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2010年11月 5日 (金)

読みかじりの記:二宮尊徳の仕法と仕分

2010/11/5

読みかじりの記:二宮尊徳の仕法と仕分

二宮尊徳という名前にはあまり馴染みがない。二宮金次郎という名前にはあの薪を背負いながら本を読んでいる像と共に馴染みは残る。しかし、戦前とは異なり、二宮金次郎について事細かに教えられたりした記憶もあまりない。学校の校庭の隅に立っていた、二宮金次郎少年の像もいつしか無くなり、台座だけになっていたと思っていたら、いつの間にかその台座の上に二宮金次郎少年の像がまた立っていた。書肆いいだやで閉店直前に買った古本の「二宮尊徳」(岩波新書:奈良本辰也著)を最近拾い読みした。

著者があとがきで尊徳には敬遠したい気持があると書いているが、世間一般もそう思っているように感じる。あの勤勉には勝てないという気持が誰にもあるのだろう。著者は歴史家としてもう一度、二宮尊徳の実像に迫ろうとして本書の執筆をしたようだ。著者は明治期の国定教科書に二宮尊徳を加えた理由として井上哲次郎のことばを引用している。それによれば、二宮尊徳が国民の手本となるモデルとして最も無難であったからである。また、国策として国家に反発することなく、国家的事業を率先して行った手本を示すという面もあったようだ。見方にもよるが、それこそ二宮尊徳の偉大さのたまものだったのかもしれない。国家の教育理念として、農民上がりの一実際家二宮尊徳を中心に据えること自体が当時の日本の実状を示していて痛快に思われる。吉田松陰を候補に上げる人もいたが結局それは実現しなかったとも紹介されている。

著者は二宮尊徳が、祖父、父等と金次郎の関係を歴史的にたどり、二宮尊徳という人間像が形成されるまでを解明して興味深い。なぜ二宮尊徳が多くの農民から慕われるようになったのかという点に関しては、当時の封建社会の知られざる秘密を掴んだからその矛盾の解決ができたのだろうとのべている。その秘密とは自然の法則と人間社会の法則。著者は二宮尊徳に近代社会の萌芽を読みとろうとしているようだ。当時の状況は社会的には江戸幕府も長年の積弊で制度崩壊寸前で、自然面では干魃、浅間山の噴火等の天変地異で農業の不振が続いた。このような大きな問題を解決する方法論を二宮尊徳は実践の中で鍛え上げてきた。これを二宮尊徳は仕法とよんでいたようだ。

今日的に言えば、二宮尊徳の仕法とは社会や財政や民生の再生プログラムであり、巨大な社会プロジェクトであった。二宮尊徳がその仕法を研究したのが今日風には社会再生プロジェクト企画書で、その作成に数年かけている。そのプロジェクトの実際の期間は十年から二、三十年かかるという見積もりの巨大プロジェクトである。このようなプロジェクトに一生をかけた二宮尊徳の姿はあの二宮金次郎少年の像からは想像もできないことであった。

ところが、今日も状況は二宮尊徳が生きた時代に似て、財政だけではなく、社会の基盤となる制度そのものがぎくしゃくして、国民の不信感が募り、目先の問題を処理する為か、パフォーマンスの為か、国を筆頭にあちこちで仕分けが行われている。二宮尊徳が仕法の最初に行うのが人心の安定と人作り。プロジェクトの意義と重要性を理解できなければ誰も従わない。せいぜい面従腹誹で物事はうまく進まない。言葉は似ていても、仕分けは最終的には単に予算という水道栓を出口の前で調整するだけに等しい。井戸を掘り、水路を拓くという再生に必須だが地味な仕事は誰もしようとしない。ここで悲観していても未来はないだろうが...。あの少年二宮金次郎は今でさえ日本中あちこちにいるだろう。彼らは仕法と仕分けのどちらを選ぶだろうか。そんな事を考えるゆとりはないのであろうか。今こそ、第二、第三の二宮尊徳が現れる事を願わざるを得ない。

追記:戦後、破綻した会社を招かれて再生させた名経営者も何人か思い出す。再建を任された経営者にはやはり、何かのオーラがある。そのオーラの源は何か。きっと人を動かす力なのだろうと思うが、力という言葉も抽象概念で、心眼を通さないとその本質は見えない。かつて農民は縄ない、俵編みをいやと言うほどやって来た。二宮金次郎の偉大さはこのような平凡な農民を超えて、人生後半に疲弊した社会・組織の再生を成し遂げた事にあったと今更ながら理解したところだ。また、二宮尊徳の考えに共鳴した多くの後継者・実践者がいることも知った。これが、二宮尊徳という人物が歴史の中で孤立せず、社会的に評価されている点でもあるようだ。

2010年9月20日 (月)

読みかじりの記:高橋元吉詩集:いとしきもの。100920。

2010/9/20

読みかじりの記:高橋元吉詩集

昨日(9/19)の上毛新聞の三山春秋に煥乎堂(かんこどう)の事が書かれていた。旧煥乎堂店舗を設計した白井晟一の企画展を紹介する中で、高橋元吉と白井晟一の精神的なつながりを述べていた。その中で、煥乎堂は明治初期に創業した老舗で云々と紹介されており、9/19の我がブログ記事で高橋元吉を創業者と書いた事が誤りかもしれないと感づいた。幸い、手元に高橋元吉詩集全五巻があるので、高橋元吉年譜をあたってみた。書店経営者としては3代目と訂正する。全集と書いたのも詩集の誤りで訂正。その年譜は明治26年に高橋常蔵の二男として生まれるから始まっていた。

そこには、高橋元吉が自分の生誕を記した以下の詩があった。

「武家から商家になた家に
 一人の武士の娘が嫁いで
 今から丁度四十八年前のきょう
 五人目の子を生んだ
 二番目の男の子だ」

大正6年(元吉24才)初代常蔵の死後、同年兄清七が家督を相続し二代目となる。清七が昭和17年に亡くなり、同年元吉(49才)が三代目を継いで社長に就任した。没年は昭和40年(72才)。この年譜を読むと高橋元吉は煥乎堂の三代目の社長になる事より、詩人として生きる事を覚悟して半生を歩んでいたように思われる。当時は長子相続の時代で、家業の点では二男は身軽な立場にいる場合が多かったと思う。今年で没後45年、生誕117年である。この機会に、高橋元吉詩集第五巻(草裡Ⅱ)の最後に掲載されている無題の詩を以下に掲載する。

「なん十年といふ間
 この世の花をみてきた
 人が見ても見なくても
 咲きこぼれるとひらいて
 また消えてゆく花といふものを

 いかにものがなしげに
 過ぎてゆくものであるか
 時といふものは」

「この世の花」とはまさにいきとし生ける物の虚実を総称した象徴であろう。この世の全ての事象が時の中に生まれてかつ消えて行く。方丈記の人生観にも通じるようだが、自分はそいう事象を、自分の視点を通して見守り、<人が見ても見なくても>という句のなかに、事業家としてやるべきはやってきたという自負もみえるように感じる。一転して、最後の三行が詩人としての高橋元吉の心情の告白なのだろう。

高橋元吉の詩には上州の空っ風のような軽率な気風を感じない。詩は書店の仕事の合間に作ったようだ。その詩の中に高橋元吉の人生が投影されているのだろう。煥乎堂の経営という事業家として歩んだ人生がのしかかり、深海のように暗く重々しい何かがその詩の中を流れているように感じる。風で例えれば、一冬に一二回しか吹かない真夜中のごうごうと言う怖くなるような激風のようだ。それが音もなく詩の中を静かに吹き渡り、なかなか詩集を開く気にさせないのである。しかし、その鉛のような人生の重さを背負っていたから事業と詩作(文化事業)の両立が出来たのではないかと思った。

煥乎堂は群馬県に関する書籍を数多く出版してきた。自分も煥乎堂が出版した本を何冊か持っている。本の出版は煥乎堂の経営者としての高橋元吉の業績であり、地域文化への貢献であろう。年譜によると、一方では詩人として、文化人として中央の文化人との交流を元に群馬県の文化の振興に寄与している事が窺えた。残念だが、高橋元吉が詩人であると知る人はあっても、その詩業を知る人は少ないのではないか。しかし、最後まで詩人である事を止めず、詩人の精神を忘れなかった故に出版や白井晟一に依頼した旧店舗の設計等の文化的活動が出来たのではないか。

尚、煥乎堂に関しては以下のサイトを参照させて頂いた。今はない煥乎堂の旧店舗等が紹介されており、学生時代にお世話になった事を思い出した。クリックマークがあったので、クリックしたみたら、人気ランキングであった。271828の滑り台Logさんは:技術・工学の人気ランキングで3位であった。ご健闘に拍手。

参照サイト:

271828の滑り台Log
http://blog.goo.ne.jp/slide_271828/e/affb8132255a643818fe99699d0a661f

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追記(2014/4/21): 「高橋元吉詩集:いとしきもの(2010年9月20日 (月))」がランキング10位に入った。

関連記事として当サイト内の「煥乎堂」をGoogle検索。 サイト内でキーワード「煥乎堂」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E7%85%A5%E4%B9%8E%E5%A0%82%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

以下に昨年末頃撮影した煥乎堂玄関付近の画像を示す。

Iob_kankodougenkan_131102
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追記1(2014/8/1):「高橋元吉詩集:いとしきもの」の記事がランキング9位に入った。10位が「愛しき古里:萩原朔太郎が見た故郷の風景は?」で、両方群馬県の詩人なのは不思議な感じがする。最近関心度が高い楫取素彦顕彰碑と高橋元吉詩碑は同じ公園内にある。WIKIPEDIA「花燃ゆ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%87%83%E3%82%86)」のコメントが面白い。曰く「この項目には放送開始前の番組に関する記述があります。Wikipediaはニュース速報でも宣伝サイトでもありません。方針に従い独自研究の予測などは載せず、出典に基づいて正確な記述を心がけてください。また、特に重要と思われることについてはウィキニュースへの投稿も検討してください。(2013年12月)」。「愛しき古里(PHOTO1:たまたま出会ったもの ):高橋元吉の詩碑(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/09/photo1-1011.html)。(2012年9月 6日 (木))」。詩碑だけを見る:http://af06.kazelog.jp/photos/phot1/takahashi_motokichi_sihi_hontai.jpg。「09D2 初代群馬県令 楫取素彦 没後100年記念(2012年)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/09d2_KATORI_MOTOHIKO_MEMORIAL.html)。」楫取素彦が建立した「御蔭松の碑」というのがある。サイト内でキーワード「御蔭松の碑」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E5%BE%A1%E8%94%AD%E6%9D%BE%E3%81%AE%E7%A2%91%E3%80%80site:http:%2F%
2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F
)。


追記2(2015/4/10):「高橋元吉詩集:いとしきもの」の記事がランキング10位に入った。煥乎堂といえば群馬の名門書店だったが、本が欲しい時は金が無い学生時代だった。それだけ、煥乎堂に並んでいた本が輝いていた。最近は、前橋に行く機会も少なくなった。先日は、ぶらり前橋散策をして、その最後の寄り先が煥乎堂だった。向かったのは三階の古本コーナー。ポイントカードをくれた。ほとんど来ないので断ろうとも考えたが、それを持っていれば、また来ようかと思うかも知れないと貰っておいた。「新ラジオ技術」(上下巻)があった。手元の下巻は昭和29年再版のものだ。その十数年後に、同じ本を購入して読んだ記憶がある。つい買ってしまったが、まだトランジスターは出て来ず、真空管だけを扱っている。理工学の専門書は高価で、神田の明倫館という古書店で買った事を思い出す。あの明倫館は吉田松陰とどんな関係があるのだろうか。

Googleでキーワード「明倫館 古書」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E6%98%8E%E5%80%AB%E9%A4%A8+%E5%8F%A4%E6%9B%B8)。

追記(2018/07/30):タイトル文字を変更。日付を追加。アクセスランキング4位。

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追記(2019/10/29):思い付メモ

読みかじりの記:高橋元吉詩集:いとしきもの。100920。の記事が2019年10月29(火)のアクセスランキング5位に入った。以前かみさんと雑談していると高橋元吉の話が出てきた。どこかで聞いた名前だと言う事で話が一致した。その後、前女の校歌の歌詞を作っていると知った。文化と文明という切り口から我が古里群馬を見ると本当にお寒い限りだ。その点、群馬県の文化として前橋の煥乎堂は少しは自慢できる。忘れてしまうのが講談社の野間清治だ。野間清治も群馬師範の学生であった。このランキングを見て、野間清治は学生時代に煥乎堂に通ったかも知れないと思い付いた。そう考えると煥乎堂の高橋元吉と講談社の野間清治は全く無関係だとは言えないのかも知れないと思った。

「身辺雑記:田舎老人徒然草:文化と文明雑感:花燃ゆに出る明倫館と神田の古書店明倫館は関係あるのか?(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/10/post-b82c.html)。(2015年10月26日 (月))」

「身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(3):米じいさんの葬式;大砲の 音よりましな 落雪だ。1601。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2016/01/3-f712.html)。(2016年1月20日 (水))」

群馬県出身の有名人(https://yuumeijin.info/kenken.php?ken=%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C)

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以下は予定の本題

雑草句録:秋の空

■いやながら農薬をまく秋の空

農薬は主に病害虫の防除に使う。法律的には病害虫の防除に使う生物等も含まれるようだ。生物農薬と呼ばれる分類があり農薬取締法の対象になると言うことなのか。ところが、植物に寄生する虫や病気が100%有害なのか迷う。

最近、多剤耐性菌が問題になっている。細菌は生き残りをかけて自分の薬剤耐性の強化を遺伝しレベルで行っている。害虫も薬剤耐性を持つと使用できる薬剤が減るというので、同じ薬剤の連続投与を避けるように指導されているようだ。

生物多様性の重要性が叫ばれているが、細菌、微生物等自然の生態系の連鎖を農薬が断ち切り、失われたが気付かれない生物種が非常に多いのではないか。食物連鎖の頂点にたつ大鷹は話題になるが、足元の微生物は見過ごしてしまう。

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2010年9月 3日 (金)

9歳の壁:いとしきもの

2010/9/3

読みかじりの記:9歳の壁

暑い真夏の昼下がり、扇風機をかけてインターネット。パソコンのファンが回転を始めたのでケース内温度が設定値以上に上昇しているようだ。そんなときに出会ったのがhttp://gaya.jp/english/katakana.htmというページ。タイトルが「カタカナ英語でいいんじゃない?
= 通じる発音イロハニホヘト =」という、日本人の英語下手論に再
度遭遇した。

自分なりに要約すると、言葉の学習は開き直って猿まねで行けということのようだ。自分の外国語に関する体験はブログ「外国語コンプレックス(2008/12/27)」に書いた。言葉の学習は割り切りが大切だという結論であった。

脳研究者の池上先生は「言葉を覚える能力は、一般に8歳までであると言われている。この年齢を過ぎると、新しい言語を覚える能力は急速に低下する。「9歳の壁」と呼ばれる脳の変化だ。こうした現象が脳に備わっている理由は明らかになっていない。しかし、私たちはこれを事実として受け止めなければならない。」と書かれて、臨界期という術語の他に「9歳の壁」を知った。

多分我々戦後派がローマ字を習ったのは小学4年だったと思う。だが、その時既に当の少年等の言語/発音・聞き取り能力はコンクリートのように固まっていたのかもしれない。ともかく、脳内で起こっている現象とそれを観察した結果をつき合わせて、例えば「9歳の壁」というような現象を合理的に説明できるまでにはまだ相当な時間がかかるように思われた。しかし、重要なのは言語の臨界期や「9歳の壁」というものが、人種的な遺伝子の差異ではなく、単に外部的な環境や教育の差であるのならば、外部システムを変更するだけで対策ができる筈だ。

もう一つ、モノの認識に関して『多くの人は、モノは自分の頭の外にあって、それを目で見たり手で触ったりして感知していると考えている。それを常識として疑ってみたことすらないだろう。だが本当をいえば、モノは脳の外側ではなくて内側に存在しているのだ。こう書くと不思議に思う人もいるかもしれない。そういう人のためにあえて言い換えるとすればこうなる。「モノが存在していることと、モノが存在していると感じることは無関係である」。』というご指摘になるほどと思う。要するに脳の中には途方もなく多くの情報が詰まっているのであろう。

自分がいとしきものとして想起するものは何がトリガーになっているのであろうか。もはや、それはモノとして存在し得ないものなのか。

追記:「臨界期」も「九歳の壁」も学習を受け付けて効果がある時期と効果がない時期の境界を意味するのだろうが、厳密に存在するのか。多分、傾向則としてはあるように感じるが、その境界はS字カーブのようにある勾配・幅を持って状態が変わると言った方が正確なのかと思ったりする。ともかく、記憶・学習という機能は生きている限り完全には失われないと考えた方が気が楽だ。リハビリも生体のダイナミックな変化に基礎がある。脳も同じであろう。長寿命社会になると、そういう決定論的見方では老後の楽しみがなくなってしまう。例えば、老化で記憶の効率が悪くなっても、それを補う方法があれば不便は軽減されるだろう。例えば、繰り返しテレビ。回数で補う。テレビをインテリジェント化(録画、画像処理機能を含む)して、話者(シチュエーション等でも良い)をテレビが聞き分ける(判断する)。話した(放映された)順に、指定回数だけ繰り返して写してくれる。こういうインテリジェント・テレビ・ビデオは出演者にも有用だろう。習い事のフィードバック学習にも最適だ。3Dテレビより実用性が高いのではないか。昨日はラジオで民主党代表選候補者の討論を聞いた。この新型テレビは持ち時間を決めた政治討論会(当然語学講座)等にも有効かもしれないと思ったりする。

2010年8月23日 (月)

臨界期:いとしきもの

2010/8/23

読みかじりの記:臨界期

利根川博士の「私の脳科学講義」の中に脳ネットワークの臨界期についての記事があった。脳の機能が固まる限界の時期があり、その時期以後になるとその機能を発現させることが困難になるらしい。

その例を自分の子供の発音の習得の臨界期が3才頃であったと述べられている。三つ子の魂百までということわざがあるが、この意味している事は非常に深いように思われる。生物のヒトとしての言語の習得は生まれ育った場所で通用すれば十分であり、それ以外の機能は捨ててしまった方が良いという実利性に基づいているようだ。臨界期以後の未開拓の機能の退化がそれを示しているようだ。しかし、多言語を駆使して世界を飛び回る時代になると、コトバを聞き分ける音感だけは幼少時から訓練した方がよいのかも知れない。3才以前にはそういう脳の可塑性が健在だから、基礎を作っておくだけでも後々が楽になる筈だ。そう考えると、小学校で英語教育云々という手法が科学的ではないように思える。正解は保育園頃に言語訓練をするという事になろうか。要するに教育・訓練に適期があり、その的期に訓練すれば能力が引き出せると言うことだろう。

自分で自分に関する記憶がどこまで遡ってたどれるかは、自分史という観点からも大変興味がある。生まれた直後からはっきりした自分の記憶があると言っている人もいるようだ。しかし、記憶に関しては真偽を判定する事が非常に困難である。個人の歴史は受精から始まる。しかし先代からはDNAも引き継いでいる。当然受精から生誕までのプロセスの歴史もどこかに残っているのであろう。この部分は設計図から家を完成させるまでに相当するだろう。この一年の間に生物としての基礎的な部分が完成する。しかし、この部分の記憶は暗黒世界のようだ。科学がこの氷山で言えば海面下の見えない部分を解明出来る時がくるのだろうか。本能、無意識、無我の境地等は科学的に見ると何処がどのように働いていることによって現れるのか。

ヒトは生誕後は母胎という安定した環境から変化の激しい環境に個として曝される事になる。環境変化という荒波を乗り切る事が環境への適応という事になる。この適応を合理的に支援するのが記憶システムのようにも感じる。自我が意識され、主張される時期も脳の配線の具合に関係しているのであろうか。

ところで、物事の始めの部分は誰しも関心があるのだが、終焉部分はどうなるのだろうか。老化現象も生物進化の一つに組み込まれているようだが、その部分が合理的に解明されると誰もが安心するのではないかと思う。

最近、臓器移植法の改定により脳死判断されたヒトの臓器が移植されたというニュースに接した。ヒトの脳以外の臓器には記憶がないから移植しても問題が無かろうという判断があるのだろうか。生命とは、死とは、記憶とは云々と未だ科学的に十分に解明されていない事がたくさんあるが、現実の方がどんどん進んでしまう。

本年、東京大学が「今回、老齢マウスを用いた研究によって、かなり高齢になっても、運動によって海馬の神経幹細胞が活性化し細胞増殖が増強することで、新生ニューロンの数が増加することが判明した。」と発表した(http://www.k.u-tokyo.ac.jp/news/20100112press.html)。(発表雑誌:米国科学誌「Hippocampus (ヒポカンパス)」2010年1月19日(火曜日) オンライン版公開)。脳細胞は加齢と共に死滅してゆくというのが通説であったが、例外もあるようだ。人生余り悲観しない方がよいのかもしれない。

2010年4月 7日 (水)

氷山の下:いとしきもの

2010/4/7

氷山の下

萩原朔太郎は群馬生まれの詩人であるが、あまりなじめなかった。上州の空っ風の中を汽

車で帰る詩を読んだ記憶があるが、はっきり思い出せなかった。検索してみると、帰郷という

題の詩であったようだ。

わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。

詞書きに昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰るとあるようだ。自分はこの詩を

読んだ時、最初の数行しか関心がなかったようだ。この詞書きを読んでも、十代前後では本

当の心情は理解できなかったと思う。心情というより、もっと突き詰めた何かがあるのだろ

う。それは、詩を通してしか表現できない。しかも、何かに突き動かされてそれが生まれる。

身を削るような詩作。読む方も辛い。しかし、大抵はそこまで迫れないのではないか。何か読

まない理由を見つけている自分に気付く。それならばと、たまたま、青空文庫で萩原朔太郎

の作品を調べたら「ラヂオ漫談」という随筆作品に眼が向いた。その作品で萩原朔太郎が「こ

れが私の始めてラヂオを聞いた時の印象である。」と述べていて、当時のラジオ音声の質は

蓄音機のように余り良くなかったらしい。ラッパがついていたようなので、増幅器は無かった

のか。しかし、萩原朔太郎は、「尤もその前から、非常な好奇心をもつて「まだ知らぬラヂオ」

にあこがれてゐた。」と述べており、自分の好奇心の強さを自慢しているような部分もあり、

詩という作品以外の知られざる側面があることに親しみを覚えた。書かれた内容から、大正

時代のラジオ事情を知ることができる。音楽についても、演奏会というような形式張ったもの

より、好きな音楽を好きなスタイルで聴けるのが最高であると述べている。今日が、まさにそ

のような時代になっているようにも思える。しかし、余りにも自由になってしまうと作品自体が

発散してしまいそうだ。ちなみに、WIKIPEDIAによると、日本初のラジオ放送は、1925年(大

正14年)3月22日午前9時30分に行われたとの事で、萩原朔太郎のラヂオ漫談」という随筆

は昭和初期のラジオ事情と言った方が良いのかもしれない。また、萩原朔太郎は俳句に関し

ては「郷愁の詩人 与謝蕪村」という作品があり、これも少しかじった記憶がある。青空文庫

では作業中との事で、ネットで読めるようになることを期待したい。与謝蕪村は俳人であると

共に画家でもあった。萩原朔太郎は与謝蕪村のセンス、感性を高く評価していたのかもしれ

ない。青空文庫で萩原朔太郎の随筆等詩以外の作品を拾い読みして、詩を海面に現れた氷

山に例えると、海面下の氷山の大きさにも気付かされたように感じた。海面下の氷山の部分

が意外でもあり、萩原朔太郎を随筆家・評論家的な身近な存在に感じさせてくれるようでもあ

る。ともかく、最初から氷山に登らなくても良いのではないかと思った。

2010年2月22日 (月)

科学史:いとしきもの

2010/2/22

科学史

今日の文明が科学の発展に負う事は誰しも認めると思うが、素人がその歴史をたどることに

は困難が伴う。科学史に興味を覚えて、買い置いてあった書棚の本がふと目に付いた。石原

純著の科学史である。現代日本文明史(第十三巻)。昭和17年8月23日初版発行。7000

部とある。自分にとって第二次世界大戦の終戦前と終戦後がうまくつながらないのである。し

かし、大正・昭和という時代は科学文明の時代に突入していた。巻頭の序文で著者は明治・

大正時代の日本の科学の詳述するとともに、先覚者が果たした役割を高く評価している。断

片的であるが、明治以前の西洋科学の輸入も、明治時代の本格的な西洋科学の輸入の基

礎を作った事も評価している。

WIKIPEDIAには「来歴・人物 [編集]
東京帝国大学理科大学卒業。東北帝国大学助教授時代にヨーロッパに留学し、アインシュタインらのもとで学ぶ。1921年、歌人・原阿佐緒との恋愛事件により大学を辞職、以後は著作活動をおこなう。1922年、アインシュタインの来日講演の通訳をした。歌人としては伊藤左千夫らの、『アララギ』の発刊に加わり、自由律短歌の推進者となった。1931年から雑誌『科学 (岩波書店) 』(岩波書店)の初代編集主任を務めた。」とあった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E7%B4%94最終更新 2009年12月2日 (水) 19:03 による。

学校教育では○○が○○を発明・発見した程度の事を学んだに過ぎないと思う。序論で著者

は日本科学の後進性を述べ、明治以降もその後進性の故、日本の技術発展が日本的特性

を帯びるようになったと述べている。後進性は学より、術。系統的でない。秘伝的傾向。直感

的で論理的でない。自然哲学的傾向が強い。等に現れているとしている。しかし、社会的な

要因による発達のポテンシャルは低かったが、日本人自身の有つ能力のポテンシャルは十

分にあると述べている。終戦後花開いた科学の成果も、明治・大正・戦前の昭和の先覚者が

播いた種があったからなのかもしれない。そういう点で、著者が明治維新を西洋のルネッサ

ンスに例えている事が印象に残る。心配なのは、現代は北朝鮮やイランがミサイルや核兵器

を持つ時代なのである。科学・技術の先進国ニッポンというお題目は通用しなくなる可能性も

あるのだ。インドや中国はルネッサンスの時代に入りつつあるのではないか。ルネサンスの

三大発明として活版印刷術、羅針盤、火薬があげられるが、既にその原型は存在していたよ

うだ。それらの技術を大々的に活用できた利用技術(ソフト)と生産力がルネサンスを支えた

のではないか。かつては文芸復興と学んだ記憶がある。科学だけでなく人間性の回復もルネ

ッサンスの一側面であったと思う。理論物理学者の恋愛事件もルネッサンス的意味で興味を

そそる。歴史を学ぶとは化石のような事実を並べるのではなく、歴史を書いた人の目で、更

にそれを第三者の目で歴史を見る事でもあろう。冒頭の著作も学界を去って二十数年後に

出版されている。自分としては終戦の数年前に同書が出版された事が信じ難かった。

2009年12月26日 (土)

百科事典

2009/12/26

百科事典

知識に対するあこがれ、餓えをかなえてくれるのに百科事典があるであろう。今日、情報が

多様化して、その入手手段も入手コストも一昔のように苦労しなくなった。従って、書物として

の百科事典等が商業的に生き残る事が困難になっているようである。かつては、百科事典

が欲しかったがそれを買うユトリもなかった。その後、思い切って、買ったのが平凡社の世界

大百科事典であった。下中弥三郎が平凡社を起こし、百科事典を手がけたという事を知り、

下中弥三郎の事も読んだ記憶がある。平凡社の百科事典を選んだのもそのようなDNAに期

待したからでもあった。自分が買ったのは何年版か定かではないが、その当時は仕事に忙

殺され、知識にたいするあこがれは遠のいていた。従って、今日までページをほとんど開い

たこともなく過ぎている。WIKIPEDIAによると、世界大百科事典の2007年改定新版は 加藤

周一 編集長、編集顧問17名、執筆者数7,000名、全35巻との事である。WIKIPEDIAはNET

上の大百科事典であるが、執筆者は匿名である。NETの性格上、新刊、増補、改訂、削除

のスピードは他を寄せ付けないだろう。一方、執筆者を公開した百科事典は執筆者名からさ

らなる検索が可能になり、記事の信頼性等も安心できるようだ。アメリカでIT技術を利用して

知識の集約を試みた企てにPROJECT GUTENBERGがある。これを知ったのは、DOS/V

のPUBLIC DOMAIN SOFTWAREを扱っていたWALNUT CREEKのCD-ROM等を通してで

あった。これは日本の青空文庫と同様に著作権の切れた書物をNET上に集めて公開する試

みである。青空文庫はときたまお世話になる。WIKIPEDIAは自分の記憶の確認等でしばし

ばお世話になっている。PROJECT GUTENBERGも思い立ってそのサイトを訪問してみた。

ともかく、必要なときにどこに行ったら良いかを知っておく事は大切だ。追記:念のために戻っ

て、PROJECT GUTENBERGで岡倉天心/Okakura, Kakuzoを検索してみたらThe Book of

Tea が登録されていた!おまけにMP3のデータまであった。WINDOWS MEDIA PLAYERで

綺麗な男性音声の朗読が聞ける。ボランティアがこういう色々なサービスを提供している事に

頭が下がる。

2009年12月10日 (木)

解析概論

2009/12/10

解析概論

Amazonのレビューに「代数学の泰斗であった高木貞治先生がなぜ解析概論を書いたの

か。長い間の疑問でしたが、岩波文庫の『数学小景』の弥永昌吉先生の解説で氷解しまし

た。高木先生は東大在職最後の数年、初年級の解析を担当しておられたのです。本書はそ

の講義録です。」とあった。大学の専門課程に移って、電気工学には数学が必要だろうか

ら、数学の基礎的な事を勉強しようと仲間が集まって輪講を始めた。かなり厚く大部の本で

あり、どこまで読み進んだのか今では全く覚えていない。ともかく、当時はこういう難解な数学

書もかじってみようという若さがあった。応用数学教室の若い助手の先生に講師をお願いし

て、夏にはグループで山歩きもしたのは楽しい思い出である。当時電磁波理論の勉強にはス

トラットン著の「Electromagnetic Theory」を原書で読むべきだという情報があった。しかし、

洋書は高価でそれにお目に掛かった記憶はない。おそらく、海賊版かそのコピーが出回って

いたのではないかと思う。マックスウェルの電磁方程式は立てる時には梯子があったが、そ

れを世に出したときはその梯子を取り払ってあると教授が話されたように記憶している。その

方程式は確かに芸術作品のように整っているが容易に凡人を近づけてくれなかった。ともか

く、難解な書物も少しづつかみ砕けば幾らかは理解できるだろう。そのためには若さと時間

が必要だ。

2009年12月 9日 (水)

ロゲルリスト(改題):ふっと浮かぶ疑問が科学への入り口:科学雑誌で思う事(X=ロゲルリスト⇒◎ロゲルギスト)。091209。

2009年12月 9日 (水)

ロゲルリスト(改題):ふっと浮かぶ疑問が科学への入り口:科学雑誌で思う事(X=ロゲルリスト⇒◎ロゲルギスト)

Google検索:ロゲルリスト に一致する日本語のページ 約 65 件中 1 - 20 件目 (0.04 秒)

科学雑誌の購読を振り返ってみた。

幼少年時代には色々な学問へのあこがれがあった。しかし、成長するに及んで理想と現実は乖離する事になる。これが成長というものかもしれない。

要約すれば「父招く青空大学断念し理文も捨てて工を学びし」という状況であった。

自分が科学に興味を持ったのは湯川秀樹のノーベル賞受賞の影響もあったかもしれない。しかし、その著作を読んで人間的な魅力に遭遇した。

社会人になってから岩波の「科学(1931~)」を定期購読していた。町中の老舗書店に取りに行くので店頭の新刊書を眺める楽しみがあった。その書店もついに閉店してしまったが、閉店後もしばらく取り寄せをしてくれた。その後、いつとはなく購読を中止してしまった。

中央公論者の科学雑誌に「自然(1946~1984)」というのがあり、こちらは不定期に購読した。当時、これらの科学雑誌で数名の科学者がロゲルリスト(注記:再読してロゲルギストの勘違いだと分かった)という名前で身近な現象を科学的に解説する活動をされていた。

そのメンバーは近角聰信,磯部孝,近藤正夫,木下是雄,高橋秀俊であったようだ。自分は近角聰信は磁気関係、高橋秀俊はコンピュータ関係の本でお世話になったように思う。

同じ卒研研究室にはワイヤーメモリーを研究していた同窓生がいた。当時はワイヤーメモリーがコンピュータの外部記憶として期待されていた。

ともかく、人間の進路の選択も色々な要素を加味してなされるのであるが、先ず金銭以外に興味や関心が基本になるのであろう。青少年や一般人にこのような専門分野に興味や関心を向けさせる活動は非常に重要であると思う。

http://www.nistep.go.jp/achiev/abs/jpn/mat097j/mat097aj.pdfに「我が国の科学雑誌に関する調査」というのがあり、興味を覚えた。どうも我々戦後世代が科学雑誌の隆盛を支えたようだ。

戦後世代の人々には「働かざる者は食うべからず」と同時に「ヒトはパンのみに生きるにあらず」という言葉が実感としてあったと思う。

前記調査は「2001 年の自然科学系研究者、学部学生、大学院生の総数は154 万人であり、科学雑誌創刊ブーム前年の1980 年の総数90万人の1.5 倍に増加している。

科学雑誌の購読者と想定される自然科学系研究者、自然科学系学生数が増加しているにもかかわらず、一般の科学雑誌の発行部数が低下していることは、若手研究者の科学全般への関心の低下、専門以外の分野についての関心の低下が指摘されていることと何らかの関連があると思われる。」と述べている。

食うための学問・教育は既に十分充足されてしまったのか。理工学の不人気。農・生物学への若干の人気向上。何か蛸壺に入ったような過度の専門化の弊害が現れてきたのか。理工学の不人気は、もはやその分野では飯は食えないという動物的直感の現れなのか。

*************************
追記(2017/12/09):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等

何を食べれば体に良いのか。人間を対象にした正確な実験を行う事は不可能に近い。食物の場合は対象が広すぎて、物理的イメージで例えればスペクトル幅が広いと言えるのだろう。医薬品の場合は、その逆に、ある症状に対する効果が重視される。特効薬が理想ではあるが、狙いがはずれた時副作用ゼロかが問題かも知れない。

学問も対象により手法が異なるだろうが、この世の中に単独に存在する物は一つも存在しないと考えると、ある一つの現象にも世界の全てが関係している事になる。

ともかく、ある現象の因果関係が正確に定義できれば、科学的な因果関係の利用が可能になる。

ふっと浮かぶ疑問を科学・物理的視点から解き明かして、一般人に科学への入り口を解説してくれたのがロゲルリストだった。この「ロゲルリスト」が「ロゲルギスト」の記憶違いだと分かったのはGoogleで検索して、「もしかして」が表示されて、再検索をした時だった。幸い、「ロゲルリスト」も検索で少数ヒットしたが...。

Googleでキーワード「ロゲルギスト」を検索

Googleでキーワード「ロゲルリスト」を検索

ともかく、疑問を抱くのは科学の基本のキなのだろうが、その疑問の解決・解釈を自己流でも、事例調査でも、一歩前に進んで解明する習慣が、本格的な科学への入り口になるのだろう。

Googleにてキーワード「STAP細胞」で本サイト内を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=STAP%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%80%80site%3Ahttp%3A%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F&oq=STAP%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%80%80site%3Ahttp%3A%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)(このKWで検索

物理学という基礎的な学問分野でノーベル賞を受賞する事は非常に難しくなったようだ。一方、遺伝子工学等の進歩で、医学・生物学等の分野の進歩は今後も期待できそうだ。STAP細胞の有望性が脚光を浴び、ノーベル賞物とまで持てはやされたが、その研究成果に捏造があったと判明して、一挙にその期待がしぼんでしまった。

この記事は、STAP細胞がニュースになるより数年前に書いた。「理工学の不人気。農・生物学への若干の人気向上。」と言うのが、十年ほど前の状況のようだが、今後は、どんな分野が期待できるのだろうか。「ロゲルギスト」という造語には、ロゴスという未分化・専門化していない、広義の知的関心に目を向けようする試みを感じる。自然を理解するのは、専門家だけではない。

専門家だけが科学を独占したら、人類はとんでもない失敗をやらかすに違いない。一般人が、科学の常識を身につける事の大切さも再認識したい。

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2009/12/9

ロゲルリスト

Google検索:ロゲルリスト に一致する日本語のページ 約 65 件中 1 - 20 件目 (0.04 秒)

科学雑誌の購読を振り返ってみた。幼少年時代には色々な学問へのあこがれがあった。し

かし、成長するに及んで理想と現実は乖離する事になる。これが成長というものかもしれな

い。要約すれば「父招く青空大学断念し理文も捨てて工を学びし」という状況であった。自分

が科学に興味を持ったのは湯川秀樹のノーベル賞受賞の影響もあったかもしれない。しか

し、その著作を読んで人間的な魅力に遭遇した。社会人になってから岩波の「科学(1931

~)」を定期購読していた。町中の老舗書店に取りに行くので店頭の新刊書を眺める楽しみ

があった。その書店もついに閉店してしまったが、閉店後もしばらく取り寄せをしてくれた。そ

の後、いつとはなく購読を中止してしまった。中央公論者の科学雑誌に「自然(1946~

1984)」というのがあり、こちらは不定期に購読した。当時、これらの科学雑誌で数名の科学

者がロゲルリストという名前で身近な現象を科学的に解説する活動をされていた。そのメン

バーは近角聰信,磯部孝,近藤正夫,木下是雄,高橋秀俊であったようだ。自分は近角聰信は

磁気関係、高橋秀俊はコンピュータ関係の本でお世話になったように思う。同じ卒研研究室

にはワイヤーメモリーを研究していた同窓生がいた。当時はワイヤーメモリーがコンピュータ

の外部記憶として期待されていた。ともかく、人間の進路の選択も色々な要素を加味してなさ

れるのであるが、先ず金銭以外に興味や関心が基本になるのであろう。青少年や一般人に

このような専門分野に興味や関心を向けさせる活動は非常に重要であると思う。

http://www.nistep.go.jp/achiev/abs/jpn/mat097j/mat097aj.pdfに「我が国の科学雑誌に関す

る調査」というのがあり、興味を覚えた。どうも我々戦後世代が科学雑誌の隆盛を支えたよう

だ。戦後世代の人々には「働かざる者は食うべからず」と同時に「ヒトはパンのみに生きるに

あらず」という言葉が実感としてあったと思う。前記調査は「2001 年の自然科学系研究者、

学部学生、大学院生の総数は154 万人であり、科学雑誌創刊ブーム前年の1980 年の総数

90万人の1.5 倍に増加している。科学雑誌の購読者と想定される自然科学系研究者、自然

科学系学生数が増加しているにもかかわらず、一般の科学雑誌の発行部数が低下している

ことは、若手研究者の科学全般への関心の低下、専門以外の分野についての関心の低下

が指摘されていることと何らかの関連があると思われる。」と述べている。食うための学問・

教育は既に十分充足されてしまったのか。理工学の不人気。農・生物学への若干の人気向

上。何か蛸壺に入ったような過度の専門化の弊害が現れてきたのか。理工学の不人気は、

もはやその分野では飯は食えないという動物的直感の現れなのか。

2009年11月 4日 (水)

アメリカの悲劇

2009/11/4

アメリカの悲劇

アメリカの持つ自由と富は日本人の羨望の的であったと思う。萩原朔太郎はふらんすへ行き

たしと思へどもふらんすはあまりに遠しせめては新しき背廣をきてきままなる旅にいでてみん

と歌ったとの事であるが、戦後の青少年にとってはアメリカほど輝かしい物はなかったと思

う。しかし、良いところだけでは無いだろうと思って手にしたのか、ドライザーのアメリカの悲劇

という小説をかじってみた。もう、中身は完全に忘れた。タイトルと著者となぜ読んだのか位し

か覚えていない。ネット検索で要約すると、貧困の中で育ってきた青年が上流社会の女性と

結婚するために自分の愛人を殺害して捕われ結局は破滅するに至るというのが筋書きであ

った。しかし、小説はこのように要約して示してくれない。読んだがそれだけで終わっていた。

自由ということは富があれえば貧があるのが当然という事かもしれない。貧を克服するのも

自由、貧に窮するのも自由。高校、大学その後の20代の頃に社会関係に興味があり、その

ころの読書であった。日本の社会も揺れていた。多分、リースマンの孤独な群衆という訳本も

手にした記憶がある。アメリカは自由の社会ではあるが、れきっとしたsocial ladder社会的

階段があるとも知った。下流社会から上流社会にはい上がるのは先ずそのsocial ladderに

ぶら下がらなければならない。日本は学歴社会だから云々と騒がれたが、アメリカでは

social ladderにぶら下った人にだけ学歴社会があったようだ。下流階層にとっては学歴どこ

ろではなかったということだろう。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)