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2009年12月

2009年12月11日 (金)

小学生雑誌の休刊

小学生雑誌の休刊

少年頃どのような雑誌を購読していたか記憶がない。しかし、雑誌の付録で遊んだりした記

憶はあるので何かの学習雑誌を購読していたのではないかと思う。幼稚園頃のキンダーブッ

クは覚えていた。これは昭和2年(1927)日本初の保育絵本として創刊された超長寿命の絵

本雑誌である。2009/12/8NHK第一で小学生雑誌休刊の背景等を報じていた。10月に小学

館の「小学五年生」「小学六年生」今年度末での休刊が発表され、それに続いて、学研ホー

ルディングス(東京都品川区)の看板ともいえる小学生向け学年別学習雑誌「科学」と「学習」

が今年度末で休刊となると発表された。総合雑誌の凋落と同じ軌跡の上にある現象のよう

でもある。ともかく、今日では情報が多すぎて、それを求める読者の関心も分散している。従

って、出版側も読者を掴む為には専門化する以外になくなるようである。読者としては美味し

いところだけ、安く味わえればよいという事であろう。

「雑誌業界を支えてきた1つのビジネスモデルが終わった。」とTmedia/「Business Media 誠」

の解説記事が以下のように伝えていた。その要因は、①学研の平成21年9月期決算による

と、家庭訪問販売事業の売上高は約10億6000万円で、売上高全体の3%程度。②少子化

や共働きの増加による在宅率の低下。③子どもの価値観の変化。④学年別総合雑誌が時

代のニーズに合わなくなった」。⑤早期教育の流れを受けた就学前児童に対する通信教育

などの隆盛が、未来の学年誌購読層を囲い込み、同社のシェアを奪った。⑥21年9月期の

教室・塾事業の売上高は98億円にのぼり、家庭訪問販売事業をはるかに上回る。⑦学年誌

の直販はかなり以前から、すでにメインビジネスではなくなっていた。

出版業も情報を加工して売るという産業とみれば、市場の構造とニーズが変わってしまった

と言うことであろう。しかし、教室・塾事業が伸びているという事は単なる物販からより付加価

値の高いサービス業への転換とも見られる。ともかく教材を売った後はあなたが自力でそれ

を活用しなさいというのが従来モデルであるならば、教材、興味、学習まであなた任せのビジ

ネスモデルは至極便利で快適かもしれない。一般教育は将来への保険のような性格もあろ

う。同じ金をかけるならば、将来より目先が大切だというのが親の実利感覚かもしれない。前

記のNHK番組で、子供達の声も流れた。子供達は小さな大人のようでもあった。大人のコピ

ーのようなでおそるべき一面も持っている。学校も塾も習い事も皆遊びだと割り切れればよ

いのかもしれないが。

2009年12月10日 (木)

解析概論

2009/12/10

解析概論

Amazonのレビューに「代数学の泰斗であった高木貞治先生がなぜ解析概論を書いたの

か。長い間の疑問でしたが、岩波文庫の『数学小景』の弥永昌吉先生の解説で氷解しまし

た。高木先生は東大在職最後の数年、初年級の解析を担当しておられたのです。本書はそ

の講義録です。」とあった。大学の専門課程に移って、電気工学には数学が必要だろうか

ら、数学の基礎的な事を勉強しようと仲間が集まって輪講を始めた。かなり厚く大部の本で

あり、どこまで読み進んだのか今では全く覚えていない。ともかく、当時はこういう難解な数学

書もかじってみようという若さがあった。応用数学教室の若い助手の先生に講師をお願いし

て、夏にはグループで山歩きもしたのは楽しい思い出である。当時電磁波理論の勉強にはス

トラットン著の「Electromagnetic Theory」を原書で読むべきだという情報があった。しかし、

洋書は高価でそれにお目に掛かった記憶はない。おそらく、海賊版かそのコピーが出回って

いたのではないかと思う。マックスウェルの電磁方程式は立てる時には梯子があったが、そ

れを世に出したときはその梯子を取り払ってあると教授が話されたように記憶している。その

方程式は確かに芸術作品のように整っているが容易に凡人を近づけてくれなかった。ともか

く、難解な書物も少しづつかみ砕けば幾らかは理解できるだろう。そのためには若さと時間

が必要だ。

2009年12月 9日 (水)

ロゲルリスト(改題):ふっと浮かぶ疑問が科学への入り口:科学雑誌で思う事(X=ロゲルリスト⇒◎ロゲルギスト)。091209。

2009年12月 9日 (水)

ロゲルリスト(改題):ふっと浮かぶ疑問が科学への入り口:科学雑誌で思う事(X=ロゲルリスト⇒◎ロゲルギスト)

Google検索:ロゲルリスト に一致する日本語のページ 約 65 件中 1 - 20 件目 (0.04 秒)

科学雑誌の購読を振り返ってみた。

幼少年時代には色々な学問へのあこがれがあった。しかし、成長するに及んで理想と現実は乖離する事になる。これが成長というものかもしれない。

要約すれば「父招く青空大学断念し理文も捨てて工を学びし」という状況であった。

自分が科学に興味を持ったのは湯川秀樹のノーベル賞受賞の影響もあったかもしれない。しかし、その著作を読んで人間的な魅力に遭遇した。

社会人になってから岩波の「科学(1931~)」を定期購読していた。町中の老舗書店に取りに行くので店頭の新刊書を眺める楽しみがあった。その書店もついに閉店してしまったが、閉店後もしばらく取り寄せをしてくれた。その後、いつとはなく購読を中止してしまった。

中央公論者の科学雑誌に「自然(1946~1984)」というのがあり、こちらは不定期に購読した。当時、これらの科学雑誌で数名の科学者がロゲルリスト(注記:再読してロゲルギストの勘違いだと分かった)という名前で身近な現象を科学的に解説する活動をされていた。

そのメンバーは近角聰信,磯部孝,近藤正夫,木下是雄,高橋秀俊であったようだ。自分は近角聰信は磁気関係、高橋秀俊はコンピュータ関係の本でお世話になったように思う。

同じ卒研研究室にはワイヤーメモリーを研究していた同窓生がいた。当時はワイヤーメモリーがコンピュータの外部記憶として期待されていた。

ともかく、人間の進路の選択も色々な要素を加味してなされるのであるが、先ず金銭以外に興味や関心が基本になるのであろう。青少年や一般人にこのような専門分野に興味や関心を向けさせる活動は非常に重要であると思う。

http://www.nistep.go.jp/achiev/abs/jpn/mat097j/mat097aj.pdfに「我が国の科学雑誌に関する調査」というのがあり、興味を覚えた。どうも我々戦後世代が科学雑誌の隆盛を支えたようだ。

戦後世代の人々には「働かざる者は食うべからず」と同時に「ヒトはパンのみに生きるにあらず」という言葉が実感としてあったと思う。

前記調査は「2001 年の自然科学系研究者、学部学生、大学院生の総数は154 万人であり、科学雑誌創刊ブーム前年の1980 年の総数90万人の1.5 倍に増加している。

科学雑誌の購読者と想定される自然科学系研究者、自然科学系学生数が増加しているにもかかわらず、一般の科学雑誌の発行部数が低下していることは、若手研究者の科学全般への関心の低下、専門以外の分野についての関心の低下が指摘されていることと何らかの関連があると思われる。」と述べている。

食うための学問・教育は既に十分充足されてしまったのか。理工学の不人気。農・生物学への若干の人気向上。何か蛸壺に入ったような過度の専門化の弊害が現れてきたのか。理工学の不人気は、もはやその分野では飯は食えないという動物的直感の現れなのか。

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追記(2017/12/09):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等

何を食べれば体に良いのか。人間を対象にした正確な実験を行う事は不可能に近い。食物の場合は対象が広すぎて、物理的イメージで例えればスペクトル幅が広いと言えるのだろう。医薬品の場合は、その逆に、ある症状に対する効果が重視される。特効薬が理想ではあるが、狙いがはずれた時副作用ゼロかが問題かも知れない。

学問も対象により手法が異なるだろうが、この世の中に単独に存在する物は一つも存在しないと考えると、ある一つの現象にも世界の全てが関係している事になる。

ともかく、ある現象の因果関係が正確に定義できれば、科学的な因果関係の利用が可能になる。

ふっと浮かぶ疑問を科学・物理的視点から解き明かして、一般人に科学への入り口を解説してくれたのがロゲルリストだった。この「ロゲルリスト」が「ロゲルギスト」の記憶違いだと分かったのはGoogleで検索して、「もしかして」が表示されて、再検索をした時だった。幸い、「ロゲルリスト」も検索で少数ヒットしたが...。

Googleでキーワード「ロゲルギスト」を検索

Googleでキーワード「ロゲルリスト」を検索

ともかく、疑問を抱くのは科学の基本のキなのだろうが、その疑問の解決・解釈を自己流でも、事例調査でも、一歩前に進んで解明する習慣が、本格的な科学への入り口になるのだろう。

Googleにてキーワード「STAP細胞」で本サイト内を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=STAP%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%80%80site%3Ahttp%3A%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F&oq=STAP%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%80%80site%3Ahttp%3A%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)(このKWで検索

物理学という基礎的な学問分野でノーベル賞を受賞する事は非常に難しくなったようだ。一方、遺伝子工学等の進歩で、医学・生物学等の分野の進歩は今後も期待できそうだ。STAP細胞の有望性が脚光を浴び、ノーベル賞物とまで持てはやされたが、その研究成果に捏造があったと判明して、一挙にその期待がしぼんでしまった。

この記事は、STAP細胞がニュースになるより数年前に書いた。「理工学の不人気。農・生物学への若干の人気向上。」と言うのが、十年ほど前の状況のようだが、今後は、どんな分野が期待できるのだろうか。「ロゲルギスト」という造語には、ロゴスという未分化・専門化していない、広義の知的関心に目を向けようする試みを感じる。自然を理解するのは、専門家だけではない。

専門家だけが科学を独占したら、人類はとんでもない失敗をやらかすに違いない。一般人が、科学の常識を身につける事の大切さも再認識したい。

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2009/12/9

ロゲルリスト

Google検索:ロゲルリスト に一致する日本語のページ 約 65 件中 1 - 20 件目 (0.04 秒)

科学雑誌の購読を振り返ってみた。幼少年時代には色々な学問へのあこがれがあった。し

かし、成長するに及んで理想と現実は乖離する事になる。これが成長というものかもしれな

い。要約すれば「父招く青空大学断念し理文も捨てて工を学びし」という状況であった。自分

が科学に興味を持ったのは湯川秀樹のノーベル賞受賞の影響もあったかもしれない。しか

し、その著作を読んで人間的な魅力に遭遇した。社会人になってから岩波の「科学(1931

~)」を定期購読していた。町中の老舗書店に取りに行くので店頭の新刊書を眺める楽しみ

があった。その書店もついに閉店してしまったが、閉店後もしばらく取り寄せをしてくれた。そ

の後、いつとはなく購読を中止してしまった。中央公論者の科学雑誌に「自然(1946~

1984)」というのがあり、こちらは不定期に購読した。当時、これらの科学雑誌で数名の科学

者がロゲルリストという名前で身近な現象を科学的に解説する活動をされていた。そのメン

バーは近角聰信,磯部孝,近藤正夫,木下是雄,高橋秀俊であったようだ。自分は近角聰信は

磁気関係、高橋秀俊はコンピュータ関係の本でお世話になったように思う。同じ卒研研究室

にはワイヤーメモリーを研究していた同窓生がいた。当時はワイヤーメモリーがコンピュータ

の外部記憶として期待されていた。ともかく、人間の進路の選択も色々な要素を加味してなさ

れるのであるが、先ず金銭以外に興味や関心が基本になるのであろう。青少年や一般人に

このような専門分野に興味や関心を向けさせる活動は非常に重要であると思う。

http://www.nistep.go.jp/achiev/abs/jpn/mat097j/mat097aj.pdfに「我が国の科学雑誌に関す

る調査」というのがあり、興味を覚えた。どうも我々戦後世代が科学雑誌の隆盛を支えたよう

だ。戦後世代の人々には「働かざる者は食うべからず」と同時に「ヒトはパンのみに生きるに

あらず」という言葉が実感としてあったと思う。前記調査は「2001 年の自然科学系研究者、

学部学生、大学院生の総数は154 万人であり、科学雑誌創刊ブーム前年の1980 年の総数

90万人の1.5 倍に増加している。科学雑誌の購読者と想定される自然科学系研究者、自然

科学系学生数が増加しているにもかかわらず、一般の科学雑誌の発行部数が低下している

ことは、若手研究者の科学全般への関心の低下、専門以外の分野についての関心の低下

が指摘されていることと何らかの関連があると思われる。」と述べている。食うための学問・

教育は既に十分充足されてしまったのか。理工学の不人気。農・生物学への若干の人気向

上。何か蛸壺に入ったような過度の専門化の弊害が現れてきたのか。理工学の不人気は、

もはやその分野では飯は食えないという動物的直感の現れなのか。

2009年12月 8日 (火)

APL

2009/12/8

APL

会社でCADシミュレーションに使っていたのはIBMの大型コンピュータであった。プログラム

はSPICEと呼ばれていた。このコンピュータ本体もプログラム本体もユーザとしての自分にと

っては完全なブラックボックスであった。入力条件と計算条件を与えると答えを出してくれた。

ともかくコンピュータは現実にはあり得ない数値を与えても計算に矛盾が生じない限り結果を

出してくれる。電圧で100万ボルト等の条件を与えても矛盾が無ければ結果が出る。時には

気晴らしに、こういう想定外の数値を入れて、コンピュータがどんな回答を出してくれるかスリ

ルを楽しんだ事もあった。コンピュータが止まったり、CRTが爆発したりしたらどうしようかと

変な空想が脳裏を横切る。幸い何事もなく済んだ事ではあった。しかし、プログラムで「、.」

一つで大問題が起こった事も新聞の話題になった事実ではある。大型コンピュータの中に

APLというプログラムがインストールされていて、何か定型的な計算に使った記憶がある。コ

ンピュータシステム担当者が教えてくれたプログラムで余り本格的には使われなかったが、こ

れも気晴らし程度に使った事を思い出した。コンピュータシステム担当者も気晴らし程度に使

っていたようだ。しかし、大型コンピュータの前に座って電卓を叩く姿は滑稽であったが、それ

なりに意義があった。回答の想定値を知っていれば判断ミスを防げるのだ。最近コンピュー

タがらみの問題で生じた裁判の判決がでた。日経コンピュータの記事は以下の通り報じた:

「みずほ証券が株誤発注による損失など約415億円の賠償を求め東京証券取引所を訴えた

裁判で、東京地方裁判所は2009年12月4日、東証に107億1212万8508円の支払いを命じ

る判決を言い渡した。(大和田 尚孝=日経コンピュータ) [2009/12/04]」コンピュータシステ

ムでは、矛盾しない数値であれば、止まることもなく処理が進んでしまう。従って、想定外の

数値が入力されたならば、コンピュータ側が何らかのメッセージを出したり、処理を中断した

りするべきであったという教訓を判決が示したのであろう。責任割合は東証70%、みずほ

30%の事である。巨大なコンピュータが稼働している状態はまさにビジネスの実戦の現場で

あり、コンピュータは一時も止めたり、気晴らしで想定外の取引を試したりできないだろう。変

な操作をしてコンピュータがダウンでもしたら元も子もなくなる。とは言え、想定外を想定する

のが業務用基本ソフトの原則なのかも知れない。ヒマな時に想定外のシミュレーションをして

みるのも無意味ではなさそうだ。そんな馬鹿な事をするものではないというかげの声も聞こえ

てきそうであるが。一種のリスク管理シミュレーションで、防災訓練のように行う手法もあるだ

ろう。

2009年12月 7日 (月)

電子メール

2009/12/7

電子メール

10年ほど前の会社生活を振り返ってみる。あたふたと朝飯を食べて車で通勤。休憩室でポッ

トのお茶を一杯飲みながら業界紙に目を通す。ポットを忘れた時は自販機の飲料で済ませ

る。出勤カードを返して、着席。先ずパソコンのSWを入れてメールを開く。メールは他部署の

関係者との連絡に欠かせないツールになっていた。定常的な仕事の連絡等はメールで済ま

せて、回答が無い場合は電話で催促するという例が多かった。メールに目を通した後に、優

先順位に従って業務をこなす。メールシステムは何度か変更になったと思う。一時はウィルス

がメールシステムに進入して大騒ぎになった事もあった。ともかくビジネスの世界では電子メ

ールの与えたインパクトは非常に大きかったと思われる。逆に、机に向かって電子メールを

書いたり読んだりしていると仕事をしているような錯覚に陥る事もあったように思う。ビジネス

メールでも、仕事を気持ちよく進める為には、ある程度の礼儀作法が必要であった。そのよう

な、挨拶等の単文はATOKで単語登録して使った。「毎度お世話になります。」を「ま」一文字

に登録することで単調な入力の省力化をしたりした。当時登録した単語のほとんどは既に、

単語候補の後半に並んでいるに過ぎない。長い正式な組織名等が削除されずに残ってい

る。ともかく一文字の単語登録は入力には便利であるが、それが誤変換されると大変な事に

なる場合がある。海外との連絡もテレックス、ファックスから電子メールになり場所と時間を

気にする事が無くなった。確かにビジネスの世界ではITの効果は非常に大きかったと思われ

る。当然ITへの投資は増大したがそれに見合う効果は確実にあったであろう。

2009年12月 6日 (日)

ライオンとの決闘

2009/12/6

ライオンとの決闘

これも確か国語の教科書の教材であったと思う。ひょっとしたら別の読本であったかも知れな

いが。ともかく覚えているのは、ローマであったか、競技場でライオンと決闘をさせれれた人

の物語である。実は、決闘をさせれれた人間が、相手のライオンの足に棘が刺さっているの

を助けた事があり、そのライオンがその事を覚えていて、結局ライオンに食い殺されることな

く助かったという、一種の勧善懲悪の物語であった。野生のライオンにそれほどの認知能力

があるのか疑問ではある。恩返しとは高度な認知能力の上に成立する行為ではあろう。

擬人化という作為が加わっているのは確実だが、子供はそれを見抜けない。同じ様なタイ

プの物語には鶴の恩返しがある。こちらは、日本的な内容で認知度は広いだろう。ともかく、

自分の幼年期に出合ったライオンと人間の決闘も極単純なエピソードとして頭の片隅に残っ

ていたに過ぎない。テキストの現物があればもっと鮮明に物語の内容を理解できるだろう。イ

ンターネットで検索して見ると「アンドロクレスと獅子」という映画が当時公開されたようであ

る。あらすじはかなり複雑である。これは、映画のシナリオとしては当然な事なのだろう。

あまりにも単純な筋書きでは観客が着いてこない。

アンドロクレスと獅子
原題: Androcles and the Lion
製作国: アメリカ
製作年: 1952
配給: RKOラジオ日本支社配給

ライオンと戦わせられたのは誰か。奴隷であったように思う。ローマ時代の奴隷は戦争の敗

者であったのか。結末はその奴隷が自由人として解放されたのだったか。さだかではない。

その奴隷にどう猛なライオンと公開の大広場で戦わせて楽しむのは残虐な行為であったろ

う。しかし、観客は市民即ち兵士であったろう。戦争に負ければこういう運命が待っているぞ

という公開教育でもあったのかもしれない。オリンピックで期待された成績が達成できず、自

殺に追い込まれたマラソンランナーがいた事をあらためて思い出した。どうも、自分は熱狂す

るスポーツに馴染めない。夏の夕方のラジオ放送が官民ナイター中継一色になるのは未だ

に納得できない。アナウンサーの絶叫に空しさを感じてしまう。

2009年12月 5日 (土)

最後の授業

2009/12/5

最後の授業

多分、国語の教科書にアルメニア関係の教材があったようなかすかな記憶があった。余り聞

いたことのないアルメニアという地名が幼少であった当時新鮮に思われたのである。要する

に列強国の間で密かに生き残っている小国が自国の日本と重なって愛しく思われた。ひょっ

としたら最後の授業というタイトルであっかと思い、このキーワードを最後に追加して、

Googleで以下のキーワードで検索した。アルメニア 国語教科書 母国語 最後の授業 に

一致する日本語のページ 約 640 件中 1 - 20 件目 (0.37 秒) 。幸い、最後の授業の記事が

WIKIPEDIAにあった。ドーデの最後の授業という教材が多面的に解説されている。おそらく

自分の記憶の片隅に残っているのは母国語の大切さという事ではないかと思う。というのも、

幼いながら戦争により日本語も存亡の危機にあったのではないかという思いが意識のどこか

にあったからであろう。「アメル先生は「ある民族が奴隸となっても、その母語を保っている限

りはその牢獄の鍵を握っているようなもの」とフランス語の優秀さを生徒に語る。」敗戦により

母国語が使えなくなる可能性もある。逆に、外国侵略で他民族に自国語を押しつける事も行

われた。国語の授業で「最後の授業」が行われたのもある特定な期間だけのようだ。それな

りに意義のある授業であったと今になって思う。大方の日本人は日本は単一民族の国と思っ

ているだろうが、アイヌ民族が先住民として暮らしている事を忘れかけている。青年時代にア

イヌ語学者の知里真志保の事を知った。WIKIPEDIAによると:「知里 真志保(ちり ましほ、

1909年2月24日 - 1961年6月9日)は、北海道幌別町字登別町(現在の登別市)出身の、ア

イヌの言語学者。専攻はアイヌ語学。姉は、『アイヌ神謡集』の著者・知里幸恵。大学での指

導教授は、金田一京助。」とある。世界のグローバル化により小さな民族の小さな言語は存

亡の危機にあるようだ。しかし、その言語の中に民族の誇りが蓄えられている事には変わり

がない。一時、日本語のローマ字表示やかな表示、エスペラント語等にも興味を覚えた事が

あった。知里真志保は自らアイヌ民族の一人としてその自覚の上にアイヌ語の研究に打ち込

んだのであろう。文字のないアイヌ語の研究にヤマト民族の日本語を使わざるをえないという

矛盾・葛藤もあったろうとも思う。これは文字を持たなかったヤマト民族が漢字を受け入れた

事態に通じるのかもしれない。ともかく、言葉の多様性は精神文明の豊かさをを支える基本

であるようだ。世界には戦争と国境の問題で言語もその問題に巻き込まれてしまう現実があ

る。日本と言えどもこの現実から逃れられないのであろう。

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以下WIKIPEDIAから一部引用させて頂く。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%8E%88%E6%A5%AD
最終更新 2009年8月28日 (金) 13:51
作品の概要:『最後の授業』(さいごのじゅぎょう、仏: La Derniere Classe)は、フランス第三共和政時代の初期、1873年に出版されたアルフォンス・ドーデの短編小説集『月曜物語』(仏: Les Contes du Lundi)の1編である。副題は『アルザスの少年の話』(Recit d'un petit alsacien)。『月曜物語』は1871年から1873年までフランスの新聞で連載された。

あらすじ:「アメル先生は生徒と教室に集まった大人たちに向かって、自分が授業をするのはこれが最後だと言う。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン王国(ドイツ帝国)領エルザスになって、ドイツ語しか教えてはいけないことになり、アメル先生もこの学校を辞めなければならない。これがフランス語の最後の授業だと語り、生徒も大人も授業に熱心に耳を傾ける。アメル先生は「ある民族が奴隸となっても、その母語を保っている限りはその牢獄の鍵を握っているようなもの」とフランス語の優秀さを生徒に語る。やがて終業の時が来て、プロシア兵の鳴らすラッパの音を聞いた先生は顔面蒼白。挨拶をしようにも言葉が出ず、黒板に「仏: Vive La France!」(フランス万歳!)と書いて「終了。みんな帰ってよろしい」と手で合図、“最後の授業”を終える。

小説の政治的側面:「日本ではこの小説は1927年(昭和2年)に教科書の教材として採用された。

戦後の一時期、『最後の授業』は教科書から消えたが、1952年(昭和27年)に再登場した。しかし、田中克彦の『ことばと国家』や蓮實重彦の『反=日本語論』などによる、「国語」イデオロギーによって言語的多様性を否定する側面を持つ政治的作品であるとの批判もあった。1985年(昭和60年)からは教科書に採用されていない。」
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2009年12月 4日 (金)

ヒイラギナンテン

2009/12/4

ヒイラギナンテン

単身赴任をしていた時の宿舎であった会社の社宅の生活は単調であった。何人か職場の同

僚もいたが余り親密なつき合いはなかった。一度、宴会があるから来ないかとお呼びがかか

った。その時は有り難く呼ばれていった。冷蔵庫やレンジを持っていったがほとんど使わずに

持ち帰った。自炊をすればできる環境にあったが、ほとんど外食等で済ませた。社宅に帰っ

ても話す相手もいない。ともかく単調なのは、生き物がいないということに気付いた。生き物

がいれば変化を確認できる。ということは自分も生きているという事を生き物を通して感じる

ができる。そんな訳で、水栽培で水を吸わせたティッシュペーパーの上に野菜の種を播いた

り、ニンジンの頭の部分を水を入れた容器の中で育てたりした。そのような、生き物でも自分

が手をかけて生きている事を見ていると何となく精神が安定した。単身の社宅から自宅に帰

るのが出張であり、何か生活が逆転していた。要するに、身分も駐在先の居候という身分

で、そこから派遣元の職場に仕事に行く出張に抱き合わせで帰宅していた。これが単身赴任

の楽しみであった。しかし、夏場の長期出張の時は、例の野菜類の水栽培の水も蒸発してか

らからになって、野菜も枯死していた。そんな、単調な生活を送ってきた社宅ではあったが、

そこを出る時が来た。その社宅の小さな庭にヒイラギナンテンが植えられており、実を付けて

いた。これを持ち帰り種を播いたら、今日では数本育って大きくなっている。そのヒイラギナン

テンも行き場所が無く、あちこちに分散している。ともかくその木の由来を知っているのは自

分だけであろうと妙な感傷に浸る事がある。

2009年12月 3日 (木)

PHSのカエルコール

2009/12/3

PHSのカエルコール

自分がPHSを使い始めたのが1998年頃であったようだ。PHSは安価な携帯電話として開始

されたサービスであったが、最終的には携帯電話に駆逐されたしまった。音質は携帯より良

かった。サービスエリアが狭く、走行中の新幹線の中からは通話がとぎれる事があった。ほ

ぼ十年前のPHS使用状況を振り返って見ると、残業が終わって駐車場に向かう途中で自宅

に掛けたカエルコールがほとんどであった。カエルコールは会社の電話からも可能であった

が、そうしたのはやむを得ず残業で席を立てない時に限った。残業を切り上げできる時刻は

一定ではなく、その時々で異なった。席を立てる時はロッカールームからPHSでカエルコール

をした。カエルコールは夕食の準備をしてもらうためでもあった。会社で残業食が支給されて

いたが、こちらもほとんど利用しなかった。会社の残業食を食べて、自宅で夕食を食べると完

全にメタボになってしまう。結局、カエルコールはこれからカエルから夕飯の準備を頼むとい

うメッセージであった。子供が電話口に出た時はカエルコール+αの通話となった。この+αの

通話が駐車場に向かう途中でPHSをするもう一つの理由であった。早朝からの出勤、残業で

遅い帰宅。そんな中でPHSのカエルコール+αの通話も少しは役に立っていたのではないか

と思う。

2009年12月 2日 (水)

KID PIX

2009/12/2

KID PIX

子供の頃の遊びを思い出しているが際限が無いほど遊びがあったようだ。子供の本業は遊

びだったようだ。幼年時代で沢山覚えている順は、遊び、家の手伝いであり、その他の事は

漠然としている。塾や習い事もなく、勉強で思い出すのは夏休みが終わる前に駆け込みで宿

題をした事位である。夏休みも思い切り遊んでいたようだ。遊び道具も近所のよろず屋で買

える物がほとんどであった。誕生日等の特別な場合には市内のおもちゃ屋で少し高額なおも

ちゃを買ってもらえた程度であった。親もお爺さんお婆さんもそれほどお金にユトリが無かっ

たのも子供達に高価なおもちゃを与えられなかった一因であったろう。そんな事を思いつつ

自分の子供の事を考えてみた。ファミコンとスーパーファミコンは買い与えたようだ。小遣い

を貯めて自分で買ったのかもしれない。その後は、ゲーム器の方は卒業したようだ。MSXや

FM TOWNSは自分も子供も使った。10年程前にはWIN95を使い出していた。子供達も中

学、高校生の頃でパソコンに興味を持つようになりお絵かきソフトのKID PIXやLOOM という

パソコンゲームソフトを使って遊んでいたのを思い出す。ともかく、パソコンを使える事は現代

人の必須条件なので、それを抵抗感無く使うことができるようになったのは、こういう一種の

遊びの効果なのかとも思う。パソコン上では物事はほぼ思うように簡単に進む。パソコン上

の遊びは全てがCPUがもたらす仮想の世界でもあるようだ。昔の遊びは仮想の対極にあり

リアルワールドであった。VERTUALが余りに身近になり、逆にREALが身から遠ざかってし

まっているのを我ながら反省せざるを得ない。ハイビジョンがいくら綺麗でも目先の現実の世

界を越える事は永久に不可能なのである。

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  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)