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2008年12月

2008年12月31日 (水)

「大地」を読む

2008/12/31

「大地」を読む

昨日は恒例の餅つきを行い、何とか正月を迎える準備が一歩進んだ。ぽっかり空いた自由

時間に読書ができるのは、最高の贅沢かもしれない。「高山彦九郎の実像」を拾い読み。

中学校を卒業し、高校に入学するまでの短い期間は、何のとらわれもない自由な時間があっ

たように思える。そんな時に、叔父さんに勧められた小説が「大地」であった。女流作家、パ

ール・バックが中国を舞台に書いた小説であった。今では、その主人公がワンルンといった

位しか覚えていない。当時の年齢でこの小説を十分に理解できたか何とも言えない。ともか

く、分厚い本を読み通しただけで何となく充実感があった。それで、叔父さんが高校生になる

自分に勧めた理由を今となって考えている。叔父さんも「大地」を読んで感動したのだろう

か。おじさんも若い時があったのだからと。ともかく、同じ小説を読んだという体験を共有する

ことにも何らかの意味があると思う。

2008年12月30日 (火)

学校給食の思い出(改題):日々食べて生きる:給食は永遠の課題。081230。

2008年12月30日 (火)

学校給食の思い出(改題):日々食べて生きる:給食は永遠の課題

学校給食が何学年から始まったのか良く覚えていない。午後の授業のためなので多分中高学年になってからだろう。

メニュウと言えばコッペパンに牛乳とおかず程度であったと記憶している。牛乳は脱脂粉乳を水で溶いたものであったようだ。それも、国産のものでなくユニセ
フ?かどこかの援助物資であったらしい。敗戦国として児童の食料支援を国際機関から受けていたのである。

ともかく、学校給食のおかげで日本人の体位が向上したのは事実であろう。給食の時間になると憂鬱になることが一つあった。当時は食器を布袋に入れて持参していた。各自が自分の食器を並べて係りの生徒がその中に盛りつけるのだが、自分の食器とある女生徒の食器がうり二つで、よく間違ったのである。アルマイトの食器であったが親に別の食器を買ってくれとも言えず憂鬱になったのであった。しかし、この憂鬱もいつしか解消した。クラス替えか席替えで間違えが起こらなくなったためであろう。

給食の時間には担任の先生が本を読んでくれた。これは楽しい思い出である。


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2008/12/30

学校給食の思い出

学校給食が何学年から始まったのか良く覚えていない。午後の授業のためなので多分中高

学年になってからだろう。メニュウと言えばコッペパンに牛乳とおかず程度であったと記憶し

ている。牛乳は脱脂粉乳を水で溶いたものであったようだ。それも、国産のものでなくユニセ

フ?かどこかの援助物資であったらしい。敗戦国として児童の食料支援を国際機関から受け

ていたのである。ともかく、学校給食のおかげで日本人の体位が向上したのは事実であろ

う。給食の時間になると憂鬱になることが一つあった。当時は食器を布袋に入れて持参して

いた。各自が自分の食器を並べて係りの生徒がその中に盛りつけるのだが、自分の食器と

ある女生徒の食器がうり二つで、よく間違ったのである。アルマイトの食器であったが親に別

の食器を買ってくれとも言えず憂鬱になったのであった。しかし、この憂鬱もいつしか解消し

た。クラス替えか席替えで間違えが起こらなくなったためであろう。給食の時間には担任の先

生が本を読んでくれた。これは楽しい思い出である。

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追記(2017/11/05):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
原文を残して、書式変更のみで記事を書き直した。今回はフォントサイズを大に設定してみた。読み易い、印象に残るetcを考えると編集にも結構時間がかかる。設定には、BLOG-EDとブラウザの両方があり、混乱して終わっているのが実情だ。


2008年12月29日 (月)

影絵

2008/12/29

影絵

電灯の光を手で遮ってその影を障子に投影する遊びをした。他愛のない遊びであったが、狐

は指をこうして向きをこうすると、ホラこうなる。やって見ろ。犬はこうする。覚えているのは、

この二つしかないのだが、白熱電灯の光の影が作る影絵は昔の家族の団欒の一こまであっ

た。この遊びは特別に用意する道具もいらない。てもちぶたさの時間はある。ちょっとした余

暇を潰すあそびだったようだ。影といえば屋外では影踏みという遊びもした。これも単純で説

明の余地の無い遊びだ。生活が豊かになると照明も明るくなった。影は意識されにくくなった

のであろう。新しい遊びが生まれ、古い遊びは消えて行く。遊びはそれ自体が目的で強制さ

れれば遊びではなくなる。今年は不況の冷たい風が荒れ狂っている。昔も不況があり、会社

は仕事もないので、構内の草むしりや清掃をしたという話を聞いたことがある。仕事も遊びの

心境にまで高まれば言うことはない。いやな、苦しい仕事でもあれば何とかなる。仕事もな

くなると、遊びの心理的ゆとりも無くなりやすい。しかし、他愛のない遊びで自分を取り戻すこ

とも大切なようだ。遊びとは自分が自分の主人になることであろうから。

2008年12月28日 (日)

芋縁起の雑煮

2008/12/28

芋縁起の雑煮

雑煮の種類、作り方は各地、各家庭で異なり興味深い。正月に食べるという事で、晴れ

着、普段着といような分類をすると晴れ着の方に属すようだ。具材も色々。縁起に従い雑煮

の具材を決めていることもある。あるとき、父が「うちの雑煮は芋縁起だ。」と言ったのを覚え

ている。なぜ、芋なのかその由来はつい聞き損ねた。調べてみると、頭芋(おかしらとして人

の上にたつ)、八頭(子芋がたくさん)という意味が芋にはありそうだ。芋を作るには種芋を越

冬させて翌年まで保存する必要がある。一株からは精々10個程度の芋しかとれず、余り効

率的な農業ではない。稲作の場合一粒から数百粒とれて、種子で保管できるので効率的で

ある。芋主体の文化圏では権力集中が起こりにくいというようなことを本で読んだ記憶があ

る。我が家も当年作った芋の一部を残して翌年植え付けてきたが、いつしか親芋がなくなっ

てしまい芋の作付けが途絶えてしまっている。終戦直後の食糧難のときは芋が大切な食材で

あった。ゆでた里芋にしょう油を付けて腹一杯食べた記憶がある。自分は「すべる芋」と言っ

て好物であったらしい。もっとも、育ち盛りで食べる物も芋くらいしかなければそれを食べるし

かなかった。結局、我が家の芋縁起とは、子沢山の子孫繁栄という意味もあったろうが、

それよりも、米が食えぬ時は芋を食ってでも生き抜けと教えていたのかもしれない。米は作っ

てもそれは、供出米として安い価格で買い取られ、日常は米選機下と言われる色の付いた

未熟粒を含む屑米が主食の時代があった。これが昔の農家の実状であった。純白のご飯は

ご馳走であった。昔の食生活はメタボからはほど遠かった。

2008年12月27日 (土)

外国語コンプレックス

2008/12/27

外国語コンプレックス

日本に来た外国人がカタコトの日本語を話すとあらお上手というのが通例である。それは、

日本語は世界中で一番難しいという思いこみがあるためではないか。会社在職中にある会

社と製品開発を行う事になった。その会社はフランスの会社と資本関係にあり、その会社の

開発担当の一人としてフランス人の青年と仕事を一緒にする事になった。数年間日本に滞在

していたが、外国語で話をした記憶はない。ある時例の如く、日本語は難しいでしょうと聞い

てしまった。いや、やさしいですと答えた。なぜですか?フランス語には日本語にある音の全

てがあります。確かに、日本語には鼻から息を出すような音は無い。言語事情を聞くと、ドイ

ツ語、英語は隣国で日本の方言程度の感覚で大体分かるとのことだった。外国語は仏、独、

英以外の言語を言うに近いらしい。その青年は基本的な漢字の読み書きもできた。西洋人

は狩猟民族と言われている。今日で言えばビジネスである。日本に飛び込んできて獲物も捕

らえた。おまけに日本語も習得した。開発が成功し任期が終わり、その青年は母国に帰っ

た。頂いた挨拶状は日本語で書かれていた。立場が逆であったらどうなっていたか。フランス

語を覚えるだけでタジタジになり仕事もおぼつかなかったかも知れない。外国語も仕事もビジ

ネスと割り切った方が気が楽かも知れない。外国語コンプレックスから抜け出すのは大変

だ。

2008年12月26日 (金)

ミカンの数え歌。20081226。

2008/12/26

ミカンの数え歌

昨日はクリスマスであったが、それらしい事はせずにすぎた。何回か書き直して、ようやく目

先の書類が受理されて、少し肩の荷が下りた感じである。これをもって、自分が頂いたプレ

ゼントとしようと思いつつお茶を一杯。昔はお歳暮や御年始に木箱入りのミカンを頂く事が多

かった。こたつみかんと言われる通りコタツに入っているとミカンが食べたくなり食べ始めると

止まらなくなる。ミカンの数え歌は子供にミカンの食べ過ぎを戒める歌であったようだ。前半

は良く覚えているが後半はうろ覚えである。母親か祖母あたりが口ずさんでいたのだと思う。

一つ二つは良いけれど    三つミカンを食い過ぎて

四つ夜中に腹下り       五ついつものお医者さん

六つ向こうのお医者さん   七つ泣いても直らない

八つやっぱり直らない     九つ今夜も直らない

十でとうとう死んじゃった

腹具合を悪くしないように注意を与えると共に倹約させる意味もあったろう。ミカンは果物とし

ては一番庶民的なものであったようだ。また栄養面でも優れておりミカンの食べ過ぎで体調

を崩したことも無かった。地球温暖化の影響で当地でもミカン樹が育つようだ。自分で作った

ミカン苗に実が付くのを楽しみにしている。

追記(2023/03/24):タイトルの後に投稿年月日。本日のランキング6位。読者に感謝。ミカン樹は収穫出来るまで育ったが手入れ不足で枯れる株が増えている。

2008年12月25日 (木)

いろいろな子供の遊び

2008/12/25

いろいろな子供の遊び 

子供の仕事は遊びにある。ギャンブル性のあるものでは、ビー玉、メンコ。キシャゴ(オハジ

キ)は主に少女の遊びであったが玉のやりとりがあった。石蹴り、お手玉、まりつき、縄跳び、

跳び馬、とうりゃんせ、チャンバラ、雪合戦、雪だるま作り、竹スキー、そり遊び、かくれんぼ、

キャッチボール、野球、セミ捕り、虫取り(カブトムシ、クワガタ)。主な遊びは既に書いてみ

た。今、思い返すと子供の遊びは実に多くあり多様であった。幼少であればあるほど遊びの

男女差は近づく。従って大抵の遊びは多かれ少なかれ男女の差もなく遊んだようだ。ところで

今日の子供達はどんな遊びをしているのであろうか。ギャンブル性のあるもの、ルール性の

あるもの、原始生活の延長みたいのもの等視点により色々分類できそうだ。しかし、大人の

仕事の準備、動機付けの練習を無意識のうちにやっているようでもある。遊びは子供の仕事

である。その仕事を手がかり足がかりとして大人の仕事に乗り換えるのである。大人の仕事

が昔の労力を中心としたものから知力を中心したものに変質した結果、子供の遊びも変わら

ざるを得なくなった。労力はホワイトボックスだ。なにをどうすれば良いか人目で分かる。しか

し、知力はブラックボックスである。箱の中身とその構造を読み解かなければ本当の仕事が

出来ない。大人も仕事から落ちこぼれる。子供の遊びも不透明にならざるをえないのかもし

れない。

2008年12月24日 (水)

漫画の歩き読み

2008/12/24

漫画の歩き読み

校庭の隅の二宮金次郎の像は薪を背負って本を読んでいる。勤労と勉学の大切さをあの像

で象徴させたのに違いない。幼少時にあったあの二宮金次郎の像は今は無い。どういう経緯

で無くなり今どこにあるのか気になる。ところであの二宮金次郎は何歳頃の姿であたったの

か。おそらく小学校の校庭に設置されていたのだから小学生位の年齢であったのだろう。

自宅から学校まで約2kmを歩って通う。時間は2~30分位か。登校時は時間がないから

直行。下校時はマンガ本を歩き読みしながら帰った事が多い。母は自分がマンガを読んでい

てくすくす笑うと何でそんなにおもしろいのだといぶかしがった。今思い出すのは「赤胴鈴之

助」くらいである。調べてみると1954/昭和29 『少年画報』(少年画報社)に連載され、作者

は武内つなよしであった。実は作者を知ったのは今調べて知ったばかりである。元朝日新聞

論説委員 池見哲司氏のホームページに漫画家、武内つなよしについての記事があり拝読さ

せていただいた。人間の歴史を残す事、歴史を正しく評価する事の大切さを感じる。漫画

家、武内つなよしが紙芝居の作家から漫画家になったと知ると人間の奥深さも知るのだ。

ともかく、漫画の歩き読みは二宮金次郎、学校、母親等に教えられたのではない。

面白いことは自分から自発的に発見する以外にないのだろう。

2008年12月23日 (火)

こうせんの香り

2008/12/23

こうせんの香り

こうせんは大麦をいって粉にした食べ物で、地方により麦こがし、はったい粉とも呼ぶらし

い。こうせんを固めたような菓子に麦らくがんがありこれは今日でも お目にかかる。こうせん

は幼少時のちょっと上等のおやつの一つである。ひなびた香ばしさがなつかしい。しかし、子

供にとっては香りよりまぶした砂糖の方がお目当てではなかったかと思う。遊びで飛び回った

後の甘い物の味は格別である。空腹時の砂糖掛けご飯も忘れられない。

今では、実際に「こうせん」を作っている現場を思い出せないが、ものを煎る「ほうろく」という

鋳物の道具や粉をつくる石臼もあった。こういう道具を使って冬の農閑期や正月頃に祖母等

が作ってくれたのだと思う。今でも作ろうと思えばつくれるだろう。こうせんを食べている姿を

思い出す。新聞の切れ端にスプーンで2~3杯すくってもらう。それをペロペロとなめる。

これだけで、フケツー、ギョギワルイになってしまいそうである。現代人は完全に商魂の奴隷

になりはてたようだ。こうせんは素性の分かっている素材を使ってお母さんや、おばあさんが

愛情をもって作ってくれた、本当に安全で有り難いおやつであった。

2008年12月22日 (月)

スーパーカブに乗る

2008/12/22

スーパーカブに乗る

スーパーカブに乗った記憶があるのは、自分の手の甲に古傷の痕が残っているおかげであ

る。誰に借りたのか覚えていないが、乗っても良いと言われたのを幸いに乗り出した直後に

板塀に手をこすりつけて傷を作ってしまった。どうも、ハンドルの形が自転車と違うのも事故

の一因であったかもしれない。

WIKIPEDIAによると、

「1958年(昭和33年)発売のスーパーカブがその低価格と高性能により3年あまりで生産台数100万台を突破した時代であり、両社ともに続く製品をスクーター市場に投入することはなかった。」

ともかく、ちょっと乗ってみたが自爆で終わった。大した怪我でなかっただけ幸いであった。自

転車にエンジンを付けただけのBSより洗練された原付二輪車であった。小中学生の頃なの

で多分無免許運転であった筈だ。自動車の免許をとったのは大学卒業前で、しばらくペーパ

ードライバーのままであった。就職後の通勤は電車であった。まだ一般庶民が自動車を買え

る時代ではなかった。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)