読みかじりの記:「わが 半導体 経営哲学 意志ある所、道あり」 川西 剛 著 (1997年 株式会社 工業調査会)。120418。
2012/4/18(水)
昨日は晴れ時々曇り。午後、短時間だが雷鳴がして雨がパラパラ降った。用事外出。買い物。イチゴのポット苗1つ買ってみた。セルフスタンドで給油。150円台の下/㍑。前回の給油時に、店員が満タンですかと聞いたので、うっかり「満タン」と言いそうになってしまった。ガソリン価格は上昇中。「満タン」とはしばらくご無沙汰している。夕方打合せ。WIN VISTAでパワーポイントを操作。両方、ほとんど使っていないので、思うように動かせない。
2012/4/17(火)の天気
TAVE= | 13.4 | |
TMAX= | 19.2 | 最高気温(℃) 20.5 14:07 |
TMIN= | 9 | 最低気温(℃) 8.9 05:27 |
DIFF= | 10.2 | |
WMAX= | 3.3 | 最大瞬間風速(m/s) 8.3(北北西) 15:12 |
SUNS= | 5.4 | |
RAIN= | 0 |
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読みかじりの記:「わが 半導体 経営哲学 意志ある所、道あり」 川西 剛 著 (1997年 株式会社 工業調査会)
日本の半導体業界の中で飯を食ってきたので、最近の日本半導体の凋落ぶりに耐え難い悲哀を感じている。以前、会社更生法適用申請をしたエルピーダメモリに関して記事を書いた(技術 回顧と展望:日本の産業劣化に経営者の品質劣化は無関係か?2012/2/29(水)http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/02/post-994c.html)。
企業としての半導体事業は、まさに常在戦場というビジネス環境の中で、淘汰をかけた総力戦を戦ってきたといえるだろう。たかが、産業のコメ、産業のねじ・釘に過ぎない部品事業が、企業の中で最も金遣いの荒い部門になり、投資と戦略を誤れば、経営者本人だけでなく、企業母胎も、立ち上がれないほどの損失を被る。
エルピーダメモリ株式会社のホームページを見ると、「企業情報 当社及び当社子会社の会社更生手続開始決定に関するお知らせ(2012年3月23日)」以後の新しい、告示事項は無かった。東芝が、エルピーダメモリの再建支援に乗り出すのか。支援が取りざたされた背景として、東芝の半導体部門は、健全性を保っているという見方があるのだろう。
本書の著者は、東芝の半導体の草創期から半導体事業が最も輝いていた1995年頃まで、一貫して東芝の半導体の現場や最後には半導体部門の経営に従事されて、本書は著者の半導体人生前半の総集編として書かれているように思われる。
著者は「第8章 わが半導体人生 4 私の現在から未来」で、1994年東芝役員退任後、「何か仕事を与えられた時の原則」を掲げている。
①四十年間余お世話になった東芝にプラスになること。
②長い間お世話になった、半導体、液晶業界に少しでも寄与できること。
③長年携わった国際関係に貢献できること。
著者はこの三原則を掲げて、第二の人生に乗り出したようだが、その節目に書かれた本書は、著者と一回りほど遅れて、一兵卒として半導体業界で暮らしてきた自分にとっても、大変参考になった。
仕事、生活、人生等々語れば際限がないテーマだ。それを、色々な支点から見直して、整理する事により哲学が生まれてくるのだろう。本書の川西式経営哲学は、かつての半導体業界を乗り切った哲学でもあろう。出版後15年ほどになるが、本書はまだ価値を失っていないと思う。
現役の半導体経営者はどんな哲学を以て経営に臨んでいるのか。現在現役の半導体経営者は最早自分の哲学を語るチャンスすら無いのだろうか。自分も半導体業界は日々疎くなっている。それでも、人生の大半を過ごした体験や知識は捨て難く感じている。職が変わり、相手が変わっても生き続けて活用できる知恵が哲学と言うのに相応しいような気もする。
「東芝:設立 1904年(明治37年)6月25日(株式会社芝浦製作所)」ref/WIKIPEDIA/⇒:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%8A%9D#.E6.B2.BF.E9.9D.A9。とある。後2年で設立110年となる総合企業である。その長い歴史の中で、半導体事業は、明らかに新規の起業に匹敵するだろう。WIKIPEDIAのリンクから、創業者「田中久重」へ跳ぶとその語録が目に入った。
「田中久重;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E4%B9%85%E9%87%8D。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年11月12日 (土) 15:29)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「語録 [編集]:高い志を持ち、創造のためには自らに妥協を許さなかった久重は以下の言葉を残している。
「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである」」。何と本書の内容の大半を要約するような言葉が並んでいる。先人の知恵はそれを感得した人に受け継がれて行くのか。
「第7章 明日を見る眼 9 忍耐と創造」で、桃栗三年柿八年の喩えで、メモリーは柿だったと述べている。忍耐の必要性を説いている。
本書を読みかじって、意外に失敗事の記事が少ないように感じたが、「田中久重」の語録の通り、失敗は次なる挑戦の踏み台であり、語らずもがなの事なのだろう。
多趣味のテニス、将棋、園芸等々も、経営の視野拡大に役立てている姿には著者の人生に向かう哲学が見えるようでもある。本書は著者が第二の人生に出発する時の本でもあり、とりわけその部分に共感を覚えた。また末尾の謝辞も印象に残る。特に母への謝辞が。
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追記:ひょっとしたらと思い、「半導体シニア協会」のホームページを覗いてみた。その会報に掲載された記事を拾い読みしていた時があった。会社時代は仕事を通して人に接することが多いが、退職後の先輩・上司の活躍を見ると、また意外な側面があったのだと思う楽しさがあった。
「半導体シニア協会」は「半導体産業人協会」に変わっていた。なんと、そのホームページに掲載されていた最新号であるEncore74号の読者の広場の欄に、「私の半導体人生」というタイトルで、TEK コンサルティング代表 川西 剛氏が執筆していた。著者は「半導体シニア協会」の会長も歴任されている。
この記事から、本書出版以後の様子を知ることができた。この記事で、失敗例としては、「アメリカでのFAB、ザイログ社との提携等であった。」という内容は本書の補足としても興味深い。
著者は学生時代は「無線工学で著名な森田清教授についてアンテナ工学を専攻した」とのことだが、配属されたのは通信関係の職場ではなく、受信菅の現場であったと述べている。いわば、半導体や真空管は想定外の仕事だったが、半導体がライフワークとなったらしい。
自分の場合も、電気工学科に入って、卒研は電子工学的な内容であった。入社したら、モーター関係の仕事をさせられるだろうと予想していたが、半導体部門に配属された。半導体ビジネスは好況不況という山と谷が大きい業界だが、マクロ的には成長産業だと上司から言われ、部下にもそう言ってきた。
現在、その産業の未来を占うことが難しくなってきた。しかし、半導体の誕生から今日まで蓄積してきた技術・ノウハウ等々は一夜に消滅する事はないだろう。問題は、そのような蓄積を使い果たす前に、次の飯の種を探して育てることが可能かどうかだろう。著者はアンコール74号の「グランドシニアーの一言」で、その辺を示唆しているように見える。
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追記(2017/11/16):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
東芝のテレビ事業部門売却のニュースに接して、東芝関係の過去記事を再読した。半導体事業は、日本の超優良企業の中でも鬼っ子だったようだ。そんななかで、東芝元副社長まで上り詰めた川西 剛氏のインタビュー記事が下記サイトの(「週刊ダイヤモンド」委嘱記者 村井令二)による記事。企業の優良成長部門を育てた経営トップが、その現状を、「それで皆で育てた半導体事業を売りに出さなければいけなくなるなんて、本当に信じられないミスとしか言いようがなくて、残念です。」と語って、身につまされる。