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2012年8月10日

2012年8月10日 (金)

文化と文明雑感(ちょっとした旅の思い出):「楫取素彦没後100年」を思う

2012年8月10日金曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 32.6 14:53 。夏日だが、朝冷えてクシャミ連発。夏風邪要注意。雑木の歌:今もなお 偉人の徳を 偲ばせる 楫取素彦 百一回忌。苗に灌水。駐車スペース周辺の刈払。1:25の混合ガソリンを作ってから開始。メーカーは旧タナカ。現在、(株)日工タナカエンジニアリングとなっている。そのホームページには「日立工機グループの一員として設立され、2007年5月1日よりエンジン工具の製造販売の事業をタナカ工業株式会社より譲り受けました。」とある。調べてみると2002年9月に購入したのでもうじき10年になる。小型で馬力がないが、余り無理な使い方をしなかったのが長持ちしている一因かも知れない。

2012年8月9日の天気

TAVE= 26.4
TMAX= 32.3 最高気温(℃) 32.6 14:53
TMIN= 21.8 最低気温(℃) 21.5 05:25
DIFF= 10.5
WMAX= 5.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.1(東南東) 18:53
SUNS= 8.4
RAIN= 0

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文化と文明雑感(ちょっとした旅の思い出):「楫取素彦没後100年」を思う

もうじき8月15日の終戦記念日となる。「伊勢崎空襲。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E7%A9%BA%E8%A5%B2(最終更新 2012年7月12日 (木) 07:53 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「伊勢崎空襲(いせさきくうしゅう)とは、1945年(昭和20年)8月14日深夜から翌8月15日未明にかけて群馬県伊勢崎市とその周辺地域が受けた米軍による空襲。太平洋戦争において秋田県秋田市の土崎空襲や神奈川県小田原市の小田原空襲等と並んで米軍最後の日本本土空襲となった。~[編集] 概要:1945年(昭和20年)8月14日深夜、84機の米空軍B24爆撃機・戦闘機が伊勢崎市と周辺の佐波郡3村に飛来し614.1tの焼夷弾、27発の爆弾を投下した。空襲は終戦日となる8月15日未明まで続いた。この空襲で罹災者8,511人(人口罹災率21.3)、死者29人、重軽傷者150余人、1943戸の家屋が焼失(共に伊勢崎市の被害のみ)した。市街地の約40%が焼失したが、空襲当日が無風状態だったことや広大な防空空き地を設置していたために類焼が食い止められ、人的被害は最小限に抑えられた。」とある。

近所のおばさんの話では、その頃学徒動員で、電車で通勤して、中島飛行機で部品の製造に従事していた。空襲があっても家と連絡もとれず、家に帰った時は真夜中になっていたとの事。「中島飛行機株式会社その軌跡(http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/nakajima31.html)」によれば、「小泉製作所への空襲は最初は1945年2月25日で太田製作所と同日に米国海軍艦載機が来襲し、111発の通常爆弾を投下し43発が東半分の建屋を中心に命中し、組立中の銀河43機に損害がでて、更に治工具に被害が及びその後の銀河の生産が極めて困難となった。また死傷者も21名に及んだ。(右写真は米軍機撮影)2回目は4月3日の夜間でB29が通常爆弾24発と焼夷弾4発を投下し、約半数は工場に命中して板金工場が壊滅的損害を受けた。」とある。伊勢崎が終戦の前日に空襲を受けたのと異なり、太田(大泉)は軍用機工場があったので、それより先に何回か空襲の対象になっていたようだ。また、空襲の時、松の木に上ったか、その木の下に逃げて助かったという男性の話を聞いた事もある。空襲体験者は既に80才代だろう。

8月14日は、初代群馬県令楫取素彦の命日で、今年で楫取素彦没後100年となる。今年の3月たまたま楫取素彦が建立した渋川市にある御蔭松の碑に出会って、楫取素彦という人物に興味を覚えた。楫取素彦と有縁の人たちが建てた顕彰碑は、大きく立派なものだった。楫取素彦が建立した御蔭松の碑はその対局にある。自分としては「御蔭松の碑」の謎めいた部分により深い関心があるのだが。

今年の8月14日が楫取素彦の没後100年という情報に接して、一度「前群馬県令楫取君功徳之碑」を見たいと思っていた。たまたま、その近くへ出かける機会があった。事前調査もしないで出かけたので、いざ歩いて探すとなると、猛暑の中かなりきつい苦行となった。前橋公園の中にあるという話も聞いたので、ともかくきょろきょろしながら探す。最初に虎姫観音堂周辺を探したが見あたらなかった。前橋公園に北に向かって歩いていると、右手に小さな公園があった。その奥の方に石碑らしいものがあった。それが、探していた碑であった。見逃して、前橋公園の中に入ってしまったら大変だった。公園も、夏までに伸びた樹木で鬱そうとしている。願わくば、公園入り口に、公園名、碑の存在を示す標識程度は設置して欲しいと思った。

とりあえず、「前群馬県令楫取君功徳之碑」をデジカメに納める。この篆額部分は画像処理してかろうじて、そう読めるだろうと言う画像しか写せなかった。ともかく大きな碑であった。周辺の樹木が邪魔をして碑全体を納めるアングルが制限を受けている。また、樹木の影がと日射がまばらに映り、碑面の明暗のばらつきが大きい。碑文は、楫取素彦の功績である、養蚕振興の部分らしい文字をデジカメに収めた。碑の隣に説明版、その隣に、「楫取君功○(?)碑賛助人名」という建碑者名を記した碑があった。「功徳之碑」の背面には有志者が之を建てたとあり、その有志者が別の碑に記されている。旧伊勢崎町の有志者の部分だけをDSCに納めて合成した。人名の最初に、佐位郡伊勢崎町織物業組合が掲載されており、当時織物業が盛んであった事を如実に示している。伊勢崎町の有志者氏名の中に、町長武孫平、県会議員下条弥一郎等の有力者の名前があった。

賛助人を記した、「楫取君功○(?)碑賛助人名」という碑名の「○」の部分の漢字が電子漢和辞典で調べたが、分からない。偏が「云」作りが「懐古」の「懐」の作りである漢字のように見える。実質的には「功懐」と同じ意味か。当時の「前群馬県令楫取君功徳之碑」を建てた賛助人にとっては、楫取素彦の「功績」だけでなく、「徳性」を讃える意味で「功徳」としたのだろうか。「功懐」とは、楫取素彦の功績を、しみじみと懐かしむという意味にとれるのではないか。任地を去る、行政官としては、これほど名誉なことは無いだろう。「楫取君功○(?)碑賛助人名」の碑の「功懐(?)」は賛助者が楫取素彦を見つめる視線を感じる。同時に「功徳」の「徳」には、楫取素彦が賛助者を見つめる視線を意識しているように感じる。そういう意味で、群馬県の近代化は楫取素彦と群馬県の指導者層との相互作用で進んだように見える。

尚、碑文の書を成した金井之恭(ゆきやす)についてはWIKIPEDIAに記事がある。

「金井之恭。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E4%BA%95%E4%B9%8B%E6%81%AD(最終更新 2012年4月10日 (火) 04:38 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「金井 之恭(かない ゆきやす、天保4年9月18日(1833年10月30日) - 明治40年(1907年)5月13日)は幕末期の志士、明治期の官僚、書家。通称は五郎。字は子誠。号は金洞(こんどう)・梧樓・錦鶏など。長女は弁護士で政治家の小川平吉に嫁ぐ。~略歴:幼少の頃から文学を好み、また書もよくした。明治維新の際には尊王を唱えて討幕を試みたが、計画が露呈し、幽囚となった。しかし、生還した後に東京に入り、明治2年からは制度寮行政官に就任、その後内閣書記官、元老院議官、貴族院議員を歴任した。また、大久保利通が清に渡った際は、井上毅らとともに随行している。書は初め中沢雪城に学び、のち貫名菘翁の書風に傾倒した[1]。明治書壇の有数の大家であり、日本書道会・書道奨励会の会長等を歴任し、明治9年4月に明治天皇が大久保利通邸を訪問した際には、日下部鳴鶴とともに席書を行った。~[編集] 年譜:1833年(天保4)9月、上野国佐位郡島村(現在の群馬県伊勢崎市)に画家で勤皇家の父・鳥洲の三男として生まれる。」

昨年死亡した知人は、当地区の「八幡沼の碑」に関して、どんな立派な碑ができても、百姓は汗水垂らして働くだけで、そんな碑を見るひまなど無いと話していたのを思い出す。今年、当地区の私有地にあった「開拓記念之碑」が区有地に移設された。地主の都合で、記念碑の居場所がなくなってしまったのだ。当時、里山であった山林を開拓して畑地に換える事業の完成を記念した碑である。このような事業により、現在の地区の骨格が変わってきた事をしるのも有意義なことと思う。碑は、建立の当事者が未来に向けたメッセージであろう。「前群馬県令楫取君功徳之碑」をじっくり読んで見たいが、まだWEB上ではその文と読み下し文に出会っていない。この碑は、我々現代人にどんなメッセージを伝えようとしているのか。

Katori_kensyougd
「前群馬県令楫取君功徳之碑」。右:全体。中:文字面(着色加工)。左:説明版。

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「楫取君功○(?)碑賛助人名」の碑。右:伊勢崎町有志氏名。左:碑の上部篆額部。

上記二枚の画像はDSCデータを合成・加工したもの。

関連リンク(2012/9/5);:WEB PAGE 「09D2 初代群馬県令 楫取素彦 没後100年記念(2012年)。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/09d2_KATORI_MOTOHIKO_MEMORIAL.html」 へ。

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  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
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    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)