04A_寝言老人が幼少の頃

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2008年11月30日 (日)

ながめの菊見物

2008/11/30

ながめの菊見物

幼少時の家族旅行の思い出はほとんど無い。学校の遠足や修学旅行が遠出をする主な機

会であった。他に子供会による団体旅行もあったかもしれない。ともかく、家族と行ったとお

ぼろげながら覚えているのはながめの菊の見物である。菊人形を見て何か異様な感じを受

けた。他にも見せ物があったように思う。ながめ余興場の紹介によると、「余興場では、芝

居、浪曲、歌謡ショーなどが行われ、一大興行地になりました。昭和30年代に最盛期を迎

え、菊人形展の時期10月11月には、2ヶ月間で30万人もの人手で賑わい」があったらし

い。振り返ってみると、ながめに行ったのはその最盛期の頃であったようだ。市外の行楽地

への旅行なので学校行事では無かったと思う。団体旅行か家族旅行か定かではなが、親と

連れ添って出かけた数少ない旅行が大間々のながめであった。行楽地も時代の流れにより

浮き沈みがある。当時のながめの見物は親の立場からは子供達への大サービスであったの

かもしれない。

2008年11月28日 (金)

自転車の三角乗り

2008/11/28

自転車の三角乗り

自分が乳母車に乗ったり、カタカタという押し車を押した記憶はない。しかし、カタカタという押

し車 の事は覚えている。車を押すとカタカタと音がする仕掛けが付いている。弟や妹が使っ

たのを見ていた記憶なのであろうか。子供用の補助輪付きの自転車を買ってもらったのは小

学校に入学の前後であったような気がする。慣れてくると補助輪を取り外す。乗り出すときの

補助は父がしてくれた。子供用の自転車が身体に合わなくなると大人用の自転車に乗り換え

る事になる。中間の大きさの自転車は無かった。仕方ないので三角乗りをする。三角形のフ

レームの中に足を通してペダルを踏むのである。これも幼児から少年期へと過渡期の自転

車漕ぎであった。サドルに座れない位の身長でも大人用の自転車を乗りこなした。こうなる

と、行動半径が広がりあちこち乗り回すことになる。中学生になると自転車通学も許された。

叔父さんに聞いた話であるが、昭和の初期に通学用に自転車を買ってもらったのは裕福な

家庭の極わずかな人だけだったとか。それも、高等学校の話である。

2008年11月26日 (水)

古屋の風呂炊き

2008/11/26

古屋の風呂炊き

自分が生まれ育った家は築100年位経ていたと思われる藁葺きの中二階で櫓が付いてい

たように思う。新築時は茅葺きと思われるが、茅が無くなると麦藁が代用された。さすがに

くたびれた家で、すきま風と雨漏りには悩まされた。間取り、構造は養蚕を考慮して作られて

いたようだ。客間でも蚕を飼ったことがあった。中二階は上族(じょうぞく)、繭作りに使われ

た。とぶ口(玄関)を入ると南北の土間の通路で裏庭に通じていた。家の南東の一番いい場

所が馬小屋であった。終戦直後はそこに馬がいたとのことだ。その馬小屋の一角が風呂場

になっていて、木製の風呂があった。この風呂桶に、両手にバケツを下げて水を運び、湯を

沸かすのが子供の仕事であった。井戸ポンプで水を汲み上げ、長い土間通路を通って水を

何回も運ぶので大変であった。それがほぼ毎日なのだ。水を入れた後、かまどに火をおこし

湯を沸かす。これも時間がかかる仕事である。地域に共同風呂ができたり、自家水道と太陽

熱温水器が導入されてこの風呂炊きという仕事から解放された。親たちが汗を流して野良仕

事をしているのだから子供の風呂炊き位は当然という時代があった。

2008年11月24日 (月)

人形浄瑠璃の思い出

2008/11/24

人形浄瑠璃の思い出

「ととさまの名は~、ははさまの名は~」。これは自分が幼少の頃に曾祖母から聞いた物語

の一節の記憶である。色々の記憶を辿ってようやく掘り起こした記憶。消えかけ寸前の記憶

である。前後関係も、何時のことか、何のことかも分からない。曾祖母は自分の子守役であ

った。もしかしたら、地方巡業した浄瑠璃の一節ではないかと、思い出した一節と浄瑠璃とい

うキーワードでネット検索してみた。常北システムの「人形浄瑠璃 真壁白井座 傾城阿波の

鳴門 」の開催の記事が見つかった。解説の一部を引用させて頂く。

**************************************「父(とと)さまの名は阿波の十郎兵衛、母(かか)さまはお弓と申します」
両親を探し歩く巡礼姿のお鶴、お弓は話を聞いて実の娘と気づきますが、名のってはかえってお鶴に難儀がかかると、髪を直して泣く泣く追い返すお弓。
でも、思い返してあとを追うのでした。
阿波人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」の有名な一節です。                     **************************************

見つけたキーワードで再検索するとビデオがみられた。

http://www.joruri.info/movie/01.html

この冒頭のせりふに「巡礼に御報謝」というのがでてきた。そういえば「じゅんれいにごほうし

ゃ」という言葉も聞いた覚えがあるなと記憶がよみがえる。しかし、物語の筋も、意味も分か

らなかった。この浄瑠璃のビデオを見ると親子の情とそれがかなえられないという葛藤が人

形を通して見事に表現されている。そうか、曾祖母もこの浄瑠璃を見て感動し、ひ孫の子守

歌代わりに語ってくれたのかと今となって思う。

2008年11月22日 (土)

アイスキャンデー屋

2008/11/22

アイスキャンデー屋

昔の夏の風物詩と言えばアイスキャンデー屋を思い出す。冷たいものといえば井戸水に浸け

て冷やしたスイカとアイスキャンデー位であった。まだ、冷蔵庫が普及しない時代であった。

裏の細い道をアイスキャンデー屋がチリン、チリンと鈴を鳴らしてくる。アイスキャンデーは自

転車の荷台に積んだ箱の中に入っている。その脇に小旗が立っていたりする。通り過ぎない

うちにアイスキャンデー屋を呼び止めて垣根越しにやり取りをする。同じように、豆腐屋、納

豆屋もまわってきた。豆腐屋はププーとラッパを鳴らした。これがトーフーと聞こえるのだから

ラッパが豆腐屋の合図になったのもかしれない。納豆の方はナット、ナットーと肉声であた。

豆腐の場合は垣根越しにどんぶり等を差し出して入れてもらった。まれには金魚屋も来た。

こちらは、天秤で桶をかついで来たと思う。中身であるが、アイスキャンデーは砂糖水に色を

付けて凍らせたようなもので割り箸のような棒がついており、それを持ってペロ、ペロなめる。

納豆は木を薄く削った経木に包まれていた。豆腐は丸裸であった。今から見れば包装は必

要最小限で省資源が徹底していたようだ。むしろ、包装する資材も設備も無かったし、買う方

も安い方が良いのでそういう状態だったのだろう。このような商売の原点というような物売りも

時代の流れの中に消えていった。

2008年11月19日 (水)

父が買ってくれた野球道具

2008/11/19

父が買ってくれた野球道具

幼児から少年期にさしかかると遊びも遊び友達も変わってくる。野球も一般人が親しむのは

テレビ中継が始まった事による功績が大きいのではないか。子供の世界でも野球の人気は

高い。プロ野球と高校野球が野球人気の源ではなかろうか。幼少時は人数が少ないときは

キャチボールや三角ベースの草野球をした。バットも竹や木の棒等で代用したように思う。そ

れが段々本物が子供の世界にも入ってくる。中には皮のグローブを持っている子供も出てく

る。その皮のグローブに丁寧にワックスを塗っている姿をみると自分も無性に皮のグローブ

を欲しくなった。そうして、父に野球道具を買ってくれと直訴した。なんと、父が買ってきてくれ

たのはプラスティックのバットとビニールのグローブであった。幼いながらこれには愕然とし

た。しかし、そろそろ分別が付き始めてきた頃なので父の気持ちも理解できないわけではな

い。多分、今から思えば父が当時の子供の世界の事情など知る由もなかったろう。自分も皮

のグローブとまでは言わなかったのだろう。ともかく百姓仕事を休んで、出せる範囲の金で

息子のために野球道具を買ってきてくれたのである。野球解説者の小西得郎氏の「何と申し

ましょうか」という小西節といわれる名言(迷言)をふっと思い出した。野球のボールが選手の

急所に当たった時にとっさに出た言葉だそうだ。父の野球道具の買い物も何とも言えないほ

ろ苦い記憶ではある。

2008年11月18日 (火)

「の」を「も」と読み始め

2008/11/18

「の」を「も」と読み始め

文字は教えられて覚えるのか。自発的に覚えるのか。チンパンジーも文字を理解できるとの

ことである。今日ではテレビ等映像機器が発達し幼児が文字に接して文字を小さいときから

読めるようになるのではないかと思う。自分が文字を文字として読んだと記憶しているのは

幼少時に屋外の便所に入って、尻拭き用の新聞紙をじっと見ていて「の」という文字を「も」と

解読した時であった。新聞には「の」という文字が多く現れ、これも、これもという意味で「も」

と読み始めたのが文字を文字として自覚的に認識した最初の時である。結局、自分勝手の

対応付けであったので間違いであった。しかし、不思議と「の」を「も」と読み始めたのが、自

分の文字の読み始めであることを忘れずに覚えている。なぜ覚えているのだろうかと考え直

してみると、新聞上の活字を自分の知っている発音に結びつけるという一種の暗号解読のよ

うな作業をして対応付けに成功したと思ったからなのではないか。世間の正字法という対応

付けでは間違いなのであるが、ある意味の分からない記号の「の」を「も」という発音に結び

付けたということは新しい発見であり、その発見という事実が自分の成功体験として頭に残っ

たのではないか。この成功体験という意味づけは数十年前の自分の失敗を前向きに考え直

して中期高齢者になって初めて考えついた新しい発見であった。ともかく、失敗の中にも別の

意味づけによれば成功体験が含まれている。楽しく有意義な失敗をして新しい発見をしたい

ものだ。これはと思いついたことはやって見るに如かずである。結果は後からついてくる。

2008年11月17日 (月)

キンダーブック

2008/11/17

キンダーブック

幼少の時どんな本をよんだのだろうと漠然と考え事をしていると、ふっとキンダーブックという

絵本を思い出した。具体的な本の中身は思い出せないが、表題だけは思い出した。調べて

みるとフレーベル館が発行している日本で初めての保育絵本で、平成19年に創刊80年に

なったとのことである。書店は家から遠く配達区域外だったと思われるので、多分幼稚園で

希望者に購読させていたのではないかと思う。幼少の頃は遊ぶ事に、事欠かなかったので

絵本に熱中する程でもなかったかもしれない。それでも思い出したのはなぜか。自分の子供

にも買い与えたことがあったのか。ところが、自分の子供に読ませた本はあまりよく覚えてい

ない。混同しているわけでもないと思う。ともかく幼稚園のころの記憶はあいまいな事が多く、

思い出せる事も少ない。当たり前だが、自分が文字を読めたとはっきり認識出来るのは小学

一年生になってからである。国語の本の一節を暗唱するまで読んだことを覚えているので、

これは確実であった。多分月刊の保育絵本があったのだから誰かに読み聞かせをして

もらった事もあったとおもう。それが思い出せないのは申し訳がないような気がする。

2008年11月14日 (金)

井戸がえ

2008/11/14

井戸がえ

水がないと生活は一時も成り立たない。上水道が開通して水の苦労もほとんど無くなった。

実際に自分が井戸水を使って仕事をさせられた時は手押しの井戸ポンプを使用した。その

後、その井戸に電動ポンプを付けて手押しの井戸ポンプは引退した。この自家水道は現在

も現役で働いている。手押しの井戸ポンプの前は多分つるべ式の井戸ではなかったかと思

う。幼少で井戸の口が開いていて危険なので近づけないようにさせられてたのか記憶が定か

でない。しかし、井戸替えというものがあって、近所の人たちに手伝ってもらい、井戸水をくみ

出して、ゴミや泥を清掃する行事があったのを覚えている。井戸の口が開いているので、ゴミ

や虫や埃が入り込み、放置すれば井戸が使えなくなる為に清掃をした。井戸の中では鯉等

の魚を放っていた。井戸に落ち込んだ虫等を食べさせた一種の掃除屋であったようだ。電動

ポンプ設置後は井戸の開口も閉じてしまったので井戸替えは一度も行われていない。それと

共に井戸の存在も忘れがちである。ある時、寒波で自家水道の塩ビ配管に亀裂が生じ漏水

した。何とか故障部分を見つけて自分で修理した。どんな井戸でも大地震等万が一の災害

の場合にあれば心強い。そのためには修繕しながら使い続けることも必要だ。

2008年11月 9日 (日)

ヨイトマケの記憶

2008/11/9

ヨイトマケの記憶

ヨイトマケという言葉をいままでほとんど意識しなかった。家を建てるとき地固めの為に行う基

礎工事である。母によれば、自分が3~4才位の幼児の頃の話らしい。おじさんの家が建つ

ので丁度、地固工事が行われており、その工事のかけ声をまねて遊んでいたという。そのま

ね声が「えーんじゃら」とかだったようだ。数人の作業者が滑車のついた綱を一斉に引っ張っ

て大きな重い槌をドスンと地面に落として地固めをする。母もその作業者の一人だったかもし

れない。その後しばらくはこの工法が使われたが、徐々に姿を消した。そうして、子供の世界

でも、何かかけ声をかける時「かーちゃんのためなら、えーんやこら」というかけ声が使われ

ていた。さて、このような工法は何というのかを調べるうちに、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」に

行き当たった。その冒頭の歌詞は、

父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに  エンヤコラ

である。多分このかけ声はヨイトマケの唄が出る前よりあったのだろう。実は美輪明宏の「ヨ

イトマケの唄」も聞いた記憶がない。土方という言葉がけしからぬと不遇な扱いを受けた歌だ

ったらしい。当時は失業対策事業で道路整備の仕事をする労務者がニコヨンと呼ばれてい

た。日給が二百四十円だったからのようだ。こういう言葉も経済の高度成長とともに消えてし

まった。自分が過ごした学生時代は丁度こういう経済発展にさしかかった時期であった。自

分のヨイトマケの記憶は母がいなければなかったのかもしれない。ひょっとすると、工事現場

まで遊びに連れていったのは曾祖母であったのかもしれない。祖母はまだまだ現役で誰にも

負けずに頑張っていた。孫の子守をする役は無かった。母の記憶を通して当時の記憶を再

体験しているのだろうか。「かーちゃん、太陽は火かい、月は水かい。」と聞いたのはヨイトマ

ケの記憶よりもう少し後で好奇心が盛んになった就学前頃であったろう。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)