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2008年12月

2008年12月10日 (水)

考えることは自由だ

2008/12/10

考えることは自由だ

大学に入って本当に学んだことは何であったろうかと思うことがある。大学では学園闘争が

巻きあがっていた。立て看板、ビラ、デモ、シュプレヒコール、アジ演説等当時の光景が思い

出される。学生運動家が言っていることも一理ある。むしろ、勉強もせず、あれほど自由に活

動できることをうらやんだ程だ。百姓の親父が一所懸命働いて学資を出している。兄弟姉妹

も多い。奨学金も貸与を受けている。台風で被害を受けた時は授業料の免除も受けた。親

や世間に申し訳がないという負い目がいつもあった。また、百姓のせがれが大学で学べるの

は千載一遇の機会のように思えた。この勉学の機会は有効に使わなければならないと思

い、専門以外にも色々手を出した。そんな中で出会った言葉が"Die Gedanken sind

frei" ("Thoughts are free") という言葉であった。WIKIPEDIAによるとドイツの歌のようだ。

一つの事柄も上下左右360度の角度から見ることができる。

何事も自由に考えることができるということに気付く事が大切だ。

「考えることは自由だ」という言葉は大学に最もふさわしい言葉であったかもしれない。当然

行動の自由も大切である。しかし、考えることは行動の種である。行動の種がなければ、行

動自体もおぼつかなくなる。もう一つこの言葉に関する事柄に「反アパルトヘイトの闘士」であ

るネルソン・マンデラ氏の投獄がある。何十年の投獄に耐え自分の信念を貫く根源は何かと

いう問いである。ネルソン・マンデラ氏は自分が学生時代に既に投獄されていたのである。

まさに、ネルソン・マンデラ氏も狭い牢獄の中にあっても、「考えることは自由だ」という真理に

基づき、その狭い牢獄さえも超越したのではないかと思ったのである。

当時の学生運動家もノンポリの一般学生も人生の四住期の林住期を迎える。

過去のしがらみを超えてもう一度自由に考える機会を取り戻したい。

2008年12月 9日 (火)

巨人の肩に乗った小人

2008/12/9

巨人の肩に乗った小人

米国の超優良企業にマイクロソフトがある。この会社がなぜ超一流の会社になったのかはコ

ンピューターの歴史を辿ることによりはっきりすることであろう。社名のなかにあるマイクロと

は極微の意味を持つ。長さで言えば我々が日常扱う長さはせいぜいミリメートル程度であ

る。1マイクロメートルとは1ミクロロンの事で1ミリメートルの千分の一であり、もはや肉眼で

は識別できない大きさである。マイクロソフトが出来る前に、コンピュータの世界ではIBMとい

う巨人がいた。この巨人の前にはマイクロソフトは本当に取るに足りない小さなベンチャー企

業であった。我々がパソコンでDOSを使い始める前にはCP/MとかMSXとかのOSが使われ

ていた。ところが、いつしかこのマイクロソフトが巨人に変身していた。

学生時代、ニュートンが言ったという巨人のたとえ話を聞いたことを覚えている。ニュートンが

科学の大家と認められてから自分の業績を控えめに述べたことばのようだ。それが、「巨人

の肩に乗った小人」の例えであった。

“If I have seen a little further it is by standing on the shoulders of giants”

ニュートンがフックへ宛てた手紙の一節であったようだ (1676)。

「もし、私がちょっと遠くを見渡せたとすれば、それは巨人の肩にのっていたことによるの

だ。」

ニュートンは自分の足がどこに立っているかを示したわけである。言い換えれば決して一人

では為しえない大きな知識や科学上の基盤があってこその業績でり、その基盤の重要性を

語っている。我々は、足元の基盤が先人達が大変な苦労をして築きあげたことを忘れがちで

ある。しかし、その巨人の肩に乗り、背伸びをしても遠くを見ようとするのはやはり天才のワ

ザなのだろうか。マイクロソフトの ビル・ゲイツは高校生の時に、学校のミニコンピュータの

PDP-10 のタイムシェアリングサービスでコンピュータに初めて触れたのだそうだ。一体 ビ

ル・ゲイツに対してこのコンピュータはどんな役割を果たしたのだろうか。また、ビル・ゲイツ

はマイクロソフトを引退して自分の作った財団の運営にあたるという。巨人もしっかりした足

元がないと立てない。

2008年12月 8日 (月)

藁葺き屋根の臭い虫

2008/12/8

藁葺き屋根の臭い虫

自分が生まれ育ったのは築百年程度の藁葺きの家であった。間取り、様式等は養蚕地帯の

民家の典型的なものだったように思う。屋根葺き材料としては茅と藁があるがどちらであった

かはっきりしない。屋根葺きは一家のみで出来る仕事ではないので近所の人が手伝った。い

わゆる結いという習慣があったようだ。屋根葺き時期が近づくと茅を刈り集めて貯めたのだと

思う。段々良質な茅がとれなくなるとその代用で麦藁が使われてきたのであろう。当時はまだ

屋根葺き職人も健在であった。少しの雨漏りならば、部分的な修理で済むが、本格的に漏れ

始めると大変である。雨受けの容器が足りない位になり、ついに改築することになった。

藁屋根で雨漏り意外に困ったのは<臭い虫>と呼んでいた虫である。2㎝前後のムカデの

ような多足類でこれが屋根にすんでいたようだ。この虫の臭いがまた大変いやなにおいがす

る。見つけると新聞紙でつかんで捨てたりしたが、鍋にはいると鍋は全滅であった。ともかく

改築時には、この古屋の柱等は新屋の建材の一部として再利用された。

2008年12月 7日 (日)

馬小屋から兎小屋へ

2008/12/7

馬小屋から兎小屋へ

藁葺きの納屋の南東の一角に馬小屋があった。馬は農家では家族の一員という位大事にさ

れていた。当地にもお馬の親子の愛情話を伝える記念碑がある。また、馬頭観世音というの

が祭られている。父が復員する時に馬を一頭連れてきたらしいが、その馬がいなくなった後

は馬小屋は風呂場と兎小屋になった。兎はリンゴ箱程度の金網を張った箱で飼った。小家

畜として育てて大きくなると兎屋さんが回ってきて買ってくれた。小遣い銭程度であったが貴

重な収入源で、兎を飼うのは老人や子供の仕事であった。かごを持って兎の餌取りも当然

子供の仕事であった。友達と連れ合って畑や田んぼで草取りをした。当時はまだ害獣である

イタチが周辺に棲息していた。油断すると鶏や兎はイタチが小屋に入り込み被害を受ける。

馬小屋で兎を飼ったのは人の行き来の多い場所なのでイタチ対策もあったかもしれない。

2008年12月 6日 (土)

台風による倉壁の落下

2008/12/6

台風による倉壁の落下

平成19年は台風が多く、被害も多く発生した。平成20年は台風の上陸しない年となったよう

だ。我が家は農家であったので古い倉がある。いつ建てられたか築年は不明である。推測で

は150年程度経ていると思われる。漆喰にひびが入り、壁が落ちている部分も少しあった

が、壁らしい姿は保っていた。昨年の台風9号でこの壁のかなり広い部部が落下した。気象

庁の台風データを調べてみると9月6日から7日にかけて上陸して、北上を続けていた。9月

6日当地の最大風速は、22:40に東北東 11 m/s。最多風向は東。7日は、2:50に東北

東 10 m/S。最多風向は東北東。尚、平成19年の各月の最大風速は10、13、14、11、

12、11、7、9、11、8、10、10m/s。台風当時の11 m/sという風速は年間でも数回出現するの

でまれな風速ではない。9月6日夜の雨量は20 =4 、21 =5 、22= 10 、23= 16 、 24=

12mm であった。以上のデータから推測すると台風通過時に雨交じりの東北東の風が倉の

壁面に打ち付け、壁の亀裂に浸水して、壁土が吸水して重量を増し、更に強風で叩かれ続

けた事によりついに壁が落下したものとおもわれる。別棟のトタン屋根のトタンが強風で吹き

飛んだので瞬間風速はかなり大きかった可能性もある。残骸を調べると骨材の竹も少なく

、竹の肉には虫食いのあともあった。鼠の穴もあちこちにあった。全体に老朽化が限界まで

進んでいた事は確かである。しかし、壁が落下するにはそれ相当の条件が必要であったのも

確かである。

2008年12月 5日 (金)

灯火親しむ人の姿

2008/12/5

灯火親しむ人の姿

日が短くなると灯火が恋しくなる。ガス灯が明治初年頃、電灯が明治末から大正の初年頃に

使用され始めている。電灯が無い時の照明は、行灯やランプだったのだろう。行灯の燃料と

してはいわしから採った安価な魚油が広く使われていたようだ。煤の少ない菜種油は高価だ

たらしい。ともかく百年前はそういう時代であった。戦後の家電時代が到来する以前は電気と

言えば電灯の利用がほとんどであったろう。夕方になると各家庭に電灯の光がともってゆく。

そうして深夜になるに従って電灯の光が消えて行く。これが電気が大切であった時代の光景

であった。深夜になってもポツンと電灯が点いている窓辺を見ると、灯火親しむ人の姿が思

い浮かんでくる。きっと真剣に読書や勉強にいそしんでいるのではないかと思いを馳せ、他

山の石にしようと感じる。今日では灯火が余りにも軽いものになってしまっている。もう一度

灯火親しむ頃の感覚を取り戻したいものである。ある日のお茶時の雑談で伯母さん達が勉

強の時に使ったのはランプだったと聞いたよという話があった。ランプの火屋にたまった煤を

落とすと明るくなった。これも当時の子供の仕事であったらしい。

2008年12月 4日 (木)

竹馬遊び

2008/12/4

竹馬遊び

最初に竹馬に乗り始めた頃は10~20㎝ほどの高さしかなかったっと思う。父が青竹を切っ

て作ってくれた。竹馬は重心のバランスの取り方が大切だ。最初は倒れずに立つ事を覚え

る必要がある。次ぎに一歩を踏み出すこと。右左が交互に踏み出せれば基本はマスターで

きたことになる。竹馬を自分で作る事ができる年齢になると高さも高い竹馬を作れる。これを

友達と一緒に乗り回すのだ。乗り場所を見つけないと乗れないくらいの1~2m位の高さの

竹馬にも乗った。高い竹馬に乗ると歩幅が広くなり、視点も高くなるので何か人間離れした感

覚を味わった。遊び道具を自分で作ると楽しみは更に広がるようだ。      

2008年12月 3日 (水)

水が氷った金魚鉢

2008/12/3

水が氷った金魚鉢

幼少時代の冬の暖房と言えばコタツ、練炭コンロや火鉢、囲炉裏程度であったように思う。

また、寒さも今日に比べると大分寒かった。自分は魚を飼う事などが好きであったので、金

魚も飼った事がある。金魚鉢をヒモで客間の天井からつるして下から見ている。金魚が動く

度に形が歪んで見えるので時には飽きずに見ていたようだ。寒くなると金魚の動きも鈍くな

る。真冬の寒い日、金魚は全く動かない。よく見ると金魚鉢の水が氷っていた。当時の寒さを

思い出させる現象として沼一面の結氷、軒下のつらら、長く伸びた霜柱などを思い出す。手

足にはあかぎれができた。

2008年12月 2日 (火)

お金の使い始め

2008/12/2

お金の使い始め

いつ頃からお金を使うことを覚えたのかははっきりしていない。幼少の時でも、母親は忙しい

のでちょっとしたお使いは子供にさせた。行き先は近所のしもたやであった。雑貨、食品等の

日用品を扱っていた。お使いに行くと店のおばさんがちょっとしたおまけを付けてくれた。これ

がおつかいの楽しみであった。家の手伝いをしてお駄賃を貰ったのは小学校入学以前であ

ったので、お金を使い始めたのもそのころであったと思われる。今の子供達のようにお金を

銀行等に貯金するほど貰った覚えはない。竹筒で作った小遣い入れに硬貨を貯めるくらいで

あった。その竹筒も一杯にならないうちに割ってしまったのが実状であった。ともかく、お金は

幼いながら労働の対価であった。お金の大切さはお手伝い等の仕事を通して実感していた。

2008年12月 1日 (月)

ドイツ語学の権威 関口存男(せきぐち つぎお)の本。081201。

2008/12/1

ドイツ語学の権威 関口存男の本

大学では一般教養で外国語の単位を取る必要がある。英語は中学校、高校でうんざりして

いたので、それ以外の語学を学ぶ事にした。ドイツ語、フランス語、ロシア語に初めて手をつ

けた。もう、ほとんど忘れてしまった。ドイツ語だけは教科書以外にポケットマネーを叩いて

参考書を買った。その著者が関口存男であった。やや厚手の三刊巻本であったと思う。

唯一覚えている(うろ覚えかも知れない)のは、「Der Mann ist was er ißt.」という単文である。

ドイツ語と言うより「ひとはたべるところのもの」と「Mann ist was er ißt」という音のつながりが

記憶に残っているだけである。しかし、最近になって明らかになった習慣病の発症原因を考

えると「ひとはたべるところのもの」という単文が妙に真実に迫ってくる。「Der Mann ist was

er ißt.」という語句はいつしか自分の生活哲学になっていたようだ。

「関口存男のファウスト翻訳」(柴田 明子氏)という著作に「ドイツ語学の権威であり、外国語

教育者であり、新劇活動の実践者でもあった、関口存男(せきぐち つぎお 1894―1958〔明

治 27年-昭和 33年〕)というひとりの天才による翻訳である。」として関口存男の絶妙な翻

訳が紹介されていた。

「Der Mann ist was er ißt.」という文はドイツ語の単なる文法例文だけではなく、警句の意味

も含まれ、更に韻を踏んでいてなかなかしゃれた単文ではある。俳句や川柳にも通じる気も

する。著者名も「関口存男ありお」とか生半可に覚えていたにすぎない。関口存男がドイツ語

の巨人であったと知って、今更あの本は単なる参考書では無かったんだと思った次第であ

る。自分も普通の参考書からはみ出していた所を読んでいたようだ。これも本を通した出会

だったのかもしれない。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)