05B_会社生活断面記

Feed

2013年1月19日 (土)

技術 回顧と展望(会社生活断面記):CCD デジタルカメラ

2013年1月19日土曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 5.0 13:28 。ざっそう句:山の神 食おうともせぬ 我が痩せ菜。久しぶりに木工DIY。用事外出。DIYも資材と道具が揃っているとやろうとする気持ちになる。また、一度始めると面白くなるようだ。もと会社の同僚は趣味で自宅のリフォームをしていると年賀状にあった。

2013年1月18日の天気(AMEDAS)

TAVE= 1.3
TMAX= 4.5 最高気温(℃) 5.0 13:28 
TMIN= -1.5 最低気温(℃) -2.0 05:33 
DIFF= 6
WMAX= 9.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 16.1(北西) 13:57 
SUNS= 9.2
RAIN= 0

Q
Q

技術 回顧と展望(会社生活断面記):CCD デジタルカメラ

先日、雪が降った翌日の畑の様子を予備のデジカメで撮影した。記録メディアがCFメモリーだったので、手持ちのメモリーリダーでは読めなかった。仕方なく、リーダーを購入してデータをパソコンに取り込んだ。デジカメ本体が約11年前の物。画質云々と言う前に、よぼよぼなデジカメで撮影できただけでも感動物だ。

自分が、現役時代にCCD デジタルカメラと接点が出来たのも偶然のたまものかもしれない。TV関係の集積回路の次に、ドライバーアレーやレギュレータ関係の仕事をする事になった。ドライバーアレーは、初期の頃はワイヤドットプリンターの駆動等に使われていた。いわば、メカトロニクスの領域で、駆動スピードは遅かった。当時、研究所でCCDの開発をしていたが、CCDを駆動するドライバーを開発するユトリがないので、開発して欲しいという要望があった。CCDのクロックドライバーという物であった。CCDには垂直と水平の2組のドライバーが必要になる。最高スピードは10Mを下らない。その性能を出せるプロセスもなかった。研究所から若い技術者を派遣して貰い、自部署の技術者と一緒に開発させる事になった。試行錯誤はあったが、CCDと組み合わせて目的の性能が出せた。当時はまだデジカメという程のデジカメは市場に出ていなかった。CCDは監視用のモニター等に使われていた程度であった。その後、CCDムービー等に使われるようになった。

「デジタルカメラ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9#.E6.AD.B4.E5.8F.B2。(最終更新 2013年1月7日 (月) 13:57 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「デジタルカメラ (digital camera) とは、撮像素子で撮影した画像をデジタルデータとして記録するカメラである。世界で初めてコダックが開発した。 一般に「デジタルカメラ」といえば静止画を撮影する「デジタルスチルカメラ」を指し、動画を撮影する「デジタルビデオカメラ」は含めない。現在では静止画撮影が可能なデジタルビデオカメラや、動画撮影が可能なデジタルスチルカメラが一般的になっており、双方の性能の向上もあってその境界線が徐々になくなりつつあるが、デジタルカメラはその中でも静止画の撮影に重点を置いたモデルを指す。 通常「デジカメ」と略称されるが、「デジカメ」は、日本国内では三洋電機や、他業種各社の登録商標である(2010年4月現在)[1]。三洋は「『デジカメ』単体での使用は不問だが、『XXのデジカメ』(XXはメーカー名)のような記述は認めない」、と表明している[要出典]。 本項で特にことわらない限りは、一眼レフカメラはデジタル一眼レフカメラを、コンパクトカメラはデジタルコンパクトカメラを指す。」とある。

当時は、まだ白黒の時代であった、CCDにも幾つか方式があり、当時としては性能的に他方式より優れていたので、NASAのスペースシャトルに採用されたという話を聞いた記憶がある。当初、ドライバーはバイポーラプロセスが使われたが、CMOSの性能が向上して、バイポーラのCCDドライバーは一代だけで終わってしまった。

上記WIKIPEDIA「デジカメ」項に、デジカメが本格的に普及を初めた頃の様子が以下のように記述されている。デジカメがパソコンと相性が良く、Windows95ブームにうまく乗れた事によりデジカメの時代が到来した。同時に銀塩カメラは没落して行く。

「1994年発表1995年3月発売のカシオ計算機のデジタルカメラ「QV-10」は、デジタルカメラの存在と利便性を広く一般に認知させた製品である。外部記録装置なしで96枚撮影ができ、本体定価6万5,000円を実現して好評だった。一番のメリットは、液晶パネルを搭載し、撮影画像をその場で確認できることである。また当時はWindows95ブームで一般家庭にパソコンが普及し始めた時期であったため、パソコンに画像を取り込むことが広く認知された。この機種はNHKの番組「プロジェクトX?挑戦者たち?」090回「男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける」において、あたかも世界初のデジタルカメラのように紹介された。 QV-10の成功を皮切りに多くの電機企業が一般消費者向けデジタルカメラの開発・製造を始めた。QV-10発売の2か月後にリコーから発売されたDC-1にはカメラとしては初めての動画記録機能がある。その記録方法としてJPEGの連続画像(後にMotion JPEGと呼ばれる方式)を採用した。 この頃の製品はまだ画質も電池寿命もそれほど良くなく、存在が認知されたとは言え購入層もその使われ方も限定的で、性能もしばらくフィルムカメラを追い越すことはないと思われていた。1997年末頃から始まった高画素数化競争や小型化競争など、市場拡大を伴った熾烈な競争により性能は上昇、価格も下がり利便性も受けて、2005年頃にはフィルムカメラとデジタルカメラの販売台数が逆転、フィルムカメラからデジタルカメラへと市場が置き換わった。」と。

WIKIPEDIA「コダック(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF#.E6.AD.B4.E5.8F.B2)」によれば、フィルムの名門企業も「2012年(平成24年)1月19日 - 連邦破産法第11章の適用をニューヨークの裁判所に申請[3]。」し、経営破綻してしまった。

先日、家電量販店へ行ってデジカメ売場を見たが、デジカメとムービーのメーカーがまだ相当数ある、各メーカー毎に得意な分野があるので生き残っているのだと思うが、その得意分野が何なのか分からなかった。ムービーも手頃になってきた。最新のムービーも使ってみたいが、気がかりなのは昔のフィルムネガやムービーテープ資産を活用することだ。
Yukigesiki_yasai_130115

yukigesiki_yasai_130115.jpg

2013年1月18日 (金)

技術 回顧と展望(会社生活断面記):理想の高密度リチウムイオン電池と安全技術

2013年1月18日金曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -1.1 02:48 。ざっそう句:思い出す 阪神淡路 人の縁。用事外出。町内行事は欠席。昨日で阪神淡路大震災も18年目を迎えた。先日、中谷宇吉郎と「天災は忘れた頃来る」という言葉について書いたが、阪神淡路大震災後18年目というのは、トイレの暦を何となくながめていて気付いた。父と共に思い出すのが阪神淡路大震災と父の戦友だった新井正明氏の事だ。更に、現役時代に電池管理用の集積回路開発で、淡路島の洲本市にある電池事業部門を訪問した事も思い出した。

2013年1月17日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.8
TMAX= 8 最高気温(℃) 8.4 12:05
TMIN= -0.7 最低気温(℃) -1.1 02:48
DIFF= 8.7
WMAX= 6.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.7(北北西) 14:27
SUNS= 8
RAIN= 0

Q
Q

技術 回顧と展望(会社生活断面記):理想の高密度リチウムイオン電池と安全技術

「新井正明。http://ja.wikipedia.org/wiki/新井正明。WIKIPEDIA新井正明の項(最終更新 2012年6月9日 (土) 07:19 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「新井正明(あらい まさあき、1912年(大正元年)12月1日-2003年(平成15年) 11月27日)は、住友生命中興の祖にして社長・会長。松下政経塾理事長、関西師友協会会長を歴任した。」とある。

WIKIPEDIAで新井正明を調べると、簡単な経歴と短い記事が掲載されていた。阪神淡路大震災の時の記憶が下記の記事になていた。

「かみつけ女流歌人 雅:絆(きづな)。
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/03/post-5171.html。(2011年3月19日 (土)
)」

「ざっそう句:天地人。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/01/post-ac6f.html。()(2012年1月18日 (水))」

「阪神・淡路大震災。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD。(最終更新 2013年1月17日 (木) 09:20 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)は、1995年(平成7年)1月17日(火)に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害である。」とある。

大災害でも、時が経るに従い、その呼び方により災害のイメージ・連想作用が変わってしまう。上記WIKIPEDIA記事でも呼称の問題が述べられている。東日本大震災という呼称に関しても同じ問題を感じる。大災害の教訓は世代を越えて継承される必要があるだろう。

NHKは、「B787トラブル その原因は。http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/0117.html。(2013年(平成25年)1月18日[金曜日]1月17日 22時20分))」というタイトルで、「16日、全日空のボーイング787型機が高松空港に緊急着陸したトラブルで、国の運輸安全委員会は17日から本格的な調査を開始しました。 トラブルの原因はどこまで判明したのか。社会部の喜多祐介記者が解説します。バッテリー中心に調査このトラブルは、16日、山口宇部発羽田行きの全日空のボーイング787型機が、飛行中、操縦室のディスプレーにバッテリーの不具合や煙を感知したことを示す表示が出て高松空港に緊急着陸し、乗客が緊急脱出したものです。17日は午前8時すぎ、国の運輸安全委員会の事故調査官5人が高松空港を訪れ、本格的な調査を開始しました。」と報じた。

「ボーイング787。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0787。(最終更新 2013年1月17日 (木) 11:52)」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「ボーイング787ドリームライナー(Boeing 787 Dreamliner)は、ボーイング社が開発・製造する次世代中型ジェット旅客機。ボーイング757、ボーイング767およびボーイング777の一部の後継となる。中型機としては航続距離が長く、今までは大型機でないと飛行できなかった距離もボーイング787シリーズを使うことにより直行が可能になる。これにより、需要があまり多くなく大型機では採算ベースに乗りにくい長距離航空路線の開設も可能となった。」とある。

電池は、電気の歴史と共に進歩してきた。大まかには、使い捨てする電池と充電して再利用する充電池に分類される。コストとメンテナンスと大電力を考えると充電池が重要になる。車には鉛電池が使われる。コストと性能で長い実績がある。車の電池が故障すれば、エンジンもかからず車の機能に致命的な影響を与える。電池の開発目標は、小型、高密度、高性能、大電力と用途が拡大する事に高度なものになってきたと思う。リチウムイオン電池も、パソコンの起動を陰で支えている。ちいさなリチウムイオン電池コイン電池が消耗するとパソコンの起動ができなくなる。リチウムイオン電池も最初は補助電池的な用途であったが、その後機器の主電源に採用されるようになった。それと共に、パソコンでの事故やリコールが目立ってきたのも事実である。

リチウムイオン電池はエネルギー密度が高く、不適切な使い方、故障等々で事故や損害の発生に繋がる。そのため、リチウムイオン電池の状態を監視し、安全に制御する回路が不可欠になった。リチウムイオン電池の市場が拡大するにつれて、リチウムイオン電池用の集積回路の需要も増大が予想された。そこで、リチウムイオン電池用集積回路開発の市場調査をかねて、淡路島の洲本市にあるある電池事業部門を訪問した。仕様を聞くと、消費電力が低い、高精度である等々当時としては厳しい要求があった。

昨晩のNHKニュースで全日空のボーイング787型機が高松空港に緊急着陸したトラブルについて報道され、リチウムイオン電池が航空機の設計コンセプトを変えるような時代になったのかと感慨を新たにした。ボーイング787型は、燃費の良さがそのセールスポイントとの事。それを実現するために、従来技術を電気系で実現したようだが、結果として電池や電源系統への負担が増大し、それがトラブルの原因になっているのではないかと指摘されているようだ。当然事故の真相は、専門家により解明されるべきではあるが、安全については総合的な判断が重要だと認識させた事故でもあるようだ。一例として、電池容器から発煙して、煙が充満して操縦士が計器を見ることが出来なくなれば重大な事故につながるのは素人でも分かる。ただ、事故が起こってからでは遅すぎる。一方、発煙や液漏れを無くすためには、容器を強化すれば良いだろうが、重量が重くなる。これは、原子炉の格納容器にも関係し、技術上必然的に生じるトレードオフの問題にも通じるだろう。もうひとつ、技術上フェールセーフという基本的な考え方がある(配電盤や機器に取り付けるフューズもその例だろう)。万一、機器や部品が破壊したときシステムが安全側となる状態で停止するような設計である。今回の事故で、フェールセーフが働いたのかはっきりしないが興味ある事だ。

2013年1月 4日 (金)

会社生活断面記:日本電産へのホールIC売り込み

2013年1月4日金曜日
昨日は曇り一時晴れ。最高気温(℃) 7.6 00:09 。日中は5℃以下と寒い。ざっそう句:初仕事 庭にぽっこり モグラ塚。聖護院ダイコンを収穫。落雷で壊れたパソコンからHDDを取り出して単体チェック。カランコロンと異音。データ救出はあきらめた。情報化時代を牽引したパソコンの歴史も長くなった。当然、パソコンの頭脳部のCPUの使用量は増大したが、その周辺機の数量はパソコン以上に多く作られている。FDD、HDD、CD-ROM、DVDetcと情報記録デバイスの進歩もめざましい。これれらの装置を影で支えているのがモーターである。

2013年1月3日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.8
TMAX= 6.5 最高気温(℃) 7.6 00:09
TMIN= -0.8 最低気温(℃) -1.1 23:57
DIFF= 7.3
WMAX= 6.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.0(西北西) 02:22
SUNS= 2.2
RAIN= 0

Q
Q

会社生活断面記:日本電産へのホールIC売り込み

現役時代の前半は、カラーTVの高周波系の集積回路の開発に従事した。その後、産業用集積回路の開発部門へ異動になった。業務分野しては、民生用以外何でも良いという雰囲気であった。当時としては、民生が主力で、産業用の比重は低かった。開発技術者としては、新しい分野の開発にチャレンジするのが運命でもある。パソコンの初期は、FDも5インチと大きく、オプションの外付けがほとんどであったが、3.5インチFDはパソコンへ標準搭載となって行った。FDに使えるICとして、磁気センサーデバイスである、ホールICを開発する事になった。開発が終わり、拡販の段階で、代理店から出張の依頼があった。モーターメーカーの日本電産への売り込みであった。

日本電産のホームページ(http://www.nidec.com/ja-JP/corporate/about/history/all/1970/)の沿革によると、「社員4名、小さなプレハブ小屋から日本電産はスタートしました。
」とある。1973年(昭和48年)の創立である。1975年(昭和50年)2月 に 京都府亀岡市に亀岡工場を新設。訪問したのはこの 亀岡工場だったと思う。多分1980年代の中頃だったと思う。面談したのは、HDD用のモーター開発の技術者。ホールICの仕様を渡し、話し合う内に、HDD用としては難しそうだという雰囲気を感じた。FDならどうかと思ったが、技術者の関心はHDDにしかなかった。目標はIBMのHDDに採用される事だと語った。デカイ話だったが、素直にその話が聞けた。本気なんだとその心意気に共感を覚えた。当時の事を考えれば、無謀のように思われるかもしれないが。

帰り際に、社長語録か社員心得が印刷された名刺ほどの緑色の薄い冊子を頂いた。猛烈、高い理想等々がスローガンになっていたと記憶している。それを、事務机の引き出しの片隅に大切にとっておいた置いた事がある。たった一度だけのの訪問だったが、沿革にあるように、「世界一になる!」という迫力を感じた訪問だった。代理店の担当者が、帰りの車内で、実はこういう話があるんですよと言った。日本電産の社長が、ライバル会社が夜間煌々と電灯をつけて残業しているのに、うちの会社はもう消灯しているのかとただしたら、今は夜食を食べているところで、これから続きをするのですという返事があったので無事だったとか。猛烈の上を行く逸話であるが、振り返ると最初に描いた理想が、現在では実現されているのも事実であろう。経営者の理想や能力に基づいた有言実行が社員を鼓舞し業績を伸ばすのもまた事実であろう。コンピュータのケースを開けると、幾つものモーターやファンが搭載されているのが分かる。それを見ているとついつい昔の事を思い出してしまう。

2013年1月 2日 (水)

会社生活断面記:会津藩と薩摩藩

2013年1月2日水曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.0 04:53。ざっそう句:願掛けて 初穂供える 屋敷神。一年の初仕事は、お供えをして神仏礼拝。先祖代々の芋縁起。お供えは雑煮の芋だ。自分も戦後の食糧難を芋に助けられた芋の子だ。昨年夏の高温と小雨で夏を乗り越えた里芋が煮の主役になった。何事もない一日にも、自然や神仏や先祖のご加護があるようにも感じる。新聞に目を通し、昼過ぎから町内行事。Google関連本を拾い読み。あのOSの巨人マイクロソフトがGoogleの検索ビジネスの前では小人のようだ。今年はマイクロソフトの検索bingも使って見ようか。

2013年1月1日の天気(AMEDAS)

TAVE= 4.0
TMAX= 10.3 最高気温(℃) 10.6 14:10 
TMIN= -1.1 最低気温(℃) -2.0 04:53 
DIFF= 11.4
WMAX= 4.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.4(西) 13:52 
SUNS= 9.1
RAIN= 0

Q
Q

会社生活断面記:会津藩と薩摩藩

今春はNHKドラマ「八重の桜」に注目が集まっているようだ。歴史ドラマとなると、その時代の歴史も脚光をあびるだろう。これを機会に会社生活の一部を振り返ってみたい。

自分がサラリーマン生活を送った会社には全国各地から人材が集まっていた。自分の上司になった技術者が会津の出身であった。その記憶が以下の記事。「クレーム(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/01/post-59b8.html)(2010/1/31)」セット部門から異動して集積回路部門の上司となったが、自分で集積回路の設計をしたいと言い、部下が上司を指導するという貴重な体験に恵まれた。人の上に立つ覚悟というものがあったのではないか。部下の言いなりを最もらしくしゃべればその場の辻褄合わせは大体出来る。その上司の開発品も製品化されたが売り上げの実績はほとんどなかった。やがて、その上司は開発部門から品質保証部へ異動して、その部門の長になった。品質保証部の長は、会社を代表してクレームの矢面に立つ役でもある。顧客のクレームも是々非々で対応し、自社に過失があれば自社の責任も背負った。品質保証部門の仕事は多岐にわたり、QS9001の取得にも積極的に対応した。顧客からも会社からも従業員からも信頼を受けていた。今振り返るとそこに会津人気質もあったように思う。製造物という製品への信頼も大切だが、それ以前に、その物を作り品質を維持向上させる人への信頼が不可欠ではないか。

「新島八重。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B3%B6%E5%85%AB%E9%87%8D。(最終更新 2012年12月30日 (日) 12:40 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「新島 八重(にいじま やえ、弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和7年(1932年)6月14日)は、幕末から昭和初期の日本女性。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は「山本」。一部の手紙などでは「八重子」と署名してあることから、史料によっては「新島八重子」と書かれる場合もある。 悪妻、烈婦、元祖ハンサムウーマンなどと呼ばれる[1]ほど明治の時代にあってエネルギッシュに生き、皇族以外の女性としてはじめて政府より叙勲を受けた先進的な女性である[1]。」

「明治維新。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0。(最終更新 2012年10月28日 (日) 23:17 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「明治維新(めいじいしん)は、江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制の転換とそれに伴う一連の改革をいう。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及び、日本を東アジアで最初の西洋的国民国家体制を有する近代国家へと変貌させた。」

「会津藩。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E8%97%A9#.E4.BC.9A.E6.B4.A5.E6.9D.BE.E5.B9.B3.E5.AE.B6.E3.81.AE.E6.99.82.E4.BB.A3。(最終更新 2012年12月5日 (水) 16:43)」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「会津藩(あいづはん)は、陸奥(後の岩代)会津郡を中心に現在の福島県西部と新潟県の一部を治めた藩。藩庁は若松城(会津若松市)。最大版図は陸奥国北会津郡、耶麻郡、河沼郡、大沼郡及び越後東蒲原郡。」

「薩摩藩。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E6%91%A9%E8%97%A9。(最終更新 2012年12月24日)」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、沖縄県の大部分を服属させた。」

かつて、アメリカの半導体市場の開拓の先頭に立っていた平強氏のブログ「挑戦せよ!」の「明治維新のカギは奄美の砂糖にあり。http://tsuyoshitaira.com/。(12/12/28 金曜日11:05:42)」という記事が面白い。また、新たに今まで知らなかった古里の実力を知った感激と誇りも伝わってくる。当時のアメリカの半導体市場では、民生用半導体の需要が少なかった。アメリカ市場で売れる、自動車用、産業用、通信用、ミリタリー用等の半導体を開発して欲しいと難問を投げかけられた。「初期のテレビゲーム(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/02/post-c6ec.html)(2006/2/18)」の記事を思い出す。振り返ると「自動車用、産業用、通信用」等の半導体も日本の特技になり、更に現在はその山を越えようとしているようにも見える。平氏は上記記事の最後に「私の 故郷の探究はこれから始めなければなりません。」と記している。人にも地域にも歴史がある。進歩が余りにも早いと歴史は伝えられることなく埋もれてしまう。人材を生み育てるのも、長い歴史を持つ地域の力がなければ不可能ではないかと思う。

2012年11月14日 (水)

会社生活断面記:試行錯誤の実験でも作業仮説の有無で結果が大違い

2012年11月14日水曜日
昨日は晴れ時々曇り。最低気温(℃) 7.4 06:39 。ざっそう句:朝露に 身もダイコンも 引き締まる。一昨日の続きで二年子ダイコン苗の移植。朝飯前に畑に出た。その後用事外出。気温8℃ほど。身が引き締まる寒さ。ゴム手袋をはめてダイコン苗を引き抜く。引き抜いたダイコンと堀上げたダイコンの比較をしようとしている。わくわくしていると寒さも我慢できる。老人の冷や水になりかねないが。根が細長く、スポッと抜けると思ったが、意外に強く土を掴んでいる。根と葉の境目を掴んで引っ張ったが、力がかかり植物体を少し傷めた。ヤミクモに実験をしても無駄が多い。作業仮説として、最初に予想を付ておくだけでも、結果の評価や次の作業に役立つ。今朝デスクトップの下地の色をブルー系から暖かそうなベージュ系へ変更。

2012年11月13日の天気(AMEDAS)

TAVE= 12.4
TMAX= 16.6 最高気温(℃) 17.0 13:57 
TMIN= 7.5 最低気温(℃) 7.4 06:39 
DIFF= 9.1
WMAX= 5.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 12.0(西) 23:58 
SUNS= 5.7
RAIN= 0

Q
Q

会社生活断面記:試行錯誤の実験でも作業仮説の有無で結果が大違い

訪問先で用事を済ませてからしばし雑談。来年のカレンダーが今日届いたところだと、最初の一部を頂いた。聞くところによれば、店主お気に入りのフランス印象派の画家の絵を入れたカレンダーを毎年使っているとの事。いよいよ年の瀬が気になる時期になってきた。なにやら衆議院の解散風が吹き始めそうな気配も出てきた。「近いうち」と言葉尻だけ追っていても時間を空費するだけではないか。時計とカレンダーという計測ツールを先ず確定すべし。首相は就任時にウソをつかぬと宣誓させるべし。米国はオバマ続投。中国は習近平体制が始動。フランスはサルコジからオランドへ交代。2012年は世界主要国の指導者が入れ替わる年だが、各国は国内に山積みの問題を抱えている。新任指導者が失策を隠し、存在感を誇示しポイントを稼ぎぐために、先ず最初に始めるのが外交戦ではないか。日本の指導者は、世界の指導者と肩を並べて戦う覚悟はあるのか。

今年は、ダイコンに凝ってしまった。ところが、ダイコンは野菜の世界では大スターだ。昨日、店頭価格を見たら一本100円以上。二年子ダイコンは冬を越し春に収穫する品種らしい。その頃には、日本の新しい指導者が決まっているだろうか。国民的ダイコン政治家は期待しない方が良いのか。

ところで、ダイコン移植の作業仮説は、堀上げと引き抜きでも大差なしだ。未だ根が余り太っていないので、引き抜きで失った細根が再生するのではないかという予想と期待だ。現役時代、カスタム集積回路の開発をした。ベテランクラスの技術者をその担当者に充てた。カスタムなので失敗は許されない。集積回路は指定のパッケージに入れるため、消費電力(電流)の上限が定まる。回路設計は、システム図、個別回路図、回路常数とトップダウンに決めるのが一般的だ。担当者は予想に反して、スラスラと短期間に回路を完成させた。怪訝に思ったので、担当者にもう一度開発仕様書に適合するかチェックせよと指示した。何と電流値は上限の数倍。ともかく、動く回路は出来たが、仕様不適合。その後の電流のダイエットが苦労の連続で、開発期間は最長になった。確か試作回数一桁程度と不滅の記録を残してようやく完成した。思うに、担当者はどのような作業仮説を作って作業したか。作業仮説は見方によれば、指さし確認と同じ。作業者の頭脳の中にセットされて表には現れない。その作業仮説を持つのと持たないのでは、結果に大差が生じる。当該機種はBi-CMOSというプロセスを初めて採用した。苦労は大きかったが、後続の機種を展開できる畑作りにもなり、記憶に残る体験だったが。

2012年10月30日 (火)

会社生活断面記:オンリーワンという呪文と呪縛

2012年10月30日火曜日
昨日は晴れ。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 16.5(北西) 10:57 。帽子が飛ばされる位のかなり強い西風が吹いた。ざっそう句:焼き芋を 食って仕事だ 胸焼けだ。シークァーサの不要枝を剪定。接ぎ木苗だが今年初めて結実。ビオラとキンセンカの苗をポットに移植。本葉2~3葉程度か。播種から1ヶ月余だが、マラソンと同じように、苗の育ちに差が出ている。苗が小さいときは葉が丸みをおびて、雑草の苗と区別が難しい。本葉2~3葉程度になるとようやく雑草と区別できる姿になる。個性の発現には遺伝的な要因が大きく作用するだろうが、時間をかけて歴史的に形成される環境も無視できない。新聞の集金員が苗箱を見て、これネギでしょうという。自分もネギの種を蒔いたとの事。これからどうすれば良いか聞かれてとまどった。こちらも初めて。枯れないように手入れをして冬越しさせ、春畑に植えるだけで、苗は弱いので子育てと同じでいいんじゃねんと言ってしまい、後でテレている。

2012年10月29日の天気(AMEDAS)

TAVE= 15.9
TMAX= 20.9 最高気温(℃) 21.1 13:46 
TMIN= 11.2 最低気温(℃) 10.9 23:55 
DIFF= 9.7
WMAX= 10.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 16.5(北西) 10:57 
SUNS= 9.6
RAIN= 0


Q

会社生活断面記:オンリーワンという呪文と呪縛

現役時代を振り返ると、普通のサラリーマンは、何らかの能力を時間で切り売りしている職業のように感じた。女性の社会進出が盛んな頃は、総合職・一般職が注目を浴びた。何でもこなせるのが理想だが、広く浅くというのでは、役人の世界等を除くと、中途半端なのが現実だ。そこで、専門家やプロがもてはやされるが、その世界も必ずしも住み心地が良いとは限らない。

最近、日本の家電業界の元気がない。高度経済成長時代に3Cと呼ばれ、何とかして買おうとした、カー、カラーテレビ、クーラーも今では日用品となった。最初は、これらの製品も米国メーカーが作っていたが、日本が追いつき追い越した。そうして、現在は日本が追いつかれ、追い越されるかという厳しい状況に立たされている。工業製品は、一次産業と異なり、産地は動きやすい。

家電メーカーにとって、カラーテレビは看板商品。カラーテレビのキーデバイスといえば、昔はブラウン管だったが、現在は液晶かプラズマの平面表示装置がそのキーデバイスだ。自社にこのキーデバイスが無い場合は、外部調達という事になるが、ここで大きな差がついてしまう。その、キーデバイスである液晶パネルを内作して、液晶テレビで快進撃してきたのがシャープだろう。こつこつと積み上げてきた液晶技術の集大成とも言えるだろう。最近、シャープの経営が危機的状況になっているが、どこまで回復できるのか気になる。

テレビ用集積回路を担当して現役時代に、売り込みでシャープ矢板工場を訪問した事があった。シャープ資料によると、1968年(昭和43年)にカラーテレビ専門工場として操業を開始とある。自分が営業マンと同行したのは、ビデオが普及した1980年代だったと思う。商談は順調ではなかったが、腹蔵なく技術的な話をした事、技術者がまじめに対応してくれた事は記憶に残っている。工場は新しかったと記憶している。WEB情報によると、その矢板工場も経営再建のため縮小中だが、完全閉鎖は無いと伝えている。更に、担当が変わってから、シャープ奈良新庄工場とも関係があた。こちらには、オプトエレクトロニクス関係の工場があったと記憶している。シャープは優れたリモコン受光用デバイスを保有しており、他社を寄せ付けない程だった。かつては、シャープ以上の物を作れと尻を叩かれたがついに未達に終わった苦い経験があるだけ、シャープの技術へのこだわりを実感した。リモコンモジュールは小さな部品なので、単価は高くても二桁台だったろう。そのようなニッチな分野で地味な技術であるが市場を確実に掴んでいた。何しろ、高価なテレビでもリモコンが動かなければまともな操作もできないのだ。

それが、液晶パネルになれば、3~4桁台の単価になる。シャープが液晶テレビで快進撃をした背景には、ブラウン管テレビの生産を止め、全数液晶テレビにするという経営的な判断があったのであろう。ところが、液晶パネルの製造は集積回路と同じような装置産業としての側面を持つ。巨大な設備投資が必要になる。シャープのアニュアルレポートの設備投資の時系列動向を見るとある時期をピークに低下を始めている。今となり、シャープの経営理念「いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術をもって、広く世界の文化と福祉の向上に貢献する。」は、現実の企業運営の中でどうだったのかという事が気になった。

そこで、シャープのホームページに掲載されているアニュアルレポートの中のキーワード数を調査してみた。経営理念は、企業の運営の基本になる。一般的には、文書の冒頭部分に経営理念が出るのだが、データを見ると、それがある時から一歩後退しているようにも見える。規模の拡大に踏み込んだのか。シャープの経営理念の中の、「いたずらに規模のみを追わず」という部分に、シャープのDNAが盛り込まれているように思われるのだが。それが具体的にどんな事を意味しているかは別として、シャープマンは、歴史を通して、経営者も従業員もその意味する事を常々考えていたのではないか。それが、いつの間にか、オンリーワン=テレビ=液晶に変わってしまったのだろうか。自分から見ると、例えれば一個数十円に満たない、リモコンモジュールの中にこそ、シャープの経営理念が生きているように感じるのだ。経営者が経営理念を忘れては元も子もないが、従業員のほとんどはそれを忘れていないのではないか。シャープ従業員にとっては経営危機は想定外だったかもしれない。世間もそう思っていただろう。オンリーワンという悪夢の呪縛から解放されれば元の姿に戻れるのだろうか。ともかく、経営者がオンリーワン云々と言い出す時は要注意かもしれない。自画自賛、井の中の蛙から破綻へ向かう信号のように見えてしまう。語呂合わせのような、「ナンバーワンよりオンリーワン」という台詞も罪なものだ。シャープのアニュアルレポートannual_2004の第一ページは液晶カラーテレビの画像、第二ページに経営理念と経営信条が掲げられている。経営信条は「二意専心 誠意と創意」である。再起復活を願う。
Sharp_kw_in_arep

2012年9月18日 (火)

会社生活断面記:振り替え休日で失敗

2012年9月18日火曜日
昨日は晴れ時々曇り。風やや強。ざっそう句:雨音に つい気を許し 農休み。最高気温(℃) 33.0 11:46 。真夏日。未明の床の中で、なにやら雨音らしき音が聞こえる。朝、外に出てみると樹木の下を除けば、雨が降った跡が残っている。この雨はAMEDASに記録がなく極小雨だったようだ。「敬老の日」だから、また雨だしと、農作業を休む事にした。暦を見ると、秋彼岸が近い。天気も曇りから晴れになった。それならと墓掃除に出かけた。お盆に掃除をしているので比較的きれいであった。墓石の間が狭いと農具も入らないので雑草除去が大変。そこで墓石の間にタマリュウを少し植えた。手抜きを狙った作戦だが、うまく行くか試してみないと分からない。ところで、今年の彼岸の中日(秋分の日)は、例年の9/23ではなく9/22なのだそうだ。

2012年9月17日の天気(AMEDAS)

TAVE= 27.5
TMAX= 31.7 最高気温(℃) 33.0 11:46 
TMIN= 24.5 最低気温(℃) 24.4 05:55 
DIFF= 7.2
WMAX= 7.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.5(南東) 16:13 
SUNS= 6.7
RAIN= 0


会社生活断面記:振り替え休日で失敗

入社当時からだったと思うが、勤めた会社は原則土日が休日だった。当時は、土曜出勤の会社が多く、まわりの人からはうらやましがられた。しかし、始業時間は早く、昼休みは短く、しっかり世間並みの労働時間は確保されていた。見方によれば、勤務時間を集中させて、合理化を徹底させたという関西風のコスト感覚が背後にあったのではないか。

その合理的な考えの延長に、休日の振り替えがあった。「国民の祝日」ではあっても、労使合意のもと、休日を振り替えて、本来休日である日を出勤日にして、長期連休を作ったりした。その振り替えの犠牲?になったのが、敬老の日や勤労感謝の日だったりしたのではないかと、昔の事を思い出す。ついつい、世間様と同じように休日と思いこみ出勤を怠ったことが何度かある。あらかじめ、出勤カレンダーが配布されているが、カレンダーをみるより、仕事の都合が優先。残業、休出は当たり前だった。振り替え出勤日に無断で休めば当然ペナルティが生じる。仕方なくありていの理由をつけて有給休暇にしてくれと電話をいれる。有給休暇の取得は事前申告なのだから理由付けが困る。

国立天文台は、「国民の祝日、日曜表  (暦:よくある質問 へ) 。http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/yoko/index.html。」というタイトルで、「平成25年(2013)|平成24年(2012)| 平成23年(2011)| 法律で具体的に月日が明記されない国民の祝日のうち、春分の日・秋分の日は、 前年の2月の官報に暦要項を掲載することにより発表しています。また、成人の日:1月の第2月曜日、海の日:7月の第3月曜日、敬老の日:9月の第3月曜日、体育の日:10月の第2月曜日と決められています。 これにくわえて、「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、その日の後で最も近い「国民の祝日」でない日を休日とします。また、その前日および翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る)は、休日とすることになっています。 (参考:  「国民の祝日」についてhttp://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html:内閣府のホームページ)」

国立天文台は、別の記事で「秋分の日が動き出す。http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2012_2.html。(暦象年表2012より)」というタイトルで、「国民の祝日に関する法律では,秋分の日は秋分日となっており,具体的な日付が記されていない.ここでいう秋分日とは二十四節気の秋分を含む日,つまり太陽が秋分点を通過する日のことである.このような定義の仕方は秋季皇霊祭が休暇日に定められた明治11年(1878) 6月5日 太政官達 第23号のころから変わっていない. 変わっていないといえば,秋分の日は長らく9月23日のままであった.平成24年(2012),これがついに9月22日となる.9月23日でなくなるのは昭和54年(1979) 9月24日以来33年ぶり,9月22日になるのは明治29年(1896)以来116年ぶりの出来事である.今回はこのあたりの背景について考えてみよう.」と報じた。

現役時代は、秋分の日も、振り替えで出勤になった事もあったように思う。今年の秋分の日が9/22となって、調子が狂う人はいるのだろうかとふと思った。暦やカレンダーはどのようにして作るのか、ちょっとした疑問があったのだが、「 法律で具体的に月日が明記されない国民の祝日のうち、春分の日・秋分の日は、 前年の2月の官報に暦要項を掲載することにより発表しています。」という記事を見て納得した。時刻、暦を維持管理する事は、国民生活の基本でもある。今年、閏秒が実施されたのも記憶に新しい。現代は秒単位の生活から抜け出せなくなっている。我がXP2パソコンも定期的にどこかのタイムサーバーに接続してパソコン時計時刻を校正しているようだ。電波時計と比較するとほぼ一致している。ME機では分単位の時刻の狂いは当たり前だった。時間に追われないスローライフが理想なのだが。

「閏秒。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8F%E7%A7%92#.E9.96.8F.E7.A7.92.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E5.8D.94.E5.AE.9A.E4.B8.96.E7.95.8C.E6.99.82.28UTC.29.E8.AA.BF.E6.95.B4.E3.81.AE.E4.BB.95.E7.B5.84.E3.81.BF。(最終更新 2012年9月1日 (土) 09:32 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「閏秒(うるうびょう、英: leap second)は、現行の協定世界時 (UTC) において、UT1との差を調整するために追加または削除される秒である[1][2]。閏秒によるUTCの調整は1972年に始まり、2012年7月1日までに実施された計25回は、いずれも1秒追加による調整であった[3][4][5]。」

2012年8月22日 (水)

会社生活断面記(愛しきもの 道具達):運良く雑草の海に無くしたセンテイバサミを発見

2012年8月22日水曜日
昨日は晴れ。ざっそう句:コンビニへ 三度通って 一仕事。最高気温(℃) 36.6 15:57 。連日の猛暑日。朝、コンコンと玄関を叩く音。近所のおばさんが先日のお礼を持ってきて立ち話。翌日、体調を崩して家人等と連絡を取るのが大変だったとか。日中は一人になる。携帯を持たせてもらったらと要らぬ説教。畑で倒れたって誰も来ないよと山の神の声を思い出しつつのたまう。その後、要所のみ灌水。御身大切と手抜き。宅内で整理事。夕刻、自転車で慣れないコンビニ決済に出かける。お客さん、この番号では出ないですよ。?桁の番号を探してください。あった。手帳に控える。コンビニが目の前になって、その手帳を忘れたのに気づき、取りに戻る。ようやく仕事が終わって、今日は良い運動したと前向きに考えた。熟睡中に両足が攣れて脂汗。

2012年8月21日の天気

TAVE= 29.6
TMAX= 35.8 最高気温(℃) 36.6 15:57
TMIN= 23.8 最低気温(℃) 23.8 06:02
DIFF= 12
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.1(東南東) 18:21
SUNS= 12.5
RAIN= 0


会社生活断面記(愛しきもの 道具達):運良く雑草の海に無くしたセンテイバサミを発見

Senteibasami_hakkenn

農作業の時、色々な道具を身につける。その一つがセンテイバサミ。根付け方式で、根付けとしては百均の鈴を付けている。ヒモは緑色のポリヒモ。農業資材は、緑色のものが多い。これが、農作業にとっては保護色のようになって、不便で気に入らない。視認性の高い、黄色やオレンジ色があると助かる。

鈴をベルトにはさんでぶら下げ、必要な時にすぐ取り出せるようにしているのだが、刈払作業中に紛失してしまった。原因は、鈴の大きさがやや小さく、ベルトから外れた。気づいた所で、すぐに動作を辿り、センテイバサミ探しをしたら、運良く雑草の海に沈みかけているのを発見。丁度デジカメも持っていたのでその様子を納めた。

かつて、大阪駐在中、本居宣長記念館(三重県松坂市)を訪問した事がある。そこで、本居宣長が鈴を、こよなく愛していたと紹介されていた事を思い出した。そこで、WIKIPEDIAで調べると、本居宣長と鈴の関係が良く分かる。「鈴コレクター」だったとは初めて知った。

「本居宣長。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7。(最終更新 2012年8月19日 (日) 14:49 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「本居 宣長(もとおり のりなが、1730年6月21日(享保15年5月7日) - 1801年11月5日(享和元年9月29日))は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵、自宅の鈴屋(すずのや)[1]にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた。当時、既に解読不能に陥っていた『古事記』の解読に成功し、『古事記伝』を著した。紀州徳川家に「玉くしげ別本」の中で寛刑主義をすすめた。~鈴コレクターで、駅鈴のレプリカなど珍しいものを多く所有していた。また、自宅に「鈴屋」という屋号もつけている。」とある。

本居宣長がなぜ、それほど鈴を愛したか。学問の研究に疲れた時、鈴の音を聞いて、学問への初心を鼓舞したのだというような解説があったような記憶が残っている。前人未踏の仕事をやり遂げるのは大変な事だ。だれもその意義を理解できない。説明してもまともに受け取ってもらえない。そんな時、自分で鈴を振って、その音を聞いている本居宣長の姿をイメージすると、「鈴屋」という屋号にも納得するのである。

鈴の付いたセンテイバサミを時々使い、その音を聞くのも、ネコの首に付けた鈴のようで、無駄でもないようだ。一人仕事の気晴らしや励みにもなる。我が家では、蛍光灯SW用のヒモの先に、このセンテイバサミと兄弟の鈴を付けている。真っ暗の中で点灯しようと、手探りでヒモを探す時、ここにあるよと音で教えてくれる。これは意外と便利だ。

2011年9月 2日 (金)

会社生活断面記:「挑戦せよ!平強氏最新ブログ」を読む。若者よ世界に目を向けよ。

2011/9/2
昨日は雨。台風12号の影響で断続的だが大雨となった。雨の強弱もあり、その様子をエクセルでグラフにしてみた。伊勢崎南部では大雨で駐車場が水浸しになっている様子がNHKニュースで流れた。大型大台風なので日本に上陸すると大変だ。仕事は休んで20年以上前の資料を眺めた。

2011/9/1の天気

TAVE= 24.5
TMAX= 26.6
TMIN= 22.8
DIFF= 3.8
WMAX= 2.6
SUNS= 0.3
RAIN= 258.5

W20110901_isesaki
2011/9/1の気温と雨量

会社生活断面記:「挑戦せよ!平強氏最新ブログ」を読む。若者よ世界に目を向けよ。

平強氏と仕事をしたのは既に20年以上前の事である。元々は回路技術者であったが、多分音響関係の仕事がメインであり、専門分野での付き合いはほとんどなかった。その後、半導体の海外営業部門に異動し、米国での拡販に従事した。その時、半導体の技術情報等でサポートした記憶がある。日本半導体市場がが民生品中心であるのに対して、米国の半導体市場は、軍用とか産業用が中心で、拡販には苦労が多かったようだ。あの広い米国を飛び回っていたので、急ぎの場合の連絡をとるのが大変であった、そんな中で、MIL-STDに準拠した製品開発の話があり、それを当時の担当部署が開発を引き受け、自分のグループにその仕事が廻ってきた。これは何とか軌道にのせる事が出来た。当時、アタリのゲーム器用のレギュレータ開発依頼があり、これにもチャレンジして、開発は成功したが、結局売れなかった。いわば、特定用途の標準品(ASSP)としの開発であった。米国では、ベンチャー企業が種々の集積回路開発をしているようで、それらの開発依頼もかなりあった。しかし、日本の半導体生産はほとんどが、企業の中の一部門という形態であり、ベンチャー企業と付き合いが簡単にできる体制ではなかったと思う。平強氏は技術者という立場から、既に生産している商品を売るよりも、これからの商品を探して、それを開発し販売するという開発営業的な発想が強かったと思う。退職後の消息はしばらく分からなかったが、ある時、ベンチャー資本家として活動している事を知った。

平強氏の最新のブログは、「Anecdotes from an Accidental Entrepreneur - The Story of Anand Rajaraman and Junglee;url=http://tsuyoshitaira.com/(11/08/25 木曜日9:35:30)」というタイトルで、「Presentation by Anand at My Story, a TiE Silicon Valley Program on August 4, 2011. Tsuyoshi Taira introduced Anand and joined the Q&A session. 」と、今回は全文英語であった。内容は「My Story: Inspiring Journey of an Entrepreneur...Featuring Anand Rajaramanurl=http://sv.tie.org/event/my-story-inspiring-journey-entrepreneurfeaturing-anand-rajaraman」の講演と重なるようだ。今日、Googleがネット検索のトップ企業だが、それ以前のネット検索ベンチャー企業Jungleeに投資し、それが成功した事を述べている。平強氏の記事によるとJungleeはその後AMAZONに買収され、AMAZONの屋台骨を支えているようだ。

TiE Silicon Valley/The Global Network of Entrepreneurs;http://sv.tie.org/major-eventsはシリコンバレーの起業家向けの組織のようだ。このサイトを覗くと多くの外国人(米国でこういう言い方が妥当かわからないが)起業家がいるのが分かる。TiEcon について、「TiEcon is TiE’s premier annual event and is the largest convention in the world dedicated to entrepreneurs. Recent TiEcons have featured some of the most eminent speakers from industry including Larry Page, Steve Ballmer (CEO Microsoft), Tony Hsieh (CEO, Zappos), Ted Turner (Philanthropist, Businessman), Eric Schmidt (CEO Google), Larry Ellison (CEO Oracle), Narayana Murthy (Founder Infosys), Peter Theil (Founder Paypal), Dr Irwin Jacobs (co‐founder, Qualcomm), and Aneesh Chopra (First Federal CTO of USA).」と紹介している。マイクロソフトのSteve Ballmer CEOもスピーチをしている。

そのスピーカーの一人について調べた。:「Anand Rajaraman Senior Vice President/Co-Founder
Walmart Global eCommerce/Kosmix」 url=http://sv.tie.org/speaker/anand-rajaramanによると、「Anand and Venky are active angel investors and are among the handful of preferred angel investors in Facebook in 2005.」、「Anand teaches a class on Data Mining at the computer science department at Stanford University. He recently co-authored a textbook, Mining of Massive Datasets, with Stanford University professor Jeff Ullman. The book has been downloaded over 50,000 times in the first month alone.~Anand obtained his master’s and doctoral degrees in computer science from Stanford University and his bachelor’s in computer science from the Indian Institute of Technology, Madras, where he received the President’s Gold Medal for academic excellence. He regularly writes about venture capital, entrepreneurship, big data, search, and social media on his blog Datawocky and on Twitter (@anand_raj) .」とある。

平強氏も起業家を支援する「angel investors」の一人であるが、米国にはそのような体制があることがベンチャー企業が生まれるインフラになっているように感じる。ところで、Anand Rajaramanという名前もインド系の名前と思われる。Anand/Anand=アーナンダ、阿難陀◆釈迦の十大弟子の一人に通じるのだろうか。ともかく、ITの世界ではインドの活躍がめざましい。平強氏はJungleeが起業された当時を振り返っているが、ベンチャー企業が借金を返せるまでに成長させるのは大変だろう。また、当然色々な面で行き詰まる事も多い。そういう場合の適切なアドバイスも成功には不可欠だ。自分も日本のベンチャー企業といくつかお付き合いをした事があるが、色々チャレンジするにも年齢という壁は必ず存在する。一度、チャレンジして失敗しても、再チャレンジができる程度の社会的なバックアップが整っていればチャレンジもしやすいのではないか。米国の場合、チャレンジして成功した人が、次ぎにチャレンジする人を支援しているようで日米の風土の差を感じてしまう。日本の若者も世界に目を向けて欲しいものだ。日本がだめならアメリカ/世界あるのではないか。そう言っても、平強氏の滞米生活と技術的なキャリアーは長い。やはり、外向きのチャレンジ精神も持ち合わせているのだろう。

2011年8月 5日 (金)

会社生活断面記:同期の同僚

2011/8/5
昨日は昼間晴れ。暑さが戻り、アブラゼミが元気になってきた。昼間で下草刈り。シャツが重くなる位汗をかいた。塩分は梅干しで補給。マリーゴールドを水差し。茎の下部は少し気根が出かけている部分があった。発根しやすい草花のようだ。

2011/8/4の天気

TAVE= 27.0
TMAX= 31
TMIN= 23.6
DIFF= 7.4
WMAX= 4.8
SUNS= 5.1
RAIN= 0

最高気温(℃) =32.5 (13:14 )

ざっそう句:セミ

■独身で夜鳴くセミの寂しさよ
■アブラゼミ鳴けば鳴くほど汗が吹く

中日新聞は、「京大チーム、iPS細胞で精子作製 世界初、マウス誕生
;url=http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011080590012128.html(2011年8月5日 01時54分)」というタイトルで、「京都大の斎藤通紀教授(分子生物学)らのチームが、マウスのiPS(人工多能性幹)細胞から精子を作り出し、その精子で正常なマウスを誕生させることに世界で初めて成功した。4日付の米科学誌セルの電子版に発表した。不妊症の解明などに役立つほか、ヒトのiPS細胞などから精子や卵子を作る研究も加速するとみられる。命の誕生に直結する研究だけに、倫理面での議論も活発になりそうだ。」と報じた。

iPS(人工多能性幹)細胞の研究が急ピッチで進んでいるようだ。上記の発表記事では遺伝子そのものを操作しているのか否かははっきりしない。ともかく、完全な精子と完全な卵子を作るにはオス、メスという個別の成体が必要なようだ。それが不要になると遺伝子から工場のようなところで生物が作られるようになってしまいそうだ。精子、卵子にとって、成体そのものが生きて行く環境なのだろう。人工的に色々な操作で色々な生命ができたとしても、自然の中で歴史的に作られてきた生命は、それなりに優秀、タフで洗練されてるのではないか。人間には、自然が当たり前にやっている事が見えないだけではないか。余り急ぎすぎて、実用化や利益を追求しすると原発の二の舞になりそうな不気味さを感じる。

東北の海よ;会社生活断面記:同期の同僚

会社生活で付き合いは長いが意外に知らない部分のあった人がいる。もう、同期の同僚は元の会社には一人もいないだろう。何かの縁で同じ会社に入り、また入社以前のように別れていった。同期入社でも部門や部署が違うと付き合いの濃淡は変わる。回路屋でもラジオが中心の同僚がいた。大学が東北方面らしかったので生まれもそうだったのだろうと今になって想像している。自分の分野はTVや汎用ICだったので直接的な仕事上の関係は余り無かった。分野や部署が近いのでそれなりに付き合いがあった。そんな彼は「ごめんネ」という言葉をよく使っていた。いわば、この言葉が彼の呼びかけ言葉で、トレードマークのようでもあった。中には「スイマセン」と言う人もいたが、「ごめんネ」がいつも口から出ている人は少ないのでは。東北の人はそういう呼びかけをするのだろうか。今となって、自分なら同僚にどういっただろうかと思う。すぐに浮かんでこない。「ヤー」、「チョット」、「アノー」とか言ったのではないだろうか。「ごめんネ」とはとうてい言えなかったと思う。良くシールド室に入って、コイルを巻いたり、プリント基板を作ったり、疑似ループアンテナで測定したりと地味な仕事を黙々とこなしていた。ラジオも高周波。テレビもVIFとなると高周波で共通する一面がある。確か「ごめん」という時も「ごめんネ」という時もあったがその使い分けはすっかり忘れている。彼氏は営業部門に出されていた事もあった。営業部門に出てともかく「ごめんネ」とへりくだるのも大切な事は理性的には理解できるが、それを実際の社会生活で貫くのは大変だ。東北人らしさはこういうところにもあるのだろうか。ビジネスフレーズで「申し訳有りませんが」はATOKの辞書登録しているがそれを使うことも少なくなった。やはり、会社生活で、俺俺と、放言丸出しで元気が良かったのは関西人のようであった。

*******************************************
CEEK.JPにて「地デジ」キーワードにてニュース検索:2011/8/4
最初の2~3日部分のみ引用。(記事が折り返し表示されれない。)

604 件の記事の 1 件目 ~ 100 件目 (重複6件は非表示です) 次の100件 →
45メートルの巨大かがり火 6日に川北まつり (地方・地域) 03:21 北國新聞
日立:薄型テレビ外部委託へ ソニーも販売目標下... (その他) 03日 23:20 毎日新聞
録画番組をLAN超しでブルーレイにダビング「DiXiM ... (電脳) 03日 19:51 MYCOM Journal
SSDが再浮上──自作PC一新/ぷちパワーアップ需要... (電脳) 03日 17:00 ITmedia
地デジ化の駆け込みでレコーダーが7月に過去最大の... (電脳) 03日 15:47 ITmedia
【連載】地デジの足音 第71回 アナログ停波後2回目... (電脳) 03日 15:12 MYCOM Journal
日立:TV自社生産、年度内にも撤退…価格急落で... (その他) 03日 13:12 毎日新聞
アイ・オー、スマートフォンで利用できるNAS (電脳) 03日 12:49 impress
アイ・オー、スマートフォン遠隔動画視聴対応のLAN... (電脳) 03日 11:00 impress
地デジ移行後相談28万件余 (その他) 03日 06:17 NHK
「日銀サーベイ」金利予想、経済物価情勢、金融政... (経済) 03日 06:00 Bloomberg.co.jp
地デジ完全移行10日「ひとまず成功... (エンターテイメント) 03日 00:12 産経新聞
地デジ相談累計28万2千件 7月24~31日 (電脳) 02日 23:20 朝日新聞
<魁:日本株銘柄レポート>米景気懸念の欧... (中国・朝鮮) 02日 21:02 サーチナ
地デジ駆け込みで、レコーダ7月売上が過去最高の伸... (電脳) 02日 18:55 impress
相談電話28万本…地デジコールセンター (経済) 02日 17:47 読売新聞
ワンセグも映らなくなる? 地デジの「チャンネル再... (電脳) 02日 17:25 ITmedia
USB地デジチューナーが上位に──ただし予想ほど…... (電脳) 02日 17:00 ITmedia
ダウンタウン松本、アナログ化宣言... (エンターテイメント) 02日 12:00 MYCOM Journal
地デジ化1週間 相談「半減」ホッと一息 (地方・地域) 02日 09:51 大分合同新聞
「IP告知端末」が稼働 安否確認に活用 (地方・地域) 02日 08:59 福島民報
[ダウンタウン]「リンカーン」レ... (エンターテイメント) 02日 05:00 MYCOM Journal

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2023  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)