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2009年9月

2009年9月 9日 (水)

墓碑銘

2009/9/9

墓碑銘

数年前に阿倍仲麻呂とともに渡唐した井真成の墓碑銘が発見されて話題になった。この報

道で千数百年の時空のかなたから当時の記録が蘇った。ロマンを感じた人が多かったので

はないかと思う。未知との遭遇という感動と言えるかも知れない。日本の古代史のロマンと言

えば古墳があげられる。推理作家の松本清張氏が「遊古疑考 」で古代史に挑戦したことを

読んで旧来の諸説にとらわれない解釈を示し興味を覚えた。古代鏡、前方後円墳等の解釈

がユニークであった。古墳に関しては記録としての墓誌が発見されれば議論が深まるだろ

う。丁度、漢字が伝来して普及始めた頃が古墳の造営期と重なる。常識的には、古墳の意

義から墓誌を残そうとする被葬者の希望は大きかったと思われる。それならば墓誌が存在し

ない大きな理由があった筈だ。合理的に考えられるのは墓誌の埋納の禁止と墓誌の破壊。

墓誌を残そうとする文化が無かったという考えも可能だが、古墳自体が非文字的な墓誌の

可能性も無くはないかもしれない。証拠が確実な墓誌が発見できれば考古学の議論は深ま

り前進すると思われる。当然別の新しいロマンが生まれるかも知れない。古墳発掘は時代の

圧力に従って場当たり的に行われているようだが数百年、数千年の歴史を視野に入れて計

画的に行う必要があると思う。技術的課題は大きいと思われるが今日の巨大土木事業のマ

イクロ化で1/1000程度のスケレールダウンを行い、古墳の内部の掘削、調査、修復等を行う

マイクロロボットを開発すれば古墳の破壊を最小限にした調査・研究が可能になるのではな

いか。ともかく、最新のファイバースコープを通す位の穴を古墳に数本通せば相当な情報が

得られるのではないか。当然、今日可能なセンサー技術は全て検討の対象とする。真夏の

夢になってしまいそうだが不可能ではなかろう。

2009年9月 8日 (火)

古墳

2009/9/8

古墳

今日まで残っている古墳は千数百年の歴史の波を乗り越えてきた。幼少時の記憶にも古墳

の姿が残る。しかし、それは雑木や茅が生えていた遊びの場としての里山としてである。その

一つの古墳のふもとにあばらやがあり老人が一人で住んでいた。記憶が定かではないが長

いあごひげがあり、周囲の雰囲気も含めて何か仙人のような感じがした。多分話しもせずお

互いに遠くから存在を認めあっただけだとおもう。終戦直後の事で家を失い縁故を頼って疎

開してきた人がいた。我が家の蚕室にも一時疎開してきた人が住んでいた。また、お堂に住

んでいた人もいた。いつとはなくそういう人々の事は忘れていたが、思い出してみるといつと

はなく居なくなっていた。仮住まいであったのであろうか。思うに我が家と言えども仮住まいか

もしれない。古墳からは土器やはにわが出土する。畑のなかにも時々それらの破片がある。

最近県の歴史博物館の埴輪展を見た。立派な埴輪が展示されていたが、古墳と埴輪の関係

がすっきり理解できないでいた。係りの女性に話をしたら担当の説明員を呼んできてくれた。

自分は古墳というのがその地域を支配した人物が死んでから支配者の埋葬施設として支配

者の後継者等が造営したものと思っていた。この疑問を尋ねた。実際はそうではないらしく、

その地域の支配を確立した人物はその時点から、即ち生前から自分の埋葬施設の建設を

始めるらしい。従って、埴輪は支配者が自分の死後の生活を豊かにするために引き連れて

行くものであった。当時の支配者すらこの世は仮住まいに過ぎないと確信し、死後の豊かな

生活を永遠に保証するためには支配権が確立しているときに頑強な古墳をつくり、そこに埴

輪や土器も埋納させる必要があったのだ。支配者の死亡は支配権の終焉である。古墳を強

力に守る後継者がいなくなれば古墳は暴かれる運命にあったのかもしれない。

2009年9月 7日 (月)

白熱電球

2009/9/7

白熱電球

白熱電球は歴史も古く、外形も単純、原理も単純であるが製品としては長寿の部類に入るら

しい。電気製品の名門PHILLPSは同社のHPによると1894に炭素フィラメント電球を74000

個生産とある。確か会社名も電球にちなんだ名前であったと思う。電気製品と一緒に歴史を

歩んできた。日本でも主要な電機メーカーが生産している。いわば名門・老舗の証拠のような

製品にみえる。日本ではこの主要電球メーカーが白熱電球の生産から撤退を表明している。

その理由は電力消費が大きく環境の時代に合わない、メーカーのイメージを悪くする等があ

るようだ。PHILLPSのような海外メーカーがどのような対応をとるのか興味がある。製品は思

わぬ使い方をされていることがある。昔、養鶏をしていたときこの電球をひよこを育てる時の

暖房に使っていた事を思い出す。簡単で安全だからそうしていたのであろう。白熱電灯は白

熱電灯の良さがある。しかし、蛍光灯を使い慣れた世代はもはや白熱電灯に未練は無いの

であろうか。当分市場から消えることはないと思うが、買った製品に外国ブランドしか無いと

なるとなんとなくわびしく感じるかも知れない。

2009年9月 6日 (日)

ヒューズ

2009/9/6

ヒューズ

以前は落雷、漏電等でブレーカーのヒューズが飛んでよく交換した事を思い出す。ところが最

近は漏電ブレーカーとなったのでヒューズ交換をした記憶がない。落雷で故障したCRTモニタ

のケースを開けてヒューズをチェックしたら予想通りヒューズが溶断していた。機器側に入っ

ているのはガラス管入りのヒューズである。二軒の家電量販店に足を運んでヒューズを置い

てあるか確認したが両店とも置いてなかった。確かにヒューズ一本は百円以下の商品であ

る。ヒューズの百倍か千倍の商品を売った方が遙かに効率が良いのは確かである。しかし、

ヒューズの入っていない家電機器は少ないのではないかと思う。最近の事情は定かでない

が、何となく腑に落ちない時代になったものだ。量販店のエコ、エコがエゴ、エゴに聞こえてく

る。

2009年9月 5日 (土)

落雷

2009/9/5

落雷

群馬県の名物といえば雷と空っ風。空っ風も真冬の深夜にその音を一人で聞くとそのすごさ

が身にしみてくる。雷となると家に閉じこもることになる。昔は雨戸も閉めた。幼児の頃はか

やの中に潜り込みクワバラクワバラと呪文を唱えた事を覚えている。大学で送配電工学とい

う講義があり先生が、最近は群馬県内もあちこち送電用の鉄塔が立ち送電線が張り巡らさ

れているので、かってより雷が少ないと話された。脱線授業であるが、脱線の方を良く覚えて

いる。鉄塔が避雷針の役割をするらしい。1~2年前、自宅に落雷があり、パソコンや周辺機

がかなりの被害を受けた。火災保険で保険金がおりるか問い合わせてみたが、残念ながら

家具の特約に入っていなかった。最近は配電線、電話線に接続されている機器に半導体が

多用されているが、これらの部品は雷サージに耐える耐圧が低い弱点がある。サージアブソ

ーバーを入れれば少しは対策になると思い入れてみたがインターネット接続が不調になって

しまった。原因が分からなかったのでNTTの調べてもらったらサージアブソーバーが原因であ

った。ちょっとした事だが予想以上のサービス料を請求された。ともかく、古い代替え品でな

んとか間に合わせている。古い物でも手許に置いておくと万一の場合予備で使えるので有り

難い。意外に頑張っているのがSEGAのIBM互換機用のCRTモニターだ。VGAのみだが、こ

れがあるとパソコンの最低限の確認が出来る。落雷対策は、原始的だが雷が近づくとパソコ

ン系のコンセントを外すことにした。

2009年9月 4日 (金)

ものぐさのつけ

ものぐさのつけ

何事も便利になった。金を出せば大抵の物は手に入る。便利さを金でかっている訳である。

しかし、ちょっと考えてみると、自分でやるという基本的な事も他人に任せてしまっている。自

分が食べる食物を自分で作るとなると大変な仕事である。これを、個人のレベルで野菜の一

品種でも作ってみると体も使う頭も使うという事で食べることだけでも相当な仕事を要するこ

とが理解できる。基本的な事を他人に任せるという事は相互依存の関係を築くという事で社

会が成立する条件でもあろう。しかし、自分の子供の教育を学校という他人に任せる事ほど

怠惰な事はないという風な言葉を聞いてはっとしたことがあった。学校教育というのも基本的

には効率主義が支配する。為政者から見れば手段に過ぎない。というより学校教育は近代

化が産んだ制度に過ぎない。昔の読み書き算盤は家庭教育か寺子屋教育だった。そんな事

で、ルソーのエミールを読んだ事を思い出した。自分は親の扶養の本にいた身分であったの

で育てる父親側を見上げていたのであった。ルソーの教育論は家庭教育に比重があるよう

だ。エミールはルソーの教育論を物語に仕立てたようなのだが、あのような父親が理想に思

えた。しかし、ルソーとその父親も矛盾を含んだ人でもあったようだ。ともかく、その矛盾を発

展の契機として大きな仕事を為したのであろう。矛盾も目の前の壁も自分のものと認識しな

い限りそれを乗り切れない。

2009年9月 3日 (木)

果物

2009/9/3

果物

幼少時は果物にありつける機会はあまりなかった。病気になると、バナナやリンゴ、ミカン等

を食べられることもまれにはあった。果物はきれいに包装されお遣い物されることが多かっ

た。日常的にたべられるほど庶民にはゆとりが無かった訳である。どうも腹一杯食べた記憶

がないのである。柿だけは自宅に木があったのでよく食べた。しかし、当たり前になるとそれ

を採って食べる楽しみが余り無くなるし、腹一杯食べる事も少なくなる。人間とは贅沢な存在

でもある。庭先果樹のつくり方という本(前田 知著)を読んで自分で果物を育てて見ようとす

る気になった。庭先果樹とは庭の周辺に植えられた果樹で普段の生活に彩りを添えてくれる

果樹のようだ。当然、その果樹を育てている人にも興味がある。前田氏は庭先で果樹を作る

楽しみとともにそのような果樹のある故郷のイメージを語ってくれたと思う。果樹は永年作物

と言われ手入れ次第で長く色々な楽しみを与えてくれる。花も実もある生活が楽しめるので

ある。我が家では庭に色々な樹木が植えられているが食べられる実が生る樹木がほとんど

ない。ハナユとカリンがあるが余り実用的ではない。キウイフルーツは収量も多く実用的では

ある。しかし、とりたてをがぶりと食べる楽しみがない。熟させる手間がかかる。振り返ってみ

ると、キウイフルーツは母の歌材に度々登場していた。やはり、日々庭先で見るとはなく見て

いることになにかしら安らぎを感じるのではないか。その点、果樹は庭木と異なりそれなりの

関心を呼ぶのであろう。

2009年9月 2日 (水)

食料不足

2009/9/2

食料不足

大正9年:55,963千人、昭和10年:69,254千人。日本の総人口である。敗戦に到る昭和の

20年間の様子を知る事が少ない。忌まわしい過去は思い出したくなくなるのが人情かもしれ

ない。しかし、歴史はその連続性の中で理解してこそ意味があるようだ。かって、産めよ増や

せよという人口増大運動があった。人口が多ければ国力も強い。現在でも人口減少が国力

低下と見られている部分があると思う。人口が増えれば増えた分の食料を追加確保する必

要がある。食料増産が叫ばれた。これは戦前も戦後も同じであった。満州や南米に新天地

を求めた人もいる。ともかく食料が大切なことはそれが逼迫して初めて気付く。自分が育った

時期は食うことが何とかできるようになり、第一次産業から第二次、三次産業へ労働力が移

行する時期でもあった。今後の農業は商業経済に巻き込まれ、大規模化が避けられないと

いう話をラジオ等で聞いて、そうなると農業の将来も危ないと思った。結局自分も農業を捨て

て工業に向かった。今日、生産も流通も消費も全て分断されてすべてあなた任せの世界にな

ってしまった。最近、大正用水史という本を読んだ。長い間、課題であり、農民が期待してき

た灌漑用水の工事が戦前の食料危機を目の前にして突貫工事で始められた。しゃべるとも

っこの人海戦術で、働けるものが大勢駆り出された。なんとか完工したが戦力にはならなか

った。しかし、戦後の復興には大きく役だった。これにより、広大な水田が恩恵をうけて戦後

の食糧難の解消に大きく寄与したのだが、いまこの水田さえ将来が不安定になっている。手

を打てるとき手を打たなかったのは人災としか言いようがない。トイレットペーパー騒動どころ

の騒動でない騒動が起きたことは歴史が語っている。

2009年9月 1日 (火)

麦踏み

2009/9/1

麦踏み

わら一本の革命という本がある。自然農法を実践した福岡正信氏の著書である。農産物が

自然の論理の上に成り立っていることには疑いがない。しかし、人間が自然に介入しないと

作物が育たない。作物自身が人間により独り立ちできないように飼い慣らされてしまってい

る。自然農法も深い自然の理解と実践の上に成り立っているので、そのまねごとではうまく行

かないとさとった。昔は農業資材も自給自足した物が多い。一度、敷きわらとして使うために

麦を播いた事があった。結局、実った麦の穂は使う事がなかった。鶏でも飼っていればその

餌に使えただろう。今年は麦作農家から麦わらを貰えたのでマルチ材料等に使っている。と

もかく、現在は動物農家と植物農家に分かれて排出される物資を循環する事も困難になって

いる。ふと、思い出したのが幼少時の麦踏みの事だ。稲の刈り取りが終わった後に麦を播

く。農地を有効に使うために二毛作の後作に麦が作られていた。麦がしっかりと生育するの

を助けるため麦踏みをした。数㎝に育った麦の列を少しずつ丹念に足で踏んで行く。対象が

一本一本の麦であるから踏むすき間を開けてはならない。逆に麦を余り傷めても生育の障

害になる。適当にやる必要があった。最初は足踏みであったが、その後はコンクリートのロ

ーラーを使った。丁度北風が吹く真冬が麦踏みの季節であった。風に向かって進むときに寒

さがこたえた。このような単純だが少しでも収量を上げるため多くの努力をした。その麦も採

算が合わないと作付けが減っている。

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嗚呼 伊勢崎 非情

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)