ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある記念碑の篆額の読み方
2013年5月2日木曜日
昨日は晴れ後曇り。最高気温(℃) 20.4 11:41。ざっそう句:難解の 篆額読んだ 研究者。朝方は定例の仕事。当番一人欠。応援一人。四人で無事終了。午前中は好天。まさにメーデー日和。自宅に戻り一服して、偶々書棚の片隅にあった「八坂樋と伊勢崎の掘と川(長谷川 龍雄 著)」を手にした。「書肆 いいだや」という価格票の半分が残っていたので古本だ。偶然手に入れた本だろう。母が子供達を連れて、歩いて実家に帰る時、長い道に沿って流れていた川があった、それが、自分の八坂用水の原風景だ。午後、圃場整理。下草刈り。枯れ枝剪定。花水木を枯らすよう根本の土を堀上げ。リンゴ樹が一本倒れていた。葉が出そろい風圧をまともに受け、カミキリムシの被害にあった部分で折れている。カミキリムシの幼虫も活動を始めている。名前を知らない野鳥が餌を求めて2m位まで接近する。デジカメで写そうと作業を中断すると飛び去る。野鳥にこちらの行動を読まれているようで、バカにするなと言いたくなる。
2013年5月1日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 14.7 | |
TMAX= | 19.4 | 最高気温(℃) 20.4 11:41 |
TMIN= | 11.3 | 最低気温(℃) 11.3 24:00 |
DIFF= | 8.1 | |
WMAX= | 7.4 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.6(北北西) 17:14 |
SUNS= | 7.5 | |
RAIN= | 0 |
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下記の記事には、「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」の篆額が読めなかった事を書いた。写真下部に「○?X?建設礎△?」と解読できない篆字を「?」にしておいた。追記としてその続きを以下に書いておく。
追記:「八坂樋と伊勢崎の掘と川」は62ページの小さな本であるが、地域の歴史に愛着と関心がなければ書けない本であると感じた。その、『二、灌漑用水「佐波・新田用水」について』の章の「(三)都市建設礎業(2)」が「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」の篆額そのもの読み方だったようだ。「○?=都X?=市建設礎△?=業」とすれば篆額の意味が通じる。本書には、「都市建設礎業」が篆額とは述べていないが記事の末尾に(華蔵寺公園の碑文)と記載しているので、篆額の題名をそのまま、本書の節のタイトルにしているように思われる。碑の建立が昭和十五年四月十五日。本書の出版が昭和六十三年七月二十一日。それにしても、「都市建設礎業」という碑題は近代的でかつ雄大な印象を与える。
以下に、自分の解読の試みの経過を記しておく。「○?=都」;「○?」の旁(つくり)が「邑」で部首の「おおざと」と同義まで分かったが、左側が「者」とは読めず挫折。「米(上)+日(下)」とあてはめたが該当の文字は見つからず。「X?=市」、尾崎咢堂のような号としての「○堂」をあてたが、石川泰三の号は?というところでとん挫。「△?=業」;田島弥平の「養蚕興業碑」の「業」と類似。「業」かなと思ったが「業業」と重なるようでこれもとん挫。ところが、漢字源によると、『「業業」とは、きおいたつさま』とある。改めて、この篆字を見ると、二人の人が踏ん張って仕事をしている姿に見えてくるのだった。この篆字になにかメッセージが込められているようにも感じる。
本書の「はじめに」に、著者は「私は長い間の教職生活から離れ、昭和三十八年に、伊勢崎の図書館に、お世話になりましたが、~」と本書執筆の動機を記している。WEB情報によると、伊勢崎市立図書館長も務められたようだ。偶然の連続だが、こいうう偶然に会うとうれしくなる。
ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある記念碑の篆額の読み方
先日、華蔵寺公園へ行き、たまたま遭遇した大きな記念碑。そのてっぺんの額の部分が篆書で、漢和辞典で検索したが適当な漢字が出てこない。部首を特定する前にとん挫してしまう。色々頭をひねり、その篆書の解読も試みたが、これという確定的な読み方が分からない。その篆額を書いているのが当時の権威者で、単なる実権だけでなく、文才も示しているようで面白い。見方によれば、芸術の世界で、読まれなくても、へ~スゴイと思われれば最大の目的は達成しているのかもしれない。多少のデフォルメは問題無し、むしろ望ましいのか。他の碑の篆額と比べると、読む方向等少しはルールらしいものも見えてくる。ともかく、お「題」が頭に入らないと、その先に進みにくい。
最近の、村上春樹のベストセラーの著者もタイトルも思い出せななかった。幾つかのキーワードでWEB検索してようやく「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」と分かった。篆額の作者はどんな気持ちでその篆書を物にしたのだろうか。
碑文内容は十分確認できていないが、顕彰されている人物は左より、石川泰三、小畠武堯、金井烏洲、川端宇兵衛、田島弥平と思われる。尚、「烏洲金井先生碑」の額は篆字ではないようだ。
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