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2017年12月13日 (水)

愛しき古里:残照雑記:行者山の祭(改題、改作)と関連資料;難転の 験を担いで 赤い嘘。171213。

2017年12月13日(水)
昨日は晴れ。ざっそう句;難転の 験を担いで 赤い嘘。タマリュウの選別残りを再選別。程度の良い物から先に選ぶので、後半になると無駄仕事の感じもする。ともかく、使えそうな株は、畑に仮植えし、残りのゴミ、残土は畑に散布。やや風が強かったので、風よけを作り、日向ぼっこで選別作業。寒くなって途中で退散。一昨日、自家水道の水が濁り、水量も半減。昨日も、水量は回復せず。愈々、水道管も部分凍結した模様だ。冬型の仕事に切り替える必要がある。雑菜を収穫。キャベツがようやく巻き始めたが、いつになったら収穫出来るのか。

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愛しき古里:残照雑記:行者山の祭(改題、改作)と関連資料

「行者山の祭」という記事(行者山の祭 =リンク先)を作成したが、その祭りの様子は、はっきり覚えていない。今年、たまたま、町内資料に灯籠作成の記録があるのに気付いた。昭和37年のものであり、それまで灯籠行事が行われていたのが分かる。

Iob_2017tourou_note_37
原ファイル名=「IOB_2017TOUROU_NOTE_籠受付帳表紙昭和37年.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones

今では、その行者山もわずかに形を残しているのみである。行者山一帯は、古墳群があり、行者尊が祭られていたので、一種の聖地であったのかも知れない。この記事も、いずれ忘れてしまいそうなので、原文を残し・補足しつつ、改作することにした。原文は、別記してあるので、そちらを参照。

飄々と彷徨う霊を導きしかの老僧も一人旅立つ

毎日、一つの事を行うには大変な努力が要る。それが人のためというと尚更である。最近遷化された近くの寺院の老住職は毎朝の読経はおつとめとして欠かした事がなかったと聞いた。真冬でも祭壇を清掃し、檀家の人々等の幸せを願い読経をすると身体が温もってくるとのことであった。行者の姿を見る思いであった。

地域にある行者山という山の名前から、行者がそこで修行をしていたのだろうと推測しているが、何の手がかりも無い。昔は、色々な伝説があり、何らかの形で過去の事が伝えられてきたと思う。行者山の祭もその一つだと思う。

地域内に小さな山が三つあった。丸塚山、高山、行者山がそれであった。それが、古墳であったと知るのは、成人してからであった。その一つを行者山といい、幼少時にはお祭りのような行事が行われていた。

「02A5_三軒屋遺跡シンポジウム2011/11/13(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02a5_S_ISEKI_SIMP_20111113.html)。」に、これらの山について書いていた。(この記事へのリンク

灯籠といって、各戸に絵などを描いた灯籠を出品してもらい地域の余興としたものらしい。灯籠が並べられた山を通る道路にはアセチレンガスを灯した夜店も出て、見物客でにぎわった。これも、終戦後の娯楽の少ない頃の地域の活性化として企画されたものであろう。

いつしかこの行事も消えていった。自分にとって「行者」とは何か今も謎である。大泉町の西小泉駅の近くに小さな遺跡らしい物があり、そこに説明版があった。うろ覚えであるが、そこは地域住民の救済を願って行者が即身仏になる行を行った所らしい。最後の即身仏になったのは仏海上人と言われ明治36年(1903)とされている。

実は、高校時代の友人から、仏海上人の関係者だという話を聞いて、びっくりしたのだ。江戸時代末期になると飢饉や天変地異が目立った。ひょっとしたら、当地の行者山にも地域住民の救済を願って即身仏になる行を行った行者がいたのではないか。行者山という固有名詞に昔の地域住民の記憶が刻まれているのではないかと思われる。

行者山は本来は古墳であったようだ。その後は行者の事跡を祭る祭礼の場となり、灯籠の行事につながったようだ。しかし、いつしか、灯籠の行事も無くなり、山さえも切り崩され、石棺の残骸が残っているだけとなっている。

行者山一帯は、戦前に開墾されたが、行者山は残っていた。その西側を南北の直線道路が走っているが、この道路が開墾の時に作られたものかも知れない。行者山に開墾の碑が建てられたようだが、その碑が立っている土地を購入した人が、家を建てるので撤去して欲しいと言い、現在では不動尊敷地に移転されている。

過去の、行者山の記憶も風前の灯火に近いのではないかと思う。そんな中、紙魚があり、破れかけた紙の綴りに、灯籠の行事に出された灯籠の記録が残っていた。第36号まで記されており、相当数の出品があったと推測される。昭和37年の経済の高度成長期までは、灯籠の行事は行われていたのである。

自ずから往生かなわぬ衆生なりかの老僧に低頭合掌

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2008/12/16

行者山の祭

飄々と彷徨う霊を導きしかの老僧も一人旅立つ

毎日、一つの事を行うには大変な努力が要る。それが人のためというと尚更である。最近遷

化された近くの寺院の老住職は毎朝の読経はおつとめとして欠かした事がなかったと聞い

た。真冬でも祭壇を清掃し、檀家の人々等の幸せを願い読経をすると身体が温もってくると

のことであった。行者の姿を見る思いであった。地域内に小さな山が三つあった。その一つ

を行者山といい、幼少時にはお祭りのような行事が行われていた。灯籠といって、各戸に絵

などを描いた灯籠を出品してもらい地域の余興としたものらしい。灯籠が並べられた山を通

る道路にはアセチレンガスを灯した夜店も出て、見物客でにぎわった。これも、終戦後の娯

楽の少ない頃の地域の活性化として企画されたものであろう。いつしかこの行事も消えてい

った。自分にとって「行者」とは何か今も謎である。大泉町の西小泉駅の近くに小さな遺跡ら

しい物があり、そこに説明版があった。うろ覚えであるが、そこは地域住民の救済を願って行

者が即身仏になる行を行った所らしい。最後の即身仏になったのは仏海上人と言われ明治

36年(1903)とされている。江戸時代末期になると飢饉や天変地異が目立った。ひょっとし

たら、当地の行者山にも地域住民の救済を願って即身仏になる行を行った行者がいたので

はないか。行者山という固有名詞に昔の地域住民の記憶が刻まれているのではないかと思

われる。行者山は本来は古墳であったようだ。その後は行者の事跡を祭る祭礼の場となり、

灯籠の行事につながったようだ。しかし、いつしか、灯籠の行事も無くなり、山さえも切り崩さ

れ、石棺の残骸が残っているだけとなっている。 

自ずから往生かなわぬ衆生なりかの老僧に低頭合掌

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2017年12月12日 伊勢崎(イセサキ)
TAVE= 5.7 毎正時のアメダス観測値(気温)の平均値
TMAX= 10.2 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値
TMIN= 1.8 毎正時のアメダス観測値(気温)の最小値
DIFF= 8.4 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値と最小値の差
WMAX= 6.8 毎正時のアメダス観測値(風速)の最大値
SUNS= 9.1 毎正時のアメダス観測値(日射)の合計値
RAIN= 0 毎正時のアメダス観測値(雨量)の合計値
1日の極値 データ 時刻
最低気温(℃) 1.5 23:09
最高気温(℃) 10.7 13:09
出典=気象庁 参照⇒ AMEDASへのリンク
最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.2(西北西) 14:00


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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)