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2013年2月17日

2013年2月17日 (日)

ハト(鳩)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(改題):アナタに伊勢崎の未来が見えますか?130217。

2013年2月17日日曜日
昨日は晴れたり曇ったり。最低気温(℃) -1.4 23:46最高気温(℃) 4.5 13:11 。ざっそう句:隕石か 小惑星か 見えぬ空。寒い一日。宅内閑居。ソ連に巨大な隕石が落下して大きな被害が出た。時を接して、小惑星が地球に最接近した。この隕石と小惑星は別物だが、普段目にすることのできない宇宙の底深さを教えてくれた。

2013年2月16日の天気(AMEDAS)

TAVE= 0.8  
TMAX= 3.4 最高気温(℃) 4.5 13:11
TMIN= -1.3 最低気温(℃) -1.4 23:46
DIFF= 4.7  
WMAX= 8.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.6(北西) 14:50
SUNS= 7.6  
RAIN= 0  

Q
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読売新聞は、「小惑星、未明に無事通過…地球に最接近
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20130216-OYT1T00210.htm。(2013年2月16日09時05分))」というタイトルで、「【ボストン(米東部)=中島達雄】米航空宇宙局(NASA)は15日、直径約45メートルの小惑星「2012DA14」が日本時間の16日午前4時25分ごろ、地球に最接近し、インドネシアの約2万8000キロ上空を通過したと発表した。 NASAによれば、この小惑星と、ロシアに落下した隕石(いんせき)は、軌道が異なるため完全に無関係だという。」と報じた。

東京新聞は、「隕石落下、支援や復旧が本格化 重さ1万トンに修正。http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013021601001844.html。(2013年2月16日 21時28分))」というタイトルで、「【チェリャビンスク共同】隕石落下で大きな被害を受けたロシア南部チェリャビンスク市では、一夜明けた16日、ロシア非常事態省の救援機が到着、医療支援や建物の復旧作業が本格化した。 米航空宇宙局(NASA)は16日、隕石の大気圏突入前の重さは約1万トン、直径は約17メートルと推定されると上方修正した。当初はそれぞれ約7千トン、約15メートルとしていた。」と報じた。

小惑星は観測で補足されその軌道が予測されていた。一方ロシアに落果した隕石は予測できなかった。その大きさが、直径約45メートルと直径約17メートルの差である。その比は2.65倍。その三乗は18.5。重量が直径の三乗に比例すると仮定すると小惑星の重量は大雑把に20万トン程度か。その小惑星の運動エネルギーは質量に比例するから小惑星が地球に落果するとロシアの隕石の20倍程度の威力になるのだろうか。広い宇宙ではこのような現象が頻繁に起こっているのだろうから驚きだ。


ハト(鳩)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(改題):アナタに伊勢崎の未来が見えますか?

先日、用事で伊勢崎市役所へ行った。市役所北門のロータリー東側脇にやや高い石像が建っている。石川泰三の像だとは知っていたので、何回かデジカメで撮影したことがある。今回は、午後の西陽が当たる時間帯だったので、良い画像がとれるのではと期待して再度撮影を試みた。風が強く人影は疎らだったのでゆっくりと像に対面できた。像は西方を向いて建っているのだ。

灯台もと暗しというのか、あたりまえであえて見る必要もないのか、身近にあるものはつい見過ごしてしまう。改めて、写真を見ると、晴天で雲一つない青空を背景に、石川泰三翁が西方彼方を仰いでいる姿が写っていた。この像は、寿像で石川泰三が米寿を迎えたのを記念し、有志が顕彰のために建てたと説明板に記されている。

アイオー信用金庫のホームページに「いせさきフロンティア あなたの知らない28人の伊勢崎の偉人達(http://www.io-web.jp/info/local/PDF/frontier.pdf)」という記事がある。執筆者は「元伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館長 板橋春夫氏」である。その記事の二番目に石川泰三が描かれている。

その記事によると、「石川 泰三 嘉永6年(1853)~昭和18年(1943):
大正時代、華蔵寺から茂呂までは見渡す限り水田と畑が広がっていた。市街地の一部を除くと貨物自動車や荷馬車などの通行に不便な道路であった。それを解消するために石川泰三(いしかわ・たいぞう)は、南北に抜ける大きな道路を造る計画を発表。大正13年(1924)に完成した通称「六間道路」である。建設当時は「無用の長物」「採取用の道路」「ぺんぺん草が生える」と陰口が言われたという。この道路は約11メートル幅で、現在国道462号の一部となっており、長く伊勢崎市内の幹線道路として重要な役目を果たしてきた。泰三の先見性を感じる事績であるが、大きな構想は時としてその時代に受け入れられないものである。」とある。

「伊勢崎市。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E5%B8%82#.E6.AD.B4.E5.8F.B2。(最終更新 2013年2月12日 (火) 08:17)」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「歴史:1940年(昭和15年)9月13日 : 佐波郡伊勢崎町・殖蓮村・茂呂村が合併し、伊勢崎市が誕生。県内4番目の市になる。(人口40,004人)」とある。

大正の後半から昭和10年代は、まだ市内のほとんどが農村地帯であったようだ。丁度、この時代が母親の学生時代であった。家から学校までは畑や田圃だったと聞いた記憶がある。説明板は、石川泰三寿像の建立日を町村合併により新しい伊勢崎市制が施行された日であると記している。

光の加減で、デジカメ画像の碑文が読みやすかったので以下に読み出してみた。句読点は読みやすいように追加した。よごれのためか読めない文字もあった:「?方面委員」。正確には原文を参照。ともかく、伊勢崎市の市制が発足した翌年に、石川泰三の存命中に銅像が建てられたが、戦争のためその二年後に銅像が供出され、代わりに現在の石像が建てられた事が分かる。

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石川泰三翁寿像建設記
石川泰三翁ハ嘉永六年十二月廿六日伊勢崎ニ生ル。夙ニ教育ノ振興ニ志シ十八歳郷学責善堂肝煎、次デ赤石学校教員ヲ努メ、又回天義塾ヲ開キテ青年ヲ指導ス。明治十四年佐位郡那波郡学事委員ニ推サレ、同十六年郡書記トナリ、縣属ヲ歴テ、郡長ニ任ジ、大正二年退官ス。同四年伊勢崎町長ニ選バレ、昭和七年辞職ス。在職十八年、各種財産ノ蓄積、町役場、中学校、郵便局、水泳場ノ設置、職業紹介所、?方面委員、公益質屋等ノ社会事業施設ヲ為シ、且耕地整理事業ヲ完成シテ大都市計画ノ基礎ヲ確立シ、市制ハ本日実施セラル。曩(さき)ニ、華蔵寺沼ノ払下ヲ為サシメ現公園ノ基ヲ開ケリ。尚、南佐波郡農会長、其ノ他公私団体ノ要職ニ推サルル等。教育、産業、自治ノ発展ニ尽瘁(じんすい)スルコト前後七十余年、従五位勲四等ニ叙シ、又紺綬褒章ヲ下賜セラル。翁今茲ニ米寿ヲ迎フ。有志之ヲ欣ビ相謀リテ銅像ヲ建テ、聊カ功績ヲ顕彰シ、永ク風貌ヲ景仰セン。
昭和十五年九月十三日
寿像建設委員長 星野源左衛門 撰

附記
翁銅像は昭和十六年一月二十六日に建設されましたが、第二次世界大戦のため昭和十八年三月二十三日供出の止むなきにいたり、同年四月二十七日に石造を建てることが決定になり、同年九月十三日除幕式が挙行されました。(追記:一部入力漏れあり。2013/2/20)
**********************************

前記、板橋春夫氏の記事によると、石川泰三の銅像は、青銅製の全身立像との事で、代わって建てられたのはの石製胸像である。石川泰三は伊勢崎市制施行の昭和15年に米寿を迎え、生前に自己の銅像を見る栄誉に恵まれたが、「泰三は率先し銅像の供出を了承した」という記事を読むとその人柄が伝わってくるような印象を受ける。

「石川泰三翁寿像建設記」の末尾に「永ク風貌ヲ景仰セン」とあるが、顕彰者の気持ちを良く伝えていると感じる。改めて西方を見つめている、石川泰三の胸像を見ると、永い風雪に耐えて、時代を生き抜いてきた風格が出てきて、周囲風景に溶け込みつつも、何事かを問わず語りに語っているように感じる。

WIKIPEDIAによると、伊勢崎市の市域は、「1940年(昭和15年)9月13日 : 佐波郡伊勢崎町・殖蓮村・茂呂村が合併し、伊勢崎市が誕生。県内4番目の市になる。(人口40,004人)」と町村合併と市制移行で拡大し、その十五年後、「1955年(昭和30年) 1月10日 : 佐波郡三郷村を編入。3月25日 : 佐波郡宮郷村・名和村・豊受村を編入。」で二度目の拡大があり、更に市制移行65年後「2005年(平成17年) 1月1日 : 伊勢崎市と佐波郡境町・東村・赤堀町が合併し、伊勢崎市を新設。人口が約20万8,000人となる。旧伊勢崎市の面積は65.17km2、人口は133,175人(2004年(平成16年)3月1日)。」と平成の市町村の対等大合併で三度目の拡大があった。

まさに、伊勢崎市は、石川泰三が唱えた「大伊勢崎主義」のような流れに従って、拡大してきた。しかし、現在では、合併が進んだ結果、ほとんど市と市が接するような状況となり、市域の拡大という流れはほぼ限界に達したと想われる。むしろ、広大な市域の中のアンバランスをいかに調和させて行くかという課題に取り組む必要性が増大している時代を迎えているように感じる。

石川泰三の年譜を調べると、今年が生誕160年であり、かつ没後70年でもある。更に、2015(平成27)年には、伊勢崎市の市制施行75年と旧佐波郡赤堀町、東村、境町と旧伊勢崎市の市町村が合併した平成の大合併から10年という節目を迎える。

石川泰三の石像を見ていると、石川泰三翁は何を見て、何を語ろうとしているのだろうかと想像させる。石川泰三がほぼ百年前に考えた伊勢崎の中に、今日の伊勢崎の姿があるのも事実だろう。

市民も百年後の伊勢崎の未来を語らなければ、その未来は貧弱なもので終わってしまうのではないか。

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BOPIX_ISIKAWA-TAIZOU_JYUZOU_2PIX.jpgをダウンロード
(「石川泰三翁寿像」の拡大
画像)

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追記1(2014/12/13):本記事がいきなりランキング4位に入った。その理由が分からない。本記事のように、伊勢崎市が来年に平成の大合併で新市になり10周年を迎えるので、その点に関心を持つ人が検索してアクセスしたのか。来年は、伊勢崎町が伊勢崎市になって75周年でもあり、伊勢崎市の将来を考えるには相応しい節目の年になると思う。

伊勢崎市は20年毎程度に、記念誌を発行してきたが、最近その発行が滞ってるようだ。歴史は、その時々語り継いで行かないと、知らぬ間に消えてしまう。伊勢崎市役所はいつ現在地に移転したのか調べたが、NET情報では分からなかった。記念誌を調べたら、当時の様子を知る事ができた。

最近の10年間の変化のスピードは速い。それを、記録し後世に残す事は、後世への最大の贈り物になるのではないか。聞く所によると、定期的な記念誌の発行は、予算や人材等々色々な要因で困難らしい。そこで、新市誕生10周年に限定し、記念冊子を発行する計画はあるようだ。ぜひ、それが、次の市史発行につながる事を期待したい。

とくに、今なら合併当時の記録やそれに関わった人々も健在である。合併は市の姿を大きく変える事業である。新市誕生10周年を記念した冊子にも期待したい。市史は継続してこそ意味があるのではないか。全市民が合併して良かったと感じる時が来る事にも期待したい。そのためにも、新市誕生10周年記念冊子が市史継続の中継ぎになる事を願いたい。

追記2(2015/1/31):「愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う」の記事が再度ランキング10位に入った。今年の正月前後にランク入りしていたので、「新」伊勢崎市誕生10年に関心を持った人がアクセスしたようだ。

うれしいニュースもあった。関係記事=「田舎老人徒然草:ハトよ 鳴いておくれ:石川泰三のお孫さんが書籍等を市へ寄贈!目出度くも 世間憚る 寝正月。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/01/post-c0d6.html)。(2015年1月 1日 (木))」

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追記(2017/11/21):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトル文字サイズ、色を変更。投稿日を追加。タイトルを変更:

愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う⇒
ハト(鳩)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(改題):アナタに伊勢崎の未来が見えますか?

ハト(鳩)よ 鳴いておくれのカテゴリーに入っていたがタイトルに入っていなかったのでカテゴリー名もタイトルに追加。今後この記事と次のシンボル画像の関係がイメージしやすくなる筈。現在ランキング10位。読者に感謝。

カテゴリーのシンボル画像:「ハト(鳩)よ 鳴いておくれ」

Googleにてキーワード「石川泰三」で本サイト内を検索

追記(2023/03/06):一昔前の伊勢崎市のイメージ。県内主要市と検索ヒット数を比較した表があった。現在、この記事のランキングは3位で古い記事ながら読者がいるようだ。読者に感謝。

Photo_2 原ファイル名=「伊勢崎市のイメージ(ネット調査).jpg」
平成22年は2010年。

追記(2024/03/16)石川泰三は大伊勢崎を提唱してその実現に邁進したようで、その構想が華蔵寺公園の「都市建設礎業」という記念碑に残されている。その記事にリンクを設定した。

「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある「伊勢崎耕地整理事業完成記念(都市建設礎業)碑」は何を語るか。20130506。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/05/2013-a2f4-1.html)。(2013年5月 7日 (火))」で、「群馬県の都市の市制移行順位をまとめると、前橋市:1892年(明治25年)、高崎市:1900年(明治33年)、桐生市:1921年(大正10年)、伊勢崎市:1940年(昭和15年)、太田市:1948年(昭和23年)であった。本碑には、何も書かれていないが、市制移行というのが石川泰三の大きな野望であったように見えてくる。」と書いた。

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    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
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  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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