箱庭療法:いとしきもの
2010/4/15
箱庭療法
湯川博士の箱庭から、心理分析に箱庭を使う云々という事例を思い出した。箱庭&心理分
析というキーワードで検索したら箱庭療法が出てきた。大脳の働く様子を言葉ではなく箱庭を
作るプロセスに投影しようとする手法であるようだ。しかし、所詮非自己が他者の心理過程を
推測するに過ぎない。心理学者があたかも公式から結論を導くような風潮をふと疑問に思う
事がある。最高の自己分析者でもある自己を越える分析はあるのか。結局、湯川博士以外
に湯川博士の○や箱庭をイメージ出来ないのではないか。箱庭は自分だけが自由に遊べる
世界である。何の制約もない。それは子供の特権でもあるようだ。自由に箱庭を作る。そこ
に想像とデザインが生まれる。現実には無いかも知れないが一つのモデルが生まれる。そ
れを通して現実を見ると理解が進む。モデルは簡単なほど役立つ。そんな事を考えている
と、集積回路が簡単に破壊したり予期しない特性を示したりするトラブルで大きな問題を起こ
した事を思い出した。回路上に無い素子が、何らかの要因でチップ上に形成されることがあ
る。これを寄生素子と呼んでいた。問題の部分に抵抗やトランジスタというモデルをあてがう
とすっきり現象が理解できる。そうすればしめた物である。その構造を探して潰す。モデルの
有り難さを実感する瞬間である。湯川博士が荘子に親しんだのは知られている。混沌から秩
序が生まれる。自己もそこまで辿りたい。幼少時の箱庭遊びには深い意味がありそうだ。