箱庭:いとしきもの
2010/4/14
箱庭
少年の頃は忘れず縁側にひとり積木の家をつくりし
少年の日は永かりし箱庭の小さき家に心吸はれし
箱庭の橋よ鳥居よ田舎家よここにわれ住む今も折り折り
湯川秀樹著作集 7 回想・和歌。深山木 少年の頃にあった短歌である WIKIPEDIAによる
と、湯川 秀樹(ゆかわ ひでき、明治40年(1907年)1月23日 - 昭和56年(1981年)9月8日)
は、日本の理論物理学者。自分の父より一回り程長じている。湯川がノーベル物理学賞を受
賞したのが1949年であるが、自分は幼児で何の記憶もない。しかし、小学校の後半頃から
はノーベル賞の事が学校でも教えられたのではないかと思う。それ以来、湯川 秀樹に関心
があったので、博士の専門外の著作は少し読ませて頂いた。昭和萬葉集を拾い読みしてい
て、この著作集の事を思い出してページを開いてみた。今の自分の関心事の一つが自分
史。しかし、幼少の頃の事になると、当時の事さえはっきりしない。自分のことはなおさらの事
である。湯川 秀樹が、どこかで箱庭のことを述べていたような記憶がある。それを詠った短
歌が少年の頃の歌に含まれていた。博士は単に箱庭を作って遊んでいたのではなく、そこに
自分の世界を作って没頭していたようだ。自分の場合は、小さな穴だらけの火山岩のかたま
りに植え穴をあけて、そこに小さな花や木を植えて石附盆栽のような物を作った事を思い出
す。じじ臭いが、子供の遊びのモデルは、父の代ではなく祖父の代の遊びであった。庭の一
角に坪山という部分があり、そこに石積みがあった。祖父が庭いじりをした残骸であったのか
もしれない。親はそんな遊びのヒマはなかった。それは、子供のごっこ遊びというのと共通し
ていたのかもしれない。電車ごっこをすると、自分が運転手になったり、時には電車になった
りさえする。空想と現実が紙一重でつながっている世界がある。遠い少年の頃の積み木や箱
庭の遊びはいつも忘れることはなく記憶の中を巡っている。それだけではないようだ。ここに
われ住む今も折り折りと詠っている箱庭とは単なる子供の箱庭を超越しているようでもある。
博士は自分の理論のモデルを○を書いて示したという話しも聞いたことがある。博士の箱庭
も何かの象徴のように思える。上に引用した歌から、積木遊びも、箱庭遊びも一人で忘我の
境地で熱中しているように感じる。博士は日常は物を研究しているのだから、歌はその研究
から離れた情意を対象にしてると述べている。確かに今日は、知情意という人間の精神作用
で、知が最優先である。しかし、知の変化はめまぐるしい。情意は脳の古い部分に相当する
らしく、激変することはなく長期間の安定を保つ。そうして、歌で情意の部分を活性化させる
のは知の部分とバランスをとる効果もあるのではないかと思ったりする。今日では情意すら
古くなって、感覚第一の時代になってしまっている。
今日もまた空しかりしと橋の上にきて立ち止まり落つる日を見る
これは、深山木 籠居(こもりい)にあった短歌である。大抵の人は仕事がうまく行かず挫折
感を味わった経験はあるだろう。詞書きに物理学に志してとある。ここで、歌を詠うと言うこと
は現実から一歩退いて心情的な表現という行為にチャンネルを替えたようにも見える。仕事
が空しかったといえども、橋の上にきて立ち止まり落つる日を見るという行為を歌にする事で
そのピンチを乗り越えられたのだろう。