05B_会社生活断面記

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2011年4月11日 (月)

会社生活断面記:東北生まれの元職場の同僚はどうなったのか

2011/4/11
昨日の朝晩オートバイの空ふかしの音が耳に響いた。日曜日である、気候が良くなった、ガソリン事情も好転、東北関東大震災も遠のいた等の要因もあるかもしれない。何か見えない物による抑圧から解放されたいという気分がそのような行為を誘発している面もあるかもしれないが。数台のグループのようで、暴走族とは言うまいが端迷惑ではある。

群馬県議員選挙の結果が出た。群馬県民は投票した一票に何を託したのであろうか。
平成23年4月10日の県議選(伊勢崎市)
投票率:41.67(男) 42.42(女) 42.05(計)

前回の群馬県議選挙結果は以下の通りだった。
平成19年4月8日執行
群馬県議会議員選挙投票結果(伊勢崎市)
投票率:48.03(男) 49.78(女) 48.92(計)

投票率の低下は何を意味しているのか。少しは向上するのかと期待をしたが。

昨日の天気

TAVE= 13.2
TMAX= 18.4
TMIN= 6.9
DIFF= 11.5
WMAX= 3.3
SUNS= 5.9
RAIN= 0

会社生活断面記:東北生まれの元職場の同僚はどうなったのか

本日で平成23年3月11日東北地方太平洋沖地震発生から1ヶ月となった。警察庁発表の3/10現在の東北関東大震災の死者:13,013人、行方不明者:14,608人、負傷者:4,684となっていた。福島第一原子力発電所の原発事故による放射能が行方不明者の捜索を困難にしている面が大きいようだ。行方不明者の捜索も時間との戦いになるだろう。行方不明者の捜索にあたっている人々は行方不明者の声なき声を励みとしているのではないか。頭が下がる。自然に涙が出る。頑張って頂きたい。会社生活も、一面では全国各地からの出身者の交流の場所であった。東北生まれの同僚も数名いた。一番記憶に残っているのが、Uターンで郷里に帰って就職したA君の事だ。専門の経験と技術を持つ技術者が退職するとその影響は大きい。何とか引き留めようとしたがUターンの決意は固かった。自分の会社生活で初めて退職決裁書を書いた。その後の会社の流れを振り返ると、万事塞翁が馬の譬えのようである。郷里で従事した仕事の詳細は知らないが、当時の話の中でプラント関係の仕事だと聞いた覚えがある。プラントとは大規模の工場施設等を意味するだろう。そうすると、化学プラントや発電所等でも仕事をしていたのだろうか。原発関係のしごとはどうだったのか。地方分権と色々な議論が盛んであるが、地元で就職が出来る地元産業の育成こそ地方分権の原点ではないか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:日々の流れ

歌題=日々の流れ:

■肯定も 否定も忘れ 山に樹を 伐りて歌よむ ありし日の夫  35 木村 妙子

ありし日の夫が、山で樹を伐り歌を詠んださまが、肯定も否定も忘れるほどの一途さだったようだ。

追記:今、この歌を読み直して、文面通りの受け止めしかしていなかった事に気付いた。「肯定も 否定も忘れ」とは一途さともとれるが、林業という息の長い仕事を運命として受け入れて黙々と仕事をしている姿が浮かんできた。自分が植林した樹木は次の世代が伐る。今、伐っている樹木は先代が植林したのかもしれない。しかし、運命として受け入れて云々でも言い足りないような気もする。作者は「肯定も 否定も忘れ」という中に夫の人生の全てを投影させているようだ。

2010年11月 4日 (木)

会社生活断面記:うっとこ

2010/11/4

会社生活断面記:うっとこ

大阪駐在中の勤務先は京橋営業所。別の部門から大阪駐在になり、この営業所で面識を得た技術者がいた。彼氏がよく使う言葉に、「うっとこ」という言葉があり、頻繁に口から出てきた。話の流れから大体の意味は分かるのだが、改めてその意味を聞くのも気が引けてついつい今日まで至ってしまった。

インターネットで調べると、京ことばで「私のところ、わたしの家、*うちとこ=うっとこ」という意味だそうだ。和歌山弁でも「私の家、組織」という意味だそうだ。関東ではわざわざ「とこ」を付けずに「うち」で通じる。それが「うちのとこ」というような言い回しになると、どうもマダルッコイ感じになってしまうので、それはどういう意味かと思ってしまう。彼氏は大阪人のようなので、近畿地方では「うっとこ」は大体通用しているようだ。

関東と関西では語法に微妙な違いがあるようだ。関東ではずばり言いたいことを言ってしまう傾向が強いように感じる。ところで日本語の「うち」には「家」と「内」の両方の意味があるようで、自分の所属している組織を「うち」という場合も多い。日本人同士ならばこの「うち」は何とか通じるが、欧米人との意志疎通では自分の家と自分の所属する組織は別々の表現にしないと通用しないのではないかと思った。

追記1:日本人は組織への帰属意識が強いのだろうか。その組織の最も基本的な原型が家族だろう。そこでは「家」と「内」は同じような物。「うち」にいれば、気心が知れているので気ままが許され、くつろげる。「そと」に出れば何かと制約等が多い。現役を引退して不便に感じるのが、名刺に記入するような肩書きが無いこと。肩書きは所属意識を代弁してくれる便利なツールだ。日本人は名刺好きのようであるが、ビジネスで会った外国人も名刺は必携でのようだが、外国人の組織への帰属意識はどうなのだろうか。欧米では、有能な技術者は、より待遇の良い条件を求めて転職するのが一般的。職場以外のコミュニティがしっかりしているのだろうか。

追記2:アメリカの中間選挙の結果が判明した。下院は共和党が過半数の議席を奪還。上院は辛うじて民主党が過半数を維持した。今回の中間選挙は歴史的な与党の大敗となるようだ。上下院で与野党が相対するのは日本と同じねじれ現象。ここまで接近するのはやはり、二大勢力共に決め手がないのが原因なのか。経済、国力の低下がそのマグマとしてあるのだろう。今後、世界はどのように動くのか。

2010年11月 3日 (水)

会社生活断面記:大阪の心(不思議地蔵)

2010/11/3

会社生活断面記:大阪の心(不思議地蔵)

大阪駐在を命じられて、泥縄式に<大阪学>に飛びついたような記憶がある。もう十数年前の事なのだが、その流れを汲んだのか群馬県でも県立女子大が<群馬学>の研究に乗り出そうとしているようだ。地域学というのは地域の特異性だけでは説明がつかないで、やはり歴史に踏み込む必要があるようだ。

駐在中に気になっていた駅前の祠のことがふと思い出された。大阪の会社の工場敷地内にも赤い鳥居がありお稲荷さんか何かが祀ってあるのには驚いた。確か、1986年に竣工された大阪ツインタワーの周辺施設にも赤い鳥居があったような記憶がある。この大阪ツインタワーで出張の待合いの時間に見たと思う。民家の屋敷内部にも小さな祠があるのを見た。そこに灯明が点っているので、やはり神仏が大阪人の生活の中にあるような感じがした。

その代表例が、大阪のあるJR駅前の小さなスペースに祭られていた祠であり、いつも線香の煙が漂っていたことも懐かしく思い出した。駐在の社宅の行き来に使う駅なのでその光景は何回も見ていたのだが、ついに手を合わせることは無かった。最近、インターネットで調べると、それが不思議地蔵と呼ばれて、地元の人に親しまれている事が分かった。

その紹介文は「不思議地蔵とは、何でも願い事が叶うところから名づけられたらしい。由来記によると、昭和二十七年に地元の女性の熱意で、天王寺の六大院から分身の付与をうけてこの地に奉られたとある。」と伝えている。確かに、それ程古いとは言えないかも知れないが、それが毎日大勢の人が通行する駅の一角にあるのだから上州人には不思議な光景に見えてしまったのである。「何でも願い事が叶うところから」といっても、いきなり大きな願い事ではなく、日々の小さな願い事が叶うように願っているから生活の中にそれが生きてくるのであろうか。大阪は商人の町であり、お上を信じるより、神仏を信じた方が合理的であったのだろうか。上州では神仏が生活のなかにあるのだろうかとふと思った。

2010年2月17日 (水)

成果主義

2010/2/17

成果主義

仕事の報酬の基準は何だろうかと考えることがある。肉体労働の場合はアウトプットがはっ

きり確認できる。従って、出来高払いの時は、報酬はアウトプット量X労働単価に比例するだ

ろう。時間給の場合は当然報酬は労働時間X労働時間単価ということになるだろう。給料をと

ろうとする労働者はどちらの支払い方式を選びたいと思うだろうか。能力があり意欲を持って

より多くの報酬を得たければ前者を選ぶだろう。しかし、多数の労働者を雇用していると、出

来高払いの労務管理は困難になるだろう。仕事によっては、雑に扱って報酬は多く払わざる

を得ないが、成果の質が劣ってしまう場合があろう。結局、長期的な雇用の場合、時間給を

基本として、アウトプットの質の面では賞与や手当で報いてきたと言うのが日本の労働慣習

であったようだ。ところが、景気の後退、需要の低迷等で企業の財務体質が弱くなり、人件費

コストを削減するために打ち出されたのが成果主義という労務政策であったのではないか。

肉体労働の場合は成果主義を掲げても異論は無いであろう。給料というインプットに比例し

たアウトプットがあるのは明らかだ。しかし、現在は間接労働、知的労働の時代になってしま

っている。労働のアウトプットがどこに、どのように出るのかさえ確定するのが困難な時代に

なっている。成果主義のお題目は目標を立てて、その目標の達成度により、人事評価をする

ことにあるようだ。結果として、長期的課題とか、困難な課題は目標から外されて、上司が評

価するであろう課題で、部下が達成できそうな課題だけが目標になりやすい傾向が生じてし

まった事例が多いようだ。ともかく、専門化して、部下の仕事を上司が適正に判断する事も難

しいのが実状である。上司が厳しく成果主義を徹底すれば部下は離反する。結局、なあな

あ、まあまあという煮え切らない状況となる。高度成長の時代は仕事は山ほどあった。残業、

休日出勤は当たり前であった。その中には無休の仕事もあった。手当を翌月に繰り越して

も、到底消化できる量ではなかったと思う人も多いのではなかったか。そのようにがむしゃら

に働いたのはどういう動機であったろうかと思う。その基本には仕事に対する愛着感と責任

感があったのではないか。やはり、仕事には大きな波がある、そのような時に出勤すれば、

いつか報いられることがあるかもしれないという期待感もあったかもしれない。仕事が無く、

自宅待機という苦しい時期もあった。成果主義も適正に運用されれば適正な成果が得られる

であろう。そのためには、労使が時間を掛けてその制度を企業文化になるまで磨き上げる必

要があるのだろう。

2010年2月15日 (月)

宮仕え

2010/2/15

宮仕え

立派な所に伺候すれば、それを誇りに感じるのは人情かも知れない。威光の効用もあろう。

学歴なども同様な効果があるようだ。ともかく、人が見る目と自分が感じる事にはギャップが

あるのは不可避なのだろう。サラリーマンも役人も宮仕えの一種と言えるだろう。異動や業務

命令にはなかなか逆らいがたい。組織という物が一種の機械の如く動くのは、組織独特の

DNAが支配しているからなのだろう。自分も組織の異動命令を受けて、話を聞くと自分にとっ

ては新しい分野の仕事で、興味もあったので、それに同意した。しばらくは、当初通りの仕事

に従事した。しかし、その仕事もやがて終息に向かった。そうして、ある日、こういう仕事があ

るからやってくれないかと言われた。どうも、色々課題があり、棚上げされていた仕事が復活

して、そのおはちが自分にまわって来たようなのだった。この時はすまじきものは宮仕えとい

う言葉がこたえた。YESと言っても自分にできる仕事か、NOと言ったらどうなるのか。しばら

く、考える時間を頂きいやいやながらやりますと返事した。清水の舞台から飛び降りるような

悲壮感があった。正月頃の話で、ご馳走も喉を通らないような気分で相当に悩んだ末の結論

であった。当然、その後から、その仕事の経緯や詳細を知る事になるのだが、すでにその仕

事はやらざるを得ない状況になっていたようであった。結果から言うと、そのプロジェクトは成

功して、海外の顧客の若いエンジニアから望外の感謝のレターを頂いた。お互い若いエンジ

ニアとして大きな課題にチャレンジさせて頂き、その成功を分かち合えたのであった。時々、

あの時の異動の本命はこの店晒しされた仕事の処理にあったのだろうかと思うことがある。

2010年2月14日 (日)

Uターン退職

2010/2/14

Uターン退職

今日では勤務先を変えるのには余り抵抗がなくなったように思われる。無料の求人雑誌も多

数ある。公務員は原則公務以外の勤務は制限されている。民間会社も規定で他の仕事に従

事する事を制限している場合が多かったと思う。最近では、給料・労働時間等の都合で、本

業以外の仕事にも従事できるような制度を採用している会社もあるようだ。勤務形態が多様

化する事自体は好ましいことかもしれない。自分も部下を持つようになり、部下の退職に直

面した事がある。当時の退職の理由は、ほとんどが将来を考えると郷里にUターンをしたいと

いう事であった。技術の仕事はその担当者の能力等に依存する部分が多く、その人が居なく

なると色々な面に支障が生じる。従って、じっくり時間をかけて面談を繰り返しつつ慰留した。

業種、給料、処遇、適性、人生計画等色々相談した。結局会社としては引き留める事が

出来ないくらい本人の決意は固かった。部下も自分も退職についてしっかりした認識をもった

段階で退職書類を作成して人事に提出した。Uターン退職した本人も、強く慰留されながらそ

れを振り切って退職したので動機付けは強固になったと思う。退職後十数年経て二世が生ま

れたという年賀状をもらって、これで良かったと安心した。

2010年2月13日 (土)

永年勤続

2010/2/13

永年勤続

終身雇用制は崩壊してしまったのか。雇用も労働の切り売りに過ぎないとドライに考えること

も可能であろう。マルクスが労働に目をつけたのはやはり、イギリスや西欧の社会が解明・

解決すべき問題を孕んでいたからであろう。その問題は、余りにも本質的であったため全世

界を席巻した。進化という興味ある現象では、「サルが人間になるにあたっての労働の役割」

というエンゲルス著作も目を引いた。ともかく、青年時代は色々な事に関心があった。人はパ

ンのみに生きるにあらず。しかし、パンがなければ生きることはできない。パンがなければお

菓子を食べればよいというのが今日の状況なのかも知れない。高校の社会科目では世界史

を選択し、マリー・アントワネットの処刑等も学んだ。先生の脱線話だったかもしれない。とも

かく、自分の青年時代は労使の対立が激化していた。パイの奪い合いだったのか。いまでは

社会主義も資本主義も双子の兄弟のように見える。食料生産能力は人口を養うには十分以

上になった。終戦直後の空腹感からは解放された。それでももやもやした不満や不安が漂

う。当時は兄弟でも飯の奪い合いがあり、並んで飯を盛ってもらった。飯を公平に盛ってもら

った人が親に感謝する文章を読んだ記憶もある。何とか飯の心配が無くなり、借金で家を作

り、ようやくほっと一息ついた頃には既に勤続30年になっていた。そうして、その記念に夫婦

での旅行券が支給された。出不精で、夫婦だけで旅行に出かけた事もほとんど無かったの

で記憶に残る旅となった。贅沢な気分になったのは、観光地回りは相乗りの観光タクシーだ

ったが、相組が参加しなかったので借り切りになった事である。これも、会社に福利厚生に支

出するユトリがあったおかげかも知れない。その前年頃、上司の定年退職祝いを盛大に行っ

た。これも、会社や社会に活力があったからできた事であろう。しかし、勤続30年を祝って息

子が文房具セットを贈ってくれたのが何よりもうれしかった。それは、まだ使わずに引き出し

の中にしまってある。

2010年2月 5日 (金)

知力の時代

2010/2/5

知力の時代

昔の農民は俵一俵ぐらいはかつげる必要があったようだ。今、自分にその体力があるだろう

か。父が入院中、痛みを紛らわせるため手をさすってやっていた時、改めて手のごつさを感

じた。長い間の農業という仕事は体格までその仕事に合うように改造するものなのかもしれ

ない。近代工業は人間の機能の体力・筋力等の辛い労働を置き換える機械装置を生み出し

て、普及させた。順序から言えばその初期の頃はまだ労力を使う事もあったろうが、その範

囲も狭くなった。労働者も自分の体力ではなく、機械装置を操縦するという仕事に労力を提

供する事になる。体力は労働以外のスポーツ等の分野で使う意外に無くなった。体力の時代

から知力の時代に様変わりした。労働の形態としては体力+知力がバランスしていて、総合

的に人間の能力を発揮できるのが理想であろう。かつての会社では最初の頃の派遣社員は

女性で秘書や受付というような業務を担当していたと思う。時には、英文契約書の翻訳等を

頼んだ事があった。この職種は明らかに専門能力型になるだろう。労働者派遣は、1985年

の労働者派遣法制定時は、原則禁止で限定された職種のみで可能であったので、従業員の

ほとんどが派遣ではなかったと思う。その後、1999年改正、2003年改正と制度の規制緩和

が行われて、設計業務にも派遣労働者が進出してきた。自分の職場では派遣社員が回路設

計の一部を行っていた。そうして、派遣労働者の比率も上昇した。労働の成果を分け合うと

いう経済の基本原則から見ると、派遣業者もその成果の分け前を取るのだから、派遣労働

者のパイの配分は少なくなる。職制という経営管理の側面からも複雑性が持ち込まれたのも

事実であろう。しかし、余り表面化しないが深刻な問題は人間関係にあったのではないかと

思う。日本人は組織帰属型のメンタリティを持つ。同じ様な仕事を同じ場所でしていて、別の

組織に所属し、規律や賃金に相違がある。瞬間的にはうまく行っているかもしれないが、そ

のような状況が長期化するとどうなるのか。経済のグローバル化が進み、製造業も製造拠点

を海外に求めた。中には単なる製造ではなく知的作業が中心となる設計業務も海外で行うよ

うになった。所が、現地社員を採用して教育しても、技術を習得してしまうと更に条件の良い

企業に移動してしまうという話を聞いたことがある。知的能力は個人の資質や努力に負うとこ

ろも多いのである。派遣労働者は正規社員よりも労務を提供する会社への帰属意識は低い

だろう。まして、所属する派遣会社への帰属意識は低いのではないか。派遣社員が相対的

に増えれば、派遣社員を使う会社の正規社員は相対的に減少する。会社は少数精鋭の技

術者を育成すれば済むかも知れないが、それが継続的に可能なのか。技術者の資質・能力

も相当なスペクトル幅を持つ。技術への対応が遅れる毎に企業の活力が低減し衰退に向か

う懸念も無しとは言えないだろう。それが、日本全体の流れであるならば薄ら寒さを覚える。

一方、派遣社員は一般企業の正規社員以上に幅広い仕事をするチャンスに事欠かないであ

ろう。見方によれば、派遣先が金を払って専門教育をしてくれるような場合もあるかもしれな

い。そうして、派遣社員の能力が並の正規社員の能力を数段上回れば、新しい局面が開か

れるのでは無いか。知力の時代は技術者が会社を選ぶ時代の先駆けかもしれない。今、こ

こまで書いた内容をレビューすると用語の曖昧さに気付く。社員を英訳するとemployeeであ

り、被雇用者である。派遣社員も正規社員も被雇用者で労働者という身分なのである。あい

まいさは日本の伝統的な知恵なのかもしれないが、もたれあいを許し、不満を内向化させて

しまう。本当の知力とは何だろうか。

2010年2月 1日 (月)

法務

2010/2/1

法務

何か理工系の人間には縁が無く近寄りがたいイメージを法務という言葉に抱く。しかし、一時

は弱い者の側に立つ弁護士という職業にもあこがれた事もあった。会社では生涯現役で技

術の仕事が出来ればと望んでいた。外国では生涯技術者という人も多いようだ。日本の場合

は経験を積んで部下を持つ頃になると管理職となり日々の雑用に追われるようになるのが

一般的だ。そうしてついに役職定年の年齢になると肩書きだけは残してもらえるが、部下は

いなくなってしまう。自分が法務、知財の人たちと本格的におつき合いを始めたのが丁度そ

の頃であった。契約についても基本のきの字も分かっていなかった。ともかく、契約案を検討

し、法務にコメントを求める。いつも適切なコメントを頂いた。要は法務の面からはアドバイス

をするが、契約の具体的な内容までは深入りしない場合が多かった。実はその法務担当は

自分が入社した頃、技術者として製品開発に従事していた。何と自分がその先輩が作成した

試作品を回路技術者の卵として評価した事があった。その先輩は他の事業所へ異動となり、

それ以来交渉が無かったが奇しくも再びお世話になる事になった。おつき合いをするうちに、

法務という固いイメージの下に技術者精神を秘めていたのではないかと思った。その気持ち

は良く分かる。元技術者としては現役技術者にチャレンジに値する課題をテーマに挑戦して

貰いたいという気持ちはいつも持っているだろう。もはや技術の現場を直接動かすことはで

きない。しかし、より高度の面から技術の現場を指導する事は可能だ。更に言えば、やって

はならない事とやらなければならない事を指摘せねばならないという辛く・厳しい役割もある。

いつもニコニコしていられる立場ではない。ある時、その先輩から電話を受けた。烈火の如

きお叱りであった。いつもはメールで済んでいた事であるが、こんな重要な事をメールで済ま

せてはならない。直ぐに来いという内容であった。開発部門としては無理しても危なそうな仕

事に飛び付く事がある。実際は既に飛び付いていたのだ。万一の場合を想定するとリスクを

伴う仕事にはそのリスクへの対応をしなければならない事は当然なのだが、そのチェックを

通り抜けて事が進んでしまう場合がある。ともかく、あの激怒に押されて、事業部門も体制を

整える方向に向かった。今日、民生品といえども、生命や財産に大きな影響を与える製品が

多い。法務としては製造責任(PL法)というシグナルが閃いたのではないかと思った。若い技

術者はそこまで配慮できる経験がない。苦い失敗をした技術者はそれを積極的に次世代に

引き継ごうともしないし、それをさせる体制も整っていない。そういう、ややもすれば見逃され

る問題がすき間を通り抜けて市場で問題が起こるのも事実であろう。そのような問題の解決

は最早個人に任せる訳には行かない。そう言う点でISOとかQSは一定の効果があるのでは

ないかと思う。トヨタはQS以上に品質に厳しいからQSの認証は受けず自社スタンダードで行

っているという話を聞いたことがある。第三者機関の監査を受けるという事はそこにフィード

バックが入るという事でもあろう。ともかくISOとかQSもトップのが主導し、トップが判断・実行

するという西欧流スタンダードが建前である。トヨタ車のリコールのニュースを聞いて昔の事

を思い出した。

2010年1月31日 (日)

クレーム

2010/1/31

クレーム

人生到る所クレームあり。解決すべき深刻な問題がクレームとして現れる。個人対個人の問

題と企業対企業の場合は様相が異なるだろう。自分も勤め人という立場で色々なクレームに

直面した。開発部門で主任の頃、いくつかのクレームが起きた。その時、上司はクレームは

自分の仕事だ、諸君は開発に専念してくれと言われて、顧客との交渉の前面に立ってくれ

た。今振り返ると人生、色々な局面を見てきたベテランとして、対外的な交渉事もぬかりなく

対応できるという自信を持った上での言葉であったように思う。開発部門としてはクレームに

恐々としていてはチャレンジ精神が萎えてしまい、結果的には斬新な新製品は生まれなくな

ってしまう。逆に、一種クレームという見えざる恐怖を取り払われて、リスクのある新しい仕事

にはチャレンジ出来ないという口実は無くなってしまったのかもしれない。しかし、品質保証部

門の仕事となると大変である。日々がクレームとの対決である。かつての自分の上司が品質

保証部門へ転出してその一部門を担当する事になった。他部門から開発部門へ異動してき

て、自分の上司になってからである。集積回路の事は良く知らない。そんな者には開発部門

の長はつとまらないので、自分にも一つ集積回路を開発させて欲しいという事になった。元々

回路屋なので回路の基本的な心得は整っている。そうして、旧部門に関係する小規模の集

積回路一機種を開発した。実務では部下と上司が逆転していたが、そんなことより開発部門

の仕事を理解する事が開発部門を引っ張って行くために必要だと確信してそういう事になっ

た。自分も実務では上司を指導するという希有の体験をさせて頂いた。そうして品質保証部

門では日々クレームと対決された。顧客との折衝でも本音はズバリと言う。しかし、相手はさ

すがと一目置いたようだ。顧客から厳しいことを言われてもおじけず、時に厳しいことも言い

返すと言った嘘をつかない言行一致に顧客だけでなく関係者も感服していたようだ。その背

後には役職者であっても口先だけでカバーせずに現場の技術を体得しようする技術者魂が

あったから自ずとそれが相手に伝わったのではないか。要するに立場上のおざなりな対応を

するだけでは、クレームを持つ者はその心理を見抜いてしまう。しかし、技術者としてぎりぎり

まで誠意ある対応をしてもらえる場合は、クレームを持つ者にも信頼と期待感が生まれるの

であろう。クレームには自分にはどうにもできないという苛立ちが伴うものだ。それが、一つ

前進に向かうだけでも心理的には楽になる時もある。クレームには言う立場の者にも言われ

る立場に者にも人間性を鍛えるという側面があるように思える。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)