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2012年2月

2012年2月19日 (日)

老人の寝言:寒さに油断してはならない

2012/2/19(日)
昨日は晴れ。朝はまだらに雪化粧していた。終日5℃以下の寒い日だった。宅内で整理。資料作成。夕方自転車で外出しようとしたらかみさんが車で送迎してくれた。心筋梗塞や脳梗塞を心配してくれて有り難い。感謝。

2012/2/18(土)の天気

TAVE= 0.3
TMAX= 3.5 最高気温(℃)  4.5  11:50
TMIN= -2.5 最低気温(℃)  -2.6  23:56
DIFF= 6
WMAX= 7.8 最大瞬間風速(m/s)  13.6(西北西)  11:12
SUNS= 8.3
RAIN= 0

http://www.jma.go.jp/jp/amedas_h/yesterday-36411.html?areaCode=000&groupCode=25
2012年02月18日 福島県 浪江(ナミエ)の天気

TAVE= -1.8
TMAX= 2.2 最高気温(℃)  2.5  13:05
TMIN= -7.2 最低気温(℃)  -7.3  05:01
DIFF= 9.4
WMAX= 7.9 最大瞬間風速(m/s)  17.7(西)  14:36
SUNS= 8.8
RAIN= 0

老人の寝言:寒さに油断してはならない

余りの寒さで活動もにぶる。息子が灯油を2缶買ってきた。灯油買い占めや価格高騰がないだけでも有り難い。電気ストーブと石油ストーブの暖かさは何か異なる。燃焼で空気そのものが暖まり、その空気が部屋を循環するためだろう。

asahi.comは、「天皇陛下の手術無事終了 順調なら2週間で退院;url=http://www.asahi.com/national/update/0218/TKY201202180231.html(2012年2月19日1時4分)」というタイトルで、「東京大病院(東京都文京区)で18日に行われた天皇陛下の心臓の冠動脈バイパス手術は、約4時間で無事終了した。天皇陛下は麻酔から順調に目覚め、集中治療室(ICU)に移られた。医師団は手術後に記者会見し「心臓の状態、循環の状態も安定し、予定通りの順調な経過」などと語った。 手術は順天堂大の天野篤教授(56)、稲葉博隆准教授(48)と東大の小野稔教授(50)の3人の心臓外科医が担当。天皇陛下は午前9時24分に歩いて手術室に入り、11時1分から午後2時57分まで手術が行われた。陛下は午後3時55分にICUに移った。5時すぎに面会した皇后さまに、陛下は「ありがとう」と声をかけたという。 」と報じた。

帰りの車中で、天皇陛下の手術はどうだったかと聞くと、無事終了とかみさんが答えた。改めてそれを確かめた。2/19日5時台の室温が3.5℃。福島原発周辺地域の気温が気になった。AMEDASで調べると、浪江(ナミエ)は当地より一段と寒い。仮設住宅での生活の厳しさを思う。東北関東大震災後一年となる3月11日が3週間後に迫る。この日の天皇陛下の元気なお御言葉はきっと東北関東大震災と福島原発事故からの復興への希望と確信につながるだろう。

寒さで思い出すのは高村 光太郎。「高村 光太郎。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%91%E5%85%89%E5%A4%AA%E9%83%8E。最終更新 2012年2月17日 (金) 10:09)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事によると「1945年(昭和20年)4月の空襲によりアトリエとともに多くの彫刻やデッサンが焼失。同年5月、岩手県花巻町(現在の花巻市)の宮沢清六方に疎開(宮沢清六は宮沢賢治の弟で、その家は賢治の実家であった)。しかし、同年8月には宮沢家も空襲で被災し、辛うじて助かる。終戦後の同年10月、花巻郊外の稗貫郡太田村山口(現在は花巻市)に粗末な小屋を建てて移り住み、ここで7年間独居自炊の生活を送る。これは戦争中に多くの戦争協力詩を作ったことへの自省の念から出た行動であった。この小屋は現在も「高村山荘」の名前で保存されている。」とある。

年譜では、高村 光太郎が東北で独居自炊の生活を送ったのが還暦過ぎのようだ。寒さというストレスに耐えて人も生物も強くなる。寒さに耐えたものだけがその寒さを語れるのかもしれない。ともかく、老人の冷水にならぬよう、寒さに立ち向かわねばならない。

2012年2月18日 (土)

ざっそう句:老境に立ち向かう心境

2012/2/18(土)
昨日は晴れ。AM宅内で整理。PM打合せ。自転車で外出。粕川東岸の堤防上の道路を走った。最近は堤防道も整備が進み走行しやすい。寒いが散歩をしている人に何人か出会った。水面には鴨の群が水上に向かって泳いでいた。自転車の音に驚いたのかその群が一斉に飛び上がり、下流に着水した。水面に航跡が残る。着水の時、指を開いて、みずかきをブレーキにしているのだろうと推測したが実際はどうなっているのだろうか。顔を合わせた老人と声を交わす。あっ、俺も老人だ。

2012/2/17(金)の天気

TAVE= 2.3
TMAX= 6.7 最高気温(℃)  8.1  13:23
TMIN= -2.9 最低気温(℃)  -3.7  05:44
DIFF= 9.6
WMAX= 6.5 最大瞬間風速(m/s)  11.8(北西)  10:06
SUNS= 8.9
RAIN= 0



ざっそう句:老境に立ち向かう心境

■おじさんと 呼ばれた頃が なつかしい
■ご老人 いつしか自分も 仲間入り
■長老が 欠けて出世の 番付表
■入会を 誘われ困る 老人会
■ひたひたと 背中に迫る 老いの風

2012年2月17日 (金)

老人の寝言:「2号機圧力容器底部の温度上昇の原因は温度計の故障」で済むのか

2012/2/17(金)
昨日は午前は曇り。午後から晴れ間が出た。町内行事。しばらくぶりに東京電力のホームページを見た。福島第一原子力発電所二号機圧力容器の温度上昇は温度計の故障と発表されていた。

2012/2/16(木)の天気

TAVE= 2.6
TMAX= 6.2 最高気温(℃)  7.2  14:23
TMIN= 0 最低気温(℃)  -0.1  23:38
DIFF= 6.2
WMAX= 7.7 最大瞬間風速(m/s)  15.0(西北西)  01:42
SUNS= 3
RAIN= 0

老人の寝言:「2号機圧力容器底部の温度上昇の原因は温度計の故障」で済むのか

東京電力のお知らせは以下の通りである。

東京電力は、「2号機圧力容器底部の温度上昇の原因は温度計の故障、引き続き冷温停止状態を維持;url=http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/info/index-j.html(平成24年2月16日更新)」というタイトルで、「 2月上旬、2号機原子炉圧力容器底部の温度計1箇所で指示値の上昇が見られました。東京電力では、局所的に実際に温度が上昇しているのか、あるいは温度計の故障なのか両方の可能性を調査してきました。段階的に原子炉への注水量を約2倍まで増加させて、原子炉の冷却を優先させる対応を行いながら、原子炉の状態を監視しています。 圧力容器や格納容器内の他の温度計が注水量の増加に伴って温度が低下していることに比べて、当該温度計の指示値の上昇が続いたこと、電気回路を点検した結果通常よりも高い抵抗値が測定されたことなどから、当該温度計の指示値の上昇は故障が原因であり、実際の圧力容器底部は十分冷却されていると判断しました。 また、格納容器内のガスのサンプリングを行い、臨界かどうかを示すキセノン135が検出限界未満であり、再臨界は発生していないことを確認しています。原子炉建屋から放出されている放射性セシウムの濃度についても、温度上昇以前と比較して変化しておりません。 」と報じた。

一般人は、「2号機圧力容器底部の温度上昇の原因は温度計の故障」と一安心するだけだが、疑心暗鬼の気持が持続している。何か隠し事をしていないか気になる。念のために「プレスリリース 平成24年2月16日 福島第一原子力発電所第2号機原子炉圧力容器底部における温度上昇を踏まえた対応に係る報告書の経済産業省原子力安全・保安院への提出について」を開いた。「福島第一原子力発電所第2号機原子炉圧力容器底部における温度上昇を踏まえた対応に係る報告について」というPDF資料が添付資料でそのなかの図面の引用が以下の図である。このグラフを見ると故障した温度計のカーブが他の二例(注水量の増加で温度が低下しているようだ)と異なるのは分かる。最初はこの温度低下は何が原因か疑問に思った。重要なデータ開示を行っているのだから正確な説明をするべきだ。このデータが語るのは、当局が再臨界を怖れて、「注水量増加による再臨界防止対策としてホウ酸水の注入を実施したうえで、炉心スプレイ系からの注水量を約 6.9m3/hから約 9.9m3/hに増加する操作を実施[総注入量:約 18m3/h]。(添付資料)」した結果であろう。
F1_no2_kouon_ijyou

いわば、当局は相当なリスクを犯して再臨界を阻止していた姿が浮き上がるのだが、問題の本質が温度計の故障にすり替えられては、ステップ2等が絵に描いた餅に過ぎないと感じてしまうのだ。

2012年2月16日 (木)

雑木の歌:古里のにおい

2012/2/16(木)
昨日は曇り一時晴れ。零度以下の時間は無く、平均気温は上昇しているようだ。一昨日の続きで外出。以前、H23年度は利根大堰のサケ遡上数が観測以来過去最大を記録したというニュースを聞いた。サケは生まれた川のニオイを記憶してそこに遡上すると言われているがどこまで正確なのか気になった。

2012/2/15(水)の天気

TAVE= 5.2
TMAX= 12 最高気温(℃)  12.2  11:10
TMIN= 2 最低気温(℃)  1.4  06:14
DIFF= 10
WMAX= 7.8 最大瞬間風速(m/s)  14.2(北北西)  12:01
SUNS= 4.2
RAIN= 0


雑木の歌:古里のにおい

利根大堰のサケ遡上数のデータ;http://www.water.go.jp/kanto/tone/08sojyo_data/2011/23sakesozyou%28tone%29.pdfによると、H23年度は15,095匹との事だが、「12月25日」までの調査のようだ。11月に遡上のピークがある。産卵が孵化して稚魚が海に向かうのが冬の期間になるようだ。遡上数が急増した理由に、東北地方太平洋沖地震があると言われている。漁業被害により、遡上途中で捕獲された成魚が少なくなり、遡上数が増大したという推定である。自分は別な考えをした。東北地方まで回遊してきたサケが母川の入り江まで来ても、津波で古里の川のニオイが洗い流されていれば、サケもこの川は自分が下ってきた川だと認識できないで、迷いサケになって、その中で利根川に遡上したサケが従来からの増分になるのではと考えた。それを確認するためには遡上したサケに出身母川を聞けば良いわけだ。おれは北上川に遡上しようとしたが、手がかりが何もなかった。しかたなく、次善の判断で利根川に遡上したんだと答えるかもしれない。宮城県ホームページの「さけのふ化放流;http://www.pref.miyagi.jp/suishin/gyogyo/saibai/sake.htm」によると、捕獲数のデータがあり、「宮城県でも毎年,親魚から採卵して育てられた稚魚約5千万尾が河川や海に放流されています。」とある。戻ってくるのは数%台である。東北地方の遡上数が減り、関東地方の遡上数が増える傾向があればサケが進路を変えた可能性も出てくるだろう。サケの稚魚も古里の河川を下りながら餌を食べ、ニオイや水質、餌等の環境を学習・記憶しながら海に出て行く。このような習性は人間でも変わらないだろう。古里に戻ろうとする理由には、そこが餌や繁殖に有利で安全だからだろう。利根大堰のサケ遡上数増大という現象が東北地方太平洋沖地震と因果関係があるのか。今後の推移に興味がある。科学的な解明を待ちたい。

○利根川に 遡上したサケ 激増だ 地震津波で 進路を変えたか
○古里の 川のにおいも 流されて 戻る古里 失う悲劇
○鳥のヒナ 育ての親の 後を追う 刷り込みの中 深い理由あり
○今の子は 何を記憶に 刷り込むか 遊びの世界 飯食う世界
○その昔 遊びの中に 仕事あり 遊びと仕事が 無縁な子供

2012年2月15日 (水)

ざっそう句:寒アヤメ

2012/2/15(水)
昨日は曇り後雨。予定の外出。出先でも似たような天気だった。数日前に花を探してぶらぶらしている時に寒アヤメの花を見つけた。改めてそのデジカメ画像を見てみると、花茎が短く地面近くに咲いているのだと気付いた。冬咲く草本性の花は背丈を伸ばしすぎないように工夫しているかのようだ。

2012/2/14(火)の天気

TAVE= 2.9
TMAX= 6.3 最高気温(℃)  6.4  14:12
TMIN= -0.6 最低気温(℃)  -1.5  06:22
DIFF= 6.9
WMAX= 2.3 最大瞬間風速(m/s)  4.3(西北西)  02:16
SUNS= 0
RAIN= 2.5

ざっそう句:寒アヤメ

■早咲きの 訳もあるらし 寒アヤメ
■漫遊の カメラを誘う 紫花
■寒アヤメ 松の枯葉に 埋もれ咲く
■寒アヤメ 咲いた時のみ 気付かれる
■人無くも 時を忘れぬ 寒アヤメ

Kan_ayame
DSC=2012/02/11。

2012年2月13日 (月)

老人の寝言:今年の冬は寒い!

2012/2/14(火)
昨日は曇り時々晴れ。外出。用事3件。工作資材も購入。少し加工が必要になりそう。その後ポット苗灌水。

2012/2/13(月)の天気:別途挿入。
2/14挿入。

TAVE= 3.5
TMAX= 7.5 最高気温(℃)  7.8  13:08
TMIN= -0.7 最低気温(℃)  -0.9  07:18
DIFF= 8.2
WMAX= 5.8 最大瞬間風速(m/s)  11.8(西北西)  01:07
SUNS= 3.6
RAIN= 0

老人の寝言:今年の冬は寒い!

チーム森田の“天気で斬る!” - Yahoo!ブログ:「年年歳歳花相似・・ 」
url=http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map?sess=476bb48290eaee42310ee2be7b806b60

たまたま上記の記事を読んだ。花粉は2/中~2/末頃までに飛散開始しそうだ。岡村真美子氏が郷里甲府の記録的寒さを報告していた。

この五年間の1月の伊勢崎の最低気温をグラフにしてみた。確かにデータ的にも低温続きであった。
Saiteikion_y07_y12_jan

Natumikan_tougai
余りに寒いのでナツミカンの葉が凍害で枯れている。(DSC=2012/2/12)ミカン産地で凍害を受けた年があったことが記憶に残っている。その時の気象状況を調べてみたい。

読みかじりの記:「民事訴訟法」   梅本吉彦 著 (2002年 信山社株式会社)。20120213。

2012/2/13(月)
昨日は晴れ。均一価格のバーゲンセールに出かけた。開店は10時から。お目当ての物は無事入手できた。次ぎに11時に始まるイベントに向かう。ここで偶然従兄弟に出合った。久しぶりなので、イベント終了後、ホールの腰掛けで1時間ほど雑談した。DIY店で工作資材を探したが適当なのが見つからない。直売所で唐辛子。赤色が鮮やかな物を選んでしまった。何かノウハウがありそうだ。唐辛子湯にして飲んでみた。刺激の強い物は程々にしないと。

2012/2/12(日)の天気

TAVE= 2.3  
TMAX= 6.3 最高気温(℃)  6.6  12:37
TMIN= -1.8 最低気温(℃)  -2.0  03:02
DIFF= 8.1  
WMAX= 7.6 最大瞬間風速(m/s)  16.4(北西)  13:47
SUNS= 10.2  
RAIN= 0  

読みかじりの記:「民事訴訟法」   梅本吉彦 著 (2002年 信山社株式会社)

本書は、数年前に必要に迫られ読んだ本の中の一冊だ。広辞苑の半分以上の厚さだろうか(改めてページ数を調べると本文1026ページ。条文索引48ページ)。退職した技術者が読みかじったとは著者も想定外かも知れない。ともかく書き込みのある古本だったので何とか手が出た。講義で著者の学生が使ったかも知れないと考えると不思議な縁を感じる。大学の教養課程で法学の講義を受けた記憶はある。百姓のせがれで、当時使えた金は、親爺がやっと出してくれた授業料と奨学金と少しだけのアルバイトの収入だけ。当時は授業料が一定なら、講義を沢山受けた方が得だとバイキング料理のような感覚があった。多分、ほとんど講義内容の記憶がないので講義内容が消化できたか疑問だ。高校時代は人を助ける弁護士や医者にも関心感心はあったが、ハードルは高いし、後続の兄弟姉妹がいるので、浪人をすることもできないと技術屋の道を歩くことになった。ともかく、大学で法学の講義をうけた事は全く無駄だったともいえなかったようだ。会社では特許や契約の仕事をしたこともあり、ある程度の法学的な要素があった。しかし、訴訟となると話は別である。会社では法務や知財という部署があり、対外的な訴訟事務はその部署が担当するので、現業部門は、せいぜい資料を提出する程度で済んだ。現在では以前読みかじった本書も本棚の隅を占拠しているだけになった。

大部な本書を通読する気力も体力もなかったが、本書を読みかじって、なんとなく裁判とはボクシングや相撲に似ているなという感じが理解できた。読みかじるだけでも気合が必要だった。書くのは尚更だろう。そうして、今になって一番印象に残っているのが、「育ての母に 本書を捧げる」とう献辞が本書の巻頭にあった事だ。あれほどの大著を「育ての母に 本書を捧げる」と書くには相当な背景があるのだろうと目頭が熱くなった。育ての母を語った人に、哲学者の梅原猛氏、ノーベル賞受賞者の田中耕一氏がいる。幼い時の母親は太陽のように暖かく偉大なのだろう。特に男児にとって母親という存在は計り知れないものがある。そんな事を思い出しつつ本書を再び手にしてみた。ずっしりした重さを感じる。WEBで著者の名前を検索すると、下記の記事があり、早速読ませていただいた。

「研究生活を回顧して --人との絆に支えられて(専修大学法学研究所所報)--url=http://www.senshu-u.ac.jp/~off1013/bunken/pdf_syohou/42_0001-0027.pdf」。

本書が著者の専門の集大成であり、一つの分野を一人で書き上げた体系書である事が分かった。「民事訴訟法」とはどんなものか著者の研究のすべてが網羅されている点で、本書を手にしたのも一つの巡り会いかもしれない。体系書は著者も読者も全人格・全能力を打ち込んで取り組むことにより初めてその長所が生きてくるのかもしれない。上記記事には「育ての母に 本書を捧げる」という献辞の背景も書かれており、改めて本書との巡り会いを意義深く感じた。同時に知的財産権や情報という現代的な法律問題にも著者が取り組んでいた事が分かり感慨を新にした。記事の中には、辛口な直言もあるが、それはまさに古巣を去る鳥の老婆心というところなのだろうか。厳しさの中に本当の優しさがあるのかも知れない。そんな事例もその記事にはさらりと述べられていた。門外漢ではあるが記憶に残る一冊である。

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2012年2月12日 (日)

ざっそう句:古代へのロマン 伊勢崎の古墳群

2012/2/12(日)
昨日は晴れ。昼前上植木神社の祈年祭に出席。町内の当番なので氏子代表という役で参加。本殿には宮司の祖父の古びた写真が飾ってあった。今の宮司は三代目とか。正座をして靴下の穴に気付いた。二礼二拍一礼、穴には気付かぬ如く済ませた。建国記念日で戦前は紀元節だった。暦を見ると今年は皇紀2672年である。かみさんが占いを見て、今日は小旅行に吉とあるから外出しようと言い出した。お上の祟りは怖い。小半日付き合う。近くのスーパーモールでうどんを食い、古墳展示会を見学して帰った。

2012/2/11(土)の天気

TAVE= 3.1
TMAX= 6.5 最高気温(℃)  7.2  13:16
TMIN= 0.3 最低気温(℃)  -0.1  23:42
DIFF= 6.2
WMAX= 7.3 最大瞬間風速(m/s)  13.5(北)  11:34
SUNS= 10.3
RAIN= 0

古墳展示会当日、梅沢猛の「日本の深層」を購入し拾い読み。「1418夜『日本の深層』梅原猛|松岡正剛の千夜千冊url=http://1000ya.isis.ne.jp/1418.html」を読み探していた文庫本だ。マクロ的には古墳も日本の国家が形成されつつあった時期に連なっている。古墳は何故作られたか。松本清張は古墳造営と水田開発(食糧確保)は車の両輪とみる説を出している。古墳造営は社会の階級構造を形成するのにも関係しただろう。臣民を生かさず殺さず程度に支配すれば支配者の地位は安定する。参勤交代の古代版が古墳造営という事は空想なのか。伊勢崎の古墳で、古墳の被葬者の脇に多数の赤玉が並べてあった例が展示されていた。赤は鉄錆びの色で、鉄製分を多量に含む素材を丸めた物だそうだ。当時では貴重な染色材料だったらしい。被葬者はそれを多量に所有し、赤玉を作る技術や富を誇示したのではないかと説明員が解説してくれた。今年は養蚕を世界遺産にと群馬県は懸命になっている。伊勢崎の養蚕も蚕糸も最終的な価値は色彩や図柄等が決める。明治以降化学染料が使われるようになるが、化学染料が古墳時代まで遡る可能性があるのか。養蚕や染色の起源にも空想が羽ばたく。

ざっそう句:古代へのロマン 伊勢崎の古墳群

■古墳展 ロマンと共に 謎を追う
■文明の 最先端に 戦あり
■墳と寺 同版瓦に 謎の鍵
■太古より 土建事業に 闇深し
■被葬者は 赤玉並べ 永久の夢

2012年2月11日 (土)

雑木の歌 東北の海よ:大震災から11ヶ月

2012/2/11(土)
昨日は晴れ。やや寒い日。朝方は定例の仕事。その後は宅内。台所の食卓の向きを南北から東西に変更した。台所がゴミ分別場のようになっている。世の中には夫婦別台所という贅沢な世帯もあるらしいが、我が家では台所の自分のテリトリーは食卓の片隅だけ。台所の整理整頓中に急に思い付いて鬼のいない間に洗濯。ともかく、整理整頓で改めて、猛烈にゴミをだす生活にどっぷり浸かっている事を実感した。三重、四重の包装も当たり前。包装にコストをかけるのは日本人の貧困なる価値観そのものを表しているようだ。その価値観は国会討論にも通用する。充実した中味を期待するのが最初から馬鹿みたいだ。ぶらりと高校時代の友人が来た。「朋遠方より来る有り、亦楽しからずや」という言葉を思い出した。しばし語るが話が確定申告に飛んでしまった。

2012/2/10(金)の天気

TAVE= 4.1
TMAX= 9.8 最高気温(℃)  10.8  14:19
TMIN= -0.8 最低気温(℃)  -1.1  00:03
DIFF= 10.6
WMAX= 4.1 最大瞬間風速(m/s) 
SUNS= 9.2
RAIN= 0

以下はAMEDASの福島県相馬2012/2/10(金)の天気

TAVE= -0.4
TMAX= 4.5 最高気温(℃)  4.8  13:09
TMIN= -4.3 最低気温(℃)  -4.8  00:37
DIFF= 8.8
WMAX= 6 最大瞬間風速(m/s)  9.3(北北東)  15:52
SUNS= 7.5
RAIN= 0

以下はAMEDASの福島県相馬2011/3/11(金)の天気

TAVE= *2.0
TMAX= 7.6
TMIN= -0.8
DIFF= 8.4
WMAX= 0
SUNS= 4.5
RAIN= 0

*は母数が合わず不適。AMEDASのデータ:0~14時まで。エクセルの機械的な計算結果。

本日で、東北地方太平洋沖地震から11ヶ月となる。AMEDASの福島県相馬2011/3/11(金)の天気を調べてみた。14時で5℃。日照時間は13時よりゼロ。15時以降のAMEDASデータは欠如している。

「東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん)は、2011年(平成23年)3月11日14時46分[1]、日本の太平洋三陸沖を震源として発生した地震である。東日本大震災[9][10][11]を引き起こし、東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした。」ref/WIKIPEDIA/⇒:。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87

大地震発生時刻が14時46分。AMEDASのデータに地震の爪痕が残っていた。

毎日新聞は、「復興庁発足:平野復興相「復旧復興を早く進める先頭に」;url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120210k0000e010163000c.html(毎日新聞 2012年2月10日 11時54分(最終更新 2月10日 18時21分))」というタイトルで、「東日本大震災の復興政策を統括する復興庁が10日発足し、野田佳彦首相は同日午前の閣議後、平野達男復興担当相を初代復興相に任命した。 平野復興相は記者会見で「復旧復興をとにかく早く進める先頭に立っていきたい」と抱負を語った。 復興庁は250人体制で発足。」と報じた。

2012/2/10に復興庁が発足した。本庁は民間ビルに入るらしい。東北地方に復興庁を置くという案もあったようだが、結局東京都内になったようだ。
復興庁設置法http://law.e-gov.go.jp/announce/H23HO125.htmlによれば、「(復興庁の廃止)
第二十一条  復興庁は、別に法律で定めるところにより、平成三十三年三月三十一日までに廃止するものとする。 」とあり、廃止時期を定めた時限立法である。同法第三条を見ると「東日本大震災(平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震及びこれに伴う原子力発電所の事故による災害をいう。以下同じ。)」と規定している。「原子力発電所の事故」を東日本大震災に含めてしまうのは味噌クソを同じに扱うようで不潔?に感じる。「原子力発電所の事故」には人災の部分が大きかったのではないか。

ともかく、遅蒔きながら復興庁が発足し、今は脚光を浴びているが、数年後には、各官庁を仕切れなくなり、閑古鳥が鳴かない事を願うばかりだ。

雑木の歌 東北の海よ:大震災から11ヶ月

○食卓の 薬缶が落ちた 大震災 本震余震 家を飛び出す
○水たまり 水が跳ねたと 祖母に聞く 死者十万の 関東大震災
○大津波 家も樹木も 飲み込んだ 音が聞こえぬ 不気味な力
○福一の 原発事故は 大人災 あの一撃で 原発止まるも
○キーンさん ダライラマさん 東北へ 裸足の医者に 姿重なる
○想定外 直ちに云々 連発し 尻まくりして 逃げ打つ御仁
○地震火事 逃げるが 勝ちだ 政治家逃げて 国は負けゆく
○会議にて 記録残さぬ 輩達 腹が透けてる 密室談合
○放射能 知って配らぬ ヨウ素剤 ゆっくり殺す 官の非常さ
○あの日から もう十一ヶ月 ただ無念 今こそ笑え 東北の海

2012年2月10日 (金)

雑木の歌:我が家のネコちゃん

2012/2/10(金)
昨日は晴れ。午後曇り。資料整理等で宅内。熱帯魚の水槽が今はスイレン池になっている。水が蒸発して底が見えていた。ホースで注水したが、ホースに氷が残っていたようで最初は出が悪かった。春になったらこちらへメダカを移そうか。今後もメダカに振り回されそうだ。パソコンに4GのUSBメモリーを追加した。メモリー本体はUSB2だが、パソコン側がUSB1でスピードが出ない。データの転送が遅いが我慢。XPパソコンへ引っ越し作業は2011/7/初頃で7ヶ月ほど経った。何とか順調に動いている。USBメモリーを変更するとドライブ番号が代わってしまうのが困る。

2012/2/9(木)の天気

TAVE= 2.3
TMAX= 6.9 最高気温(℃)  7.5  15:17
TMIN= -2.3 最低気温(℃)  -2.6  07:03
DIFF= 9.2
WMAX= 4.9 最大瞬間風速(m/s)  16.6(北西)  04:27
SUNS= 7.4
RAIN= 0

雑木の歌:我が家のネコちゃん

我が家の猫は家族歴十数年で立派な名前もある。どういう訳かその名前に馴染めない。まだ自分の名前にも馴染んでいないのだから仕方がない。最近、近江八幡市長をされた川端五兵衛氏の「景観はみんなのもの」という講演を聞いた。好ましい景観の形成に先駆的な業績を残された方だ。講演に感銘を受けた。同氏の名前は襲名で10代目になると話された。ころころ名前を変えるようでは出来ない物もあるように感じる。親の名前を継ぐと決意したときの気持を知りたかった。名前が光るのは実績の積み重ねなのだろう。自分にとっては我が家の猫は依然ネコちゃんだ。

○早朝に 腹が減ったと メタボ猫 俺に泣かぬは プライドなのか
○一丁前 名前を持つが ネコちゃんと 呼ばれ続けて 薄い付き合い
○餌やらず 世話もしないで 可愛がる そんなのないと 膝を去る猫
○いびつだな 俺と家内と 家猫と 三角関係 猫が決めてる
○人類と 付き合い始めて 数千年 生活のため 仕方ないじゃん

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)