中の混沌を対応させつつ

混沌の中から中間子理論を導いた事を語っているのではないかと思った。そうして博士の究

極の目的とした素領域の理論も視野に入れて荘子の混沌を語ったようでもある。

時間と空間という入れ物は決まっていても、それを舞台にして演じる役者は本当に大勢い

る。偉大な音楽や偉大な彫刻などもその例だろう。天才がそれをつむぎだす。

それなら、その役者の正体は何か。湯川博士は素粒子の種類が多く成りすぎて、それをうま

く整理できない状態を混沌という状態に見立てたようだ。多くの素粒子を生み出す更に基本

的で究極的な粒子の存在を想定した。それが「クォーク」という基本粒子であり、陽子や中性

子、中間子などの粒子はすべて、クォークの組み合わせでできていると考えられるようになっ

た。本年のノーベル物理学賞の小林・益川理論は湯川博士の研究の流れの中にあったとい

えるようだ。物理の世界にも実際の世界にも常に混沌がつきまとっている。その混沌の根本

をつかむことは永遠の課題かも知れない。しかし、混沌に真正面から向かわない限り混沌の

本当の姿さえ見えないのも事実であろう。混沌とは物事が生まれ育ち始める原点のようなも

のかも知れない。湯川博士にとって荘子とは自由なアイデアを見つけ、育む場であったよう

だ。

*************************

追記(2014/6/7):「荘子と混沌(2008年10月19日 (日))。」の記事がいきなりランキング7位に入った。アクセスログは無いので何人この記事にアクセスしたのか不明だ。ともかく最低数人の読者がいるのだろう。物事、数字で知ってしまうと興ざめする事が色々ある。数年前の、自分でも忘れかけた記事を読んでくれる読者がいるだけでもありがたい。思うに、終戦直後に湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した事は、自信を失っていた多くの国民に元気を与えてくれたと思う。特に、当時の青少年が受けた感化も多大だったと思う。残念だが、当今の理化学研究所とそれを取り巻くSTAP細胞論文問題は、まさに混沌状態にある。それも、自然観に関わる深遠な混沌で無く、下世話・世俗的な混沌だ。現代の青少年達が科学に対してどんな夢が持てるのか。

サイト内でキーワード「科学ニュースに独り言」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AB%E7%8B%AC%E3%82%8A%E8%A8%80%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

追記(2014/6/9):
上記記事がランキング2位に入った。なぜ急上昇したのか不明。Googleで以下のキーワードを検索して当BLOGのヒット状況を調べた。「湯川秀樹博士と混沌」というイメージはまだ健在なのかもしれない。

混沌 湯川:24/約 29,500
混沌 湯川 理化学研究所:69/約 12,200(当BLOG記事)
混沌 理化学研究所:100位以下/約 22,000
湯川 理化学研究所:100位以下/約 36,400
*************************

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    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
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    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
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