05B_会社生活断面記

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2010年1月30日 (土)

足跡

20101/30

足跡

ICのチップ上に家紋を入れるのも足跡を記したことになるだろう。自分はICのパターンは描

いた事がないのでそういう経験はない。しかし、パターン図は修正毎に第何版のパターンか

を識別できるようチップ面にそれを判別する記号が描かれていたと思う。契約書の仕事で

は、振り返ると日本の契約はそっけなかった。ほぼ、パターンが決まっていた。枚数もなんと

か我慢できる範囲に収まっている。しかし、外国の契約書は個性もあり、主張もあり、表現も

多様で、量も読み通すのがうんざりするほど多い場合があり、契約書書自体が一種の財産

であり、作品であるように感じた。逆に、そういう大量の文書も見落としや読み損なう訳には

ゆかない。そうして、大量の文書の中で、ここは譲れないという所を優先して交渉する。お互

いに何回かやりとりすると、中にはこりごりする文言もある。そんな時、ケネディ大統領の就

任演説の片言を盛り込んで仕返しをした。相手も、もうこりごりだから、苦笑いしつつここで矛

を収めたのか、大量の文章の中に埋もれた片言で気付かなかったのか、それ以後は交渉が

まとまってきた。契約にも合理的妥当性という範囲がある。余りにも一方的な場合は当事者

の立場に相当な程度になるまで交渉をする。立場にも弱い立場に立つ場合と強う立場に立

つ場合がある。しかし、ある契約を締結して仕事をする場合、当然共通の目的がある。それ

がビジネスの原点である。実は自分が投げかけた仕返し(対案)も一種のJOKEであり、日本

的な玉虫色の解決提言に見えたのかもしれない。しかし、その足跡は大量な文言の海に沈

んでもはや探す事はできないだろう。お互いに主張し合ったが、お互いに譲れない。そんな

場合は交渉事には付き物かもしれない。時には個人的には、本音では暗黙理にお互いに相

手方の主張を認め合っているが、担当者個人としてはその立場に立てない場合もある。しか

し、交渉はまとめなければならない。そんな局面では玉虫色の文言も交渉当事者の足跡とし

て意味があるのかもしれない。

2010年1月12日 (火)

製図道具

2010/1/12

製図道具

物を作る技術の現場では図面が不可欠である。アイデア段階では図面は手書きで済ませる

が出来るが、図面で他者に仕事を頼む場合は綺麗で、正確な図面が必要である。大学でも

製図の教科や実習等があったが余りはっきりした記憶がない。製図板とT型定規、その他

細々とした製図用具もあった筈であるが卒業後はほとんど使っていない。自宅新築時は間取

りの図面をあれこれ描いた。大工さんは現場の仕事は、ベニヤ板に墨で書いた簡単な間取

り図一枚で済ませていた。大体個人で出来る規模の図面は頭に入れておけるのがプロの能

力のようでもあった。自分が現役時代に設計したVIF用の集積回路は300余の素子数であっ

たが、当時は回路図が大体頭に入っていた。出図の回路は手書きであった。パターン設計

CADが導入されつつあった。それ以前はパターン設計も手作業で行っていた。回路シミュレ

ーションがSPICE等で行われるようになると回路図の作成もCADに乗るようになった。手作

業による設計はそれなりのリアリティを感じたが、設計のほとんどの作業が大型コンピュータ

の上でなされるとリアリティを失ってしまったように感じた。一方、カタログ等の技術文書を作

している同僚は相変わらず手作業の仕事が多かったようだ。たまには、用事で仕事の現場

を覗いたが、ロットリングの製図ペンやステッドラーの文具を使っていた。プロが使うドイツ製

の道具である。今調べて見たらあるWEB SHOPのロットリングの解説に、「現在では、ロット

リングといえば製図ペンの代名詞といわれるほど、プロのデザイナーや設計者を中心に、高

信頼を得られている。その理由は、操作性、線の精密度、書き味といった長い歴史に培われ

た技術力にあるといえよう。」とあった。やはり、プロという自信をもって仕事をするにはそれ

にふさわしい道具を使うべきだという意識が働くのではないか。一枚のカタログも道具に負け

ないいい仕事をするぞと成された無名の作品として自己の存在を訴えているのかもしれな

い。自分は大学入学後長髪にしたと記憶している。それを契機に理容店へ行くようになった。

理容師をしている同級生に使っているカミソリはどこのものかと聞いたら、ゾーリンゲンのも

のだと教えてくれた。ゾーリンゲンと言えばドイツの有名な刃物産地であった。人口は約16万

5千人。(2003年末)との事。世界に名を売るにはそれなりの技術の蓄積と実績があるのだ

ろう。職人と道具は深い関係があるとつくづく思う。それでは、技術者は職人なのか。一人の

人間も他人による規定と自分による規定は別である。いずれにせよ、自信と誇りと責任は仕

事を持つ人が備えるべき徳性ではないか。信頼できる道具は信頼できる仕事を支える事が

出来るという話しもその道具を使って見ないと分からない。

2010年1月 9日 (土)

ベンチャー

2010/1/9

ベンチャー

半導体産業は裾野が広い。その生産設備も高度な設備が必要だ。しかも、技術の進歩が早

い。生産設備の陳腐化も早い。従って、分業体制は不可欠である。各業種毎に技術と人材と

設備が必要になる。そこで、設備や資金を余り要しない開発設計分野に、技術とノウハウを

持つベンチャーが参入するチャンスがある。自分も半導体関連の仕事を続ける中で、ベンチ

ャー企業とのつき合いがいくつか生じた。開発・設計・生産もベンチャー企業との交渉で詳細

が決まる。従って、つき合いを始める段階から最後の製品の販売までが検討の対象になる。

そのベンチャー企業が今どうなっているのかは定かではない。アメリカではベンチャー精神が

旺盛で、ベンチャー企業家を支援するベンチャー資本家もいるようだ。しかし、日本でも脱サ

ラして会社を興した技術者とつき合った事もある。やはり、自分が信じた事業を立ち上げて

成功に導くのがベンチャーの醍醐味であろう。逆に会社の一員として、そのような仕事に関

係する場合は立場は異なるが、自分としても新しい仕事をさせてもらう機会になり、その仕事

がうまくいった事例は強く記憶に残っている。契約交渉も本音を探り、本音を言う事から始ま

る。こちらから提示する条件に魅力が無ければベンチャーは次の相手を捜して去ってしまう。

しかし、得体のしれないベンチャーとつきあい始めると悔いを残す可能性もある。

ベンチャーにはリスクが付き物ではあるが、自分とベンチャーのつき合いは概ね順調であっ

たと思う。ある時は、資金がショートしてしまうと苦境を訴えられた事もある。相手方が出張で

来社して、そんな話を聞く時は、旅費・食費等ポケットマネーを持ち出していたのかもしれない

と思ったりした。そういう話を聞くと絶対に成功させねばと思った事もある。ベンチャーとの仕

事がうまく行った基本は技術者として、人間として信頼しあえる人物に巡り会えたからではな

いかと思っている。

2010年1月 8日 (金)

マネージメントゲーム

2010/1/8

マネージメントゲーム

会社生活で何か役が付きそうになった頃に行われた研修にマネージメントゲームというのが

あった。平社員の場合は自分の仕事をつつがなくこなす事が第一優先である。しかし、何か

の役職に就くと、人、物、金、組織等の全体的な活用が課せられることになる。それを一種の

製造業のシュミレーションのようなゲームに仕立てて経営管理のトレーニングをさせたのがマ

ネージメントゲームであったと思う。ゲームのメンバーは数人で、各人が経営者になり、市場

から資材を購入して、生産した物を市場で売る。市場や各経営者の動きを観察して自分の

手を決める。利益の高い順位でゲームの勝者が決まる。ゲームの成績はいつも下位であっ

たが、市場経済を理解する手頃なゲームではあったと思う。作れば売れるという経済の高度

成長期にはふさわしいゲームであったかもしれない。しかし、会社組織が余りにも大きくなり

すぎると、組織と意志決定が細かく分断されて人・物・金が勝手に動き出し統制がとれなくな

る。高度成長期に水膨れした体質を強化するという目的で選択と集中とか本業への復帰等

が叫ばれたがそれは一面現実のマネージメントの対応の遅れを示していたのではないかと

思われる。残念ながらマネージメントゲームには物はあったが、人(サービス業)、金(金融

業)、組織(事業創出)という要素が欠けていたようだ。体力のあった企業は一斉に本業以外

の未経験な事業に進出しようと試みた。退職する頃は経営においてリスクマネージメントとい

う言葉がますます真実味を帯びる経済状況となった。しかし、どうもリスクマネージメントゲー

ムは経営にはなじまないようだ。リスクは例外で非定常な事が多い。従ってリスクは本業の

中のコストの一部に過ぎないという考えも成り立つかもしれない。おりこみ済みのリスクの類

である。まさかの、想定外のリスクもある。ゲームは仮想だが、リスクは仮想ではなく現実だ

というのが実状かもしれない。双六遊びでも何歩か下がるという場所があった。それがリスク

なら、その場所に当たらないようにサイコロを振ったことがあったろうか。どうも上がる事に頭

が一杯で、何が最高のサイコロの目の出方か考えるゆとりが無いのが人の常であるようだ。

2009年12月 8日 (火)

APL

2009/12/8

APL

会社でCADシミュレーションに使っていたのはIBMの大型コンピュータであった。プログラム

はSPICEと呼ばれていた。このコンピュータ本体もプログラム本体もユーザとしての自分にと

っては完全なブラックボックスであった。入力条件と計算条件を与えると答えを出してくれた。

ともかくコンピュータは現実にはあり得ない数値を与えても計算に矛盾が生じない限り結果を

出してくれる。電圧で100万ボルト等の条件を与えても矛盾が無ければ結果が出る。時には

気晴らしに、こういう想定外の数値を入れて、コンピュータがどんな回答を出してくれるかスリ

ルを楽しんだ事もあった。コンピュータが止まったり、CRTが爆発したりしたらどうしようかと

変な空想が脳裏を横切る。幸い何事もなく済んだ事ではあった。しかし、プログラムで「、.」

一つで大問題が起こった事も新聞の話題になった事実ではある。大型コンピュータの中に

APLというプログラムがインストールされていて、何か定型的な計算に使った記憶がある。コ

ンピュータシステム担当者が教えてくれたプログラムで余り本格的には使われなかったが、こ

れも気晴らし程度に使った事を思い出した。コンピュータシステム担当者も気晴らし程度に使

っていたようだ。しかし、大型コンピュータの前に座って電卓を叩く姿は滑稽であったが、それ

なりに意義があった。回答の想定値を知っていれば判断ミスを防げるのだ。最近コンピュー

タがらみの問題で生じた裁判の判決がでた。日経コンピュータの記事は以下の通り報じた:

「みずほ証券が株誤発注による損失など約415億円の賠償を求め東京証券取引所を訴えた

裁判で、東京地方裁判所は2009年12月4日、東証に107億1212万8508円の支払いを命じ

る判決を言い渡した。(大和田 尚孝=日経コンピュータ) [2009/12/04]」コンピュータシステ

ムでは、矛盾しない数値であれば、止まることもなく処理が進んでしまう。従って、想定外の

数値が入力されたならば、コンピュータ側が何らかのメッセージを出したり、処理を中断した

りするべきであったという教訓を判決が示したのであろう。責任割合は東証70%、みずほ

30%の事である。巨大なコンピュータが稼働している状態はまさにビジネスの実戦の現場で

あり、コンピュータは一時も止めたり、気晴らしで想定外の取引を試したりできないだろう。変

な操作をしてコンピュータがダウンでもしたら元も子もなくなる。とは言え、想定外を想定する

のが業務用基本ソフトの原則なのかも知れない。ヒマな時に想定外のシミュレーションをして

みるのも無意味ではなさそうだ。そんな馬鹿な事をするものではないというかげの声も聞こえ

てきそうであるが。一種のリスク管理シミュレーションで、防災訓練のように行う手法もあるだ

ろう。

2009年12月 7日 (月)

電子メール

2009/12/7

電子メール

10年ほど前の会社生活を振り返ってみる。あたふたと朝飯を食べて車で通勤。休憩室でポッ

トのお茶を一杯飲みながら業界紙に目を通す。ポットを忘れた時は自販機の飲料で済ませ

る。出勤カードを返して、着席。先ずパソコンのSWを入れてメールを開く。メールは他部署の

関係者との連絡に欠かせないツールになっていた。定常的な仕事の連絡等はメールで済ま

せて、回答が無い場合は電話で催促するという例が多かった。メールに目を通した後に、優

先順位に従って業務をこなす。メールシステムは何度か変更になったと思う。一時はウィルス

がメールシステムに進入して大騒ぎになった事もあった。ともかくビジネスの世界では電子メ

ールの与えたインパクトは非常に大きかったと思われる。逆に、机に向かって電子メールを

書いたり読んだりしていると仕事をしているような錯覚に陥る事もあったように思う。ビジネス

メールでも、仕事を気持ちよく進める為には、ある程度の礼儀作法が必要であった。そのよう

な、挨拶等の単文はATOKで単語登録して使った。「毎度お世話になります。」を「ま」一文字

に登録することで単調な入力の省力化をしたりした。当時登録した単語のほとんどは既に、

単語候補の後半に並んでいるに過ぎない。長い正式な組織名等が削除されずに残ってい

る。ともかく一文字の単語登録は入力には便利であるが、それが誤変換されると大変な事に

なる場合がある。海外との連絡もテレックス、ファックスから電子メールになり場所と時間を

気にする事が無くなった。確かにビジネスの世界ではITの効果は非常に大きかったと思われ

る。当然ITへの投資は増大したがそれに見合う効果は確実にあったであろう。

2009年12月 4日 (金)

ヒイラギナンテン

2009/12/4

ヒイラギナンテン

単身赴任をしていた時の宿舎であった会社の社宅の生活は単調であった。何人か職場の同

僚もいたが余り親密なつき合いはなかった。一度、宴会があるから来ないかとお呼びがかか

った。その時は有り難く呼ばれていった。冷蔵庫やレンジを持っていったがほとんど使わずに

持ち帰った。自炊をすればできる環境にあったが、ほとんど外食等で済ませた。社宅に帰っ

ても話す相手もいない。ともかく単調なのは、生き物がいないということに気付いた。生き物

がいれば変化を確認できる。ということは自分も生きているという事を生き物を通して感じる

ができる。そんな訳で、水栽培で水を吸わせたティッシュペーパーの上に野菜の種を播いた

り、ニンジンの頭の部分を水を入れた容器の中で育てたりした。そのような、生き物でも自分

が手をかけて生きている事を見ていると何となく精神が安定した。単身の社宅から自宅に帰

るのが出張であり、何か生活が逆転していた。要するに、身分も駐在先の居候という身分

で、そこから派遣元の職場に仕事に行く出張に抱き合わせで帰宅していた。これが単身赴任

の楽しみであった。しかし、夏場の長期出張の時は、例の野菜類の水栽培の水も蒸発してか

らからになって、野菜も枯死していた。そんな、単調な生活を送ってきた社宅ではあったが、

そこを出る時が来た。その社宅の小さな庭にヒイラギナンテンが植えられており、実を付けて

いた。これを持ち帰り種を播いたら、今日では数本育って大きくなっている。そのヒイラギナン

テンも行き場所が無く、あちこちに分散している。ともかくその木の由来を知っているのは自

分だけであろうと妙な感傷に浸る事がある。

2009年12月 3日 (木)

PHSのカエルコール

2009/12/3

PHSのカエルコール

自分がPHSを使い始めたのが1998年頃であったようだ。PHSは安価な携帯電話として開始

されたサービスであったが、最終的には携帯電話に駆逐されたしまった。音質は携帯より良

かった。サービスエリアが狭く、走行中の新幹線の中からは通話がとぎれる事があった。ほ

ぼ十年前のPHS使用状況を振り返って見ると、残業が終わって駐車場に向かう途中で自宅

に掛けたカエルコールがほとんどであった。カエルコールは会社の電話からも可能であった

が、そうしたのはやむを得ず残業で席を立てない時に限った。残業を切り上げできる時刻は

一定ではなく、その時々で異なった。席を立てる時はロッカールームからPHSでカエルコール

をした。カエルコールは夕食の準備をしてもらうためでもあった。会社で残業食が支給されて

いたが、こちらもほとんど利用しなかった。会社の残業食を食べて、自宅で夕食を食べると完

全にメタボになってしまう。結局、カエルコールはこれからカエルから夕飯の準備を頼むとい

うメッセージであった。子供が電話口に出た時はカエルコール+αの通話となった。この+αの

通話が駐車場に向かう途中でPHSをするもう一つの理由であった。早朝からの出勤、残業で

遅い帰宅。そんな中でPHSのカエルコール+αの通話も少しは役に立っていたのではないか

と思う。

2009年11月19日 (木)

ブール代数

2009/11/19

ブール代数

大学から入社数年間の頃に学んだ事があった。コンピュータやデジタル回路は単純な論理

回路を積み上げて構成されている。論理回路も記号論理学の論理式で表す事ができる。そ

んな訳で、自分の仕事はアナログ電子回路が中心であったが、デジタル回路を専門にする

若手社員と一緒にブール代数等の勉強会をした事があった。厚い本を買ったが、その導入

部が終わった頃に勉強会も終わってしまった。しかし、テキストが手元にありその導入部を時

間を掛けて勉強しておけば、必要な部分は後からでも何とか手がかりが得られるものであ

る。ロジック用の集積回路を使って何とか生産用の測定器を作る事が出来たのもこういう勉

強が基礎になっていたのかもしれない。当時のロジック用集積回路はTTLという方式であり、

製造プロセスはバイポーラであり、アナログICと同じであり、内部回路も何とか理解できた。

ロジック回路のウエイトが高くなった時に採用したのがBi-CMOSであった。アナログ部がバイ

ポーラプロセス、デジタル部がCMOSプロセスであった。このデジタル部の設計はほとんど

CADで行われるのであったが、当時はBi-CMOSプロセスに対応するCADの能力が不十分

であった。従って、CMOS部門のCADからデータ等を移転してもらって全体設計をした。丁度

その時に自分のグループにCMOSを担当していた技術者がいたのでそれらの人には仕事を

の枠を越えて協力して頂いた。ともかく、初めての仕事をする場合は色々なお膳立てが必要

である。それに続く人々にはその辛さもそれを克服した嬉しさも少なくなるのだろう。現在は

畑の土いじり等をしているのだが、現役時代にはよくあんな事ができたなと思ったりする。

2009年11月17日 (火)

柱時計

2009/11/17

柱時計

チクタク、チクタク、ボーン、ボーン。柱時計の記憶は年輩者の誰にもあるであろう。自分も我

が家の柱時計のゼンマイ巻きの当番をした事がある。所が、そのゼンマイの固定部分のビ

スが緩んで、ゼンマイが巻けないようになりその時計が引退した。捨てるのは忍びないので

どこかに保管してあると思う。ゼンマイの代わりに電磁石でエネルギーを供給する電気時計

への改造記事を何かの雑誌で見た記憶もある。柱時計の身代わりに何がなったかはっきり

覚えていない。多分、ゼンマイ式の目覚まし時計であったろう。これは分解して壊した記憶が

ある。その次の時計は電気時計であったと思う。家庭に来ている交流の周波数を計測して時

刻表示をさせた物である。モーター式と電子式があったようだ。電子式は専用集積回路があ

り、ロングセラーICでもあった。時計の精度は電力会社の提供する交流の周波数精度で制

限される。水晶の圧電効果を使用したクォーツ時計の出現で時計の精度は大幅に向上し

た。1958年にセイコーがクォーツを使った放送局用時計の商品化に成功し、これを小型化し

たクォーツ時計が1964年の東京オリンピックのマラソンの走行タイムの計測に使われたとの

事である。クォーツ時計の普及が進んだのは東京オリンピック以降となろう。今日ではそのク

ォーツ時計が1000円程度で買える日用品になってしまった。更に実用上ほとんど誤差のな

い電波時計もクォーツクロック並になりつつある。電波時計用の集積回路は一種のラジオ受

信機である。その動作が極微量の電流で可能になっているのも驚異である。自分がテレビ以

外の集積回路の分野に転進したのが腕時計にラジオを詰め込むようなアプリケーションの仕

事であった。そうして、現役を離れて退職前に電波時計用の集積回路の販売のサポートの

仕事に従事した。今日でもパソコンにはリアルタイムクロックという時計用の集積回路が搭載

されている。ところが、この時計の精度は余り良くない。インターネット経由で標準時刻に合

わせる事は可能であるが、パソコンのリアルタイムクロックの代わりに電波時計用ICは使え

ないかと置きみやげをしてきた。余り正確すぎるとファイルのタイムスタンプ等が気になり出

す心配も生じるかもしれない。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)