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2009年12月

2009年12月21日 (月)

第二の人生?

2009/12/21

第二の人生?

人生に第一も第二もない。生まれて死ぬまでを人生というのであろう。果樹の場合にその生

命を考えると複雑である。大抵台木の上に品種の穂木が接ぎ木されている。一本の果樹に

二品種の樹木が同居しているのである。十数年前にミカンの苗を買って植えた。それ以前に

も植えたかもしれないが枯れてしまった。そんな苗はヤマモモも同じであった。何回か植えて

も成木にならない内に枯らしてしまう。ワラぼっちで冬期の防寒を2~3年行ってようやく枯ら

さずに済んだ。何回か失敗してようやく、苗木は幼少時に大切に手入れをして育てる必要が

ある事を知った。ミカンの苗木の上部を枯らしてしまったが、まだ根の接木部の下は生きて

いた苗があった。勿体ないので、その苗を畑の隅に植えていた。そんな事も忘れて、数年後

に何となく畑の隅をぶらついていた時に何か黄色い実がなっている木を発見した。なんと枯

れたミカンの木からカラタチが大きく育って実を付けていた。2002年頃であった。本来がカラ

タチなのだからミカンを接木されたのが第二の人生。それがうまくゆかなかった。それはあく

まで人間の立場である。台木のカラタチは頭上のミカンが枯れてようやく本来の自分を取り

戻したかのようであった。以来そのカラタチは毎年実を付けている。人間にとって果樹の台木

とは建物の土台と全く同じ意味をもつ。陰の見えない所でジッと日の当たる本体を支えて、う

まい実を作るために働くのが台木の役割である。人間ならばこんなに理不尽な事は無いであ

ろう。台木には穂木に無い野生の素晴らしい生命力がある。野生種のなかでも特に台木とし

て優れている品種が果樹の台木として使われている。果樹を見たら台木の事を思うのも意義

があるだろう。

2009年12月20日 (日)

タイムカプセル

2009/12/20

タイムカプセル

WIKIPEDIAの「日本万国博覧会」の記事によると、大阪万博の来場者数は6421万8770人

であったとの事だ。開催時期は 1970年3月14日 - 9月13日(6ヵ月、183日間) であった。膨

大な人数が特定の展示物を見るという経験をした筈だ。この記事で目を引いたのが二個の

タイムカプセルが作られたとの事。一つは5000年後の6970年に封印が解かれる。もう一つ

は2000年から百年ごとに開封されて保存状態等が確認される。化石、石器、土器等も一種

のタイムカプセルには違いないが目的をもって残されたというより、偶然に残っていたという

に近いだろう。ともかく、今後寿命100年の時代を迎えると一生に一度はこのタイムカプセル

を拝めるチャンスはあるかもしれない。全て予定通りに物事が過ぎれば、二つのカプセルの

中身が照合できるであろう。奇跡に近いのが二つのカプセルの中身が完全に一致する事で

あろう。最も残念な結果はこの二つのカプセルそのものや情報すらも完全に消滅してしまう

事であろう。100年毎の開封は情報の伝達と言う点でも不安が無くはないであろう。50回のリ

レーが必要だが、その時間間隔がリレーの情報、リレーの物件を確実に伝えるのに適切で

あるかという問題である。伊勢神宮は20年毎に式年遷宮を行っている。丁度始まった頃の人

間の寿命の半分程度の長さのように思われる。世代間のタッチゾーンが半世代ある事によ

り、情報、物資等の引継が滞りなく行われることにより、原型が保存されているようだ。

万博のタイムカプセルとは別に人類のタイムカプセルを作ったらどうであろうか。50年毎に当

時の最新技術で第二のカプセルからコピーを作り、それを世界の博物館に配布する。代N号

のコピーは代(N-1)号までのコピーを参照して第一の原カプセルの正確な復元を目指す。

100個のタイムカプセルが世界の各地に分散設置される事になる。50世紀後に残る確率は

大きくなるであろう。何かDNAによる種の保存のような感じがするが。このようにすれば、国

が滅び、文明が移動しても20世紀の記憶が伝えられるかもしれない。ともかく69世紀まで人

類の歴史を正確に残す仕事はチャレンジに値するだろ。しかし、残すに値する物は何であろ

うか。

2009年12月19日 (土)

カタストロフィー

2009/12/19

カタストロフィー

ある小さな原因により、物事が大きく変化して破滅に到ることが現実にこの世にある。ダイア

ナ妃の死亡もそんな思いをさせる。その小さな原因はもはや知ることができない。その時、自

分は何をしていたのであろうか。

**************************************1997年8月31日(日)no2
GOOD EVENING!
今22:37です。
パソコンは不完全ながらやっと復旧しました。
未だ使い勝手が悪い状況。
これからもう少し調整する。
メールが遅れるかもチェック。
今日のビッグニュース
ダイアナさんさようなら。
一つ悪い方向へ向かうと
どんどん悪くなる。
XXの法則というのがある。
XXは忘れたが...。
とりあえず今日はこのメールで終わる。
○明日は××へ出張。

では、また。                                               **************************************

パソコンをいじりつつ、家族とメールを通じようと悪戦苦闘をしていた。これもぶりょうを慰め

る役割があったのかもしれない。「メールが遅れるかもチェック。」本当に送れていたのだろう

か。残っているのはメールの下書きだったかもしれない。接続したままでメールを書いていた

ら通信料も馬鹿にならなかった時代であった。

2009年12月18日 (金)

安物買い?

2009/12/18

安物買い?

古いメールのHDD内の保管場所が分かったので、メール開始当時の様子を振り返ってみ

る。MODEMを変更してようやく日本語メールが送れるようになったようだ。

***************************************1997年MM月DD日(日)
みなさん元気ですか?今日は大阪の秋葉原と言われている
日本橋という所に行って来ました。大阪に出てくるときに
お母さんと秋葉原で買ったモデムは1980円で非常に
安かったが、実はアメリカ/カナダ仕様のもので日本では
使えないもののようでした。ガックリ。しかし、英語の
説明書を何回も読んだので,色々、勉強が出来ました。
さて、今日は安いモデムを探していたが、新品は安くても
9000円はします。それで、中古のアイワ製の
PV-BF144M2というものがあったのでこれを
買ってきました。このモデムはそちら(○○○)のモデム
と同じメーカーのものなので使えるだろうと判断して
えいやーで買いました。3200円程度です。
それで寮に帰って早速試したらニフティーサーブに
つなげたらつながったので早速メールを書くことにしました。
後で、電話しますから読んでみて下さい。
○地図を見ていると、日本橋の近くに吉本会館が
のっていたので,大阪見物の準備に行って来ました。
途中外人のお嬢さんに心斎橋はどちらですかと聞かれ
まごつきました。近くを通りがかった人に聞いて教えて
やりました。吉本にたどり着くまで4~5回人に道を
ききました。みんな親切に教えてくれました。ガードマン,
駐車場のおじさん等その土地に詳しそうな人に聞くのが
コツのようです。
○□□のはがきを読みました。完全な友達が欲しいの
は理想ですが,それは無理な願いかも知れません。
人間は皆欠点だらけなのだから、お互いに短所長所が
許しあえれば良い友達になれると思う。
○それでは今日はこの辺で終わります。今、20:05。
ではまた。                                                 **************************************

当時はまだ、ADSLサービスは行われていなかった。従って、インターネットもメールも電話

の通話と同じで料金も同じにかかった。ADSLはいわば周波数多重通信で遊んでいる周波

数空間を使うだけであり、NTTは積極的なサービス展開をしなかった。ライバル業者が目を

つけたのが、この空き部屋であった。既存の銅線系のインフラが使えたので設備投資は抑え

られるメリットがあった。結局ADSLは光ファイバー系が普及するまでかなりの期間サービス

が続行している。この光ファイバー系のインフラは数十年続くだろう。しかし、電柱を立てて、

線を引く経費は不可欠である。その先はどうなるのであろうか。アナログTV放送が終焉する

と電波の大きなすき間が生まれる。水面下で既にそこを狙った作戦が立てられているであろ

う。携帯電話で大きく発展した無線技術は有限な電波を更に貴重な代替えのない資源に押し

上げる。いつでも、どこでも、だれとでもという理想は電波を通してのみ実現出来る。従って

、空いた電波周波数の活用は公共性を第一の基準とすべきであるというのは言うまでも無い

であろう。

2009年12月17日 (木)

自分に出したE-mail

2009/12/17

自分に出したE-mail

パソコンに保存してあった古いデータにばったりであった。このデータもこの古いパソコンが

ダウンした時に失われてしまう可能性がある。当時、駐在先から自宅に電子メールを出すの

にどうしようかと考えていた。メールIDは一つだけである。そのIDを使って駐在先から自分に

メールを出して、自宅では家族がそのIDでメールを開く方式を試みた。要するに、メールシス

テムが正常に動くか良く試す方式である。最初はメールを送ったから開いてみて欲しいと自

宅に電話をして確認した。駐在先のパソコンは自作の3号機で英語DOSモードしかメール使

えなかったようだ。MODEMが英語仕様だった。そんな訳で、メール本文も英文であった。

以下が、その当時のメールであった。

**************************************

1997/07/06
hellow to my family & good mornig!
I wake up this morning at about 5:50.
Jamanese style toilet is not so confortable.
I am writing this mail in english by VZ-EDITOR
because my NO.3 selfmadecomputer works in
english mode only in dos.

Today's plan
1. try to send this mail and check if every thing works well.
   the modem which I bought yesterday is less than 2000 yen,
   is made by US-ROBOTICS(an american modem maker)and manuals
   are written in english.
   if this modem works well very lucky.
2. take breakfast after 7.30(breakfas time is 7:30 to 9:30)
3. go out shopping to buy telephone set etc.
**************************************

2009年12月16日 (水)

生老病死

2009/12/16

生老病死

人生の四苦と言われる生老病死に関するネット上の情報はどの位あるか気になってGoogle

でヒット数を調べてみた。やはり生と死の比率が高い。老と病は意外に低い。相対的に老と

病の比重は生死の比重より低いという事か。こういう数字にどの位意味があるかわからない

が、興味があるデータとも言える。

生 に一致する日本語のページ 約 34,800,000 件中 1 - 20 件目 (0.42 秒)
老 に一致する日本語のページ 約 3,170,000 件中 1 - 20 件目 (0.11 秒)
病 に一致する日本語のページ 約 14,300,000 件中 1 - 20 件目 (0.48 秒)
死 に一致する日本語のページ 約 15,700,000 件中 1 - 20 件目 (0.31 秒)
生 老 病 死 に一致する日本語のページ 約 501,000 件中 1 - 20 件目 (0.36 秒)
生老病死 に一致する日本語のページ 約 242,000 件中 1 - 20 件目 (0.11 秒)
生老病死苦 に一致する日本語のページ 約 14,400 件中 1 - 20 件目 (0.28 秒)

生きる に一致する日本語のページ 約 19,400,000 件中 1 - 20 件目 (0.48 秒)
老いる に一致する日本語のページ 約 2,810,000 件中 1 - 20 件目 (0.42 秒)
病む に一致する日本語のページ 約 374,000 件中 1 - 20 件目 (0.49 秒)
死ぬ に一致する日本語のページ 約 13,700,000 件中 1 - 20 件目 (0.37 秒)

    ヒット数               %
生 34,800,000           51.19905841
老 3,170,000            4.663822275
病 14,300,000           21.03869354
死 15,700,000           23.09842578
SUM= 67,970,000

        ヒット数            %
生きる 19,400,000         53.46709293
老いる 2,810,000          7.744460368
病む 374,000             1.030757359
死ぬ 13,700,000          37.75768934
SUM= 36,284,000

ともかく、生きることに過半の重さがあるようだ。生の裏返しが老病死なのかもしれない。

老病死も生あってのもの。老病死は生の一面に過ぎないと思いたい。

2009年12月15日 (火)

消防ポンプ

2009/12/15

消防ポンプ

自分が小学生頃には既に消防署には消防自動車が配備されていた。しかし、エンジンスター

トは今日のバッテリーから起動する方式でなく、クランクというのか起動用の鉄の棒をエンジ

ン部に突っ込んで手動で回して起動していたようだ。消防隊員が整備をしているのを学校の

帰りに見物していたのを覚えている。火事の時は近くの火の見櫓に登って半鐘を叩いたのだ

と思う。今は半鐘がサイレンになっている。戦前の消防活動はどうであったか当時のことを覚

えている人に聞いたことがあった。当時は既にエンジンポンプがあったが、自動車を配備す

る程豊ではなかった。従って、エンジンポンプを大八車のような車に積んで火事現場まで引っ

張ったとの事である。ホースはホース専門の別の車があったとの事であった。エンジン運搬

用人力車とホース運搬用人力車が二台で今日の消防自動車の役割をしていたとの事であっ

た。ジャンジャンと半鐘が鳴るとこの二台の車が出動する。一般の人も出てきて車を引っ張

るのを手伝ったとの事で、ある程度のスピードは出たのであろう。この話を聞きたかったの

は、ある沼で得体の知れない牛のような声が聞こえて皆が気味悪く思いその正体を突き止

めることになり、その時に消防ポンプが出動したという伝承話を聞いた事があったからであ

る。水をかい出したあとからから、ウシガエルが発見されたとの事である。これは、戦前に食

用に導入された外来種の大きなカエルであるが、当時はだれもウシガエルの事を知らなかっ

たので大騒ぎになったようだ。この黄色い表皮のウシガエルを捕獲して、自宅でちょっと飼っ

ていざ様子を見たら周囲の土と同じ茶色に変色していたという話しも一緒に聞いた。ともかく

地域にはそこに生活している人でないと分からない記憶が沢山あると実感した。

2009年12月14日 (月)

悪ガキ

2009/12/14

悪ガキ

幼少時の遊びはグループでの遊びが多かったと思う。地元の遊びグループは違う学年も含

められるので年齢的には混成型であったが、学校の遊びグループは同学年が中心であっ

た。地元では大体年長者がそのグループを仕切っていた。時には、喧嘩などもあったが何と

かグループ内で解決されていた。いじめられて、仕方なく親が出てくると子供の喧嘩に親が出

る云々とからかわれた。からかうのは子供側なのだから子供の方も遊びのルールをわきま

えていたのであろう。出てきた親をからかうのも遊びになってしまった。小学校の遊びグルー

プを仕切っていたリーダーもいた。遊びになるとがぜん元気になり、色々な事を命令した。あ

るときは、部下にグランドを何周も走らせたこともあった。今になって思うとその遊びの大将

本人が一緒に走ったのか定かでない。ともかくへたへたになるまで走らされてつらい思いをし

た記憶だけが残っている。あの遊びの大将がいわゆる悪ガキだったのか。その後はクラス

替え等でその時の遊びグループも自然に解消してしまった。ともかくある程度の悪戯は誰で

も経験しているだろう。自分たちも学校の帰りに、畑で働いているお爺さんに、悪態をついた

り、囃し立ててからかったことがある。お爺さんは子供達を追いかけてくるが、子供達は逃げ

切ってしまう。今思うと、あのお爺さんも遊びのつもりでそれを楽しんでいたのかもしれない。

更には地域社会の子供のしつけをしてくれていたのではないかとも思う。立派な家柄の農家

のお爺さんであったが、手ぬぐいでほおかむりをしたりして草掻き等をしていると野暮なじい

さんに見えてしまう。結局、自分も悪ガキの一人だったのだ。悪戯は子供の特権かもしれな

い。お互いに泣いて泣かされて集団の中の自分の位置を確認できたのであろう。子供の喧

嘩や悪戯ももそれなりの意味があったと思う。

2009年12月13日 (日)

小笠原流

2009/12/13

小笠原流

幼少時、母が箸の持ち方等を教えてくれた。その時々に、小笠原流という言葉を聞いた。き

っと、礼儀作法の流派だろうとは思っていたが、それをまじめに受け止めてはいなかった。そ

れが一因になっているのか、未だに箸の、持ち方、使い方が下手である。箸の使い方も、

○○箸だからダメというのが多かった。確かに、社交的な正式の場面に出た場合は、作法に

かなった行動をすれば失敗する事は少ないだろう。WIKIPEDIAの解説には「小笠原流(おが

さわらりゅう)は、武家故実(弓馬故実)、弓術、馬術、礼法の流派。また兵法、煎茶道、茶道

にも小笠原流を名乗るものがある。礼儀作法の流派として知名度の高い流派であるが、本

来的には弓術・馬術・礼法・軍陣故実などの武家社会の故実(武家故実)全般の流派であ

る。」とあった。マナー、エチケットの本では塩月弥栄子、酒井 美意子の本に出合った記憶が

あるが、実生活とはほとんど無縁であった。マナー、エチケットもいわば、ある場面を取り繕う

最大公約数のような役割はあるのだろう。しかし、皆一様に割り切れてしまうと形式だけにな

り面白みも欠けてしまう。礼法、作法も本当に身についていれば役立つ物に違いないだろう。

2009年12月12日 (土)

心臓移植

2009/12/12

心臓移植

人間の生命観、死生観は時代と共に変わって行くのかもしれない。自分の命を自分はどのよ

うに感じ、どのように理解するかも時々に変化しているように思われる。人間の生死を司る心

臓疾患の治療は医学の大きな目標の一つであったと思う。自分が青年時代に入る約40年前

に日本で初めての心臓移植手術が行われた。以下に心臓移植に関するWIKIPEDIAの記事

を要約すると、
○ヒトへの最初の心臓移植の試み:1964年にミシシッピー大学病院のジェームズ・ハーディ

によってチンパンジーの心臓を移植。移植した心臓が90分しか鼓動せず、失敗に終わった。

○世界初のヒトからヒトへの心臓移植:1967年12月3日に南アフリカのケープタウンでクリス

チャン・バーナードによって行われた。世界初の移植を受けた患者は移植18日後に免疫抑

制剤の副作用による肺炎で死亡した。バーナードは翌年にも移植手術を実施し、この時には

患者を19ヶ月延命させることに成功した。

○1968年8月8日に日本で初めての心臓移植が、札幌医科大学で実施された(和田心臓移

植事件)。日本初、世界で30例目となる。 手術後83日目の10月29日に食後に痰を詰まらせ

長時間にわたる蘇生術の甲斐もなく呼吸不全で死亡したと医師団により発表された。

○2006年現在で世界中で30年間に4万6千例以上が行われている。

○1999年に日本国内で3人が移植を受ける。30年あまりを経て2回目の心臓移植が実施された。

ともかく、最初の心臓移植が行われてから次の移植が行われる期間が短かったといいう事

は、心臓移植を行う環境が揃ってきたという事であったのか。日本における心臓移植の件数

はデータを見ると極少ない。日本初の心臓移植が不幸な結果に終わった事のトラウマがまだ

残っているということなのであろうか。

一方では、「心臓発作で破壊された組織の一部を、結合組織細胞から誘導された幹細胞を

使って修復することに成功したと、米ミネソタ(Minnesota)州のメイヨークリニック(Mayo

Clinic)の研究チームが20日発行の学術誌「Circulation」に発表した。」と伝えられた。iPS細

胞を使った再生医療も現実性が高まってきた。「同じ成人の皮膚組織を培養の“足場”として

使い、新型万能細胞(iPS細胞)を作製することに京都大の山中伸弥教授のチームが成功

し、米科学誌プロスワン電子版に2日発表した(2009/12/02 11:50   【共同通信】)。」

更に一方では、
「<川崎協同病院事件>医師の有罪確定へ 最高裁が上告棄却
12月9日11時40分配信 毎日新聞

川崎協同病院(川崎市)で98年、気管支ぜんそくの発作で意識不明状態だった男性患者

(当時58歳)の気管内チューブを抜き、筋弛緩(しかん)剤を投与して死なせたとして、殺人

罪に問われた元同病院医師、須田セツ子被告(55)の上告審で、最高裁第3小法廷(田原

睦夫裁判長)は7日付で被告側の上告を棄却する決定を出した。殺人罪の成立を認め懲役

1年6月、執行猶予3年とした2審・東京高裁判決(07年2月)が確定する。

終末期医療を巡り医師が刑事責任を問われた事件で、最高裁が判断を示すのは初めて。」

と報じられた。

ともかく、医療を受ける受けない等に全て個人の自己決定の原則を適用する事は困難であ

ろう。また、医療が進歩する為には新しい技術等に挑戦する必要もある。結果が不調で殺人

罪に問われるようではリスクに挑戦する意欲も萎えてしまう。今思うと、40年前の心臓移植手

術すら軽々に判断できない悩ましい問題であり続けているようだ。「1968年12月、和田心臓

移植は大阪の漢方医らによってついに刑事告発される。1970年夏に捜査が終了し、告発さ

れた殺人罪、業務上過失致死罪、死体損壊罪のすべてで嫌疑不十分で不起訴となった。

(WIKIPEDIA)」もし、この刑事告発で白黒の判決が出されていたら、日本の医療は氷河期

に入ってしまっていたか、それともより進歩していたのか。医療を施す側も医療を受ける側も

大きなジレンマに挟まれて身動きできなかったのが今日の結果なのか。

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ISESAKI  有情1

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)