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2009年1月

2009年1月31日 (土)

GR BRIDGE

2009/1/31

GR BRIDGE

これも、高周波トランジスタのパラメータ測定に使用した測定器である。GR BRIDGとは

通称であり、正式名はGeneral Radio Type 1607-A Transfer Function and Immittance

Bridge であったようだ。こちらは、使用経験のある先輩技術者がいて使用方法等を教えて

頂いた。ブリジッジとは未知の測定対象量と既知の比較量をバランスさせて未知の測定対象

量を読みとる装置である。重量を測定する天秤と同じ様な原理である。体重計の0点合わせ

のような初期校正をするため金属棒の長さを調整する。次ぎにDEVICE UNDER TEST(トラ

ンジスタ)を測定ジグに取り付ける。目盛り板を調整してバランスをとる。バランスがとれた時

の目盛り板の数値がそのDUTの測定データとなる。当時は見よう見まねで装置の操作を習

得するのが精一杯であった。次ぎに試作したトランジスタを試作毎に測定する。単調で根気

の要る仕事であった。VHFといわれる非常に高い周波数で測定の精度も再現性も良くない

のが悩みであった。以下のURLにGeneral Radio の測定器が紹介されている。

http://plymouthcolony.net/starcity/radios/pages/gr-rf.html

ともかく、理論的に推定できることも定量的に測定してデータで把握できるということは実用

上は大変重要なことである。開発したVHFトランジスタはテレビ用チューナ等に使用された。

テレビのUHF放送は難視聴対策として始められ、当時のVHFテレビのアンテナは東京タワー

の方向を向いていたのであった。テレビ局が多くなるとVHFの周波数が足りなくなりローカル

テレビ局はUHFで開局した。そんな訳で次ぎにUHFトランジスタの開発も行うことになった。

2009年1月30日 (金)

Zg DIAGRAPH

2009/1/30

Zg DIAGRAPH

高周波トランジスタの開発を担当していた時に使用した測定器にZg DIAGRAPHというもの

があった。Sパラメータをスミスチャート型の表示装置に光のスポットで表示する特異な測定

器で、ドイツのROHDE&SCWARZというメーカー製であった。いかにもドイツ製という風格と

光のスポットで表示するというユニークなアイデアが興味を引いた。実験室の片隅にあった。

しかし、この測定器を使いこなしていた人はほとんどいなかった。この測定器を引っぱり出し

ていろいろ挑戦したが、新米の技術者で使いこなすまでに到らなかった。結局十分に使いこ

なされることなくお蔵入りしたようだ。その測定器がなつかしく思いネットで探した。

ROHDE&SCWARZ社はローデさんとシュワルツさんという二人の科学者が設立した会社ら

しい。創業75年位たっているようだ。今日では世界でも有数の測定器メーカーになってい

る。Zg DIAGRAPHという測定器も当時は最先端の測定器であったようだ。この測定器を開

発した技術者も色々試行錯誤したのではないかと思う。しかし、世界に唯一という製品なら

ばその地位は安定するだろう。Zg DIAGRAPHに追随する日本メーカーは無かったようだ。

http://www2.rohde-schwarz.com/en/about/75_years_rohde_and_schwarz/?decade=1950

上記URLの解説によるとZg DIAGRAPHは最初にSパラメータの位相測定を可能にした測定

器であったと述べていた。テレビやラジオのアンテナや通信ケーブルの測定などにも使われ

たとある。精度の高い測定器と工作機械が工業の基盤であると言われている。確かに電気

信号の位相という概念は数式では簡単に表現できるのだがそれを超高周波で測定すること

は非常に困難であった。それを可能にしたのは技術のブレークスルーであった。高周波トラ

ンジスタの安定度の低下はデバイス内部の位相遅れに起因するのだ。今日のいつでも、どこ

でも、だれとでもという携帯電話の普及は色々な技術進歩の集大成あるとつくづく思う。

2009年1月29日 (木)

マジックアイ

2009/1/29

マジックアイ

真空管ラジオのダイアル表示部分に緑色に光る不思議な真空管があった。真空管は真空中

で熱電子を放出させて色々な電子機能を実現するデバイスである。今日の電子技術の基本

となるかなりの部分が真空管を使って実用化された。その究極のデバイスが受像管であろ

う。画像表示装置に使用する。その代表がテレビである。マジックアイも一種の表示装置で

あり、ダイアルを回して放送電波が強くなると緑色の部分が大きくなり、同調表示管とも言わ

れていた。幼少時はその緑の部分が開いたり閉じたりするのを見て不思議に思った。ラジオ

雑誌等でその品名が6E5であると覚えていた。下記のURLにその写真等があった。

http://www.ne.jp/asahi/uchio/tokyo/tube/index.html

昭和20年代の後半から多く使われたようだ。ラジオが同調したかは音を聞けば大体分か

る。マジックアイはダイアル面に真空管の発光部を出して使うのでアクセサリーとして高級感

をかもしだす役割もあったのかもしれない。

2009年1月28日 (水)

ダウンサイジング

2009/1/28

ダウンサイジング

一つの対象を時系列的に見て行くと、大きくなる、小さくなる、変わらないという傾向が見えて

くる。コンピュータは小さくなる方向で進んでいる。一部はスーパーコンピュータとして巨大化

しているが、ほとんどの人はこれと無縁であろう。最近、数万円の小型パソコンが現れた。

OSはWINDOWS XPを搭載してハードだけでなくソフトも軽くしている。変わらなくなるという

のが成長して安定した状態に近いのか。数万円のパソコンとなると作って売る側からは厳しく

なるだろう。しかし、日用品と見ればまだまだ高額商品だ。一つしか持たないというとあれもこ

れもとてんこ盛りになってしまう。割り切って使い切るのが道具としての使い方かもしれない。

何でも大きければ良しとする価値観も曲がり角にさしかかっているようである。かって、「成長

の限界」が話題になった事がある。入れ物が一定ならば入る量は決まってくる。ダウンサイジ

ングも量から質への転換ならば意義が大きいであろう。

2009年1月27日 (火)

パンチカードと紙テープ

2009/1/27

パンチカードと紙テープ

入社数年後に高周波トランジスタの開発に従事した。目標はTVチューナー用につかえる、安

定に動作する性能の良いトランジスタであった。最初はVHF、次はUHF用。安定度は一口で

言えるが、これを定量的に表すことが困難であった。四個の高周波パラメータを測定してそ

れをコンピュータで計算する。一つのパラメータが実数部と虚数部をもつので結局八個の変

数を含んだ計算をする必要があり、手計算ではいつ結果がでるか予想もできない。

FORTRANでプログラムを作成して、大型コンピュータで計算させた。プログラム用紙ににプ

ログラムを書いて係りに渡す。それを係りでパンチカードでコンピュータに入力。プリンターで

印字された計算結果を受け取った。バックアップのプログラムは紙テープであった。データや

プログラムのやりとりをして結果がでるまで数日かかった。コンピュータの計算時間は短いか

もしれないが、人間と機械のインターフェースも未熟であった。コンピュータ本体にお目にか

かったこともなかった。きっと入室制限された冷房完備のコンピュータ室に鎮座していたので

あろう。その後、HP社の小型のデスクトップコンピュータが担当部署に導入されたので他人

の手を煩わせることもなく技術計算が簡単にできるようになった。

2009年1月26日 (月)

お忍びの京都行き

2009/1/26

お忍びの京都行き

高校時代の記憶はどういうわけか余りない。大学受験という目先の事で頭が一杯で、そのた

めに行動も束縛されていたのであろか。そんな中で、修学旅行は日常の束縛から解放され

る良い機会であった。会社に入って関西方面の同僚に聞いたら、旅行は東京方面であった。

関東の学生と逆方向でだが同じような体験をしていたかもしれない。二泊三日の旅程で大阪

に宿泊したとき、数名の友達と京阪に乗り京都までお忍びででかけた。予定の中の自由行動

とは異なり、無断外出には違いなかった。唯一の収穫は店のおばさんの柔らかな京都弁を

聞くことができたことであった。これが、お店のお嬢さんならば胸はワクワクして記憶は鮮明

に残っていたかもしれない。ところが、店のおじさんも同じような京都弁をしゃべったので愕然

としてしまった。ともかく予定外の行動で羽を伸ばし、小さな冒険のスリルを味わい、お咎めも

なかった事で少し大人らしい自信をつけたのも事実である。

2009年1月25日 (日)

試作回数チャンピョン

2009/1/25

試作回数チャンピョン

量産品を開発する場合、その製品が量産に耐える事が絶対条件になる。当然、納期、コスト

等も重要である。一般に量産に耐えるまで何回か試作が行われる。色々な基準が満足され

てようやく量産となる。従って、試作回数を減らして開発期間を短縮する事は重要な技術課

題である。国産の人工衛星の開発を見ると開発の難しさを理解できる。特に仕様の厳しさは

開発の成否を決める。仕様が顧客独自のものとなると更に難度は高まる。集積回路の開発

も同じ様なことがいえるだろう。数回の試作で開発が完了するのが普通であったときその数

倍の試作回数でようやく開発完了に至る例もある。Bi-CMOSという新しいプロセスを使用し

た製品開発をしたとき、不覚にも試作回数チャンピョンを達成してしまった。しかし、製品生産

のインフラとなる新しいプロセスが使えると次々に新しい製品が生産可能になる。丁度、自動

車のエンジンや車台の基幹部の開発を伴う新車開発も同じような例であろう。開発期間は遅

れに遅れてもう止めるべきというささやきが聞こえてくるとさすがに気も滅入ってしまう。会議

で量産が承認されたときは肩の荷が下りた思いであった。BiプロセスとCMOSプロセスはそ

れぞれ得意な特性をもつのでそれが一緒に使えると大きなメリットが出てくる。ともかく今とな

ると手間のかかった出来の悪い息子のような気もするが、後続の多くの製品の先頭を走って

くれたというという点では思い出深い製品であった。回りの評価も余り気にしない鈍感力と粘

りをもったチームとそれを苦虫をかむ思いで見守ってくれた上司の存在も不可欠であった。

これも、企業の体力にゆとりがあったればこそであったかもしれない。

2009年1月24日 (土)

失われた形見の腕時計

2009/1/24

失われた形見の腕時計

明治という時代は江戸時代と比べると何となく明るい印象を受ける。文明開化で新しい価値

観が生まれてきたので親近感もある。遠縁にアメリカのおじさんと呼んでいる人がいた。明治

の中期頃師範学校に学び、そこで女子師範の学生と恋仲になったが、彼女は若くして亡くな

ってしまう。思いあまって、大志を抱いて渡米する。その地で、同じく志を抱いて渡米した女性

と巡り会い結婚して二女をもうけた。長い滞米期間を経て帰国。その時家族へのおみやげに

腕時計を買ってきてくれた。父はそれを親から貰い受け、形見の品として身につけて兵隊に

出た。ノモンハンであった。戦闘で窮地に陥って持ち物は全て地中に埋めて隠せという命令

が出された。形見の腕時計もやむなく埋めたとのことだ。戦況が変わり、埋めた現場には二

度と帰れなかった。ともかく戦死せずに帰れたのでこの話が残った。父は戦闘の事をほとん

ど子供達に語らなかった。少し語ったかもしれないが聞きそびれていたのかも知れない。銃

弾が音を立てて飛び交ったというような事は聞いたが...。大便・小便がすぐにコチコチに

固くなる事などは面白そうに話したことの記憶の方が強い。身につけた持ち物まで全て置き

去って逃げざるを得なかったのはどんな状況であったのか。今なお、この腕時計は地中に眠

っているのであろうか。

2009年1月23日 (金)

海外出張中止

2009/1/23

海外出張中止

ポーランドとの仕事は専門の担当部署があり、その部署の技術者がポーランドに派遣され

た。輸出した機器で生産を立ち上げるまでをサポートする一種のエンジニアリング事業であ

った。試作した製品を評価するジグがうまく動かないというテレックスが入った。思いつく対策

案をそのジグの作成をした自分がまたテレックスで回答する。原稿を下書きしてテレックス担

当部署に渡すと係りが送信してくれた。電話線にタイプライターを接続したようなテレックスが

当時の最先端の通信機器であった。そのテレックス回線を使い何回やりとししてもうまくゆか

ない。そこで、とうとう作成者が行けという事態になってしまった。県庁へ行き初めてのパスポ

ートを取得した。ところが、当時は直行便が無かった。アラスカ回りで何カ国かの空港で乗り

継ぎしてようやくワルシャワに着くと説明を受けたが、海外に出た経験が一度もないので途方

にくれた。一人でポーランドまで行かねばならない。言葉は大丈夫だろうか。泥縄で外国語会

話でも練習しようかと悩んだ。そんなとき、うまく行ったから出張は不要になったと連絡が入っ

た。ほっとした。ともかく、任務が終了して帰国した技術者のみやげ話はポーランドの娘さん

は美人だったぞというものであった。本国で振り回された位のトラブルは物の数ではなく、そ

れ以外に色々な苦労があったのかもしれない。

2009年1月22日 (木)

天道念仏行事の廃止

2009/1/22

天道念仏行事の廃止

今のこっている記憶と言えば、太陽が昇る朝から沈む夕方まで一日中「ナーンマーハイ ダ

イハンブ」と唱えつつ鉦(かね)を叩く町内の行事であった。子供達も交代で鉦たたきをした。

<てんとうねんぶつ>といった。この行事もいつしか廃止されてしまった。<ねんぶつ>が宗

教だから町内で行うのはおかしいという議論もあったのかもしれない。自分も鉦を叩きに会

議所に行ったことを覚えているがこの行事の意味や由来は分からない。「ナーンマーハイ ダ

イハンブ」と唱えている言葉の意味も分からない。太陽を中心とする天(自然)の運行が順調

であり、五穀豊穣を願った行事であったようだ。従って「ナーンマーハイ ダイハンブ」とは願

い事がかないますようにという呪文ということになるのだろう。これが仏教の「南無 阿弥陀

仏」と関係するのかも知れない。WIKIPEDIA の「念仏」の踊り念仏の

項に

「踊念仏
踊念仏(おどりねんぶつ)とは、太鼓・鉦(かね)などを打ち鳴らし、踊りながら念仏・和讃を唱えること。 その起源は平安時代中期の僧空也にあるといわれる。

鎌倉時代、時宗の一遍が信濃国の伴野(長野県佐久市)を訪れたとき、空也に倣って踊念仏を行った。同じ時期に九州の浄土宗の僧・一向俊聖も一遍とは別に踊念仏を行った。それ以来、時宗・一向宗(一向俊聖の系統の事で浄土真宗とは別宗派、後の時宗一向派)の僧が遊行に用いるようになり全国に広まった。

一向俊聖より興る天道念佛(もとは天童念佛と書いた)。」

天道念仏の時に太鼓を叩いたかは定かでない。地方により天道念仏踊りという形で残ってい

る無形文化財もあるようだ。ともかく「天道念仏」という行事が始められてから終焉するまでの

歴史を辿ってみると、干魃、洪水、飢饉等人力で対処できない自然の猛威があり、それに対

処するために「天道念仏」が行われてきたのではないかと思われる。今日、科学や社会の進

歩で自然の猛威は克服されてきている。「天道念仏」という行事の御利益は不要になった。

振り返って見ると、「天道念仏」という行事は過去の自然の猛威を伝え、万一そのような自然

の猛威が再来した時に、地域の住民が共同で対処しようとする社会的な機能を持っていた

のかも知れない。ともかくこういう地域の行事は必然的に住民の参加と交流を要求するであ

ろうから。

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嗚呼 伊勢崎 非情

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)