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2010年10月

2010年10月11日 (月)

雑草句録:はさみ研ぎ

2010/10/11

雑草句録:はさみ研ぎ

■はさみ研ぎ切れ味鈍る秋の暮れ

刃物は石器時代からあるので刃物の歴史は人類の道具を作る歴史と共に始まった位長いようだ。刃物の原型は一枚刃であるが、何故切れるのか、切れ味は何が決めているのか良く分からない。刃物の本によれば極微の面積の刃先に力が集中して素材の粒子に滑りが生じてその不可逆変形の結果が切断になるようだ。簡単に言えば力を集中させる道具だ。接木をするのに刃が薄ければ良い結果がでるのではないかと思い安全カミソリの刃を使ってみたが使い勝手が悪く失敗であった。刃の食い込みは良いが削ぎ落とすとき方向の制御ができない。軟らかい果菜類の苗なら適すると思うが、樹木の接ぎ木には相手が固すぎて不適なようだ。

はさみは二枚の刃を組み合わせた刃物で研ぎ方が難しい。単に平の刃を交差するのではなく、刃の全体に反りと捻れを入れているという事を最近本で知った。更に小刃が付いている。この三つの関係を頭に入れて研ぎと調整をしないと切れ味は良くならないのだろうと気付いた。この句作時は期待に反して切れ味は研ぐ前より鈍ってしまった。研いだはさみは古いラシャはさみで布切り用だ。裁縫という言葉が古語になるほどの時代でほとんど出番が無くなっていた。紙なら何とか切れたが、ビニールを切ろうとしたのも研いだ動機であったが、ビニールは刃に挟まって伸びただけであった。ビニールが切れれば鋏研ぎも一人前かもしれない。いつかまた挑戦してみたい。

追記:ビニール切り用のはさみもあるらしい。普段、よく使う刃物は包丁やひげそり程度であろう。包丁がない家庭が話題になった事もあったようだ。刃物研ぎは男の仕事として、切れなくなった包丁にイライラして研ぐこともある。製造業の基礎となる工作機械や医療の手術等も刃物無しでは考えられない。WIKIPEDIA(最終更新 2010年6月13日 (日) 06:23 )で刃物が最も進化したマシニングセンタを調べたので以下に抜粋する:

「マシニングセンタ(machining center)は、自動工具交換機能をもち、目的に合わせてフライス加工・中ぐり加工・ねじ立てなどの異種の加工を1台で行うことができる工作機械。工具マガジンには多数の切削工具を格納し、コンピュータ数値制御(CNC)の指令によって自動的に加工を行う。

旋盤との大きな違いは、旋盤が「ワークを回転させて削る」のに対し、マシニングセンタ(フライス盤)は「刃物を回転させてテーブルに固定してあるワークを削る」点である。NCフライス盤との違いは、ATC(Automatic Tool Changer、工具自動交換装置)の有無である。

マシニングセンタの特徴

マシニングセンタは、ドリル、エンドミル、フェイスミルなどの「刃物を回転させて」テーブルに固定されているワークを削る。この点で、ワークを回転させて、刃物をあてる旋盤とは異なる。 また、NCフライス盤と違い、ATC(自動工具交換装置)を備え、自動で工具を交換することができるのも特徴である。 そして、これらのことをNC及びCNC装置を使って自動で行うことも、マシニングセンタの特徴である。」

ついでに超微細な切削をおこなうミクロトームについてWIKIPEDIA(最終更新 2010年8月8日 (日) 14:00 )で調べた。以下その抜粋:

「存在意義と必要条件 [編集]
生物学・医学・鉱物学などで顕微鏡を用いて組織を観察する際、通常プレパラートを作成して行う。このプレパラートを作成する際には、観察を確実かつ容易にするために試料を均一かつ薄く切り出す必要がある。特に高倍率での観察の際には顕著に被写界深度が浅く(ピントのあう範囲が狭く)なる。さらに、透過型電子顕微鏡(TEM)での観察の場合は、電子線を透過させる結像原理から超極薄の試料が要求される。カミソリを用いて試料を手動で切り出すなどの方法では精度に限界があるため、ミクロトームが必要とされる。ミクロトームを用いた場合、マイクロメートルのオーダーから数十ナノメートルに至る薄さでの均質な切り出しを確実に行うことができる。特に、TEM観察用の極薄切片の切り出しが可能なものをウルトラミクロトームと呼ぶ。」

「マイクロメートルのオーダーから数十ナノメートルに至る薄さ」に物を切断する技術にも興味が湧く。実は接ぎ木した穂木と台木の細胞がどのようにしてつながっているのかが知りたいのだがまだその写真等を見たことがない。これは植物の話だが、動物の場合は臓器移植の例に該当するだろう。想像では植物も動物も異なる組織が接合した場合、その境界の細胞を肉眼(顕微鏡レベル)で区別しにくいのではないかと思う。お互いに細胞が相手の領域に進出して混じり合っているのではないか。

2010年10月10日 (日)

雑草句録:こぼれ種

2010/10/10

10月8日のブログ記事に2010年のノーベル化学賞について書いた。授賞を発表したスウェーデンの王立科学アカデミーの以下のサイトに詳細が報じられていた。

http://www.kva.se/en/pressroom/Press-releases-2010/The-Nobel-Prize-in-Chemistry-2010/

このサイトから、更にPurdue大学の根岸博士のサイトに次のリンクが貼られていた。

http://www.chem.purdue.edu/negishi/index.htm

このサイトで研究メンバーが紹介されているが日本人らしい名前が見あたらない。根岸博士は日本人研究者はもっと海外に出るべきだと述べられているが、日本の若者の理工系離れが本当に現実になっているのかとうかがわれる。理工系は真理に対するハングリー精神が必要な面もある。衣食が有り余ってハングリー精神を忘れたのか。理工より魅力のある分野が多すぎるのか。日本の現状を見ると、理工ではメシを食えないという厳しい現実があるのかもしれない。ともかく自分の切り開いた道を更に押し進める自国後継者がいないのはわびしいことだろう。日本の若者が夢を持てたのも過去のことだったとなると未来を憂えるべきなのか。日本は明治以来和魂洋才という形で危機感を持って科学技術の振興をしてきたと思う。政治や教育等精神の貧困が日本のあるべき姿を見失わせてしまったのではないか。若者だけではこの現実は変えられないだろう。

以下本題。

雑草句録:こぼれ種

■こぼれ種毎年変わる菜の姿

野菜の種子の原産地を見ると、意外に国内が少ないのに気付いた。大きな種苗会社は一代雑種F1を扱う場合が多い。ある在来の特定の品種を維持するためには他の品種と交配しないよう採種する必要がある。従来は類縁種を栽培していない山間地の農家等が固定種の採種をしていたようだが、それが出来なくなったので海外に種子の生産を委託しているのも、原産地が海外である一因でもあるようだ。

特定品種の種子即ちDNAは遺伝資源としても重要であり、海外に流出したら大変な事になる可能性もある。下植木ネギもブランド品として品種系統の維持には配慮しているようだ。その点、我が家にこぼれ種で生える菜は勝手に交雑を繰り返した雑種のようだ。

2010年10月 9日 (土)

雑草句録:水切り

2010/10/9

雑草句録:水切り

■稲穂垂れ用水堰の水を切る

水利の水当番もこれで一年の仕事は終わったように感じる時である。各水田毎に、取り入れる水を調整する小さな堰があり、これは各農家が管理する。水利当番は上位の水路から取水する個人では利害が相反する堰の管理をする。いわば、各農家の調整弁という役柄でもある。

このような取水経路を全体的に眺めると、利根川⇒大正用水⇒各支流用水⇒更にその支流⇒⇒各水田というようにネットワークが成り立っている。主要な水田は主に平坦地にあるので、水を流す勾配は小さい。各水田に水を導くだけでも相当の努力と技術が要る。小さな水路でも数百mから1km程度上流から延々と水を導いている例もある。稲作をする水田に最適に水を配分するだけでも相当な基盤整備が必要であると感じた。

この水田のための水の循環は丁度人間の血液循環器系の動脈部に相当し、自然界の水の循環だけではなく、緑のダムとして雨水を蓄え、洪水の防止にも一役買っているのである。こういう事も水利当番をして改めて知った事であった。

2010年10月 8日 (金)

雑草句録:十五夜

2010/10/8

10月6日の晩にテレビの画面にテロップが流れて、何か事件等かと思ったが、日本人のノーベル賞受賞が報じられた。明るいニュースである。しかし、その明るさと言えば終戦直後の湯川秀樹博士のノーベル賞受賞ほど日本人に夢と自信を与えてくれたものはなかったもしれない。湯川秀樹博士の研究も戦前の厳しい時期にに行われていた。今回のノーベル化学賞も日本が沈滞している時だけにうれしい。鈴木博士についてはWIKIPEDIAに記事があったhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E7%AB%A0。応用化学は日本が得意としている分野である。まだ、多くの隠れたノーベル賞候補者がいるのではないか。

asahi.comは以下のように伝えた。
「ノーベル化学賞、根岸英一氏・鈴木章氏ら3人に
2010年10月6日(水)23:11
 スウェーデンの王立科学アカデミーは6日、今年のノーベル化学賞を、根岸英一・米パデュー大特別教授(75)、鈴木章・北海道大名誉教授(80)、リチャード・ヘック・米デラウェア大名誉教授(79)に贈ると発表した。3人は金属のパラジウムを触媒として、炭素同士を効率よくつなげる画期的な合成法を編み出し、プラスチックや医薬品といった様々な有機化合物の製造を可能にした。

 日本のノーベル賞受賞は17、18人目となる。化学賞は6、7人目。」

その後、クロスカップリング反応が受賞の対象であると詳細報道があったが良く分からない。Googleでクロスカップリング反応を検索すると、すでに3氏のノーベル賞の記述が加えられていた。最終更新 2010年10月7日 (木) 11:38 とあった。その記事によると、クロスカップリングとは結合しにくい異なる有機化合物AとBを触媒を利用して結合させる技術のようだ。自力で発光し表示装置として有望視されている有機ELの製造にもこの技術が使われているようだ。

鈴木博士は特許はとらなかったようだ。結果としてその優れた技術が無償で公開されたことにより、応用が広まったようだ。特許が成立していれば特許料を支払って使うか、その特許を回避して別な方法を使わざるを得ない。発明当時に特許を取得していたとしても現在では有効期間は切れていただろう。無償で使えるとなると有難味を余り感じないがそれを金額に換算すると巨額になるようだ。ともかく、この世界は見方を変えるとほとんど全ての物が化合物で成り立っている。まだ、未知の現象も多く残っているだろう。若い人にも是非チャレンジしてもらいた。

以下本日の本題

雑草句録:十五夜

■畑仕事十五夜の月背に灯す

昔はススキの穂を飾り、饅頭を供え十五夜を祝った。供えたのが団子だったか饅頭であったかはっきりしない。もう、この行事をしなくなってから相当の時が過ぎた。饅頭だけは、まだ近所の馴染みの店が毎年届けてくれる。昔は生活の中に旧暦の行事等が残っており、お月様が色々な場面で生きていた。最後の切り上げ仕事の時は月明かりで仕事をする事もあった。目が月明かりに慣れると意外に物が見えてくる。

ちなみに、明るさは照度として測るらしい。照度=単位面積1平方メートルに入射する光束(lm/面積)という定義である。以下は大体の明るさを定量的に把握する参考になる。人間の眼のダイナミックレンジは約100万倍で対数的には120dbとなる。

晴れた日中の直射光→100000ルクス
日中の木陰(影の輪郭線から1m内側)→10000ルクス
室内の窓から1m内側→3000~5000ルクス
室内の北窓の中央→100~200ルクス
満月の月あかり→0.2ルクス

こちらも、参考になる。月も星も無い夜でも、相当遠方に街路灯等があったりすると本当の闇夜にならない。

高照度VS低照度
単位:lx(ルクス)

屋外・快晴
100,000
満月の夜
0.2
屋外・曇天
30,000
星明かりのみの夜
0.02
手術台
20,000
闇夜
0.007

昔、リモコン用受光ICの開発をした事があるので、照度の測定について調べてみた。昔は、工業技術院に測定標準(原器)を扱う部署があったように思う。現在は産業技術総合研究所となっている。そのホームページに、日本の明るさ標準を作ろうというページがあったので参考になる。独立行政法人産業技術総合研究所ホームページ:http://www.aist.go.jp/aist_j/science_town/standard/standard_03/standard_03_01.html
標準比視感度曲線で555nmの波長のピーク感度を1としている。555はGO GO GOというマジックナンバーなので覚えておきたい。

2010年10月 7日 (木)

食業:いとしきもの

2010/10/7

雑草句録:食業

■食業のパイの争奪胃は一つ

農業も食品産業も生産能力は消費量を上回っているであろう。人口減少社会に向かって食物の総需要も減少に向かうだろう。会社を退職して、いざ親の家業の農業をしてみようと思っても、消費者の胃袋を狙える物ができない。自動車関連産業に直接または間接に従事する人々は約500万人、日本の全就業人口の8.4% との事である。人間の足の延長部分であるがその業種は考えが及ばない位多いのではと思う。

それでは、人間の胃袋の部分に関係する農業や食品産業に従事する就業人口はどの位あるか興味があるが、良く分からない。自動車関連産業以上の従業者数と思うが、余りにも底辺が広すぎて把握が難しいのか。ともかく、農業従事者の減少と高齢化は長期的に進んできている。周辺でも日本の農業はあと何年もつのかと嘆き声が聞こえる。国土交通省の資料(http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/monitoring/system/contents/07/7-7-1.pdf)の一部を抜粋でしめす。土地利用の動向として、農業従事者の推移と高齢化率を示している。

farmer_populations_trend.jpgをダウンロード

このグラフを見ると、日本の農業人口の約40%が65才以上だと分かる。今後、戦後のベビーブに生まれた世代が続々とこの仲間に加わる。

追記:最近しばらくぶりにスーパーをまわり、野菜の値段をみたら、相変わらず平年より高値のようであった。これが高温という一過性のものなら良いが。高齢化が進むと、スーパーに並ぶ野菜も大量生産される定番品種が多くなり、かつ値段も下がらなくなるのではないかとふと思った。そうなると、野菜も外国から輸入する時代になるのだろうか。消費者も高齢化すると老後の蓄えのため出費を抑えようとするだろう。負のスパイラルが身近な野菜にも及んでくると心配だ。

2010年10月 6日 (水)

雑木歌録:子供の庭

2010/10/6

雑木歌録:子供の庭

■五七に 七七加え 喜々とする 子供の庭は 広くなりけり   夢野照葉

歌の方は二年ほど前にぽつりぽつりと作り始めたところだ。句も歌も子供の遊び場のようだ。句という入れ物の他に歌という入れ物も使い始めてスペースの広さを喜んだ。実は句も歌も老人の手すさびが多いようで、自分もその類であろう。

文字数の制限という形式があるから、こういう文芸は入りやすいのかもしれない。句も歌も、間口は広いが奥も深いと感じる。最近は小中学生の間でも俳句が盛んになっているようだ。若さという点で、技巧よりセンスが際だつ。小中学生が和歌を作るとなると年寄りじみていると感じてしまう人がいるかもしれないが、がどうであろうか。学生、青少年の和歌には余りお目に掛かっていない。しかし、社会の見方、自己呪縛という観念が無くなれば学生の和歌も当たり前になるかもしれない。

追記:最近、寺山修司の『寺山修司青春歌集』という文庫本を手にした。自分の若き日の人生は寺山修司とほぼ没交渉で過ぎたが、当時を振り返ろうとする気持がこの本との遭遇になったと思う。寺山修司については「書を捨てよ、町へ出よう」というコトバを青春のスローガンのように思い出す程度であった。

WIKIPEDIAによると「1967年に寺山は「書を捨てよ、町へ出よう」(芳賀書店)という評論集を出版。その後、同年に旗揚げした演劇実験室「天井桟敷」の第7回公演(1968年)で「ハイティーン詩集 書を捨てよ町へ出よう」が演劇作品として発表された。」とある。1967年というと自分が二十代にさしかかり学生運動も盛んであり、デモの先頭にたった学友もいた。「書を捨てよ、町へ出よう」というスローガンはデモを遠巻きにみる者にとって後ろめたく感じた。

『寺山修司青春歌集』によれば、寺山修司は若い時から俳句や短歌を作った。それは、感傷的というより、何かの壁を乗り越えようとする動機があったようだ。寺山修司活躍の原点に和歌があったように感じた。寺山修司を知って、学生が形式という壁を意識しつつも、それを乗り越えて表現者としての契機を掴むのに和歌は適していると思った。

『寺山修司青春歌集』の中にある「僕のノオト」の一節:「縄目なしに自由の恩恵はわかりがたいように、定型という枷が僕に言語の自由をもたらした。」、「短歌を始めてからの僕は、このジャンルを小市民の信仰的な日常的の呟きから、もっと社会性をもつ文学表現にしたいと思い立った。」云々も短歌を一つの土俵のように見立てて、そのなかで何がどこまで出来るかという可能性の追求を自己に課していたのではないか。

気ままに、昭和萬葉集を拾い読みする時がある。歌が作られてから数十年もすると、作者が実際にどういう意図でその歌を詠んだかというより、その歌からにじみ出てくる生活や心情を強く感じる事が多い。一方、歌で個性を表現するとなるとにじみ出ると言うより絞り出すと言いたくなるような色々な物との格闘が生まれてくるようだ。

Googleで<書を捨てよ、町へ出よう>を検索すると、松岡正剛の千夜千冊の第四百十三夜【0413】2001年11月5日、寺山修司『寺山修司全歌集』が目に留まり読んだ(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0413.html)。寺山修司と交際のあった松岡氏が初めて寺山修司について書いた記事のようだ。それも、寺山修司の短歌と葬儀について限定して。葬儀についても寺山修司らしい内容で感動した。

ここで、松岡氏は寺山修司の短歌には、それが踏み台にした本歌(実は本句)があったと記している。『「 こんなことをぼくが言うのはおこがましいけれど、寺山修司とはその記憶と表現の全身が、「美しきもの・険しきもの・懐かしきもの・寂しきもの」で相移相入してできあがったハイパーリンク状態そのもののような人なんです。むしろ"盗作"事件が寺山さんの初期におこったことを祝福したいくらいです。』、また、「しかし、ぼくは盗作おおいに結構、引用おおいに結構という立場です。だいたい何をもって盗作というかによるのですが、古今、新古今はそれ(本歌取り)をこそ真骨頂としていたわけですし、そうでなくとも人間がつかう言葉の大半は盗作相互作用だというべきで、むしろどれほどみごとな引用適用応用がおこったかということこそが、あえて議論や評価の対象になるべきではないかとおもうくらいです。」ともその中で述べている。自分も頭脳の作用で連想し、拡大、縮小、回転等を等して色々な見方で物事を見たり感じたりする事は大切であると思う。これは何も文芸や芸術だけに限らない。科学や技術の世界でも同様だと思う。

松岡正剛千夜千冊の第四百十三夜の記事は色々な点で参考になった。特に、手紙の形で書かれたのは単なる事象の記録ではなく、寺山修司という人間に語りかけたいという意味にもとれた。何事もゼロからは始まらない。大きな作品も雪だるまを作るように最初は一握りの雪を雪上で転がすようにして始まる。寺山修司の色々な作品の中にも短歌が核として残っているのかもしれない。

2010年10月 5日 (火)

雑草句録:おひしば

2010/9/5

雑草句録:おひしば

■夕焼けやおひしばを抜くふんばって

こんな情景は大した絵にも句にもならない。雑草の地面への根の張り方では、おひしば相当強い方であろう。株が大きくなるとかなり力を入れないと引き抜けない。誤ってスポット根が抜けてしまうと転倒してしまう危険もある。夕方になって持ち合わせの道具も無いので、最後の一仕事として目障りなおひしばを素手で抜きにかかった時ようだ。抜けたのかあきらめたのかまったく覚えていない。日々繰り返す仕事としてはこれが当たり前なのだろう。

2010年10月 4日 (月)

技術断想:小さな力

2010/10/4

技術断想:小さな力

かつて小さな親切というコトバが流行った。経済の高度成長期だったと思う。それを提唱したのが東大の茅 誠司総長。当時は東大総長も社会に対して色々アピールして社会も関心をもってそれを受け止めた。

WIKIPEDIAによると、茅 誠司(かや せいじ、1898年(明治31年)12月21日 - 1988年(昭和63年)11月9日)は、神奈川県生まれの物理学者で専門は、強磁性結晶体の研究。1923年(大正12年)3月 東北帝国大学理学部物理学科卒業後、本多光太郎に師事した。

東北大学の磁性研究は有名でその研究から日本の近代産業の芽が伸びてきたとも言えるようだ。物質の持つ磁性研究はモーターやテレコやビデオという磁器記録装置(この装置の稼動にもモーターが不可欠)の開発につながる。自分が大学で卒研をしている時、同じ研究室で磁性ワイヤーメモリーの研究をした学友がいた。指導教官は東北大学から来られたS先生。その当時もまだ東北大学の磁性研究というDNAが流れていたのかと今更感じている。

ともかく、磁性も小さな力が沢山方向を揃えることで大きな力になるのである。極微少な磁石材料の磁極のNSの向きがばらばらだと打ち消し合って磁力は生じないのだ。茅先生が小さな親切という運動を提唱したのもそのような物性を見据えて、多くの人間の小さな善意を積み上げて大きな力にしたいと思われたからなのだろうか。当時は高度成長で我も我もと他人にかまわずに自分の欲求に走った時代でもあったのだろう。小さな親切大きなお世話という揶揄の声もあった。

話は電気カミソリの刃の動きに変わるが、考えてみると電気カミソリの刃の動くのもモーター(磁力)の働きによる。長らく愛用してきたニカド電池用の電気カミソリの薄い金属製の穴あきカバーもすり切れてすき間ができているが、まだ動くので現在は予備機として残っている。なぜ残しているかと言えば、電気カミソリは時々動かなくなる時があるためである。その原因は大抵、刈ったヒゲの掃除の不徹底にある。モーターの回転部にヒゲやゴミが入り込んで回転を妨げている場合が多い。

しかし、きれいに清掃しても動かない場合がある。モーター以外の電池や充電部が故障したのかとあきらめて、更に一台買い求めて現在二台が動いている。回転刃と振動刃と方式は違うが、モーターが動かないという同じ症状になった。なにかおかしいと思い、危険ではあるがカバーを外してSWをいれてみると両方元気良く動いた。ヒゲをきれいに刈るにはカバーと刃の間隔が狭いほど良いが、余り狭くするとカバーと刃が接触して問題になる。電源やモータの能力が大きければカバーと刃の接触摩擦力を振り切ってモーターは回り出す可能性があるが、電池動作の電気カミソリでは起動時の力にも限界があるようだ。電気カミソリの構造的理由で刃とカバーが接触して回らないと言う証拠を挙げることは、外から見えないので素人には不可能に近い。ただ、現象的にはカバーを心持ち引き離してSWを入れると回転するので、小さな引っかかりによる抵抗力でモーターが回り出さないものだと現在は確信している。見えない小さな抵抗力があるだけでモーターは回転を始めない時があるのだ。

会社時代にモータ駆動用集積回路の設計をしていた技術者にモーターを確実に起動させる苦労話を聞いた事がある。モーターは反発力と吸引力をうまく回転力に変える装置であるが、モーターの固定子と回転子の位置が吸引する場所で止まっている時は起動しにくいとい事だった。逆にお互いに反発する位置で止まれば、次回に起動するときその反発力が起動を助けてくれるのである。好きだが好きと言えないような人間のとまどいも同じ様な症状に見える。要するに動き出すには抵抗力に打ち勝たねばならない。設計が上手なモーターならば電池がへたりかけても弱い回転が始まるが、そうならないモーターも中にはある。設計精度や巻き線や素材のばらつきも影響しそうだ。こういう所に技術力の差が出るのであろう。モーターを確実に起動させる技術・ノウハウは重要で、特許も多くあるようだ。

ともかく、普段気づかない小さな抵抗力がモーターの回転を阻止して、故障のように見える事もある。一般の使用者に対してはこれは立派な故障である。しかし、ある時は回り、ある時は回らないという電気カミソリを返品するのも抵抗感がある。こういう症状が出る機械に当たると使用者もイライラしてついに機械を手放す事になってしまう。こんな状況を人間の世界に当てはめて考えてみるとどうなるだろうか。心当たりはいろいろある。

小さな親切、小さな力(誉めるだけでなく、叱り、尻を叩き、尻押しをしてやる等々も含めて)は外部の要因で簡単に行動が阻止されくじけてしまいそうなところに、与えてやると、物事がうまく回るきっかけなる事が多いのではないかと常々思っている。特に動き出そうと力をためている状態での一押しは非常に大切であろう。このような状態を(発達)心理学ではレディネスと言うと習った記憶もある。

ところが、最近は見知らぬ人に声を掛けられたら、それに応じてはならないと幼児は教えられている場合が多いだろう。愛らしい幼児に声を掛けたくなるのは人間の心理であろう。そのように他人から声をかけられ、幼児が応答するなかに社会への適応が学習されて行くのだろう。また、見方を変えれば、幼児にかける一言も小さな親切であろう。幼児もその一言にうまく対応できると人間に対する信頼感を高め自信を持つようになるのだろうと思う。今日の状況では、大人もあえて幼児に声を掛けるのを控えてしまう。幼児が社会的な適応を学ぶ時期に人間不信を植え付ける教育が無意識の中に行われているようで行く末が案じられるような気もする。社会生活に不適合な症状をしめす人間行動はいろいろあるが、日本の社会は人間不信の泥沼に入ってしまったのではないか。人間個人の病理現象というより社会の病理現象が蔓延しているのが現代日本なのではないか。そいう視点から茅 誠司氏が提唱した小さな親切は、現代では(また現代でも)大きな意義を持っているのではないかと思う。

パソコンの動作もBIOSの起動からはじまり、車もエンジンの点火から始まる。その時に必要なのは正しく動作するわずかなエネルギーだ。問題はそのような小さな力を受け入れて動き出すための条件整備である。このような小さな力にも関心を持ちたい。人間社会にあっては小さな力で一押ししてやるだけで物事がうまく回転する場面も多々ありそうだ。これは、幼児も大人も同様であろう。物事がうまく回転を始めると回転エネルギーが蓄積されようやく本来の仕事が順調に進むようになるのである。

2010年10月 3日 (日)

雑草句録:栗の実

2010/10/3

雑草句録:栗の実

■栗の実を拾えど食うひまなき畑仕事

何かまとまりのない字余りの一句であるが、一行日記のような句作をしているので、相変わらず以前と同じ状況だと思い出す役にはたっている。実態は栗拾いするヒマが無く、いざ、ヒマになった頃に栗拾いをするとほとんど虫食いになっている。鬼皮がむきやすい、白栗やポロタンという品種を植えているがどうなるか。

追記:⇒ ブログ内「いとしきもの」WEBページの栗の部分へ。極幼少の頃、どこかの山林に山栗を広いに連れられて行った記憶があるが、誰と行ったのかも覚えていない。山栗は実は小さいが味が良いというのは、果樹の本と記憶が混同している可能性がある。ゆでて干した実を食べたのかもしれない。食味としてはホクホクとした粉質ではなく、やや粘質で天津甘栗ような感じがしたように思うがそれも確実な記憶でもない。ともかく、栗の実は口に入るまで色々手間がかかる。従って量もあまり食べられない。そう言う点ではスローフードとしてのんびりと食べることを楽しむのには適しそうだ。

ゆで栗の食べ方として、包丁で切ってスプーンでほじって食べる食べ方があるが昔はそんな上品な食べ方はしなかったように思う。前歯で皮をむいたり、爪でほじったりした。生の栗をかりかり食べた世代であるからそれが当たり前だったのだろう。栗の実で思い出すのが、青森県三内丸山遺跡から出土した栽培された栗の木で、日本古来の在来種らしいこと。クリの木は材が固いので色々なところで使われようだ。当時、どのような道具でクリの木の製材をしたのかも興味がある。

2010年10月 2日 (土)

雑草句録:無縁墓場

2010/10/2

雑草句録:無縁墓場

■曼珠沙華無縁墓場にまた咲けり

秋の彼岸の墓参りの帰り道にある無縁墓に線香を供える時がある。猛暑で花の時期がずれている(10日くらいの遅れ)という情報もあったようだが、墓地の曼珠沙華は今年も彼岸に咲いていた。木陰に入る時間帯があるので余り暑さを感じていないのかもしれない。今年は雨降りで無縁墓場は通り過ぎてしまった。

追記:旧句改作。「又さけり」を「また咲けり」に修正した。ATOKは文語体に対応していないようで、「咲く」意味まで解釈して変換してくれないので、入力時のチェックをさぼったままだったようだ。旧句は一度ブログに出した。幼少の頃は彼岸花と言っていて、墓地と関係するイメージがあった。赤い派手な色だがなんとなく近寄り難かった。最近は曼珠沙華を観賞用に大量に育てている地域グループもあるようだ。時代により、花に対するイメージも変わってくるのであろう。水仙のように葉は春から夏に出て、その葉が枯れて見えなくなった後に花だけがさくので不思議な咲き方だ。

もう十数年前だが、会社の四国出張時に、電車からみた田んぼの畦に曼珠沙華が沢山咲いていた風景を見て、なにか異境に来たような気がした事を思い出した。曼珠沙華の球根は有毒との事でネズミやモグラから畦を守るために植えられていたのかもしれない。

WIKIPEDIA(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%8A:最終更新 2010年10月1日 (金) 14:46 )の記事が参考になった。葉が出るのは秋に花が咲いてからと言うことで、春から夏にかけては葉が出ていないのが正しいようだ。以下はWIKIPEDIA記事の生態関係部分の引用である。

:「 分布など [編集]
北海道から琉球列島まで見られる。自生ではなく、日本には中国から帰化したものと考えられる。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれているが、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、あぜや土手に植えたとも考えられる。また鱗茎は薬になり、救荒食でもある。そのような有用植物としての働きを熟知しての運搬の可能性も無視できない。

人里に生育するもので、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。湿った場所を好み、時に水で洗われて球根が露出するのを見かける。なお、山間部森林内でも見られる場合があるが、これはむしろそのような場所がかつては人里であったことを示すと見るべきである。

また、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、雄株、雌株の区別が無く種子で増えることができない(遺伝子的には雌株である)。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。」

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)