老人の寝言:来年は馬年だってネェ~
2013年12月31日(火)
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.2 03:40。ざっそう句:どっこいしょ 何とかなるか どっこいしょ。恒例の餅つき。餅はつかないが準備と後始末が爺さんの役。朝の気温は軒下で-4.5℃だった。汲み置きの水が氷結していた。餅は屋外でつくが、最初はカマドに火を着けることから始める。干し芋を作った時、「吹き竹」を作った。原始的だがこれが役立つ。一応、役割は世代交代した。どっこいしょの連発で何とか無事終わった。が、まだ終わらない仕事が山ほどある。もう、新年に持ち越しだ。どっこいしょと。
2013年12月30日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 4.1 | NO DATA |
TMAX= | 11.5 | 最高気温(℃) 12.0 14:50 |
TMIN= | -2 | 最低気温(℃) -2.2 03:40 |
DIFF= | 13.5 | |
WMAX= | 3.6 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.3(北西) 05:21 |
SUNS= | 9.3 | NO DATA |
RAIN= | 0 | NO DATA |
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老人の寝言:来年は馬年だってネェ~
先日の市内史跡見学で最初に向かったのが、お馬の親子の碑。ここは、実話のお馬の親子の愛情物語を伝える碑や石仏、上植木廃寺の礎石等が集まっているミニ歴史パークだ。小さいながらもお馬の親子の像もある。殖蓮史談会会長も、このお馬の親子の碑の建設に深く関わったとの事で、来年はぜひお馬の親子の碑が脚光を浴びて欲しいと期待感をもって説明してくれた。
他に伊勢崎では広瀬公園に白馬の像がある。馬の父母と子という家族らしい見立てである。この白馬像に名前や物語があるのか知らない。公園なのだからそこへ行って像を見ながら自分の物語を作るのも楽しいのではないか。白い馬で「スーホ」を思い出した。Googleでキーワード「馬 詩人 教科書 スーホ」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E9%A6%AC%E3%80%80%E8%A9%A9%E4%BA%BA%E3%80%80%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%9B)。「スーホの白い馬」を教科書で習った記憶は無い。最近は授業もデジタル教科書で、マルチメディア教材併用という方向に向かうのか。
最近は文字や言葉もデジタイズという切捨てが伴うのでデジタルと感じるようになった。デジタル化は便利だが何か空しいのである。テストの点や通知表の成績もデジタル化の極みで無いか。人間を機械として扱う道具に堕落している。そう考えると4Kテレビもスマホもパソコンも無用の長物に堕すのではないか。ともかく一個の人間には機械が超えられない能力が潜んでいる。
馬と言えば、現役時代に、競馬と馬に詳しい人物が職場にいた。馬の血統の話になると薀蓄が相当深かったらしい。WIKIPEDIA「群馬県。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C)」。群馬県といえば馬を連想するのだから、来年は馬年だけでなく群馬県年と勝手に解釈しても良いのではないか。そこで登場するのが群馬県の馬の埴輪かもしれない。
WIKIPEDIA「馬鹿。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%B9%BF)」。幼少時に鹿を馬と言いくるめた、またはその逆か、馬鹿という言葉の語源を教えられた記憶がある。白を黒と言う、黒を白と言うのも同じ論理上の問題。物理的に見ると白と黒の中間の灰色もあり得る訳だ。まさに、中間があるのがアナログの世界かもしれない。
我が家にも終戦直後に馬がいたようだが実物を見た記憶は無い。農耕用には牛が多く使われた。馬が好きで、農耕だけでなく草競馬も兼ねて馬を飼う人もいた。これは一種の道楽だったようで多くはなかった。当地区には子供達の教材を兼ねてポニーを飼っている人がいる。飼育場が道の脇なので、通りがかりの人が車を止めて子供に見せる事もあるようだ。オスなので何かぶら下がっているのを見て子供が質問すると困るんだがと苦笑していた。
馬の話になると際限がなくなるほど話題がありそうだ。来年は馬にかこつけて良い夢でも見よう。馬鹿だネェ~お前さん。