愛しき古里:地域の教育力:明治中期の地域小学校校長だった矢島昇を知る(11):地域の教育力;新聞と 無縁に咲くや 山茶花よ。171209。
2017年12月9日(土)
昨日は曇り一時晴れ。ざっそう句;新聞と 無縁に咲くや 山茶花よ。落ち葉を踏んで新聞を取りに行く。山茶花が咲いているのを何となく見ているのだが通り過ぎるだけだ。それでも、庭先には冬が訪れているのが知れる。もう、落葉樹の落ち葉も進み最終段階だ。そろそろ、落ち葉掃きをして新年の準備をしようと漠然と思う。宅内閑居。物置状態の部屋を見て呆然とする。短期的に見ればその数%しか使っていない。残りの90%は無用だから捨てられるかと考えると、自分の手垢が残っている物こそ本当の記憶再生装置なのかも知れない。しばらく使っていない、VHSビデオテープ、音楽CD、カセットテープを鎮座している部屋の一等地から撤去。多分、3TバイトのHDDにすっぽり入りそうな情報量だろう。だが、使わない情報をHDDにため込んでも何の役に立つのか。市販メディアはラックから取り出して段ボール箱に詰め込んだ。埃を被っているパソコンがあちこちを占拠している。とりあえず、結線を外して本体と周辺機を分離して整然と並べた。これでパソコンは機能を捨てて室内のオブジェになった。思うに、これらのハードソフトに注ぎ込んだ金と時間は無駄だったのか。現在では、画像も音楽も写真もビデオも電話もスマホ一台で間に合う。最近の若者は物欲が小さくなっているようだ。必要な物があっても借りて間に合えば良い。逆に、手元には自分の手垢が染みついた物が残らない。耐久消費財の家、車にもこだわらない。そういう高価な物を持つのは所詮夢なのだとあきらめているのだろうか。物不足時代を経験した世代とは価値観が様変わりしているのかも知れない。父が植えたシュロが見上げるほど高く伸びて、家の陽当たりを悪くしていた。母は、そのシュロの木を見上げながら昔話をした。オレもそのシュロの手入れをしてきたが、ついに脚立に昇っても手が届かない高さになってからは放任している。そろそろ、あのシュロも役目を終えたかなとつぶやく。どっこい、そのシュロの木は切り倒しても処分が難しい。
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過去記事再読:
10年未だし生垣作り、半端道楽:懸案だったシュロを切る(改題):庭木に何を植えるか、植える時に悩め!?120124。
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愛しき古里:地域の教育力:明治中期の地域小学校校長だった矢島昇を知る(11):地域の教育力
地域の教育力とは何か。そんな物は無いと言うのが正解かも知れない。力学的な力も抽象的な力も、間接的にしか把握できないのが、力の本質ではないか。自治体の教育方針等には、■■力と考えられる能力のほとんどに力で例えた能力が列挙されているのを知ると驚いてしまう。要するに、教育とは戦いで、あらゆる力を獲得し、物事が支配できれば良いというような価値観が潜んでいるように感じる。
原ファイル名=「IOB_2017_YAJIMA_NOBORU_NO11_地域の教育力の源泉を探る.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
そのような、教育観を徹底すると、教育とは国家が国民を支配する道具に成り下がってしまう恐れも無きにしも非ずではないか。最近、当BLOGでは「我が闘争(改題):老人の寝言:ハイルヒットラーはもうご免!091022。」という記事がランキング1位になった。明治は遠くなりにけりと言われたのいつ頃だったか。調べて見ると、「昭和40年代、明治100年にあたるころに流行したようだ。その元は、「降る雪や明治は遠くなりにけり」と言う、中村草田男の第一句集『長子(ちょうし)』(昭和11年)に収められているそうだ。
明治以来の日本の時代の風潮は、明るいときも、暗いときもあったようだ。やはり、力、力、力とう言葉が氾濫するとき、世相は徐々に暗くなるのでは無いか。「海を渡った 幕末明治の上州人」の中の、須藤元吉は軍隊を経て旅行作家のような活動に従事したので、まだ世相の明るさはあったのだろう。
「身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(23):広島の女と群馬の男;重力波 捕らえた如し 猫の髭。1602。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2016/02/23-7311.html)。(2016年2月23日 (火))」(この記事へのリンク)の記事に書き出した「海を渡った 幕末明治の上州人」は、「相川之賀(探検家、実業家?);新井領一郎(実業家?);磯貝雲峰(作家?);内村鑑三(宗教家?);小栗忠順と同行者達(幕府の役人?);久米民之助(実業家?);佐波喜六(実業家?);斎藤大之進(幕府の役人?);世界一周を志した須藤元吉(世界紀行家?);鈴木勇次郎(幕府の役人?);田島武平(実業家?);田島弥平(実業家?);角田柳作(学者?);飛行機王中島知久平の渡米(実業家?);新島襄(宗教家?);原口鶴子(学者?);伏島近蔵(実業家?);星野あい(教育家?);チベット王矢島保治郎(探検家?);湯浅一郎(実業家?);湯浅半月(宗教家?)。」であった。
人間を肩書きや職業で安易に割り切ることはできないだろう。ここにリストアップされた、「海を渡った 幕末明治の上州人」達は、やはり大きな足跡を残しているようだ。
愛しき古里:地域の教育力:明治中期の地域小学校校長だった矢島昇を知る(10):矢島昇と矢島保治郎は小学校の師弟だったか?;煤払い 左右入れ替え はい終わり。171207。を読む
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2017年12月08日 伊勢崎(イセサキ) | ||
TAVE= | 5.7 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の平均値 |
TMAX= | 10.8 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値 |
TMIN= | 1.2 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最小値 |
DIFF= | 9.6 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値と最小値の差 |
WMAX= | 7.4 | 毎正時のアメダス観測値(風速)の最大値 |
SUNS= | 3.2 | 毎正時のアメダス観測値(日射)の合計値 |
RAIN= | 0 | 毎正時のアメダス観測値(雨量)の合計値 |
1日の極値 | データ | 時刻 |
最低気温(℃) | 0.9 | 4:38 |
最高気温(℃) | 12.6 | 10:51 |
出典=気象庁 | 参照⇒ | AMEDASへのリンク |
最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) | 14.2(西北西) | 21:17 |
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