東北の海よ:大熊町住民の思い;葉裏の蚊 わっと飛び出す 雨上がり。1507。
2015年7月4日(土)
昨日は雨後曇り。最高気温(℃) 24.8 16:15。最低気温(℃) 21.0 05:16。ざっそう句;葉裏の蚊 わっと飛び出す 雨上がり。しとしとと降っていた雨が止んだ。畑の雑草はぐんぐん伸びている。少しでも雑草退治をしようと腕まくりして畑に出る。最初はキャベツ区画。メヒシバがキャベツの二倍ほど高く伸び、キャベツが見えないくらい。湿度が高く、雨露が残っている。ねじり鎌で少しずつ根を切り進む。汗がにじんで、眼に入る。更に、葉裏に潜んでいた蚊が飛び出してきて肌を刺す。仕方なく汚れた手でぴしゃりと叩く。小さな区画だが、大変な作業。次に、枝豆区画。枝豆が伸びたと思ったら、ヒユだった。更にメヒシバが株間を埋めている。丁度、開花中だ。次がインゲン区画。
肥料不足か細目の莢が出来ていたので収穫。シシトウも収穫。今回は青いが辛みが強くなっていた。最後に、貰った里芋を植えた。既に葉が3本位出ている。この段階で堀り上げて他人にくれるのも大変だ。勿体ないので有り難く頂いたが、うまく育つか心配だ。雨で土が重いが、活着させるため灌水して終了。ギリシャが債務超過になりEUだけでなく日本の株価にまでその影響が出ている。この世の中、金を支配する者が国も支配する。でも借金する者がいるから金貸しが可能になる。ユーロを支配する強国もEUが崩壊すればただの田舎の一国になってしまう事が怖いほど分かっている筈だ。ギリシャが尻まくりできる理由は何か。都市国家・直接民主主義という古代からの伝統を持つギリシャの国民投票の結果に注目だ。
2015年7月3日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 22.3 | NO DATA |
TMAX= | 24.4 | 最高気温(℃) 24.8 16:15 |
TMIN= | 21.2 | 最低気温(℃) 21.0 05:16 |
DIFF= | 3.2 | NO DATA |
WMAX= | 2.5 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.5(東南東) 09:29 |
SUNS= | 0.2 | NO DATA |
RAIN= | 9 | NO DATA |
Q
Q
東北の海よ:大熊町住民の思い
たまたま、福島第一原子力発電所がある福島県双葉郡大熊町のホームページを見た。町長メッセージに「震災から4年を迎えて」という記事(http://www.town.okuma.fukushima.jp/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA/%E7%94%BA%E9%95%B7%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8)を読んで、改めて、「全町民が、ふるさと大熊を離れて避難生活を余儀なくされ」ている事に衝撃を受けた(この記事へのリンク)。
なんと、その記事は「登録日: 2015/03/11 14:46」となっていた。東北地方太平洋沖地震が起きた時刻に合わせて登録されていた。大熊町の町民は、古里を離れて生活して、四年と四ヶ月になろうとしている。同町のホームページには、町民に対してアンケートを実施しており、その結果が掲載されている。古里への帰還が、住民の最も強い関心事項ではないかと思い、その傾向をグラフにして見た。実施時期により設問が異なるので、「戻りたい」、「戻りたくない」、「判断がつかない」の三分類にまとめて、グラフ化した。
被災の初期ほど、「戻りたい」という願望が強く出ているようだが、時の経過と共に、「戻りたくない」という比率が高くなるように見える。それは、現実の避難生活を前提とする限り避けられない判断だと思う。
同町のホームページからGoogleトのストリートビューで町内の様子が見られる。道路沿いの人家に人が住んでいないとは思えない風景が辺り一面に続いている。もしも、原発事故の影響が大都市に及んで多数の都市住民が避難生活を送る事態が生じたら、大変な事になるだろうと思ってしまう。
同町ホームページの、「大熊町の紹介(http://www.town.okuma.fukushima.jp/content/%E5%A4%A7%E7%86%8A%E7%94%BA%E3%81%AE%E7%B4%B9%E4%BB%8B)。」によれば、『平成24年12月10日に、「警戒区域」が「帰還困難区域」・「居住制限区域」・「避難指示解除準備区域」に再編され、町民の約95%が居住していた地域が「帰還困難区域」となったため、町としても「5年間は帰町しない」判断を行ったところです。』との事だ。
アンケートへの回答も、苦渋の判断で、色々揺れる思いがあるだろう。被災の影響は今後も長く続くかも知れないが、そこから新しい希望も芽生えて来るのではないか。