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2009年10月

2009年10月31日 (土)

幸福論

2009/10/31

幸福論

幸福論にはいろいろな人のものがある。人生論的な書物は幸福論的な色彩を持つ。高校時

代以後に出合ったのがB.ラッセル(1872年5月18日 - 1970年2月2日)の幸福論であった。

教科書か副読本にその一部があったと思う。中身は完全に忘れている。しかし、若いときに

人生とは何か、幸福とは何かという事を考えるのは意義がある事であろう。外国人にの幸福

論は比較的多く見かけるが、日本人が書いた幸福論を思い出そうとすると直ぐに出てこな

い。ラッセルは論理学者、数学者、哲学者であるそうだ。幸福論は哲学の範疇にあるのかも

しれない。日本人は幸福とは何かと大上段に構えて論じるのを憚る傾向があるのだろうか。

ラッセルの幸福論の原著:The Conquest of Happiness, 1930が出版された時がラッセルが

60代前。既に自分はその年齢を越えてしまっている。1950年 ノーベル文学賞 。湯川 秀樹

が日本人として初めてのノーベル賞を受賞したのが1949年。核廃絶に関するラッセル=アイ

ンシュタイン宣言(湯川秀樹も共同宣言者として名を連ねている)を発表し、これがパグウォッ

シュ会議の開催へと発展していったそうである。21世紀初頭になりようやく核廃絶が世界政

治に再登場してきた。核兵器は世界平和の対極にある。核兵器廃絶は人類共通最大の幸

福かもしれない。ラッセルの幸福論のタイトルThe Conquest of Happinessは幸福の征服と

読める。幸福とは勝ち取るものなのだろう。

2009年10月30日 (金)

イタチ

2009/10/30

イタチ

昔は農家には小さな鶏舎があり、鶏を飼っていた。時には放し飼いをして、庭にこぼれた米

や麦をついばんでいた姿を思い出す。この鶏舎が破られて鶏が食べられてしまう事があっ

た。犯人はイタチであると言われていた。イヌ、ネコも放し飼いの鶏なら狙う可能性がある

が、鶏舎を破る事は少ないようだ。イタチは野生動物でその姿を直接見せる事は少ない。し

かし、かつては田舎の人家周辺にも棲息していた。自分もその姿を何度か見た。現在、身近

に棲息している野生ほ乳類はモグラとネズミ位ではないかと思う。聞いた話ではまだタヌキも

いるらしいが。幼少時にはキツネやタヌキが出てくる昔話をよく聞かされた。キツネやタヌキも

身近な存在であった。農作業ではモグラの被害が大きい。マルチを張ったその下をモグラが

這い回る。作物の育ちが悪いと探って見るとその下にモグラのトンネルが走っている。餌にな

るミミズ等が多いのも事実だが、モグラは招かざる客である。

2009年10月29日 (木)

アオダイショウ

2009/10/29

アオダイショウ

かつては、米は俵にいれたままで保管されていた。その後は麻袋か紙袋か定かでない。とも

かく、米を倉庫等で保管しているとネズミがそれを狙って倉庫に入り込む。そのネズミを狙っ

て倉庫や米倉にアオダイショウが住み着く。昔の農家は米を食い荒らすネズミを食べるアオ

ダイショウを大切にしていた。ヘビと人間はかなり特殊な関係がありそうだ。校章ににヘビを

あしらったものも見たような気がする。気味が悪い。子供の頃はヘビを見つけると逃げるか

退治するかどちらかであったと思う。当時は、色々なヘビ類がいた。アオダイショウ、赤ヘビ、

シマヘビ、ジモグリ、ヤマカガシ、トカゲ、カナヘビは実際に見た記憶がある。赤ヘビとヤマカ

ガシは同じなのか。ともかくじっくりみる気力がなかった。一月前頃、アオダイショウにに出合

った。1m以上ありそうだったが直ぐに引き下がってしまった。サツマイモには野鼠に食われ

た跡が残っているのを見ると、まだ我が家の周辺には野鼠も棲息しているようだ。しかし、カ

ナヘビは時々見るが、大型は虫類であるヘビを見る機会は減っている。本格的に農業をして

殺虫剤等を多用するとヘビ類は更に住み難くなりそうだ。

2009年10月28日 (水)

味見

味見

料理の味付けでうまさが変わるのは事実である。しかし、味は料理だけに役立つわけでも無

いだろう。料理は生物的な生存という観点からは餌が非常に恵まれた条件にある時にしか

成立しない。生物的な味の感覚が味覚ということになるだろう。狩猟や採取という原始的な食

餌状況では味は素材に主に含まれて、味を加工することは少なかったかもしれない。味覚は

舌にある味覚細胞というセンサーを使って検知される。その基本的な役割は、物が食べられ

るか食べられないかの判定にあるようだ。食品・食材は食べられることが前提で、通常我々

は食品・食材を食べているという事は、食べられないものかという判断はほとんど行っていな

い事になるのであろう。子供の頃は、色々な物を口に入れた。これは食べられないと感じると

直ぐ吐き出した。甘いと思ってかぶりついた柿が渋いとき等はその例である。逆に栗の実等

は指の爪で渋皮を削って多少渋くても生でかりかり食べた事を思い出す。甘味、酸味、塩

味、苦味、うま味の5つが味覚細胞により感知される基本味だそうだ。辛み、渋みの検知は

別種の感覚だそうだ。ともかく舌はいろいろなセンサーを兼ねている。電池の電極に指をあ

てて他の電極を舐めると独特な味のような感じを受ける。味も電気・化学的な現象をセンサ

ーで検出しているので味付けという点ではまだ色々な可能性があるのかもしれない。ゴーヤ

の苦み等は最近一般化した味覚であろう。甘味、酸味、塩味は基本調味料が昔からあった。

うま味の調味料は化学調味料として実現している。苦みについては基本調味料として単品で

売られて商品は見たことがない。食品添加物として間接的に食べているようだ。苦みについ

ては目薬が喉に降りてきて気になっている。苦みは甘みの対極にあるのであろう。しかし、苦

みの無い世界は味気無い世界になってしまいそうだ。ブレーキの無い車のようだ。酸味、苦

味、渋味をじっくり味わってみたい。

2009年10月27日 (火)

オートメーション

2009/10/27

オートメーション

二十年間つとめし後にきたりしものオートメーション化と停年    角谷桐松

昭和万葉集巻11 昭和30年~31年に採録された短歌の一つ。終戦十年後頃の作品であ

る。既にこの頃からオートメーション化が始まっていたのであろう。まだ小学生の頃でオートメ

ーションについては何も知らなかった。オートメーションの普及は技術の進歩とともに範囲が

広がっていった。肉体的な労働から知的労働までが対象になっていった。オートメーションも

立場により色々な見方ができるだろう。仕事を追われた人、新しい仕事に転身した人。さまざ

まであろう。初期のオートメーションは製造・加工業のベルトコンベアー方式の自動化が多か

ったのではないだろうか。まだ、製造システムの中には機械と連動する労働力は必要とされ

ていただろう。しかし、機械の方が高度になるとシステムの中の作業者自身が作業精度や速

度等の点でじゃまになってしまう。もはや、直接的な労働には人力が不要になってしまう。半

導体チップの測定や組立では位置合わせ等の高度な作業もほとんど自動で行われる。人間

の眼の代用はCDDセンサー等で行う。機械がの動きがコンピュータの活用でどんどん高度

になってゆく。今日オートメーションは当たり前の技術になっているが侮れない部分が多いと

思われる。デザインオートメーションで設計作業もコンピュータに大幅に依存する時代となり、

オートメーションという概念自体がすでに古くなってしまったのかもしれない。

2009年10月26日 (月)

大阪の臭い

2009/10/26

大阪の臭い

既に一昔以上前の事である。単身赴任の余暇に大阪の町をぶらぶらしていると何となく大阪

の臭いを感じた。この臭いはその土地特有な臭いがあるようだ。自分は海外に出たことが無

いので、海外の都市特有の臭いを知らないが、行った人に聞くと特有の臭いがするらしい。

住み慣れると次第にその臭いに慣れて気付かなくなるようだ。秋葉原にもそのような臭いが

あったような気がする。開店前の路地裏探訪が面白いので、町に出かける時は出来るだけ

早く出かけてぶらぶらすることがある。開店してしまうと、店先の商品に目が移ってしまい、店

の看板も見逃す事が多い。トイレの臭いも場所、地域により様々だ。都心の駅や店のトイレ

は最早臭いを余り感じさせなくなった。しかし、地方のトイレはまだ色々なレベルの臭いがす

る。駅のトイレの臭いは乗客の数に反比例するような印象を受ける。臭い対策もサービスの

一つであるようだ。臭い感覚が鈍くなるのは生物として退化の方向に向かっているのか。か

っての職場の上司の口癖に「これは臭い」と言うのがあった。物事の不具合の原因をかぎつ

けたときによくこの言葉がでてきた。上品では無いがこの動物的感覚はあたる事も多かっ

た。警察官が犯罪を見つける時はやはり動物的な勘を働かせているのであろう。

臭いで原因と対象を探り出すという勘は他の勘にも通じるだろう。日頃の訓練が必要だ。

2009年10月25日 (日)

ヨット体験

2009/10/25

ヨット体験

海無し県に生まれて、海にあこがれた。しかし、最初に海を見たのがいつだったかはっきり

覚えていない。江ノ島鎌倉への修学旅行で海を見たのは確実である。それよりも前に子供会

の旅行で羽田飛行場へも行ったのでそのころ見たかもしれない。実際に海上に出たのは相

当遅くなってからである。観光やレジャーでなくビジネスが目的の旅行で船に乗ったが、感興

にひたる余裕もなかった。既に一昔前であるが、大阪に単身赴任していた時に会社の同僚

がヨット乗りに誘ってくれた。勝手の分からない土地で単身生活をする無りょうを気遣ってくれ

たのであった。休日は社宅や日本橋の電気街で過ごす事が多かったが、その日は神戸方面

に向けて電車に乗った。待ち合わせの駅からヨットハーバーへ行くと奥さんも迎えてくれた。

職場の女性も数名加わった。定員の都合で二回に分けて乗ったのであるが、岸から離れて

沖に向かうと何となく心細くなった。やはり、何となく万一の事をそこはかと考えてしまうのであ

る。子供の頃水泳はしたが、それ以来ほとんど泳いでいない。全て船長に任せれば良いの

だと思うと気持ちが楽になった。ともかく、陸から海を見るのと、海から陸を見るのは全然別

の体験であった。昼食もヨットハーバーで海を眺めつつ頂いた。ヨットに乗ったのはたった一

回だけであるが、わくわくした楽しい一日であった。その記憶もうすれつつある。ともかく、ヨッ

トの操縦にも資格が必要なようなので、ヨットを操縦できる人との出会いの不思議さも体験し

た事になる。職場では仕事も色々教えて頂いたが、多彩な趣味と行動力でも教えられたよう

に思う。

2009年10月24日 (土)

海の記憶

2009/10/24

海の記憶

エディターで編集が終わろうとしていた頃にWIN-MEの画面が固まってしまった。オートセーブ

していた筈だが再起動時に記録は見つからなかった。BLOG画面での編集はどうも使い勝

手悪いのでエディターで編集後に貼り付けていた。テーマは学生時代に読んだ短詩を思い出

せないので、探し出す事。ともかく、みつけられたのは本日の成果。

Mon oreille est un coquillage
Qui aime le bruit de la mer.
私の耳は貝の殻
海の響をなつかしむ   (堀口大學 訳)

<「なつかしむ」は、原詩ではたんに aime (好き)という単語なのですが、これを「なつかし

む」と訳したところが、堀口大學氏のすばらしいところです。>と空っぽの皿さんのBLOGを参

照させて頂いた。ON LINE辞書でcoquillageを引くとこれが貝の事。二枚貝、巻き貝も表すよ

うだ。余り多くファイルを開くとフリーズする。WIN-MEの欠点らしいがそれと仲良くつき合わざ

るを得ない。それにしても、直前の記録を失うのもつらい。貧弱なパソコンではフリーズも楽し

みの一つにしなければならない。RAMは192Mで増設したら効果が上がるのか。

2009年10月23日 (金)

遠い記憶

2009/10/23

遠い記憶

サラリーマンの頃か学生の頃か全くいつの事か思い出せない。しかし、電車で通勤通学して

いた頃の記憶である可能性が大きい。電車を使うのはそれ以外もあるので別の可能性もあ

るが。ともかく駅のベンチでそれとなく本を読んでいた。もう40~50年も前の事と思う。ある人

が本をのぞき込むような格好で話しかけてきた。俺は(日本で初めて)飛行機に乗っていた徳

川というものだよ。しっかり勉強し給えと言われて去って行った。本当に短い間の出来事であ

った。詳しいことはすっかり忘れている。俺と言ったか、日本で初めてと言ったかも定かでは

ない。しかし、飛行機乗りの徳川と言う人が駅のホームのベンチで読書をしている青年に激

励の声をかけてくれたのは事実である。漠然とした記憶であるが、飛行機乗りの徳川と言う

人が何人もいるはずもないし、別の人がわざわざそう名乗って立ち去ることもなかろうと思っ

ていた。ずっと記憶の片隅に残っていた不思議な体験であった。WIKIPEDIAで調べると「徳

川 好敏(とくがわ よしとし、1884年(明治17年)7月24日 - 1963年(昭和38年)4月17日)

は、清水徳川家当主で、日本陸軍の航空分野を主導した軍人である。陸軍中将。男爵。

1910年(明治43年)12月19日午前、軍公式の飛行試験で日本国内で初めて飛行機により

空を飛んだ。」とある。自分の記憶も徳川 好敏氏の生存期間と重なると思うのだが時間感覚

が余りにも漠然としすぎている。何十年も記憶の片隅に残っている体験はそれなりに有意義

なのだろう。本当に徳川 好敏氏に会ったのだろうか。

2009年10月22日 (木)

我が闘争(改題):老人の寝言:ハイルヒットラーはもうご免!091022。

2009年10月22日 (木)

我が闘争(改題):老人の寝言:ハイルヒットラーはもうご免!

第二次世界大戦はまだまだ記憶から消える事はない。しかし、徐々に遠くなりつつあるのも事実かもしれない。ヒットラーの著書、我が闘争は1925年に出版された。気になっている本であるが、読んだ記憶はない。ドイツでは終戦までに約1000万部が出版されたとの事である。

現在、ドイツでは一般人は我が闘争を読めないとの事らしい。すなわち、出版が禁じられていること、図書館等で公開されていないということらしい。古本も相当数残っていると思われるので、読もうと思えばドイツでも不可能ではないだろう。しかし、意識的、無意識的に退けられていることもあろう。

日本でも、終戦前の本や雑誌を古本で見つけるのは困難になっている。もう、意味もないと処分されたり物置の奥の方に埋もれているのかもしれない。生々しい記憶が薄れてきてようやく歴史として客観的に見るゆとりが出てくるのであろうか。

もう一つの気になる事は父親からも我が闘争云々という話を聞いたような記憶がかすかに残っている事である。戦前に日本でも翻訳され出版されている。日本ではどの程度の影響があったのか。


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我が闘争

第二次世界大戦はまだまだ記憶から消える事はない。しかし、徐々に遠くなりつつあるのも

事実かもしれない。ヒットラーの著書、我が闘争は1925年に出版された。気になっている本

であるが、読んだ記憶はない。ドイツでは終戦までに約1000万部が出版されたとの事であ

る。現在、ドイツでは一般人は我が闘争を読めないとの事らしい。すなわち、出版が禁じられ

ていること、図書館等で公開されていないということらしい。古本も相当数残っていると思わ

れるので、読もうと思えばドイツでも不可能ではないだろう。しかし、意識的、無意識的に退け

られていることもあろう。日本でも、終戦前の本や雑誌を古本で見つけるのは困難になって

いる。もう、意味もないと処分されたり物置の奥の方に埋もれているのかもしれない。生々し

い記憶が薄れてきてようやく歴史として客観的に見るゆとりが出てくるのであろうか。もう一つ

の気になる事は父親からも我が闘争云々という話を聞いたような記憶がかすかに残っている

事である。戦前に日本でも翻訳され出版されている。日本ではどの程度の影響があったの

か。

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追記(2017/11/20):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
BLOG開始初期の記事である。当時は、パソコン画面設定に合わせて強制改行したようで非常に読みにくい。文節に分け、タイトル文字のサイズと色を変更。老人の寝言のカテゴリーに入れた。学生時代は、授業の外国語にドイツ語があった。その時、HAIL HITTLERにかけて、入るヒットラー・出るヒットラー等と駄洒落を面白がっていた記憶がある。現代の若者はヒットラーの名前をどれほどが知っているのか。

国立国会図書館サーチでキーワード「我が闘争」を検索

この検索で「我が闘争 :ヒットラァ 著,室伏高信 訳 第一書房 1940」がヒットした。

YOUTUBE:「時代は独裁者を求めた」へのリンク

YOUTUBEで「HAIL HITTLER」を検索

独裁に「入るヒットラー」が自滅して「出るヒットラー」となった歴史には、謎と共に多くの教訓が残されている。ヒットラーが採用した手法は今尚、見習う輩がいるようだ。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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