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2010年12月29日

2010年12月29日 (水)

読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(14)。101229。

2010/12/29
PARTⅡ

読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(14)

○「辞世の歌に見る気概」の章

■枯れ果てて身は土となり墓なくも 心は国を守らむものを
■松崎の駅(うまや)の長に問ひて知れ 心づくしの旅のあらまし

「これは自刃の場に残されたものというから正に辞世の歌である。」、初めの歌は「彦九郎の心を率直に述べている。」、『「墓なくも国を守らむ」は「山行ば草むす屍」の古歌の気概そのものである。』と著者は記す。また「二首目は前年五月に『酌みかはす今日の別れの盃のめぐるがごとにまたも相見む』と歌って別れた碩学の友、赤崎貞幹と再び会い、そして最後の別れとなった歌である。」とその背景を解説している。そうして、「高山彦九郎正之の没後二百年、余りにも純粋であった行動の人、時代変革への先覚者、心深き歌の人、この稀なる奇傑に、われわれは一掬(いっきく)の涙を注ぎたい。」と締めくくっている。
本書が高山彦九郎没後200年を記念して出版(平成5/1993年)されてより、もうじきに没後220年を迎える。自分が高山彦九郎に関心をもつようになったのは、八幡沼開鑿の指導者である川端宇兵衛(川端宇兵衛隆久)を知ってからである。その父、川端宇兵衛広光は高山彦九郎の次の世代の人物だが、高山彦九郎自刃の頃丁度青年期にあり、その優秀な資質を認められ、川端幾右衛門広忠のむこ養子に迎えられ、学習塾の経営を任されている。川端宇兵衛広光は父は地域の有力者で年貢の減免を領主に訴えて所払いとなり一家が離散している。従って、この川端宇兵衛の三代には農民の窮状を救わねばならぬというDNAが流れているように感じる。川端幾右衛門の後裔に話を聞くと元々は武家であったとの事。家業として寺子屋を経営していた。彦九郎の師は伊勢崎藩校学習堂の命名者である伊勢崎藩儒の村士玉水といわれる。また年表によると、宝暦11(1761)年彦九郎15才の時、伊勢崎藩の松本晩翠の塾に通うという記事がある。それから時代をたどると、丁度川端幾右衛門も塾を経営していたので、同業者として松本晩翠との交流もあったと推定される。従ってなんらかの形で高山彦九郎と川端宇兵衛の間に塾を通して思想的な交流があった可能性があると推定している。更に、国定忠次に関しては新井雀里が忠次の墓碑銘を書いているが、新井雀里は伊勢崎藩儒であり、幕府から蝦夷地に派遣されていると聞いた。ここにも高山彦九郎と関連する流れがあるように感じている。断片的であり、点と点を結ぶ線ははっきりしないが今後、過去であっても未知なる出来事に光があたる事に期待したい。

追記1:歌人須永義夫の「彦九郎 歌と生涯」を拾い読みしてようやく最後まで到達できた。なにか重苦しさを感じたのも事実であった。短歌文学に母の歌を見つけてそれをまとめたのがきっかけでここまで来てしまった。もし気付かなければ数十冊にもなる冊子も処分して、自分の興味も他に向かっていたかもしれない。最近、断捨離という言葉を耳にした。物あまりの時代の苦し紛れの現象のように思えてしまう。祇園精舎の~諸行無常~と時の流れに何事も断捨離は自然に進行してしまう。あえて断捨離に翻弄される必要はあるまい。断捨離の逆は継拾接となろうか。継拾接は自然の流れに逆らってエネルギーを必要とする。身軽になるのは結構だ。高山彦九郎の旅も身軽だったのだろうか。何か押しつぶされそうな重さに耐えつつ旅をせざるを得なかったようにも感じる。軽薄短小ではなく重厚長大の世界もあるようだ。

追記2:高山彦九郎記念館の「高山彦九郎ゆかりの藩校・郷校・私塾等」の資料によると、
伊勢崎藩が安永4(1775) 年に設立した藩校学習堂の項で、「新井雀里の著「高山芳躅誌」には、伊勢崎藩校学習堂の村士玉水・浦野神村・関重嶷との交遊があったことが記されている。」とある。最近古書市で閉店間際に「高山芳躅誌」を発見。中をちょと拝見しただけで終わり、残念。「芳躅=ほうどく?」「躅」は「あと」の意味がある。高山彦九郎先生伝記というような内容に思えた。

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追記(2018/06/04):「芳躅=ほうたく(顕彰の意味)」と読むらしい。ランキング6位に入っているので再読。タイトルに日付追加。

Googleでキーワード「高山芳躅誌」を検索


下記の 国立国会図書館デジタルコレクション で読める。

高山芳躅誌

新井, 雀里, 1813-1900,新井雀里 編 雀里会 1926

新しいウインドウが開きます 国立国会図書館デジタルコレクション

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追記3:高山彦九郎記念館の「高山彦九郎ゆかりの藩校・郷校・私塾等」の資料によると、「伊勢崎藩儒であった新井雀里が著した「高山芳躅誌」(雀里会刊 大正15年)はきんからの聞き書きが元になっている。」とある。また、殖蓮公民館だより(H21/04)連載のENJOYウォーキング~ 殖蓮歴史散歩(執筆:殖蓮史談会 星野正明氏) 第69回 殖蓮 川と橋と水辺の風土記⑨宗高橋の記事に以下のように新井雀里の事が述べられている。「橋の西側、宗高町に明治維新の廃藩置県で武士に家が与えられたお建屋(おたてや)が、12 軒ありました。その1軒に江戸時代に有名な学者、新井雀里(あらいじゃくり)先生の教授する南淵塾(なんえんじゅく)がありました。この塾に学んだ人達から、伊勢崎の明治大正時代に活躍した人達を輩出しました。伊与久の細谷はま子(関東学園経営・現在の館林市にある関東短大)、星野源左衛門(伊勢崎町長)相川之賀(あいかわしが、郵便局長、相川考古館創立者)黒崎弁之助(桐生市、名校長)高柳裕五郎(国領町、岩見沢市長)矢島屯次郎(上植木、殖蓮村の実力者)等々、多くの名士を誕生させました。また、名筆の聞こえが高く、当時の名筆家、下植木の長尾慥二郎(現在の東本町)と並ぶ文化人で、文章や漢詩に長けて、多くの墓碑銘を残しています。中でも知られているのが、国定忠治の墓碑銘です。雀里先生は、国定忠治より3歳年下の同じ時代の人で、忠治の33 回忌に建てられた墓碑銘を頼まれて書いています。知識人である雀里先生による墓碑銘は、次の如く記してあります。『君ノ氏ハ長岡、通称ハ忠次郎、上野国佐位郡ノ産、頗ル遊侠ヲ好ミ、遂ニ博徒数百ノ魁ト為ル。然レドモ恒ニ剛ヲ砕キテ弱ヲ右ケ、豪ヲ挫キテ貧ヲ賑ワスヲ以テ心ト為ス、(以下、略)』と刻んであります。」新井雀里という当時の地域有数の知識人において、高山彦九郎と国定忠次の接点があったことがはっきりした。ところで、新井雀里は死ぬ前に、潔く資料や記録を処分してしまったとある人から聞いた事がある。新井雀里(文化11(1814)年~明治33(1900)年)を通して高山彦九郎や国定忠次を見直すことが可能かもしれない。

読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(13)

2010/12/29

読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(13)

○「消えた”九州日記”」の章

著者は「彦九郎は自刃の前日に、手許にあった日記、書類の類を尽く破棄している。」、「同志に犠牲者が出るのを怖れたのである。」と述べてから、彦九郎自刃の様子を記す。

■ことし八つと聞くにぞいとど覚ほゆる 我が子も同じ年と見るにも
■我を思ふ人は有りともあらずとも 恋しかりける故郷のそら
■酌みかはす今日の別れの盃の めぐるがごとにまたも相見む

著者は「彦九郎は妻子のことをほとんど省みない如くだが、熊本を出た菖蒲池村ではわが子と同年配の子を見て心揺らいでいる。子については普段口を噤んでいるだけにその心中が思われる。」と「筑紫日記」の中の歌を記す。「最後の歌は鹿児島県の加治木で心許した同志赤崎貞幹と別れを惜しむところである。彦九郎として天下回天の思想を説いて経めぐる旅であったろうが、歌だけはその心情に幾ばくかの距離を置いている。それが歌の道であったろうが、彦九郎の衝迫した心を救っていたとも言えるだろう。」と締めくくる。ここで著者で歌人である須永義夫の歌に対する考え方の一端が現れているように思える。短歌文学の歌の講評で歌は心情の告白とか述べていたのを思い出す。しかし、心情が歌になるまでには、脳内では色々な作業が行われる訳で、心情そのものではない作品として形を得る。やはり、歌に詠うと時には客観的な分析等も行われる。そう言う点で、歌を作るという行為が感情や心情と理性をバランスさせる働きがあるのかもしれない。

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    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
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    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
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    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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