05C_技術 回顧と展望

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2010年1月14日 (木)

記憶喪失

2010/1/14

記憶喪失

失われた時を取り戻すことは出来ない。何らかの記録が残っていればそこから過去の記憶

をわずかでも取り出す事が可能になる。情報や記録がある確率で消失するのであれば、そ

の情報や記録を保つためにはその数を増やす事が現実的な解決方法なのかも知れない。

古来の語り部はその役割を背負った人間であったろう。釈迦の教えが経典としてまとめられ

る前には多数の信徒が集まって釈迦の教えを唱和してその誤りを正して教えの変質を防い

だようである。ここに、信頼できない素材を使って信頼できる記録を残そうとする古来からの

人間の努力が認められる。デジタルの信号があるかないかで記録を操作し保存する方式、

即ちデジタル技術の本質は、はまさに信頼できない素材を使って信頼できる操作や結果を

確保する為の方法であった。自分は技術者時代の大半でアナログ技術とつき合ってきた。

そうして、電子情報通信学会を今年の3月で退会する事になっている。ほとんど読むことがな

かった学会誌を覗いたら、古いがまだ頑張っている技術が紹介されていた。まだその分野で

頑張っている技術者もいる。なつかしく感じた。やはり、生き延びる技術はそれを支える基盤

がある。それが無くなれば消えてしまうのか。一方では記録メディアの技術進歩で古いメディ

アにアクセスする手段・装置が無くなるとその記録の価値が無くなってしまう事、またその記

録にアクセス出来るようにするには膨大な量の記録をアクセス可能な媒体に変換せねばなら

ない事が今日の技術のジレンマとして紹介されていた。そんな、ことを考えながらここ1~2年

使っていないセレロン400M/HDD10Gのパソコンに残したデータにアクセスする必要が生じ

た。いざSWを入れるとWINDOWSのロゴ画面で止まってそれ以上進まない!仕方ないの

で、WIN MEの起動ディスクから作成しておいた起動CD-ROMで立ち上げたら、何とか

DOS MODEで立ち上がった。DOS MODEのSCANDISKとDEFRAGを行うと3つのクラス

ター破損が報告された。HDDに重大な支障があるという見慣れないメッセージも現れた。し

かし、何とかWINDOWSが立ち上がり、求めるデータを探したがそのデータは無かった。予

備パソコンであったので大方のデータは現用機に移してあった。現用機に残っているデータし

か無いことが確認できただけで有り難かった。ところが予備機からデータを取り込もうとして

現用機のUSBメモリーを取り外して予備機に装着した。用事の済んだUSBメモリーはズボン

のポケットに無造作に押し込んだ。いざ、現用機にそのUSBメモリーを装着しようとしたら、そ

れがポケットに無い!可動部のあるHDDよりUSBメモリーの方が信頼性があると思い自分

が作成した重要なデータはUSBメモリーにだけに保管していたのであるが、それを紛失して

記憶喪失のような空虚なやるせない心境に陥った。記憶を作る為に投入されたエネルギー

だけでも取り返せないほど膨大なである事を改めて痛感した。パソコンの記憶を失うのは、

壊れるときだけでなくその記憶パーツを紛失しても失うのだ。同時に壊れたり、同時に失った

りする確率が少ないという点では同じ物を二個以上用意した方が安全なようだ。そう言えば

特攻の兵士は飛行するとき何個かの時計を装着したという話を聞いたか読んだ記憶があ

る。昔のゼンマイ時計は止まったり遅れたりと余り信頼性が良くなかったらしい。二個の時計

が同じ時刻を指していれば問題ない。一方がD時間遅れた時は二個の平均値の遅れはD/2

時間だ。持っている時計がこの遅れる時計一個だけの場合、このDとD/2の時間が死活を決

める場合があるという事であろう。片道の燃料しか積まない特攻機の現実を思うと、やるせな

いが深刻な問題であったと理解できた。

2010年1月13日 (水)

スペクトラム拡散

2010/1/13

スペクトラム拡散

理工系の現象は数学との相性が良いようだ。数式で理論が表せる場合が多い。ある意味で

数式を理解することが理論を理解する事にも通じる。その基礎の部分に応用数学と言う教科

があった。その中にフーリエ変換というのがあった。これは情報通信理論の基礎でもあった

ようだ。今日の技術では、音も映像も時系列のデータとして扱われる。このデータをフーリエ

変換すると周波数軸上のデータとなる。こういう時間と周波数という二つの側面から一つの信

をとらえる事ができる。こういう見方をすると、音声より映像が格段に大量の情報量をもつ事

が分かる。そうして、この大量な情報を高速、確実、信頼性を保ち処理する事が技術の大き

な課題となった。アマチュア無線でも最初は電信、次ぎにAM電話、次ぎにSSBと技術が進歩

してきた。SSBの交信をAMで受信するともがもがして判読しにくくなるが、専用の受信機を

用すると正常な音声が受信出来る。ところが、軍用等の分野では交信の内容が傍受されな

いようにする必要がある。そこで登場したのがスペクトラム拡散のようだ。信号をばらばらに

刻んでノイズばかりのような広い周波数帯域の中にばらまく。普通に聞けばノイズばかりで信

号を探し事すら不可能だ。受信する時はその逆を行えば良い。スペクトラム拡という技術は

人工衛星を使った宇宙通信等でも使われたようだ。自分は実務上ほとんどスペクトラム拡散

等とは関係が無かったが、スペクトルを操作することにより新しい技術が生まれることを実感

した。インターネットもネット網を飛び交うパケットは細切れの情報になって送られる。ともか

く細切れな情報が間違いなく元の情報に確実に復元できることは凄いことではある。ところ

が、高齢になるとつくづく物探しの苦労が多くなる。特に管理分担や趣味が違う家庭では、相

手の物がガラクタに見えてしまう。そんな現場の物探しは大変だ。現実の世界をデジカメ等で

バーチャルの世界に変換してそこで物探しをして現実の捜し物の場所を発見するような技術

はあるのだろうか。自分が技術者時代に普及した計測器にスペクトルアナライザーという一

種の受信機がある。時間軸では見分けることが不可能なような極微少な周波数成分の存在

場所とその大きさも表示する測定器である。チューナで問題になり、その特性を測定するの

に苦心惨憺した、混変調、相互変調等が容易に測定できるようになったので、高周波分の技

術開発には威力を発揮できた筈である。残念ながらスペクトルアナライザーが普及する頃に

はチューナー関係の仕事から離れていた。 2002年ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏

はマススペクトル(質量分析)の研究者だと聞いて何か親近感を抱いた。横軸にあるパラメー

タ値をとり、縦軸にそれが出現する強さ、数量、確率等を取ると乱雑な事象を整理して見る

事が出来る。こういうことは、初心の技術者はいやとなくやらされた事であろう。自分も、

VHF/UHFトランジスタのPGやNFのヒストグラムを描いて歩留まりを推定した。卒研ではソニ

ー製だったか、エサキダイオードの電圧-電流特性を測定して負性抵抗を示すラクダのコブ

を再確認した。そういえば、電圧-電流特性を簡単に測定できるカーブトレーサーという測定

器も良く使ったものだ。ともかく何事も見えないものを見えるようにする事は未知の分野に踏

み込む第一歩でもある。そこに発明も発見もある。凡人にも色々なチャンスが巡ってきてい

るのかも知れない。

2009年11月15日 (日)

シリコンサイクル

2009/11/15

シリコンサイクル

景気に山と谷があるがそれを人為的に適正にコントロールする事にはまだ人類は成功して

いないようだ。朝鮮特需は、神武景気、岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気、列島改

造景気などと次々に起こった好景気の序章となったと言われるが、そのころ自分は小学生の

頃で好景気の有り難さを余り実感できなかった。特需のあった1950~1955年を振り返ると

確かにこの前半の生活では継ぎの当たった衣類を着た写真が残っているので生活が豊かで

ないことがはっきりしている。後半の生活では豊という実感は無かったがそこそこの生活がで

きていたのではないかと思う。オリンピック景気は、日本における1963年から1964年にかけ

ての好景気をいうらしいが、社会のムードは確かに明るい雰囲気があったように思う。オリン

ピックの招致が国力を反映していると考えれば、日本も国際的な一流国家になったという自

信が持てたのかも知れない。しかし、これも一過性のものであった。一方、半導体業界には

シリコンサイクルという好況が、オリンピックの開催年の四年毎に巡ってくると言われていた。

確かにそのような傾向が何年も続いた。従って、半導体の生産計画を立てるときはシリコン

サイクルの動向を見通して建てていた。当然、オリンピックは毎回開催国が変わるのである

から、半導体の需給がオリンピックに同期して世界的規模で変動した事を示していたと思わ

れる。即ち、当時の日本は世界の半導体需要をまかなう実力のある国であったと思われる。

しかし、半導体の生産能力を有する国が海外にも増加し、供給量が増大するとシリコンサイ

クルの重要性も余り言われなくなってしまったようだ。今日、21世紀の情報化社会を支えてい

るコンピュータ業界にほとんどのCPUを供給しているのがインテル一社になっているのも特

異な事実である。インテルの市場占有率が約80%、ライバルのAMDが約20%。結局アメリカ

勢がほぼ100%のシェアを押さえている。今日では半導体業界はシリコンサイクルとは無縁

になってしまったようだ。これは、一面では半導体の用途が非常に広くなり国際的な大型のイ

ベントに伴う需要さえも全体の需要の極一部に過ぎなくなったという事であろう。これは更に

経済の好況・不況の波の直撃を受けやすくなったという事でもあろう。

2009年11月13日 (金)

フロッピーディスク

2009/11/13

フロッピーディスク

最近では3.5インチ用のフロッピーディスクも影が薄くなった。店頭で探すのも大変になってい

る。他の記録メディアに駆逐されてしまった。コンピュータの記録メディアとして最初の頃に使

われたのがパンチカードであった。このパンチカードは入社直後に使った記憶がある。その

後は8インチのフロッピードライブが、1970年IBMにより開発された。容量は128キロバイトで

あった。最初はパンチカードの代わりに大型コンピュータへのデータ入力用メディアとして利

用され、その後は初期の8ビットや16ビットパソコン用としても1980年代後半まで使われてい

たようだ。会社でも製造や管理のデータ保管用に使っていた。一般の人がフロッピーディスク

を使うようになったのはPC9800やその互換機でFDが使えるようになってからであろう。5.25

インチサイズで雑誌の付録でソフトの配布が行われるようになった。DOS/Vの3.5インチの

FD/FDDの標準化に関してはソニーの貢献が大きかった。ソニーにとって3.5インチの

FD/FDDの標準化の推進は事業としても成功であったと思う。βの教訓が生かされたのであ

ろうか。記録密度はDVDで更に向上し、次世代DVDの規格戦争ではブルーレイ(BD)陣営

対HD-DVD陣営が戦った。結果はソニーと松下が担ぐブルーレイ陣営が勝利し、東芝が同

分野から撤退を発表した。東芝はHD DVD事業の終息についてという2008年2月19日付け

のニュースリリースで、当社は、これまでHD DVD規格に基づいたプレーヤー及びレコーダ

ーのグローバルな事業を展開してまいりましたが、本年初頭の大幅な事業環境の変化に際

し、今後の事業戦略を総合的に検討した結果、同事業を終息することを決定いたしましたと

発表した。戦争の傷跡が余りに深く広汎に及ばない時期における撤退という判断にはそれな

りの意義はあるだろう。デファクトであろうとなかろうと規格は争って決めるべきなのか協調し

て決めるべきなのか。競争が無くなれば技術の進歩も無くなるのか。まだまだ、考えさせられ

る事が多い。

2009年11月 7日 (土)

β 対 VHS 戦争

2009/11/7

β 対 VHS 戦争

業界の方式戦争は幾つも印象に残っている。それだけ、市場での生き残りが大変な時代に

なってきた事の反映かも知れない。結局はパイの奪い合いである。生産力は市場のニーズ

を満足させるレベルに直ぐ追いついてしまう。それが世界的な規模で起こってしまうのが現在

の市場経済の冷酷さである。ビデオテープレコーダーのβ陣営 VS VHS陣営の市場戦争は

特に強い印象が残っている。ビデオテープレコーダーはテレビの録画で使われた部分が大き

かった。リアルタイムの放送のタイムシフト装置でもあった。従って、もう一台のテレビ機能が

VTRには不可欠であった。自分が開発に係わったVIF用集積回路はβにもVHSにも共通で使

えるのでTVとVTRの両方の市場で受け入れられた。ソニーのカセット型ビデオテープレコー

ダ(VTR)規格の1号機(SL-6300)は、1975年5月に発売されたとの事である。そうして、戦

争の結果ベータ方式の盟主のソニーも2002年に生産を終了し、ベータマックスは市場から

姿を消した。人間の一世代に相当する約30年の製品寿命であった。ちなみに、ソニー製ベー

タマックスVTRは日本国内で累計約400万台(全世界で累計約1,800万台)が生産されてい

るとの事である。VHS陣営の勝利が決定的になった1984年、「ベータマックスはなくなるの?」

という新聞広告を載せた。この広告だけは印象に残っていたが、TVコマーシャルか新聞広告

かはっきり思い出せなかった。自分にとっては撤退声明のようにも思われた。一方自信の表

れのようにも感じた。ともかく、盟主は機長や船長と同じように最後まで現場に留まった。

1988年、ついにソニー自身もVHSの発売に踏み切ったが、ビジネスとしてはまだVTRの市

場は捨て難かったのであろう。βに投入した人・物・金はVHSにも十分転用出来るし、そうす

べきであるという判断があったのだろう。一時代を画する魅力的な商品は簡単に生み出せな

い。市場に送り出すための助走が必要である。ともかくVTRは映像を自在に操作する手段を

与えてくれたのであり、TVという受動的なメディアを土台にして、能動的なユーザーを作った

意義は大きいであろう。

2009年11月 6日 (金)

学歴無用論

2009/11/6

学歴無用論

末は博士か大臣か。明治期の出世双六の上がりを言ったものだろうか。明治社会は武家政

治を否定したのだから、あながちこのスローガンガ的はずれでない事は確かだと思う。武力

より知力が優先したようだが、教育制度と庶民の学力の点では戦前と戦後は雲泥の差があ

ったと思う。高校、大学への進学率が戦後から上昇を辿ってきたという事実は学歴が実社会

の待遇上重要な位置を占めていた事を語っているであろう。従って、より良い待遇を求めて、

高校、大学への集中が起こる。それを乗り切るのが受験戦争であった。少子化で高校、大学

の定員割れが起こっている現在もまだ学歴社会は健在であるようだ。そんな、受験戦争が真

っ盛りの時代に、ソニーの盛田昭夫が学歴無用論を出版したので、一躍脚光を浴びた。調

べると、1966年(昭和四十一)年のことであった。しかし、今振り返ると話題性はあったが、実

際はどうであったのか気になる。確かに、学歴とは無関係に優秀な人材を見つけだし、使え

る人材に仕上げる能力があれば、企業は成長軌道に乗せられるだろう。そのためには、優

秀な人材を発掘する能力が必要な事は言うまでもない。中国の故事に「世に伯楽あり、然る

後に千里の馬あり」というのがあるが、ソニーにはその伯楽がいたと言うことなのかもしれな

い。確かに、大学の学問は四年間で終わる。その後何もしなければ四年間で元の木阿弥に

なってしまうだろう。結局、学歴無用論とはメッキより地金が重要だという人材論であったので

はないか。学歴というメッキだけを見ていては地金が見抜けない。地金にも色々ある。良い

地金を選んで叩き直せば良い仕事が出来る。実践面ではこの地金の叩き直し方にソニーの

ノウハウがあったのではないか。

2009年11月 2日 (月)

ゼネラリスト

2009/11/2

ゼネラリスト

今日はスペシャリスト・専門家全盛の時代となっている。これを裏返せば分業の時代で、餅は

餅屋に任せれば良いと言うことだろう。長いいくつもの工程が必要な仕事も分割すれば色々

な利点が生じる。自動車等の工業は分業のメリットが最大に発揮されている。しかし、これを

設計、試作、生産等の工程を単独でやるとなると大変である。単独事業の場合は、関連する

膨大な知識や技術が無いと一つのまとまった事ができない。従って何か事業をやろうとする

とスペシャリストをかき集めるのが手っ取り早いという事になる。ゼネラリストが必要だと叫ば

れた事もあるがゼネラリストが居座る場所がほとんど無いのが実状だろう。ところが、スペシ

ャリストの分野が余りにも狭くなるとその専門性が時代の流れから外れてしまう。結局、仕事

や能力はある程度の幅が必要になるようであもある。逆に、専門性を突き詰めてゆくとある

種の一般性に遭遇するのも事実だろう。所詮、人間のやる事は人間という存在を介してやる

以外にない。人体こそ究極の汎用を秘めた機械かも知れない。ゼネラリストとして人に仕え

る必要はない。しかし、スペシャリストは何らかの意味で人に仕える面がある。単なる他人に

使われるスペシャリストに留まる事無く、自分の意志に基づき分野の境界を越えて自分の仕

事や使命を追及する中にゼネラリストとしての要素があるのかもしれない。スペシャリストも

ゼネラリストも横文字だから迷ってしまう。仕事の分類からは一般職と専門職と言えば良い

のかもしれない。一般職は潰しが効くが専門職は潰しが効かない云々。結局、専門馬鹿は自

戒する必要があるが、仕事や職業の分類は便宜的なものでそれにこだわる必要はなかろ

う。

2009年11月 1日 (日)

パスカル

2009/11/1

パスカル

WIKIPEDIAで調べてみたら圧力の単位として説明されていた。パスカルと言えば「人間は考

える葦である」という言葉を第一に思い出す。パンセの一節である。パンセは古典として少し

かじったがとうてい読み通せなかったようだ。今日ではパスカルで検索をかけるとコンピュー

タ言語とかが上位に現れてくる。物理ではパスカルの原理を習ったと思う。名前は何かと更

に検索してようやく、WIKIPEDIAのブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 -

1662年8月19日)にたどりつく。フランスの数学者、物理学者、哲学者、思想家、宗教家とあ

る。今日の職種・職業名で示すとまさにマルチタレント。逆に今日では専門が余りにも分化し

すぎてしまっているとも見える。専門化は飯を食うために他人より秀でる手段に過ぎないのか

もしれない。パスカルは神と人間の関係も追求したようだ。パスカルの信仰の基礎にはキリ

スト教があるようだがキリスト教も一枚岩ではない。絶対的な摂理である神と相対的な存在に

過ぎない人間。神と真剣に真摯に対峙した結果色々な成果が生まれたのかもしれない。パス

カルは機械式計算機の構想・設計・製作もしたので技術者でもあった。パスカルは「パスカリ

ーヌ」と名付けた計算機を53台制作したが、信頼性が低く一台も売れなかったらしい。しか

し、これはパスカルが当時のベンチャー企業家の一面も持っていた事も示す。今日のコンピ

ュータにパスカルが現れても不思議はなかった。圧力の単位もパスカルの名前を永く留める

ために定められたのであろう。歴史にもしは禁句であろうが、今日パスカルが生きていれば

何をしたろうか。

2009年10月27日 (火)

オートメーション

2009/10/27

オートメーション

二十年間つとめし後にきたりしものオートメーション化と停年    角谷桐松

昭和万葉集巻11 昭和30年~31年に採録された短歌の一つ。終戦十年後頃の作品であ

る。既にこの頃からオートメーション化が始まっていたのであろう。まだ小学生の頃でオートメ

ーションについては何も知らなかった。オートメーションの普及は技術の進歩とともに範囲が

広がっていった。肉体的な労働から知的労働までが対象になっていった。オートメーションも

立場により色々な見方ができるだろう。仕事を追われた人、新しい仕事に転身した人。さまざ

まであろう。初期のオートメーションは製造・加工業のベルトコンベアー方式の自動化が多か

ったのではないだろうか。まだ、製造システムの中には機械と連動する労働力は必要とされ

ていただろう。しかし、機械の方が高度になるとシステムの中の作業者自身が作業精度や速

度等の点でじゃまになってしまう。もはや、直接的な労働には人力が不要になってしまう。半

導体チップの測定や組立では位置合わせ等の高度な作業もほとんど自動で行われる。人間

の眼の代用はCDDセンサー等で行う。機械がの動きがコンピュータの活用でどんどん高度

になってゆく。今日オートメーションは当たり前の技術になっているが侮れない部分が多いと

思われる。デザインオートメーションで設計作業もコンピュータに大幅に依存する時代となり、

オートメーションという概念自体がすでに古くなってしまったのかもしれない。

2009年10月15日 (木)

松下幸之助

2009/10/15

松下幸之助

松下電器産業株式会社は2008年10月1日をもって社名を『パナソニック株式会社(英称

Panasonic Corporation)』に変更した。これで、創業家の松下が社名から外れた。松下幸之

助の創業が1917年(大正6年)6月 であり、最初の事業が電球用ソケットの製造販売であっ

た。振り返ると、家電の基礎の一つがが照明、電灯にあるようである。最近、家電量販店に

行ってみると、照明関係の商品はパナソニックが独占の状況であった。社名から松下が消え

るまで約90年間、見方を変えれば松下幸之助の思想が直接的に生きてきた期間であろう。

戦前に一時、軍事産業に参入したようだが、松下幸之助は一貫して商人に徹してきたように

思われる。色々な書物で紹介されたりしたので、松下幸之助の逸話や業績は広く知られてい

ると思う。ユニークなのは松下政経塾であり、塾の卒業生も最近では各界で活躍しているの

を見る。また、松下幸之助の経営理念に水道哲学と呼ばれるものがあり、生活の基礎となる

物資を水道の水の如く安価に豊富に供給するのが産業人の使命であるとするものであっ

た。大量生産・大量消費は二十世紀文明の特長であったのは事実である。このため価格の

低下も進んだが、体力のない生産企業は淘汰され、数社から十数社の巨大メーカーのみが

生き残る結果になったのも事実である。人生の大半を家電業界に置くとなかなか客観的に物

事を見る事ができない。会社が大きくなると事業全体を見渡すことさえ難しくなる。松下電器

産業がコンピュータ事業に本格参入しなかった事も記憶に残る。かつての主要コンピュータメ

ーカーの現在の姿を見るとそれが正解であったとも考えられる。最終的な経営判断は経営

哲学に影響を受けるのは当然なのであろう。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)