歴史の転換:ツルよ 飛んでおくれ:日本の旧石器時代を切り開いた岩宿遺跡と相澤忠洋
2013年12月30日(月) 昨日は晴れ。
最低気温(℃) -2.4 04:44。ざっそう句:年賀すら リストラできぬ 小者かな。宅内閑居。暖かくなってから我が家の恒例行事の準備。年賀状を書き始めたが全然進まない。そろそろ年賀状もリストラしたいと思うがそれもままならない。現役時代、客先にフランスから応援に来ていた若い技術者が任務を終えて帰国した。翌年、フランスから送られてきた日本語の年賀状には感激した。立場を替えて考えるとそういうことは自分には全くできそうもない。「ベンチャー(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/01/post-a59e.html)。(2010/1/9)」。かれはもう立派なパパになっているかもしれない。彼が派遣された会社は技術者が勤め先を退職して起業した小さな会社であった。現在その会社名でWEB検索したが見つからない。BLOG「挑戦せよ」に「起業家と資金調達、海賊と呼ばれた男の苦闘(http://tsuyoshitaira.com/)」という記事が掲載された。この記事で、アメリカ流の起業法が理解できる。一方、日本にもこんな偉大な起業家やそれを支えた支援者がいたのかと著者は紹介している本を激賞している。窮地に立っても従業員をリストラしなかった経営者。ベンチャーの事を思うと元気がでてくる。
2013年12月29日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 2.8 | NO DATA |
TMAX= | 9 | 最高気温(℃) 9.3 14:04 |
TMIN= | -1.2 | 最低気温(℃) -2.4 04:44 |
DIFF= | 10.2 | |
WMAX= | 4.2 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.3(北北西) 15:27 |
SUNS= | 8.9 | NO DATA |
RAIN= | 0 | NO DATA |
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歴史の転換:ツルよ 飛んでおくれ:日本の旧石器時代を切り開いた岩宿遺跡と相澤忠洋
今年は何かの縁で、在野の考古学者相澤忠洋関係の施設をいくつか訪問できた。「ハトよ 鳴いておくれ:権現山遺跡の発見者相澤忠洋記念館を見学(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/02/post-3b70.html)。(2013年2月27日水曜日)」。
先日は、用事の後に岩宿遺跡を訪問した。冬の夕方で人影は無かった。相澤忠洋記念館で館長が相澤忠洋像が出来た事を話していた。道の脇に建立されていて直ぐに目にはいった。次に道路の向かい側のやや高い所にある史跡の標識や説明板を見た。穴のある石垣のような物が見えたのでついでに見ようと戻った。中に入るとそこが岩宿ドームという展示場になっていた。
ちょっと寒くなってクシャミをしたら、奥から説明員らしい人が出てきた。洞穴のような施設なので、背後から声をかけられギョットした。10分足らずのビデオなので良かったらかけますと言うのでお願いした。それが終わり展示物の説明と雑談少々。石器が出土した地層は現物保存されているとの事だった。展示物の撮影はOKとの事で撮影させてもらった。説明員は相澤忠洋さんの奥さんが毎年命日に来ていると話した。像の両側面に建立者や由来が書かれているがデジカメ画像がピンボケで判読できない。辛うじて読取った「沼野章彦」でWEB検索すると何と以下の記事がヒットした。
相澤忠洋記念館公認ホームページの「夏井戸だより(http://www15.plala.or.jp/Aizawa-Tadahiro/natsuido/1.pdf)。」「相澤忠洋氏胸像製作によせて(沼野章彦 彫刻家 日彫会会員)」に、同氏は「相澤忠洋氏のブロンズ像を私の代表作と思っています。」と書いている。
WIKIPEDIA「相澤忠洋。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%B2%A2%E5%BF%A0%E6%B4%8B)」。現代は肩書き・学歴万能の時代である。福島原発事故に際してはにわか専門家が跋扈した。ひょっとすると歴史を切り開くのはアマチュアなのかもしれない。