老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:忠治望郷の赤城山。;雪赤城 ワカサギ釣ったか 親分は。20221228。
2022(皇紀2682年明治155年大正111年昭和97年平成34年令和4年)年12月28日(水)
昨日は晴れであった。ざっそう句;雪赤城 ワカサギ釣ったか 親分は。新聞を持って玄関先の指定席へ行くとネコ君が寝そべっている。仕方が無いので席の半分を使わせてくれと尻を落としたら、ネコ君が移動した。読み終わってから冷えかけた牛乳を飲んで倉庫部屋で年賀状作成。予備を残して作成が済んだので投函に行く。冠雪した赤城山をデジカメ撮影。2023年版年賀状は例年と比べれば相当手前勝手だ。もう半分以上遊びだから、その積もりで読んでくれという雰囲気だ。そんな細々した事を手書きで書くのも苦痛で、手短に書いた。ともかくお勤めは済んだので肩の荷を下ろした気持ちだ。4Bの鉛筆書きで、誤字は消しゴムで訂正した。ローテクの楽しさだ。
原ファイル名=「IOB_20221228_I AM VERY SORRY_アイアム_ソーリ12_ロシアのプーチン_逃げるが勝ち.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
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老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:忠治望郷の赤城山。20221228。
いつも漠然と見ている赤城山。常に追われる身の国定忠治は赤城山を隠れ家に使ったようだ。国定忠治の岩屋と呼ばれる場所があるようだ。赤城山と国定忠治という関連付けは強固で有名だが、国定忠治の脳内ではどのような位置づけであったのか。
「読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(3)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/12/post-aada.html)。(2010年12月11日 (土))」で、「○「御所の荒廃を詠む」の章
■立ち出づる心も晴れてあかぎ山 風も来よとて木葉吹くらし
■白雲をふみ分け来ても赤城山 空より高く落つる瀧つ瀬
著者は「彦九郎の生涯は尊王一途で、余裕というものが全くない感じだが、その中で安永二年の赤城行、また同六年の三夜沢赤城神社参拝は多分に余裕があって、故郷の山を懐かしみ楽しんでいる風情がある。」と述べている。赤城神社参拝の時彦九郎は31才。」と書いた。
高山彦九郎は若いとき赤城山登山や赤城神社参拝をしたようだ。安永二年は西暦1773年で国定忠治が赤城山に籠もる前の事だ。冠雪している赤城山を見て、国定忠治と言えども、冬季の赤城山籠りは厳しいだろうと思った。WEB情報によると、「「群馬県吾妻郡東吾妻町大戸」の標高は 約511.19m です。」との事だ。それでは国定忠治が処刑された嘉永3年12月21日(1851年1月22日の天気は?場所、季節を考えると相当寒かったと思われる。
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項目 | 日積温 | 残日 | 通日 | 通積温 | TA | TX | TN | TD | WX | SN | RN |
DATA | 132.0 | 5 | 360 | 132.0 | 5.5 | 10.8 | 1.7 | 9.1 | 6.7 | 9.1 | 0 |
時刻等℃ | ℃ | 日 | 日 | ℃ | ℃ | 13 | 7 | ℃ | 13 | 82.73 | mm |
伊勢崎 2022年12月27日(1時間ごとの値) | 1年の | 99% | 経過 | AMEDASへのリンク | |||||||
ダブルカウントに注意(2022年1月2日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116) | |||||||||||
熱中症反対! |
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