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2009年9月

2009年9月20日 (日)

マクルーハン

2009/9/20

マクルーハン

メディア理論で世間の脚光を浴びた。メディアをクールなメディアとホットなメディアに分類した

ようだ。技術的にメディアの可能性が拡大したが、それを裏付ける理論が無いので世間がそ

れに飛び付いたというのが実態であったのかも知れない。情報化社会の到来を予言するよう

な時期に出現した理論であったように見える。自分もマクルーハンのメディア論にかじりつい

たが所詮流行に乗り損ねただけで終わった。しかし、時代の雰囲気は色々な流行の中に現

れているようでもある。技術の世界ではCATV、マルチメディア、ニューメディア等次々に新し

い流行が生まれた。新しいビジネスモデルが生まれて消えていった。そうして、生き残ったも

のだけでも、もう沢山というほどの当たり前の世界が目前にある。技術的な課題が大きい分

野はチャレンジ精神を喚起してリターンも大きい。そこに集中する人々や企業も多い。しか

し、最後まで生き残るものは少ない。生存競争の厳しさと哀れさを感じる。しかし、変転きわ

まりない歴史の中で少しでも生き続けたものは歴史のリレー走者として何らかの貢献をして

いるのではないか。

2009年9月19日 (土)

栗の木

2009/9/19

栗の木

十数年前叔父さんが畑に栗を植えるので、植えるのなら苗を一緒に手配してやると話があっ

た。二、三品種、十数本の苗を頼んだ。叔母さんが、栗の収穫をして直売所に出荷してい

た。その栗の木も今は切り倒されている。我が家の栗の木は手入れも収穫もせずに畑の中

にある。今後手入れをして少しでも収穫して見たいと思っている。栗の実をまいた実生の栗

の木もある。最近、この栗の木の下に行ってみたら、栗の実が落ちていた。ところがそれを

拾う気がしないのだ。子供の頃の感激もない。子供の頃は渋皮を爪で剥いだり、歯でがりが

りかじり、渋を吐き出しながら生でたべたりした。爪や歯も立派な生存のための道具であっ

た。この渋皮が取りやすい栗があるとのことで検討をしている。白栗とぽろたんという品種で

ある。最近は食味以前に食べやすい事が求められている。手間がかかると言う点では栗は

他の果物に及ばない。しかし、何となく郷愁を感じる果物でもある。幼少の頃、どこかの山に

栗拾いに連れられていったことがある。野生の栗で実は小さい。しば栗という品種であったの

か。味は良かったらしい。乾燥させてかち栗にして食べたのではないかと思う。それほど記憶

は薄れている。昔は立派な保存食だったので見直すと面白いかもしれない。

2009年9月17日 (木)

パソ通からインターネットへ

2009/9/17

パソ通からインターネットへ

市販のパソコンでは富士通のDESK POWERを購入。OSはWINDOWS 3.1であったので

1993年前後であったろう。このパソコンとモニタは既に退役した。インターネットは

WINDOWS 95の発売で急激に普及した。この頃は自作パソコンも流行っていた。秋葉原に

パーツの買い出しに行って組み立てた。最近アウトルックのメールを振り返ってみると約10

年前のデータが残っていた。量で約250Mを使っている。ほとんど読んだりしないのだから不

要なメールを削除してしまえばパソコンの空きスペースは少し広がるかもしれない。10年以

上前のメールはパソコン通信でやっていたようである。多分NIFTYのパソコン通信のソフトを

起動してメールをしたように思う。このときのメールもどこかに残っている筈だ。メールデータ

の引っ越しをやっておけば当時のメールを読み返しできるのだが。パソコン通信からインター

ネットへ環境が代わって既に十年以上が経ているが、ここでお世話になった電話/FAX用の

MODEMカードもどのPCに着いているか不明で現在はほとんど使っていない。公的機関が

書類を受け付けるのにFAXを指定しているので困る事がある。仕事を減らす為にメール受

付をしないのだろうか。我が家の電話は単機能の電話だけ。確かにFAXは着信が目に見え

るがペーパーレスの方がはるかに合理的だ。最近のFAXはデータを蓄積して必要な物だけ

をプリントする機能を持つのもあるようだ。しかし、古い物を捨ててまでして同じ様なものを買

うのはもったいないという気がする。

2009年9月16日 (水)

ハイビジョン

2009/9/16

ハイビジョン

安物テレビも遠くで見ればハイビジョン。最近のテレビは技術の進歩で画質の向上がめざま

しいようだ。現実よりテレビの中の方が綺麗である。画像を作るハードと共に作品を作るソフ

トの方も進歩しているのかもしれない。テレビは走査線方式という基本技術の上に成り立って

いる。被写体から取り込まれた信号は基本的には普通のテレビとハイビジョンテレビと同じ

性質を持つ。違うのは情報の密度である。人間の目は何処までも小さい物が見えるわけで

はない。実用的には目の分解能以下の細かい情報を送っても余り意味がない。確かに普通

のテレビは近くで見れば走査線がちかちかして見にくい。しかし、画面全体を見るくらい距離

が離れればそれも気にならなくなる。従来のNTSC方式は実現できる技術レベルと実用上の

満足度、コスト等がじつにうまくマッチングしていたと言えるだろう。情報の基本単位はbitであ

る。情報化社会になりこのbit単価が劇的に低下した。従って、細部を表す部分にも情報を割

り当てる事が可能になった。しかし、この余り表に現れない情報に気付く人は少ないのではな

いか。写真もテレビもプリンタも白黒の時代があった。白黒は明度だけの情報しかなく色の

情報を捨てている。夕方暗くなると色の情報は少しずつ減少し白黒の世界になる。アナログ

テレビ放送ももうじき終焉の時を迎える。しかし、イザ電波を切ろうとしたり、切れてしまったら

大騒ぎが生じる可能性もある。幸い我が家にはブラウン管テレビしかない。地デジになったら

液晶テレビが入るかなと期待されてもいる。とんでもない今のテレビはコンバータをつないで

最後まで頑張ってもらうぞと宣言している。何処にいても自然はハイビジョンの世界だ。似せ

物をみるよりこの目でじっくりと本物を見たい。

2009年9月15日 (火)

人間機械論

2009/9/15

人間機械論

米国の数学者N.ウィーナの著作だ。神童も大人になればだだの人と言われる例が多い中こ

の人は生涯天才であった。大学では学問の結果だけは教えるがそれがどのような背景で生

まれたかはあまり教えてくれない。たとえば、自動制御等の科目等では数式の羅列になって

いる場合が多い。マックスウェルの電磁界方程式は非常に完成度が高い。大学の先生曰く、

マックスウェルはこの式を導く時に色々な計算を繰り返したと思われるが、式を完成させる為

に使った梯子は全て取り外してしまった。丁度偉大な芸術作品が作られた現場が見られない

のと同じである。N.ウィーナは人間や機械の本質は何かも追求したのだが、それは哲学に

通じるものであったろう。N.ウィーナのもう一つの著書サイバネティクスも名著と言われるが

難解であった。サイバネティクスはミサイルを打ち落とす事や宇宙ステーションを打ち上げて

運用する事等の基本技術の基礎でもある。すなわち情報と制御の基礎的な学問をN.ウィー

ナが提起した。今日の情報化社会はN.ウィーナを忘れさせるまでに発展してしまったが、

N.ウィーナが人間には人間にふさわしい仕事が与えられるべきであるとした哲学的な課題

は未だ解決されていないと思われる。皮肉にも情報化を進める現場の科学者、技術者、知

的労働者等が非人間的な厳しい扱いを受けているようでもある。優秀なプログラマーといえ

ども自分の能力の何百倍何千倍の巨大のプログラムを作ることは出来ないし、膨大なプログ

ラムを維持管理することすらできない。その優秀なプログラマーもやがて退役してこの世を去

って行く。経営者は安定に走っているシステムからは人材を引き剥がしてゆくだろう。しかし、

社会の裏側で走っているコンピュータは一瞬といえども止める事ができない。万一大地震等

が起こったら情報化社会の頭脳・神経網はどうなるのだろうか。

2009年9月14日 (月)

脱工業化時代

2009/9/14

脱工業化時代

今から30~40年前、日本の工業が立ち直り発展をしていた時から、次は脱工業化時代が来

ると予言された。脱工業化時代は情報化社会とも言える。今、当時を振り返るとその予言が

当たっているように思われる。工業化社会ではメシを食って身体で働くという見える労働があ

った。要するに最低限の労働手段である身体を労働者自身が支配できた訳だ。従って、労

働者がストを打つことににもそれなりの効果があった。情報化社会になると身体は情報(命

令)を実行させる道具にされてしまった。自分も工業社会の一員として過ごしたが、自分の子

供に自分の仕事をしている姿を見せることが出来なかった。CADルームのCAD端末が日常

的な作業対象であった。そにはディスプレーとキーボードとプリンター程度しかなかった。コン

ピュータは別室に鎮座していた。このような場面が至る所に見られるのが今日の社会ではな

かろうか。ともかく、コンピュータはプログラムで動く。コンピュータが中心になるとビジネスが

コンピュータに乗るような方式に切り替わる。柔軟性がなくなる。人間が最も得意とする柔軟

性が束縛されるのである。怖いのはコンピュータだからと全てあきらめてしまうことである。今

回の選挙では出口調査も電話調査も断った。今度は、コンビニやスーパーに行ったら値引き

交渉でもしてみようか。私はパートよと言われても人間らしい会話が出来るではないか。

2009年9月13日 (日)

戒名と院号

2009/9/13

戒名と院号

葬儀の時に気になる事だ。しかし、その意味を生活の中で考える事は少ないのではないか。

それを授かるのは故人であるので戒名と院号も生存者は余り実感が伴わないのであろう。

会社で壁につき当たった時に実用書を読むとともかく相手や場所や時を変えろというアドバ

イスがあった。確かに、自分が束縛されていた条件から飛び出すと何にとらわれていたか客

観的に見える場合がある。駄目な上司が最早打つ手無しで相手に出来なくなった場合はそ

の上司の上司がいるではないか。名前を変えるのも同じ様な意味合いがあるようだ。新しく

名前を変え、または名前を貰って再出発すれば良いではないか。自分自身は唯一で変えら

れない。しかし、名前は幾つも持てる。意識を変えれば良いのだ。生前、自分の名前が気に

入らないので名前を変える人もいるようだ。そんなに勝手に変えさせてくれない。衆人から本

名が忘れられるくらいまで自分の希望する名前で通すのだ。そうすれば社会生活上、その人

の名前がその名前であると定着する。実名を本当に変えるのは公的な手続きが必要になる

ようだが、名前を変えるべく生前に努力すればそれがかなうのも事実だ。戒名と院号も自然

に付いてくるかもしれない。ともかく、芸事や修業事で名前を貰う事や自分がハンドルネーム

や筆名を名乗るのも実名以外の活動を想定するためであろう。即ち意識の仕切直ししている

様に思われる。実名で全ての事ができればそれ以上の名前は必要でないように思われる。

しかし、生死を分かつ時、ここでも価値の仕切直しが行われる。戒名と院号もそれをいかに

理解するのかいかに生かすかでその意味が変わるのであろう。

2009年9月12日 (土)

寺子屋

2009/9/12

寺子屋

仏教が日本に伝えられ寺も各所に建てられている。寺もその長い歴史の中で生まれたり消

滅したり、存亡の危機に直面したり人間と同じ様な運命を背負っている。武家は支配層であ

りそれなりの学問教育の体制はあった。商家も幕府の流通経済に深くかかわり塾も栄えた。

農家はそれに及ばないが寺子屋等で教育が行われた。残念ながら寺子屋教育の詳細がよく

分からなかった。寺は昔は一種の学問所、教育機関の機能を果たし、そのような歴史の中

から民間の学習施設も寺子屋と呼ぶようになったと勝手に想像している。学制が整わなかっ

た以前の庶民の教育は寺子屋が受け持っていたわけであるが、実態がよく分からないのが

残念であった。今日の学習塾も教えると教わるという関係はあるが、サービス業の性格もあ

る。寺子屋の場合そこまで割り切ってはいないであろうし、むしろ庶民の教育が重要である

事を自覚した学問のある農家が余暇を削って地域の人々の教育に捧げたのが実態のよう

だ。上毛カルタに「老農 船津伝次平」の札があるのを覚えているが、同名の本が上毛新聞

社から出版されている(柳井久雄著)。末尾の著者欄に同氏は教職を経るとと共に村史や教

育史に関わっていることが分かった。寺子屋の実態と役割が理解できた。船津伝次平の父

の代から寺子屋を開いており、船津伝次平もそのお師匠さんをしたと本を読み直して新たに

知った。八幡沼開鑿の知られざる先覚者川端宇兵衛の父親も寺子屋を開いていた事が知ら

れている。人材を産むにも偉業を達成するにも地に着いた教育が必要であった事を改めて

痛感した。

2009年9月11日 (金)

もてなしの心

2009/9/11

もてなしの心

庵で思い出すのが茶道である。学生時代に岡倉天心の茶の本を読んだ。お茶もその源流を

辿ると外国からもたらされたものだが、喫茶の風習の中にも日本的なものが育ってきた。天

心はその日本的な精神文化を茶で象徴したようだ。英語で書かれその主たる目的は日本の

精神文化の世界への紹介である。茶室も見方によれば鴨長明の方丈の庵のような性格が

ある。社会のややこしい束縛から解放され本来の人間に戻る空間と言って良いだろう。単身

赴任で関西に仮の宿りを定め、そこを中心に仕事をした。出張も多かった。その出張が早々

に片づいてしまい時間を持て余すことになった。大きな鞄をぶら下げてふらふら歩いていると

無名(失礼、ただ知らないだけの)寺があったので、ぶらりと入って参拝した。丁度そこで茶会

が行われていた。何がきっかけかはっきり覚えていないが、よろしかったら、一服いかがです

かとでも誘われたのであろう、その茶会の招かざる客になってしまった。地獄で仏との喩えが

適当かわからなが、作法もまるで分からぬまま、お茶と茶菓を頂いて退席した。中年にさしか

かったやぼなおじさんの風体のサラリーマンがお寺に来たのだから元気づけてやろうという

一瞬の気持ちが茶会の主人によぎったのかもしれない。全く一期一会の出来事であった。誰

かは知らないがご婦人方の茶会であった。黒一点の冷や汗談義かもしれないが、今も忘れ

られず本当に有り難いお接待であったと思っている。

2009年9月10日 (木)

方丈記

2009/9/10

方丈記

関心が仮住まいに移り鴨長明の方丈記を思い出した。尺貫法からメートル法(1951年/昭和

26年制定)に移る頃が少年期で尺貫法のイメージがわかない。一丈が10尺で約3メートル。

方丈とは四畳半。何も考えることもなく小川のほとりで水の流れを見ることもなくみているとあ

れこれいろいろな事がそこはかとなくおもわれてくる。大空の雲を眺めても同じ様な心境にな

る。最近はそういう無為の時間を過ごす機会が少なくなった。鴨長明は神職系統の出自、そ

れが出家をした。いわば神仏の両方の世界を体験したのだろうか。四畳半の庵の広さで衣

食住と随筆を書くという生活が十分まかなえたのであろう。人生の四住期という考えがある。

人生の前半は過ぎ去った。その後半に足を踏み入れて自分の来し方行く末をそこはかとなく

感じるのも風流かも知れない。出家とは修業の一つなのだろうか。林住期にも出家的な雰囲

気が感じられる。世間の雑事から離れることで時間的なゆとりも生まれる。あくせくと生きてき

た生活を見直し本来の自己を生きるために与えられた時間かもしれない。方丈記が書かれ

たのが鴨長明が57才頃。800年も前の事なので当時なら晩年の作品だ。まだ悟りを開くには

早いぞと変な悟りを開いて10年以上前のパソコンに向かう。ディスク領域不足の警告が出

た。空き139M。ともかく四畳半パソコンで不便を楽しもう。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)