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2009年7月

2009年7月30日 (木)

ガリ版印刷

2009/7/30

ガリ版印刷

活字を使う印刷は仕上がりが良いが時間と金がかかる。その点、ガリ版印刷は手軽で安価

であったので、昭和20~30年代にはかなり普及していたようだ。学校の連絡やテスト等はガ

リ版が多かった。ガリ版の印刷物には大変お世話になった筈である。しかし、その負担はガ

リ版を書いたり、印刷したりする人にかかっていた。ワープロとプリンターの出現で印刷作業

はかなり楽になったと思う。入社当時は連絡等の簡易配布文書は青焼きが多かった。これ

は青焼き用の原稿を作り、薬剤を塗布した感光紙に露光して薬液の中で現像する方式だっ

たと思う。技術の現場で使う配線図等も青焼きであった。青焼きも電子露光式のPPCの普

及でいつしか無くなった。30年以上前の青焼きコピーがが変色しつつも、かすかな臭いと共

に残っている。作成目的から見れば完全にご用済みなのだが、残っているとつい見たくなる。

しかし、いずれゴミとなり捨てられる時が来るだろう。

2009年7月29日 (水)

同窓会

2009/7/29

同窓会

ある会合で中学校の同窓生の誰それですと名乗られて、そーでしたかと恐縮した事がある。

すでに十数年前になるが中学校の同窓会が行われた。なかなか名前と顔が対応しない。し

かし、しばらく一緒に昔話に興じてくるとようやく過去の記憶と現在の関係がリフレシュされて

話が通じるようになる。同窓会も幹事が熱心であると共に同窓会をやろうという機運が盛り上

がって開催にいたるのであろう。不思議な事に数百人の同学年の生徒がいても、小学校と中

学校を通して一度も同じクラスになった事がない人もいる。しかし、50名位のクラスの中には

馴染みのない人もいる。逆にクラスを越えてつき合っている人もいる。同窓会の時の一枚の

集合写真を見ていると色々な事が思い出される。冒頭の一件で同窓会の名簿を調べた。ど

うも同じクラスになった事はなさそうだ。しかし、中学卒業後何十年もたって、新しいつき合い

が始まるのも不思議な思いがする。

2009年7月28日 (火)

戦時中の国防訓練

2009/7/28

戦時中の国防訓練

戦争も終末に近づき敵軍が日本本土に上陸する事が現実問題になってきた頃の話である。

当時の軍隊に入る前の高校生達は、毎日海岸に上陸する戦車をめがけて爆弾を抱えて突

入する訓練をしたとの事である。こういう訓練をさせられた本人から聞いた話なので実感が

漂っていた。ともかく、何事もなく生きながらえたから話せた話に違いはない。特攻隊、人間

魚雷、肉弾兵士等々何か日本人の精神構造の中には玉砕という物事の解決法が潜んでい

るようだ。死者に口は無い。死んだ人を攻めるのは潔しとしない。このような人間の弱みを逆

用する輩もいるようだ。自殺を禁止するという宗教観、生命観も日本と西洋と日本の精神構

造の相違の一つかもしれない。インパール作戦で無駄死にするのが明白であった自分の部

下を軍命に背いて進軍させなかった佐藤幸徳中将の心中にはどのような考えが巡っていた

のかつい考えてしまう。佐藤中将がノモンハン事件に従軍していた少将の頃の揮毫に「日月

照明」というのがある。単純な自然の理を以て人倫の基本を述べているのではないかと思

う。軍隊という位階が絶対的な世界の上にも日月という天体(人倫の基本)が明るく照らし正

邪を見通している。別な揮毫に「明大義正名分」というのがある。こちらは同中将の行動原理

のように思える。この戦争の大義は何か、自分は皇軍の司令官として何を為すべきか為さざ

るべきか。もし、佐藤中将が抗命せずにインパール作戦に突入して多数の兵や戦場の市民

を無駄死にさせたならば戦後の日本の、天皇の地位はどうなっていたのか。

2009年7月27日 (月)

戦時中の病人

2009/7/27

戦時中の病人

戦時中は壮健な成人男子は軍隊にとられた。あとに残されたのはそれ以外の人々という事

になる。戦時中に病気になった人々は、今思うと大変つらい思いをしたのではないか。食料

不足だけではなく、医薬品も不足して十分な治療も受けられなかった。自分で通院できない

病人は誰かの世話になる必要があった。母も病人の看護をしたり、リヤカーに乗せて通院さ

せた時の話をした事があった。医者までの距離を考えると大変であった事が実感できた。最

近、国定忠次が発病したとき戸板に乗せられて隠れ家を移動した云々という話を本で読ん

だ。ともかく、自分で動けない病人はどれ程肩身の狭い思いをしたことであろう。しかし、江戸

時代であれ、戦時中であれ、大変な苦労や心配はあったろうが近縁者が病人に対しては可

能な限りの手当を行ったのも事実であろう。

2009年7月26日 (日)

里帰り

2009/7/26

里帰り

何となく思い出す風景は母が子供達を連れて実家に帰る時の事。数㎞の道を一時間前後か

けてとぼとぼ歩いた。人家も余り見えない用水路沿いの道であった。行き来の時間に何を話

したのかももはや思い出せない。多分もっと歩くのかと何回も何回も聞いてようやく実家にた

どり着いたのではないか。幼少の頃はよく実家に帰った記憶があるが大きくなると実家の距

離も遠くなった。母が大変な苦労ををしても実家に帰りたかったのはやはり父母や兄弟がい

て日常の生活から解放されるのがうれしかったからなのであろう。ともかく子供全員を連れて

移動するのは当時は大変な事であった。自分が妻子を連れて東京見物をしたときに同じ様

な気分になった。家族サービスで小さな子供達と一緒に出かけたのであるが一行の足並み

が乱れると不安になる。道中頼る人もいないのは本当に心細く、家出した家族のように見ら

れたのではないかと後から思った。

2009年7月25日 (土)

菱の実

2009/7/25

菱の実

夏の遊びと言えば先ず水泳が思い出される。幼児の水遊びは近くの小川の洗濯場であっ

た。ここを卒業すると一人前の少年として近くのため池で泳いだ。当時は水面に浮き草のよ

うな菱がかなりはびこっていた。これに白い花が咲き菱形の緑色をした実を付けた。外部の

殻が軟らかいときにその実をとって中身を食べた。これもちょっとした気分転換の遊びの一

つであったのかもしれない。遊びをしながら何かたべられるものがあるとそれを食べる。川辺

に生えていたマコモの若い茎も食べた記憶がある。これは魚取りのついでの遊びだった。水

中のマコモの根の周辺は魚の隠れ家になっていた。今日では菱もマコモも余り見かけない。

生態系が単調なものになってしまったようだ。

2009年7月24日 (金)

小学校の教科書

2009/7/24

小学校の教科書

小学校時代の教科書を思い出そうとしているが余り手がかりがない。終戦直後の教科書は

墨塗りのものもあったと伝えられている。出版事情が安定してからは教科書もそれなりに安

定したようだ。教科書のデータベースで小学校算数の教科書の著者を調べてみた。自分が

使った算数の教科書の著者が誰か気になった。有名な数学者の名前が出てきた。自国の子

供の教育に一肌脱いでやろうという心意気があったのか。教科書の検定とかは裁判にもなっ

て長く尾を引いた。教科書代金は自己負担の時期がかなりの期間続いた。その後、国費負

担となった。自分の年代の義務教育の9年間の教科書代は父兄が負担したわけである。生

活が苦しい時期に義務教育の最も重要な教材の負担を父母にたよっていたのである。逆に

戦後の成長を支えた基礎教育は自分たちの力で達成したのだと誇りを持って良いのではな

いか。自分の子供達の使用した教科書は捨てずに残すようにしてきた。探せば物置の隅か

ら出てくる可能性がある。義務教育期間の各教科の教科書を全部集めると相当の量になる

と思う。成人してすっかり教科書の事など忘れてしまうが、教科書の有り難さに気づかないの

は幸せな事なのか。一人の人間の教育に必要な教育資材を物量で図るのは不届きな気も

するが、教科書以外に使う参考書や本の量を集めると更に膨大な量になる。それが一回使

われるか使われないかで処分されてしまう。貧困国はそのような贅沢はできない。本当にも

ったいないと思う。

2009年7月23日 (木)

チャンペラ

2009/7/3

チャンペラ

学習塾には行かなかった。というよりそういうユトリがなかった。そこでお世話になったのが、

教科書の学習ポイントを解説した「トラの巻」であった。当時チャンペラと言っていたと思う。と

もかく、重要な所は赤文字で印刷してあったりでにわか勉強には効率が良かった。勉強の成

績が気になり始めた頃からチャンペラを使い始めてのであろう。自宅から数キロある書店に

買いに行ったのであろう。志望校を決めるには自分の相対的な学力を知る必要があった。

当時は業者が模擬試験を開催して希望者がそれを受けた。模擬試験と言えどもその点数に

はやきもきした。暗記物は嫌いであまりその重要性を評価しなかったが、母が歴代の天皇名

を暗唱していてすらすら言えたのとは対照的であった。日本史は暗記が多いと思いこみ、何

となく日本史は食わず嫌いになってしまった。チャンペラも模擬試験もかっては目先の課題で

お世話になったのだが、今となってはなかなか記憶の表面に現れてきない。そういえば、旺

文社の豆単にもお世話になったことがあったかもしれない。

2009年7月22日 (水)

空中配線

2009/7/22

空中配線

アマチュアが電気工作をする時はラグ板とかを使った。それも無いときは部品と部品を直接

半田付けをした。空中配線と言ってよいだろう。会社で集積回路を開発する場合、色々な手

法があるのだが、ともかく実際に動く回路を作る事も重要であった。実証にはシミュレーショ

ン等バーチャルな検証が全く及ばない事実の重さがある。動くはずだと思っても動かない理

由なぞ無数にある。そういう動かない理由を全て取り去ると動かせる状態になる。大抵はそう

いう作業のためにブレッドボードという全ての部品を実装した基板を作る。この基板を使って

細かな詰めを行った。ところが、周波数が高くなると浮遊容量とか寄生インダクタンスとかが

いたずらをして発振が起こったり、回路の動作が不安定になって困ったことがあった。これを

解決したのが例の空中配線であった。能動素子であるトランジスタは金属ケースに封止して

そのケースをプリント基板の銅箔面に直接半田付けした。上部に出た足と他の部品の間は

空中で配線した。ある時、見学に来た来客に上司が高周波の集積回路の検討にはこんなブ

レッドボードを使っていると説明した。自分としてはきれいにプリント基板に作られたブレッド

ボードが無いことに何となく気恥ずかしい思いがした。しかし、ショックレー等がトランジスター

動作を確認した装置とかキルビーが作った最初の集積回路のモデルを見ると本当にがらく

たにしか見えない。動かそうとした人が動いたと確認できればその装置の使命は果たせたの

だ。実際に動かすことは十分条件ではないが必要条件なのである。ともかく、大量生産する

ために、たった一台だけ手作りで作られた空中配線のブレッドボードがこの世に存在した事

は確かなのである。

2009年7月21日 (火)

某教団系パソコンショップ

2009/7/21

某教団系パソコンショップ

秋葉原は色々な人々に色々な思い出を残していることであろう。駐留米軍の放出品を売る露

天商が秋葉原商店街のルーツとのことで色々なビジネスが生まれたり消えたりしてきた。自

分の興味も無線、部品、ジャンクと秋葉原のルーツの部分に惹かれて秋葉原に通った。その

後、自作パソコンの流れが大きくなり昔の秋葉原雰囲気も大きく変わった。最近は某国の首

相もここで演説をするとかで更に変化の波が押し寄せているようだ。土日の秋葉原のパソコ

ン街は人の波であふれる。ショップの客引きも多い。その中で一風変わったパフォーマンスを

している宣伝隊がいた。あえて近づくまでも遠くで見過ごした。しかし、ふと紛れ込んだパソコ

ンショップの雰囲気がどうも不思議な感覚がして、変な所に入ってしまった悔やんだ。普通の

店にはないような香をたいていて、店員の雰囲気も他店とは違っている。売っているソフトも

メジャーなものではなく、あまりなじみが無くしかも高価であったように思う。その後、会社で某

教団系の何とかというパソコンショップが秋葉原にあると言うことが話題になった。やばい、あ

そこで買ってしまったという声もあったような気がした。ひょっとしたらあの店がそうだったの

かと思ったりした。間違って入ったお上りさんよろしく店を一回りして直ぐに外に出て胸をなで

おろした。はっきりした時期は覚えていないが1990年代の前半頃であったと思う。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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